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「もういいか?」
溜息を一つついて、頭を抱えたままプルプルと震えるマルグリットに声をかける。
「は、はい。すみませんでした」
「お前達の中に、森に慣れた人間はいなかったのか?」
居ても居なくても間抜けな話ではあるが。
「……雇われた人の中には何人も、この森で狩りをした事がある狩人がいました」
マルグリットが顔を上げて答える。
今まで出会わなかったが、人間の狩人もこの森で狩りをしているのか。
もし、出会ったらどうする?
友好か……、敵対か……。今の状態なら、友好的に接して、マルグリットを渡した方が今後の為になるだろうな。
「そいつらは魔獣寄せの香について注意しなかったのか?」
「特に注意をした人はいませんでした。
ただ、魔獣寄せの香は高価なので、あんなに頻繁に使うこと自体が珍しく、狩人の人達も思い至らなかったのかもしれません」
「そんなに高いのか?」
「あの香を一つ買うお金があれば、私一人なら三ヶ月は生活できます」
マルグリットの住む街の経済状況は分からんが、特殊技能を持った成人女性の三ヶ月分の生活費に相当するとなれば結構な金額になりそうだ。
「つまり、通常では起こり得ない事だったと言うのか……。なら、少しは安心ができるな」
俺が眉をひそめて言うと、マルグリットは吹き出しそうになるのを我慢して奇妙な表情になった。
「そう言えば、お前は魔法使いを生業にしていると言っていたな?」
「は、はい。まだ師の元を離れたばかりの若輩者ですが、トーラスの魔法使い協会からお仕事を頂いて生活しています」
唐突に話を変えた所為か、マルグリットがあわを食ってしどろもどろになる。
混乱すると妙に可愛くなるな。もしかしたら、思ったよりも若いのかもしれん。
まぁそれは置いて置いて、現状で敵に回したくないレベルの相手が若輩者で、一つの街に協会が作れる程度には魔法使いは数がいるとなると、真っ向から人間と敵対するような真似はやめておいたほうが無難だろう。
少なくとも、当分の間は。
「では、魔法の事を教えてもらおうか」
「分かりました!そもそも魔法と言う物は、魔力によって世界に影響を及ぼす術理であり、精神体による魔力操作をもって、己が願う結果を世界に呼び起こす……」
俺が命じた途端、マルグリットは目を輝かせ、すさまじい勢いで語りだした。
やべぇ、地雷をふんだか?
「待てマルグリット!もう少し、分かりやすい説明はできないか?」
マルグリットの言葉を強引に止めて、睨みをきかせて頼む。
「は、はぁ。えーと、魔法と言うのはですね……」
それでもマルグリットの話は長くなったので要約しよう。
マルグリットによると魔法には幾つかの種類があって、大きく分けると“呪文を唱える事で色々な現象を発生させる事ができる呪文魔法”と、“呪文は必要ないが限定された現象しか起こせない固有魔法”の二種類になる。
どちらにも利点と欠点があり、呪文魔法は、呪文を覚えさえすれば数多くの不思議な現象を起こせる反面、素質が無ければ使えないし、消費する魔力が多いので魔力の消費を抑える発動体がなければつかえない。(魔力の総量が桁違いに多ければ発動体無しでも使う事は可能らしい)
そして、正確に呪文を覚える為には導師による特別な儀式をしなければならず、その儀式を受けるためには、導師について長年の修行が必要となるんだそうだ。
「なるほど。で、お前は呪文魔法でどのような事ができるんだ?」
「私が得意なのは、炎の礫を飛ばす【火弾】の魔法や爆発する火の玉を飛ばす【火球】の魔法です」
「そ、そうか」
それに比べると、固有魔法の方はある程度魔力があればどんな生き物でも発現可能で、魔力の消費も少ない。
こちらの欠点としては、使いたい魔法が使えるようになるとは限らない事と、所持できる数の問題だろう。
