舌切りの雀は妖艶に鳴く
悪魔の姫君シスネ・ランドールの処刑の報は、瞬く間にハイヒッツ中に知れ渡った。
そうして、処刑の時刻まであと30分程に迫った広場には、悪魔の最後を自身の目で見てやろうと、大勢の民衆達か押し寄せていた。
彼らの顔は、シスネが中央に到着した初日に見せた期待する様な色も、不安の中にもどこかお祭り気分の楽しげな空気も無い。
処刑が行われれる広場には、ただただ憎しみに歪ませた顔でその時を待つ多くの人々の姿があった。
刻一刻と近付くその時を檻の中で静かに待っていたミナとパッセル。
そんな二人が行動を開始したのは、予定された時刻まであと30分を切った頃であった。
それは、脱走する者が行う様な、こそこそと隠密的にする様なものとは真逆の、非常に大胆な行動であった。
相変わらず冷たい空気の栄える牢屋の中には、1人の牢番が二人を見張っている。
そうやって牢番が見張る中、スックと立ち上がったパッセルが赴ろに牢番へと話し掛けた。
「ねぇ、兵士さん」
「……なんだ?」
不機嫌そうな声。
構わず、パッセルが続ける。
「お願いがあるんだけど?」
「……断る」
「そう言わずに聞いて頂戴よ。―――あのね兵士さん。私達を抱いてみる気はない?」
一瞬何を言われたのか理解出来ず、牢番が固まる。
しかし、すぐに牢番は「ふざけるな」とパッセルのお願いを一蹴した。
「別にふざけてなんかいないわ。―――ねぇ兵士さん」
昨日から檻の中で過ごしたそれまでのパッセルの口調とは明らかに違う、なめまかしく艶のある声色が兵士を呼んだ。
兵士が僅かに顔をしかめる。
「見張りって色々と気疲れするし、溜まってるんでしょ? 私達はどうせ殺される。あの将軍がそう言ってたもの。―――それでね? どうせ死ぬなら最後に女として気持ち良い事してから死にたいわけ」
色気のある口調のパッセルの言葉が続く。
「貴様、何を考えてる?」
「別になんにも?」
言いながら、パッセルが自身の服に手を掛けた。
纏う衣服をゆっくりとした扇情的な仕草で、パッセルが少しづつ剥いでいく。
険しい表情をしながらも、しかし、あらわになっていくうなじに、肩に、鎖骨に―――これみよがしに肌の面積広がっていく光景に、牢番は目を逸らせないでいた。
「死ぬ間際に抱かれて死にたいって、そんなに変な事かしら?」
完全に一糸纏わぬ姿となったパッセルが、甘い言葉で牢番に手招きする。
ランドールの姫君とまではいかないが、パッセルの容姿は決して悪くない。
ふくよかで程よい膨らみと、女性らしい体の曲線が劣情を煽る。抱きたいと男に思わせるだけの淫靡さがある。
女性ばかりで構成されるランドール家の鳥達。
そして、「気高くあれ」「忠実であれ」「従順であれ」と幼き頃より洗脳的教育を受けて来た彼女らは、ランドール家姉妹を神のごとく盲目的に崇拝している信者である。
彼女らの愛の全ては主に注がれ、彼女らの行動全てが主への奉仕であり、主への奉仕こそが彼女らの幸せである。
中でも、カナリアによって歪んだベクトルに教育された『ハト』は、『カラス』よりもその傾向が強い。
そして『ハト』は、「気高くあれ」=「純潔であれ」と解釈している。
純潔―――それは穢れを知らぬ者。絶対の乙女。
『カラス』の中には必要になるかも知れないからだとか、後学の為だのと理由をつけて男というものを知っている者もいるが、『純潔』を貫く『ハト』で異性を知っている者はいない。
純潔を旨とする『ハト』にとってそれは、穢れた事であり、忌むべき事である。許容出来ない。
落ちこぼれの『カラス』と、勝ち残った『ハト』。
この両者の若干の仲の悪さは、その辺りの意識の違いも理由にある。
「異性を知る穢れた者」として『ハト』は『カラス』を見下している。
逆に、「異性を知る自分達に嫉妬する者」として『カラス』は『ハト』に僅かな優位性を見せつけている。
本来なら、その事で勝ち負けなど無いし、どちらが正しく間違っているといった事も無い。
その営みは、人が種として―――いや、獣であっても、生き物が生き残っていく為には必要な行為である。
ゆえに本能として、生物が異性を求めるのはごく自然な事。
「気高くあれ」とする『ハト』は、それに逆らう者達なのであるが、洗脳的教育を受け、強い信念と理性でそれを律する彼女らであっても、生物が生まれながらに持つ本能が消えるわけではない。ただ意思の力で強引に抑え込んでいるだけである。
いるのだが、タガが外れそうになる事は当然ある。
欲求不満が積もりに積もって、敬愛する主に不貞を為しそうになる。
勿論、そんな事があってはならない。万死に値する。
そんな事態を引き起こさぬよう、『ハト』達は仕方なしに自分で自分をお慰めになるのだが、「どうせみんな同じなのだから」という悟りにも似た考えと、「自分だけではつまらない」という賢者的思考で、いつしかそれらは他者を巻き込み始めた。相手を求めたのだ。
そうして、いつの間にかランドール家の屋敷の中の奥深くに『女の花園』が生まれたのである。
仲違いしているはずの『カラス』までをも巻き込んだその『園』は、決して汚れてはいない。
