牢獄にて
「ここ臭いなぁ」
鉄格子の隙間から流れて来る冷たい空気にクンクンと鼻を鳴らした後、不快そうに表情を濁らせたミナがそんな感想を口にした。
そのミナの隣では、パッセルが「あんたは呑気ねぇ」とちょっと呆れた顔をして座っている。
なんだかんだで仲の良い二人のやり取りを見ていた牢番が、無言で視線の抗議をする。「お前もな」と心の声がしてくるような顔だった。
二人がいるのは牢の中。
アルガンが倒れた事へのあらぬ嫌疑を掛けられて、主君シスネ共々、その身を檻の中へと落とした。
現在の時刻は早朝。二人がここに閉じ込められてから一晩が経っている。
二人の見える場所にシスネとクローリは居ない。
どうやらその二人は特別扱いらしく、ミナ達とは別の場所に幽閉されているらしいと、ミナの捨て犬の嗅覚で把握済。
もっとも、シスネの居場所が分かったところで、二人が自力で牢を出る事は出来ないのだが……。
そんな二人の元にイデアがやって来たのは、「退屈だねぇ」と溢したミナが何故か汚れた牢の壁や床を掃除し始め、見ていたパッセルが「じっとしてなさいよ」と嘆息混じりに言った時だった。
ガチャリと扉の開いた音がした後、二人のいる牢のある部屋の扉の前で退屈そうにしていた牢番が、突然居住いを正した。
「ああ、楽にしていい」
牢番にそう告げたのは、部屋に入ってきたイデアであった。
「ハッ!」
急な将軍の登場に、緊張で堅くなった表情の牢番が応える。
イデアはそれを背中に聞きながら二人の入る檻へと近付いた。
イデア将軍―――王国の中で過激な将軍として知られるイデアの登場に、パッセルが警戒心を露にして立ち上がる。
パッセルが険しい顔をしてイデアを睨むと、イデアはそれに小さく鼻を鳴らして返した。
イデアは体をパッセルに向けたまま、首を少し後ろへとひねり「おい」と、牢番に声を掛けた。
「ハッ! なんでありましょう!?」
「こいつらと少し話がしたい。悪いが外してくれるか?」
牢番は額に僅かな汗を滲ませ、おそるおそるといった様子で口を開く。
「申し訳ありませんが、規則で出来ません」
「私に言われたと言っておけ」
「ですが、規則で……」
渋った牢番の言葉がそこで止まる。
牢番のかく汗の量が増大する。
軍神とも比喩される将軍イデアから放たれる無言の圧力が、一介の牢番1人に集中する。
「血を見たくはないだろう?」
視線だけで敵を射殺してしまいそうな程の冷たい目をしたイデアが告げる。
牢番はゴクリと生唾を呑んだ。
「りょ、了解しました」
「すまないな」
牢番が了承すると、先程とは一転し、笑顔になったイデアが告げた。
その恐ろしいまでのギャップに、牢番は顔をひきつらせ、逃げ出すように部屋を出ていった。
牢屋の中に三人だけが残る。
牢番が出て行ってから、それを確認するように少し間を置いた後、イデアは憂いでも取れたかの様に、ふぅと小さく息を吐いた。
そんなイデアとは違い、パッセルの警戒心、緊張感は更に増す。
―――わざわざ牢番を追い出してまで何をするのか……。
「血を見たくはないだろう?」―――その言葉の意味する事はひとつ。
その「何か」を想像したところで、パッセルがチラリと自身の真横にいたミナに視線を向けた。
今から将軍直々の拷問を受けるなどとはこれっぽっちも思っていなさそうな顔をしたミナが、臭いと評価を付けた牢のニオイを嗅がない様に努めていたはずの鼻を、クンクンと鳴らしていた。
―――この子は……。
こんな時でもマイペースのミナの様子に、パッセルは呆れを通り越して逆に羨ましくなった。
ミナはしきりに鼻を鳴らしては、何かを確認している様子である。
パッセルがイデアへと視線を戻すと、イデアが自身の懐に手を入れて何かを取り出そうとしている場面であった。
パッセルの緊張など意に介さず、淡々とした表情のイデアが取り出した物は―――1枚の紙であった。
訝しげるパッセルの目の前で、イデアはそれを鉄格子の隙間から差し入れた。
「ここの鍵と脱出経路の書かれた見取り図だ」
「―――はっ?」
一瞬イデアが何を言ったのかが理解出来ず、パッセルが間抜けな顔で間抜けな声をあげる。
「必要なら牢番もどうにかするが、生憎と手が足りてなくてな。出来れば自分達で対処して貰えると有り難い。いけそうか?」
紙と、それに挟んだ鍵を隙間に差し入れたまま、イデアの言葉が続く。
状況に混乱しつつ、罠かと警戒するパッセルが動揺しながらも行動を起こす。
パッセルはイデアに視線を固定したまま言う。
「尋ねる。これは―――」
「待って!」
