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豊穣祭・三日目、義務的


「お帰りになられました」


 数人のハトと共にアルガンを見送ったあと、次席メイド頭のパッセルは応接間に入りそう告げた。

 部屋の中には重くるしい空気が流れていて、パッセルの言葉に、その場に居た者達の誰も反応を示さなかった。


 この部屋の中でどういった話がなされたのかパッセルには分からないが、良い話ではなかったのだろうとやや緊張した面持ちになる。

 パッセルを加えてなお、場はしばらく沈黙を流し続けた。


 不意にハロが口を開いた。


「ねぇ、カナリアさん」


 さほどに大きな声でもなかったが、静かだっただけにやけに部屋に響き、それぞれに険しい顔をして思考に耽っていた者達の視線がハロに集中した。


「はぁい。なんでしょうかぁ?」


「さっき言ってた複合儀式? ヒロのやつを提出するんでしょ?」


「一応そういう事で話をつけましたが、ばか正直に本当の内容を書く必要もないかとぉ。全て晒すわけではない以上、どうせ向こうに真偽の区別はつきませんのでぇ」


「あ~、そっか」


「はぁい」


「なら、私が適当に書いたモノでも良いよね?」


 ハロの問いに、カナリアがヒロへと視線を向けた。

 向けてから、


「カナリアめは構わないかと思いますが……」


 打診でもするよう口にする。

 ヒロは少しだけ逡巡する素振りを見せ、


「書き出すのはハロで良いが、誤魔化しは無しだ。――そうだな……。1から10の項目までを書いておけば良い」


「……いいの?」


 ハロがやや不安そうな顔をして念を押すように尋ねる。

 ヒロは小さく頷くと、何処からともなくゲコリと蛙を呼び出した。

 蛙の口から吐き出させた本をテーブルへ無造作に置き、それからカナリアから紙とペンを受け取る。そちらもテーブルに並べ置く。


「ハロ、頼んだ。俺は少し出てくる」


「うん……」


 ヒロはそれだけ告げて立ち上がると、部屋の扉へと向かった。

 振り返る事なく部屋を出ていくヒロの背中と、パタンと閉まる扉を眺めて見送る。


 ふた呼吸程の間があった。

 カタリと椅子を鳴らし、シスネが立ち上がった。


「フォルテ、この件についてはまた今夜にでも」


 口早にそれだけを告げたシスネは、返事も待たず、珍しく少し慌てた様子で部屋を出ていった。出て行く際、シスネに代わり扉を開けて傍に立っていたパッセルが後ろを追従しようと仕掛けたが、シスネはそれを手の仕草だけで断りを入れて下がらせた。



 ヒロに続き、シスネの背中も見送ったあと、げんなりしたようにフォルテが溜め息をついた。

 姉が居なくなった空間は、先程まで感じていた息が詰まるような空気が一気に弛緩したような気がした。

 気が抜けたように力なくテーブルに突っ伏す。

 そうしたまま、錆ついたように重い首だけを動かして横を向く。

 不可思議そうな顔をして自身を見るカナリアとハロが目に留まった。

 その視線に少しの居心地の悪さを覚え、同じ姿勢のままシミひとつ見当たらない真っ白なテーブルクロスへと目を落とす。

 そうしたまま考える。


 真偽のほどはともかくとして、王からの提案はランドールにとって悪い話ではない。

 外との関係を改善したいというのは本心で、それを王国のトップが後押しすると持ち掛けてきているのだ。これほどの後ろ楯はないだろう。

 しかし、そんな朗報とは裏腹に、沸いて来たのは喜びではなく怒りの感情だった。


 ――外の人とも仲良くなりたいなど、私の想いはうわべだけだったのだろうか?

 ――その程度のモノだったのだろうか?


