エピローグ3(終)
「起きてますか?」
控えめなノックの後に、雪子の声がした。
ドアを開けると、薄桃色の寝間着姿の雪子がいた。
「こんな時間になんか用か?」
日付はもうとっくに変わっている。明日も学校はあるから、十一時には寝てるこいつにしては夜更かしだ。
「それは、そうですけど……、あなたこそ、エッチな動画でも見てたんですか?」
「見てねえよ」
日本神道の実践書を読んでいた。
スパモン桜の一件が片付いてから気づいたのだが、補助具があれば初級の神道魔術が使えるようになっていた。
久作が言うには親父によって施されていた鬼の力を抑える術式を、エメリアが全部ぶち壊したことで、魔術を扱うだけ適正が人並みに戻ってきたらしい。
「で、そんなこと確認しに来たのか?」
「ち、違います!」
雪子は夜をはばかってか、少し大きな声を出して否定した。
「せ、先週は、私を……助けようとしてくれて、ありがとうございました」
「ああ。あれは、完全に無駄だったけどな……」
ほっといても雪子は死ななかったわけだし、皓月は轍と久作に負けていたし、俺はテレビ男をぶっ壊して、早池峰水名と母さんを千年桜に再び戻らせるという、余計な事をしただけだった。
「暁さん」
「なんだよ」
「どうしても、一つ、伝えておきたいことがあるんです……」
廊下は電気がついておらず、部屋の蛍光灯が雪子の寝間着の皺に黒い影を作っていた。
彼女は上目で俺の顔を伺いながら、躊躇いがちに言った。
「覚えてますか? 千年桜の中で、あなたの元を去った時の事」
「そりゃ覚えてるだろ」
『絶対守護領域』で手と足を消し飛ばされて、雪子を見送るしかなかった時だろう。
「あの時、どこ行けばいいかもさっぱりわからなかったんですけど、とにかく、最後にあなたに伝えたい事があったんです」
俯いて話す雪子はそこで口をつぐんでしまった。彼女の頬が赤くなっている気がする。
「……なんて言いたかったんだよ?」
「それは……」
雪子は耳まで赤くしていた。
彼女は顔を上げ、夜中にも関わらず叫んだ。
「あの日、あの時、私があなたに言いかけたのは、全然好きとかじゃないですから……!」
「はあ?」
「流れ、流れ的に、なんかそれっぽいことを言っといた方が決まるかなっていうか、雰囲気に流されてなんかそんな感情も芽生えつつあったというか、ほんとは別に全然違うんですよ?」
なんだ? そんなこと言いに来たのか?
「別に好きだとか言われてねえしな」
「そ、そうですよ! 私が言いたいのはそういう事です!」
「ベッドには誘われたけどな」
「あれも流れですって!!」
雪子は大きな身振りで主張した。
「だって! 明日死ぬと思ってたんですから! それだったらヤルじゃないですか! 最後なんですから!」
「あー、はいはい。わかった。わかったから」
「なんとなくあなたが良いなと思ってたのも、十六で死ぬからそれまでに出会った人があなただっただけで、その、これからの長い人生があるなら、あなたなんて、別に、全然こだわりなくて、別の人だって全然いいんですから! あの時の私は切羽詰まってて、切羽詰まってただけなんですから! 勘違いしないでください!」
雪子がふーふー荒い息を吐いた。
「百夜さんに聞いて同じ高校を受験してたのも、居候させてもらえるよう頼んだのも、私には時間がなくて、そうしただけで! 死なないって分かってたら先延ばしにしてたし、あなたじゃなくても、別のもっといい人だっているんですから!」
「わかった。わかったからよ。まあ、落ち着け」
興奮する雪子を俺はなだめた。
「わかったなら、良いんです。わかったなら」
俺の言葉に雪子は深呼吸して呼吸を落ち着けた。
落ち着いた頃をみて、俺は尋ねた。
「話は、それだけか?」
「これだけです。これさえ分かってもらえれば十分です」
「んなこと、言われなくても分かってるよ」
言うまでもないようなことだと思うが、潔癖なこいつとしてはどうしても言っておきたかったのだろう。