そんなパッセルの行動を止めたのは、横から口を挟んで来た同僚であった。
何故止めるのかとパッセルが尋ねるより先に、無防備にイデアと近付いたミナが、差し出される紙と鍵を受け取った。
「ちょ、ちょっと!?」
「大丈夫だよパッセル。―――はい、これ」
暢気な顔をしたミナが、受け取った物を今度はパッセルに差し出して来た。
眉をひそめたままのパッセルが受け取り、中を開く。
「―――鍵……。それに見取り図……」
イデアが申告した通りに、パッセルの手の中にはその2つがあった。
その事にパッセルの表情が更に険しくなり、頭に疑問符が浮かぶ。
「どういう事?」
パッセルが尋ねると、笑顔を作ったミナがイデアに振り返る。
「ランドールの人だよね?」
イデアは少しキョトンとした顔をした後、「ああ、そうか」と何かに気付き、呟いた。
「知らなかったのか。すまない。驚かせたな。―――そうだ。私はランドールの『カモ』だ」
「―――えっ!? 『カモ』!?」
「そうだ」と、イデアが頷くと、パッセルが信じられないと叫びそうな程の驚きを見せる。
「まさか王国軍の将軍が!?」
「ああ」
「そんな中枢にまで入り込んでいたなんて……」
「まあ、将軍になったのは偶々だよ。けど―――知らなかったのに君は良く気付いたね。流石はランドールの『ハト』だね。今まで誰にも気付かれた事なんて無かったのに」
ミナに視線を向けつつ、イデアが意外そうに告げた。
ミナは何でも無い事の様に、
「匂いが同じだったもん。良く似てるけどリコフは身内?」
「ああ、父だ」
その答えにパッセルが先程とは違った驚きを見せる。
「ええぇぇ!? あの万年Dがちちおやぁ!? しかもこんな美人な将軍の!?」
パッセルが叫ぶように溢すと、イデアが口を大きく開けて笑った。
「あっはっはっはっ! 父は相変わらずらしいね。私には、今日も良く働いたとか、大活躍だったと良く言っているが、その様子じゃ変わらず呑んだくれているんだろうね」
「本当に驚きです。あのリコフに娘が居たというのも初耳だし、しかもそれが王国で将軍の地位に居て、更に『カモ』だなんて……」
「そうだろうね。私は冒険者の父と、そして同じく冒険者だった母が遠征中に作った子なんだ。だから、ランドールじゃ私の存在を知らない人の方が多い。実際、私がランドールに行ったのも三回だけだしね」
「ああ、それで……。確かに私が聞いた話ではあなたは―――イデア将軍はルイロット出身って話でした」
「うん。15まではルイロットに住んでいたよ。そこで、ランドール家の支援を受けながらクローリ先生にこっそり鍛えられていたんだ。そして、志願兵として中央に来て……、気付いた時には将軍になっていたよ」
クックッと愉快そうに腹を抱えてイデアが笑う。
そこまで聞いてパッセルは、先日シスネが言い淀んだ『カモ』の存在はイデアの事であったのかと思い当たった。
強大な王国軍のトップともいえる四人の将軍の内の1人が、実はランドール家の『カモ』として潜り込んでいるという事実。
おそらく、シスネ様を除けばそれを知っていたのは極一部の限られた人物だけであろう。
王国の深い内情まで知れるイデアは、動向を探る上では貴重で稀有な存在だ。
まして将軍ともなれば、発言力も大きいだろう。
そんなイデアの存在を味方にも隠すのは当然だろう、とパッセルは思った。
「おっと、世間話をしに来たのでは無かった。どうも、シスネ様が淡々と簡単そうに話すものだから実感というか、緊迫感が無くていかん」
「シスネ様はご無事で?」
「勿論だ。『カモ』と言うわけではないが、シスネ様のいる地下牢の出入口は私の部下で固めてある。私の命令を無視してシスネ様に危害を加える様な馬鹿達ではないし、ある意味では、今はあそこが一番安全かも知れない」
「外の様子はどうですか?」
パッセルの問い掛けに、イデアはすぐには答えず、言葉を選ぶかの様に逡巡した後、
「……酷いよ。暴動寸前だ」
「暴動?」
「ああ、既にアルガンが倒れた事も、シスネ様が幽閉された事も市中には広まっている。―――おそらく扇動者がいるのだろう。そうでもなければ、いくらなんでも話が広がるのが早すぎる」
「やはり嵌められたのですね」
「間違いなくな。ランドールの改革を機に王国の建て直しを図る。それがこれからという時に、主導するアルガンが倒れたのだ。民衆達の期待が高かった分、反動も大きい。悪魔を殺せと声高に叫ぶ民衆達が城に押し寄せ、一時は本当に一触即発というところにまで達した」
そこでイデアは一度言葉を止めて、その時の状況を振り返った。
怒り狂った感情を隠しもせずに、群れとなって押し寄せる民衆達。