 ふと頭に浮かんだのは、初めて出来た友人の顔。

 曖昧にはぐらかされてはいるが、おそらく外から来たであろう人間。

 彼女という人間に出会って、触れて、――なんだ。ランドールはそれほどに嫌われもいないじゃないか。こんなに簡単に笑い合えるじゃないか――と、そんな風に思った。


「私はもう、自分がどうしたいのか分からなくなったよ」


 誰に向けるでもなく、フォルテはポツリとそう溢した。





「ヒロッ」


 いままさに箒で飛び立とうとしていたヒロは、名を呼ばれ、声の方へと振り返った。

 僅かに肩を上下させたシスネが、邸宅の扉を出たすぐのところで立っていた。

 ヒロは一瞬なにかを言いたげな様子をみせた。しかし、何も言わず、小さな溜め息と共に帽子の上からガシガシと小さく頭をかいた。

 ヒロは明後日の方を向いたまま、自身に近付いて来るシスネを待った。


 ヒロの前まで来ると、シスネは小さくフゥと息を吐き出した。


「走って来たのか?」


 尋ねると、シスネは小さく頷き、


「あなたは、歩くのが、早すぎます」


 途切れ途切れに言葉が紡がれた。


「……そりゃ悪かった」


 言いつつ、肩を上下させながら息を整えるシスネに観察するような視線を向けた。

 この姫君の走る姿というのは、あまり想像出来ない。そもそも走れたのか……。

 中央から逃げる時でさえ、彼女は自分の脚では走らずクローリにずっと担がれていた。

 豪邸と云って差し支えない邸宅とはいえ、家の中から外に出るだけでここまで息切れするとは――

 彼女はよほど運動不足であるらしい。


 ようやく息が整い始めたのか、シスネが一際大きく息を吐き出して落ち着いたところで、会話が再開された。


「シンジュ達のところに行くのですか?」


「ああ。無事――かどうかはこれから確認するが、出ては来れたみたいだしな」


 そう口にしながら、ついさっき部屋で見た光を思い返す。

 あの光の正体こそ分からなかったが、魔力感知で以前に中央で感じた魔力の出現を捉えた。シンジュのモノだ。

 万が一に暴走したまま出て来たならばすぐに向かおうかと身構えてはいたが、禍々しい気配ではなかった。

 すぐ傍に魔王の気配もみてとれたゆえ、大丈夫だろうと、国王の手前もあってすぐに向かう事はしなかった。


「私も一緒に連れていってくれませんか?」


 シスネがヒロの顔を真っ直ぐ見据えて言った。

 予想通りの言葉がシスネの口から出た事に、ヒロが小さな溜め息をつく。


「正直言えば、駄目だと言ってやりたい。たぶん、姫さんにはあまり楽しくない話をする事になると思う」


 ヒロはそこで一度言葉を切って、明後日へと向けていた体をシスネへと向け直した。


「けど、姫さん達にも関係のある話だから、結局は話さなきゃいけない事だ。話すよ。ちゃんと。ただ、今は俺の予想の段階だから、その辺りをきちんと確認してから話した方が良いんじゃないかと思ったんだ」


 ヒロがそう告げた時のシスネは無表情で、ヒロの目では変化らしい変化を見付ける事は出来なかった。

 けれど、見えづらいだけで感情が無いわけではないと知っている。

 だからか、ヒロは見えないモノを見付けようとでもするように、じっとシスネの顔を見つめた。

 普段のヒロならば、面と向かってシスネと見つめ合うなど出来ない。きっとすぐに顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまう。

 しかし今は、そういった気恥ずかしさよりもシスネを案じる気持ちの方が強く、しっかりと彼女の顔を見ていられた。


 だからこそ、いつもとは逆の事が起こる。

 シスネは無表情のままだったが、不意に、顔を僅かに横へと逸らした。

 そうしたまま、


「それは……、それはあなたにも関係ある話なのですか?」


「え?」


「どんな話かまでは分かりませんが、その話というのが私達に関係した話だと云う事は分かりました。念のため確認を取ってから話すという事も。――ですがそれは、あなたにも関係がある話なのですか?」