彼女は落ち着いたようで俺の様子を尋ねた。
「まだ寝ないんですか?」
「神道魔術を仕えりゃ便利だからな。祭事とかでババアの神格を保つのに、他に頼まなくて済むし」
「暁さんって言動はアレですけど、かなり真面目ですよね」
「うっせえな」
「身体が丈夫なのかもしれませんけど、ほどほどにしてくださいね。私は部屋に戻りますから」
「はいはい」
「私は別にあなたの事好きじゃないですし、あなたじゃなくても良かったって事を伝えに来ただけですから。それさえわかってくれればいいんですから」
「わかってるって。俺も、お前の事好きじゃねーしな」
「は?」
扉を閉めようとしていた雪子の動きが止まった。
「よく言っている意味がわかりませんでした。もう一度言ってもらえます?」
「安心しろ。俺はお前の事、女としては好きじゃないんだよな。うるせえし、もっと普通な女が――」
何が起きたのかわからなかった。
不意に重心が崩れ、俺は床に倒れた。
右足に激痛が走った。
「いっっってええ!!!」
見ればふくらはぎから下が無くなっている。
「てめえ! やりやがったな!」
俺は雪子を睨みつけた。
彼女は凍てついた瞳で俺を見下ろしていた。
「女の子に言っていい事と悪い事があると思いませんか?」
「てめえこそ、やっていい事と悪い事があんだろ!『絶対守護領域』は人を傷つけねえ誓いじゃなかったのか!?」
「再生の修行がしたいから手足消し飛ばしてくれって、先週からしつこく頼んできたのは、どこの、どいつ、ですか?」
彼女は氷の刀を生み出して、俺に向けた。
「はっきりさせましょう。命かけてボロボロになって私を止めようとした上に、私の両手を飛ばして、私が死にたいなら俺を殺せなんて言っておきながら、私のこと好きじゃないんですか、あなたは?」
「ああ? てめえが死のうしてるの止めようとしただけじゃねえか。好きとか嫌いとか関係ねえだろ」
「はぁあああ?」
彼女は目を見開き、手放した氷の刀が床に転がった。
俺の右足はピッコロさんのように復活したが、血にまみれた床はどうすりゃいいんだ。
雪子は震える手で俺を指さした。
「じゃ、じゃあ、ホテルで一度、私を抱こうとしたのは遊びだったってことですか?」
「何がだよ」
「私、分かってるんですからね! ディナーで私がベッドに誘った時、時間停止してすっごい考えてたじゃないですか!」
「なっ。どうして!」
嘘だろ! バレてんのかよ!
「好きじゃないのに抱こうとしたってことは、やっぱり、身体が目当てだったんですね! 私の事をなんだと思ってるんですか!」
「うるせえ! ちんこ舐める覚悟もねえやつが恋愛を語るんじゃねえ!」
「はあ!? 好きな相手でも舐めるわけないじゃないですかそんな汚いもの!」
「じゃあそんな汚ねえもん身体にぶち込まれる分には良いってんのか!?」
「っ!」
雪子が声を詰まらせた。
「ひ、ひどい……」
ぎょっとした。
雪子は静かに瞳に涙を浮かべた。
「……お。おい、何泣いてんだよ」
「どうして、そんなひどいこと言えるんですか……? 最っっっ低……!!」
「雪子!」
雫一つ残して雪子は部屋から駆け出していった。
なんなんだよ、いったい……。
「血の処理しねえといけねえじゃねえか……」
床に流れた俺の血を片付けるため、バケツと雑巾を取りに部屋を出ると、部屋の中から死角となる廊下の隅で、エメリアが壁に貼りつくように立っていた。
暗闇の中、黄金の瞳が二つ、俺を見据えた。
「な、なにしてんだよ」
「暁さー」
エメリアは壁から離れ、俺の正面に立った。
黄金の髪の何本かが、廊下に射す明かりを吸って、ちらつくように光を返した。
「な、なんだよ?」。
「結構性格終わってるよね」
「なっ……」
冷たい声でそれだけ言うと、エメリアは踵を返し、立ち尽くす俺を残して、暗い廊下の角に消えていった。
これで、一旦終わりです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