使えるようになる固有魔法は、種族や魔力の多寡、本人の性格や嗜好、他にも様々な要因が絡むらしく、いくら魔力を増やしてもほとんどの人間は一つか二つ、多い人間でも精々が五つか六つで、十個以上の固有魔法を持つ人間は聞いた事も無いと、マルグリットは言っていた。
「マルグリット、俺は何匹も魔獣を食っている。お前の話どおりなら魔力も増えているはずなのに、一向にその固有魔法とやらを使えるようにならないのはなぜだ?」
「それは……。
ゴブリンの事には詳しくないのではっきりとは言えませんが、魔力が十分なら切欠さえあれば使えるようになる筈です。
ただ、人間の中にも稀に固有魔法を持てない人が居るので保障はできません」
最悪の場合は、固有魔法の使えない体質と言う事もありうるのか。
できれば使いたいなぁ魔法……。
「ふむ。では、固有魔法を使えるようになるにはどんな切欠を得れば良い?」
「人間の場合ですが、自分の特性に合った固有魔法を発現させるなら、個人で瞑想したり、導師や司祭にお金を払って“御導き”を受けたりする事で発現します。
それとは別に、例えば、大切な人が怪我や病気で苦しんでいるのを見て癒しの魔法を授かったり、火事に巻き込まれ、炎の中生きるか死ぬかの瀬戸際に炎を無効化する魔法や、炎を操る魔法を発現させる事があると習いました」
習いました?誰にだ?いや、そんな事よりも……。
「なるほどな。で、お前はその“御導き”とやらのやり方を知っているのか?」
「やり方だけは師匠に教えていただきました」
おお!やっぱりか!多少なりとも知識があるのならもしかしたらと思って聞いてみたが、正解だったな。
後は上手く交渉して“御導き”を受けたい所だが、失敗しても瞑想や自分を極限状態に放り込む事で使えるようになるのなら、また別のやりようもある。
あまりがっついて、見縊られない様に気をつけよう。
さて、今の内に聞いておかなければならない事はこんなもんかな?
んじゃ、次はっと。
「それは!」
今まで体の陰に隠しておいた魔法の鞄をマルグリットに見せると、声を上げようとしたので睨みつける。
「これは俺が拾った。だから俺の物だ。そうだな?」
幾分打ち解けてきたマルグリットだが、これでまた最初に逆戻り。ではない、会話を重ね、俺の要求を呑ませた状態で、彼我の力関係を思い出させただけだ。
ここで反抗するようなら、残念だが殺そう。一応、聞きたい事は聞けたしな。
「そう、です」
マルグリットは悔しそうに歯噛みしつつも頷いた。それで良い、後の事もあるから今は確り悔しがってくれ。
「次は、コイツラの事を教えろ」
と言いつつ、鞄の中から幾つもの道具を取り出していく。
「これは……」
マルグリットが死んだ魚のような目で、取り出した道具の説明をしはじめた。
懐いたと思っていた野生動物に襲い掛かられた様なもんだから、ダメージはでかいわなぁ。
鞄の中身は大別して、野外用品と保存食や調味料等の食料、衣服、死体から剥ぎ取った武器と防具、そしてそれ以外に分けられる。
どれも大変ありがたい品物ばかりだ。これで原始人な生活から抜け出せる。
野外用品には鍋釜等の調理器具や食器に寝具やテント等があり、料理した食事とまともな寝床で眠る事を想像すると、他の事がどうでも良くなってきそうでまずい。
食料は硬く焼きしめられたパンに肉の燻製、チーズ、野菜のピクルスと果物、とかなり豪勢だ。量もかなりあるので、俺とマルグリットだけなら半月以上は食い物を探さずに済むだろう。
しかし、死体と逃げた人間をあわせると10人以上は居た筈だ、これだけでは数日しか持たないよな?それをマルグリットに指摘すると、荷物運びに別働隊がいて、定期的に合流して食料を受け取っていたと答えた。
別働隊ねぇ?大量の食料を運びソレを守る為には結構な人数がいるんだろうが、ソイツラは今どうしている?