彼らからは、ただ『悪意』だけが滲み出している様にイデアには見えた。
屈折した感情。
しかしそれは、自身が『ランドール側』だからこそ感じる悪意だとイデアは考える。
おそらく―――民衆達は、殺せ殺せとシュプレヒコールする自分達を異常だとは思っていない。
むしろそれが正しい選択だと信じて疑わない。
悪魔は絶対悪である。
それを殺す事の何が悪いのか。
そうやって『殺す』という事を正当化している。
そういう認識で行われる要求は、多数決という数の利を得て膨らみ、ひとつの波になる。世論が巻き起こる。
城を取り囲む民衆達を見ながらイデアは、何食わぬ顔をして穏やかな生活を営む民衆達の裏側に隠された際限無く膨らむ底無しの悪意の深さを知った。
首都を埋め尽くし、王国に蔓延するランドールへの悪意の数の膨大さを知った。
将軍として王国に籍を置くイデアであったが、ここまでランドールというのは忌み嫌われる存在なのだという事を、まざまざと見せ付けられた思いであった。
その時の状況を改めて思い返し、イデアの背中にゾクリと寒気が走る。得たいの知れない不安と焦燥が沸き立つ。
「イデア?」
名前を呼ばれたイデアは、胸中の悪い感情を吐き出すように一度息をつく。
「……暴動はもう治まった。とはいえ、それも一時凌ぎでしか無い事は政治屋連中も理解している。声が止んだだけで、流れが変わった訳ではないからな―――それで……」
「それで?」
イデアは応えない。
難しい顔をして、何か言いにくい事を口にする様な素振りをしたまま、黙り込んだ。
三人で沈黙を味わった後、
「シスネ様の処刑が決まった」
イデアがそう口にした瞬間、ガチャンと鉄格子が鳴った。
鳴らしたのは、泣きそうな顔をしたミナだった。
八つ当たりでもする様に鉄格子を強くガチャガチャと鳴らしながらミナが叫ぶ。
「なんで!? どうしてシスネ様が!?」
「……そうでもしなければ、もはや民衆達の不満は抑え込めない―――そういう判断だろう」
搾り出す様に言ったイデアだが、ミナはそんな答えで納得しない。
納得するわけがない。
「シスネ様はなんにも悪くないのに!? なんでシスネ様が処刑されなくちゃいけないの!?」
「ミナ」
まるでイデアを責め立てる様に問い詰めるミナを諌める様な、パッセルの落ち着いた声。
それで叫ぶのを止めたミナだったが、落ち着いたわけではない。ミナは人前にも構わず、嗚咽をあげながらその場にうずくまってしまった。
「イデア。処刑はいつ?」
落ち着いた口調のままパッセルが尋ねる。
「…………今日だ」
「今日!?」
うずくまり、声を殺して泣いていたミナが顔を勢い良くあげてまた叫ぶ。
「ああ……。10時丁度、市内の中央にある広場で行われるそうだ」
「あと二時間もありませんね。―――シスネ様はなんと?」
「……お前達を頼むと、そう言われた。―――何か策があるご様子だったが、詳しくは仰らなかった。ただ、『カモ』としての本分に務めよと」
「そう……。―――まだシスネ様は諦めてはいないのですね?」
「ああ、そうらしい」
イデアの言葉を聞き、パッセルが深く頷く。
それから、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにするミナへと顔を向けて言う。
「シスネ様が諦めていないのであれば、私達にも必ず出番があるはず。―――ミナ、そのつもりで。例え何が起ころうと、私達は『ハト』として最善の行動をしましょう」
パッセルの力強い言葉を耳にしたミナは、グシグシと顔を―――パッセルのスカートの裾で音を伴って盛大に―――拭いて、パッセルをイラッとさせた後、勢いよく立ち上がる。
「分かった。私達は私達のやるべき事をやる!」
ミナが、拳を作ってそう力強く宣言する。
「そうだな。私も自分に出来る事をするとしよう」
イデアはそう言って不敵に笑ってから、「あまりここに長くいるのもマズイだろう。私はここらで引き上げる」と二人に告げた。
そうして三人は互いに頷き合い、イデアは踵を返して牢屋を後にした。
イデアと入れ違いで牢番がまた戻って来た。
牢番は、ミナとパッセルを見て―――フッと小さく小馬鹿にした様に笑った。
その不快感を伴う牢番の笑いに、ミナとパッセルが怪訝な顔をする。
二人はまさか、泣いているミナと、ミナの涙と鼻水でスカートを濡らしたパッセルを見た牢番が、
「将軍の尋問を受けた1人はイデア将軍に泣かされ、1人は恐怖のあまり粗相をしたようだ」と、勘違いして笑っていたとは知る由も無かった。