 真面目な顔をしてシスネの言葉を聞いていたヒロだったが、その顔がやや険しくなった。

 無愛想なのはいつもの事だが、その無愛想具合がいつもより強い。

 眉を寄せ、少し怒っているような表情。


「関係はない。少なくとも直接は。けど、駄目なのか? 俺が関わっちゃ? 迷惑か? 言っとくが俺は勝手にやるぞ。関わるなと言われても、俺が勝手に――」


「いえッ、違います。誤解です。そういう意味で言ったわけではありません」


 意図せず機嫌を損ねてしまった事に、シスネが慌てて釈明する。


「ただ私は、それであなたにどんな得があるのかと、そう聞きたかったのです。――中央での件以来、あなたには多くの手助けをして貰いました。とても感謝しています。しかし私には、受けた恩に見合うだけのお返しを用意出来ません。あなたの望むモノを与える事が出来ません」


「……はぁ?」


「あなたが怒るのは尤もだと思います。大陸でも有数の資産を持つランドール家である私が、ろくに返せるモノも無いのですから……。あなたはお金にはあまり興味も無いようですし」


「おい……」


「ただ、カナリアからあなたをランドール家の婿に、という話は聞いていますね? 流石にフォルテの意思を無視してと云うわけにはいきませんが、あなたが望むのであれば私は構いません。私を貰っても役には立たないでしょうが、ランドール家に入れば得るモノもあるでしょう。それに――」


「オイッ!」


 ヒロが声を荒げる。

 視線を何処か別のところへ向けながら淡々と語っていたシスネだったが、その強い口調にやや驚いて、そこでようやく顔を向け直した。

 ヒロが一歩距離を詰め、グイと顔を近付けた。


「お前、本気で怒るぞ?」


 いつもよりやや声量の落ちた声だったが、その分、怒りの感情が乗った重い声色であった。

 ハロや使用人達といった他の者とのやり取りの中で時折見せる半分冗談の混じった怒気ではない。

 本気で怒っている。

 その事にシスネは少なからず動揺した。心臓が早鐘を打ち始める。


「……すみません」


 謝罪の言葉を述べたシスネだったが、その眼には僅かな困惑する色が視て取れた。

 ヒロはその眼を見ながら思う。


 たぶん、彼女は自分が何故怒ったのか本当に判らないのだろう。

 彼女の頭の中では、恩義への見返りの少なさとか、価値が無いと思い込んでいる自分を差し出す事の自虐さとか、そういう理由で怒っているのだろうかと思考を巡らせているのだろう。


 ――冗談じゃない。


 ヒロは一歩下がりシスネから距離を取ると、帽子のつばを下げ、表情を隠してから大きく息を吐いた。怒りを一緒に吐き出すような深い溜め息。

 それからヒロは表情を隠したまま、


「あの取り引きは無しにしよう」と、告げた。


 ヒロがパッと顔を上げた。

 そうして苦笑いのような微笑みを浮かべる。


「俺は勝手に、自分の意思で、姫さんに付いていって、国王との場に同席した。だから、あの取り引きは無しでいい。取り引きなんて、そんな義務的に街の案内はしなくていい」


 ヒロはそういうと持っていた箒を手から落とした。

 地面から少し浮いてふわりと箒が浮かぶ。

 ヒロは踵を返すと、箒に片足を乗せ、それから振り返る事なく口を開いた。


「悪いが今の姫さんは連れていけない。――またあとでな」


 そう言って、ヒロは一度も振り返る事なく飛び去っていった。

 銀の穂に陽光をキラキラと反射させながら離れていくヒロを、シスネが無言で見送る。

 シスネは何も言えなかった。

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
― 新着の感想 ―
[良い点] なんだこれ! なんだこれ!? 主人公差し置いてめっちゃ青春してる!!! 甘酸っぱい! [一言] いや、これはアイラブシスネ様ですね。
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