汚い男など入り込む余地など何処にも無い高潔な園には、美しい乙女達の存在だけが許されるのである。
そういう事もあって、本物を知らない彼女らではあるが、自分をより美しく、艶やかに、惑やかに、魅せるすべを知っている。
彼女達ははそこで高め合う。
それが人の性なれば、
それが生き物の本能なれば、
万が一、主に求められないとも限らない。(これ大事)
万が一、主が望まれないとも限らない。(これ重要)
万が一、そうなった時、主を満足させられる様にあらねばならない(最重要)
そうやって使用人達は、理由を作り、園の存在を肯定し、
もしも、
もしかしたら、
万にひとつ、
自分が選ばれるかも、
自分をご指名なさるかも、
その万が一の『かも』に備えて、彼女達は予習復習を怠らないのである。
そんな彼女らかしてみれば、男心をくすぐる事など広い庭の草刈りよりも容易い事なのだ。
「ダメ?」
妖艶さを伴うパッセルの声。
牢番は理性と欲望の狭間で揺れるが、王国の、しかも中央の兵だけあって意思は堅い。役目に忠実であろうとする。
「冗談じゃない……。バレたら俺が処罰される」
苦渋の決断でもするように顔を歪めた牢番から吐き出されたその言葉に、裸体のままパッセルがクスクスと笑う。
そして、全身を曝け出したまま問い掛ける様に鳴いた。
「バレなきゃ良いのよ。どうせ誰も入って来やしないわ。―――ねぇ兵士さん。尋ねるわ。本当に私を抱きたくない?」
「くどい! 抱きたくなどない!」
揺らぐ感情をやや大きな声で打ち消す様に牢番が言った。
結局牢番は、自分の前に提示された小さな欲望と大きな理性の内、大きな方を選択した。
―――それがパッセルの罠とも知らずに……。
直後、
突然「ガァッ!?」とうめき声を上げた牢番が口元を両手で覆った。
その両手の隙間から、止め切れなかった赤い血がボタボタと零れ出す。
「あ~あ、嘘ついた」
突然口から血を吹き出させた牢番に向けて、愉快そうに笑みを浮かべたミナが言う。
ミナにつられる様にパッセルも笑う。
パッセルは床に投げ捨てられた服をまた手に取り、着ながら告げる。
「ダメよ。嘘ついちゃ。―――舌を切られてしまうから」
牢番が何か言いたそうに口を開くが、血の匂いが混じった空気がゴボゴボと喉の奥から零れるだけで、言葉は一言も出て来なかった。
顔面蒼白となった牢番が、また口を手で押さえる。
そのまま慌てて踵を返し、牢屋の外へと飛び出そうと走り始めた直後、イデアから渡された鍵でいつの間にか檻の外へと抜け出したミナに横から蹴り飛ばされた。
倒れた拍子に牢番の口から、血と共に血塗れの舌が床に転がった。
激痛にこそ襲われはするが、人間は舌が千切れただけでは死なない。
死ぬとしたら、千切れた事で狼狽し誤って飲み込んでしまった舌を喉に詰まらせて窒息して緩やかに死ぬか、出血多量でじわじわ死ぬかのどちらかである。
どちらもすぐには死なないし、素早く適切な処置さえ出来れば死ぬ事はない。
適切な処置さえ出来れば―――
当然ながら、敵にそんな処置をさせる暇を与える程、ミナとパッセルは優しくはない。
何故自分の舌が突然千切れたのか分からず混乱し、それを冷静に考える事を許さない激痛にのたうち回り、溢れる血が邪魔をして助けを呼ぶ事も出来ないまま、牢番は自分が所持していた剣をミナにあっさりと奪われ、喉を突かれて死んだ。
実にあっさりと死んだ。
服を着直し、ミナに遅れて檻を出たパッセルが、絶命した男に冷たい目を向ける。
「男ってほんと馬鹿よね」
心の底から吐き出したような感想を口にした後、「まあ私の裸を最後に見れたんだし、死ねて本望よね」
そう言って、牢番を見るパッセルの眼には、興味を無くしたのかどんな色も宿ってはいなかった。
牢番を片付け後、牢屋の扉をソッと開けて外の様子を伺うパッセル。
続く廊下に人の気配は無い。
抜け出す好機。
そうして動き始めようとしたパッセルの服を、くいくいっと引っ張る力があった。
パッセルが振り返ると、やや頬を薄桃色に染めたミナの顔があった。
「なに?」
パッセルが何とはなしに問う。
ミナが少し照れ臭そうにもじもじと僅かに体をくねらせながら答える。
「あのね……。―――なんだかむらむらして来ちゃって……」
パッセルは一瞬ポカンとした後、
「なんで発情してんのよこの駄犬!?」
「だってパッセルがぁ……」
「寄るな馬鹿!」
信じられないと悪態をつくパッセルに、泣きそうな顔をしたミナがにじり寄る。
鼻の利くミナは、そういうニオイに敏感で、そういうニオイにとても弱い。
それを知っているパッセルはちょっと顔をひきつらせてから―――諦めたようにため息をついた。
項垂れたまま言う。
「無事にランドールに帰れたらね」
「……うん。―――絶対だよ?」
もじもじと身をよじるミナを、はいはい、と軽くあしらって、パッセルはその場を治めたのだが、場所が場所、状況が状況とはいえ、どんな形でも求められると誰でも嬉しくなるものである。
顔を扉に向け直したパッセルは満更でもなさそうな表情をしていた。
馬鹿と罵ろうと、呆れられようと、なんだかんだで仲は良い二人なのである。