「マルグリット。その別働隊に会う方法はあるのか?」
「トレットン子爵が持っている魔法の道具でしか別働隊の位置は分からないので、私にはどうしようもありません」
それが本当なら、マルグリットが別働隊を頼って逃げようとする可能性は低いな。
「そうか。では次は……」
死体から剥ぎ取った武器と防具の価値は、流石にマルグリットではよく分からないようだ。
内訳は、長短様々な剣にナイフ、斧に槍に弓矢と様々な武器に盾と革鎧に金属甲冑。まぁ、鎧の方は恐狼の攻撃でぼろぼろだったし、死体から剥ぎ取るのも手間だったので、完全な物は一つも無いが。
唯一、マルグリットが分かったのが精緻な装飾のされた杖で、魔法を使うための発動体となる魔法使いの杖だった。
これは、意識を失ったマルグリットが持っていたものだ。
この杖を見たときのマルグリットの目は幾つもの感情をうかべていたが、すぐに諦めたかのようにそれを消して、視線を外した。
後は細々(こまごま)とした日用品や装飾品、傷薬や解毒薬等の薬、この森で採取した薬草類や魔獣の素材等々。マルグリットにも分からない道具もあったし、魔獣寄せの香もまだ数回分残っていた。
手帳や書類に辞典等の本もあったが、流石に文字は読めない。マルグリットに教えて貰う事が増えたな。
マルグリット達がこの森で狩った魔獣の素材は、シカとオオカミ、それにリスが数匹分。高価な香を使ったという割には少ないな、と思ったんだが、マルグリットによるとこれは昨日狩ったもので、それ以前の素材は別働隊に渡したんだそうだ。
……一日でこれだけ魔獣を狩れるのなら、たしかに魔獣寄せの香を使いたくもなるか。
驚いた事に、荷物の中には魔法の道具もあった。一日に一定量の水が出てくる水差しや、命令一つで火がつき燃料が尽きる事のない携帯焜炉、決められた方向を指し続けるコンパス、とどれも野外生活では便利な道具ばかりだ。
魔法の鞄にしろこれ等の品々にしろ、どう言う原理で動いてるんだ?マルグリットに聞いてみたんだが、「私も知りません」と素気無く言われた。
言ってから自分でもその言い方はまずいと思ったのか、その後すぐに「魔法の道具の作り方は秘伝中の秘伝なので、外部の人間には知りようが無いんです」と付け足す。
まぁ魔法の道具だし、よく分からん理論で動いているんだろう。
しかし作る人間がいて、流通にも乗ってる道具なら、俺でも手に入れる術はある筈だ。
「この鞄と言いこれ等の品々と言いずいぶんと便利な道具だが、魔法の道具と言うのは簡単に手に入るのか?」
「いえ。魔法の道具を作る事ができるのは、魔法使いの中でも高位の方々や固有魔法を持った技術者だけなので、普通の人間には簡単に買える物ではありません。
鞄とコンパス以外はトレットン子爵が用意した物です。その鞄も私が師匠から頂いた物ですし……」
そんな恨みがましい目をしても返さないぞ?
「マルグリット。この中でお前が欲しい物はあるか?」
全ての荷物を確認して保存食で昼飯を食った後、荷物の中から武具と魔法の道具、それと幾つかの品を除いた荷物をマルグリットの前に置き、聞いてみた。
マルグリットは不思議そうな顔で、俺の顔色を伺いつつも幾つかの荷物を選び出す。
女物の衣服、手帳や書類、本、幾つかの道具、そして魔法使いの杖。
「マルグリット。俺が魔法を使えるようになったら、今お前の選んだ物を持たせて人間の街に帰してやろう」
「ほ、本当に!?」
ほんの数分前まで砂を噛むように食事をする半死人だったマルグリットだが、俺の言葉で輝かんばかりの生気を放つ。
「俺は嘘は嫌いだ」
「わかりました!」
良い返事だ。これなら、魔法の教授にも手を抜かないだろう。
「……あ。でもあの、服は先に返していただけせんか?」
恐る恐る、マルグリットが聞いてきた。
そりゃ、着替えは欲しいよなぁ。