プロローグ 1
雪の降った次の日のことだった。
冬の冷たい風が切るように僕の頬にぶつかっていく。
走り続けたせいで胸が苦しく、喉が焼けるようだった。
教科書も入れず、ランドセルだけ背負って教室から逃げ出した。赤信号も無視して走った。電車を使わないで帰り道は遠かった。
体育が楽しみだった。僕は誰よりも速く、誰にも負けなかったから。
算数も得意だった。数字は世界の法則を表しているから。
国語が好きだった。祝詞に使われる漢字がとても美しいから。
社会に胸躍らせた。神々と武将によって織りなされる歴史は胸躍るから。
理科は興味深った。科学と魔法が生命を形作っているから。
パトカーとすれ違った。
胸がドキッとした。でも、警察官は僕になんて目もくれなかった。きっと、東京にはいろんな境遇の人達がいるから。
気づかなかったことにほっとしつつも、それでも苦しい胸が、さらに苦しくなった。
その時、さっきのことを思いだして鼻の奥がつんとした。
『——というわけで、みんなお父さんやお母さんからの要望で、琴平暁君の体育やその他の授業についてどうするかを決めたい』
朝の会で、先生が言った。
『知っての通り、今の日本では人間と妖怪、そして神様が一緒になって暮らしている。昔は人間と妖怪はいがみあっていたし、その二つの上に神様はいた。神事不介入、人事不介入という言葉もあったけど、今は違う。人と妖怪と神様は平等だ。同じように扱われ、同じような権利がある』
先生が言っていることは社会の授業でも繰り返し教わる当り前の事だった。だが、今日この時に限っては当たり前のことではなかった。
『先生はこのことはクラスのみんなが決めるべきだと思う。人と神様と妖怪が共に生きていく社会を創っていくみんなが真剣に考えなきゃいけないことなんだ。わかるかい琴平暁くん。神様の血を引く君は、人とともに生活しなければいけない。これは君がいずれぶつかる課題なんだ』
先生の問いかけに、僕は答えなかった。
『さっき言ったように、みんなのお父さんやお母さんからの中には暁くんは全ての授業に参加するべきでないという意見もあれば、同い年の子供なんだから一緒に受けさせるべきだという意見もあった。みんなはどう思うか、話し合ってほしい』
真っ先にクラス委員長の人間の女の子——舞ちゃんが手を上げた。
『はい! 暁くんは四年生まで一緒に勉強してきた友達で、クラスのみんなから――』
『暁はずるなんだよ!』
舞ちゃんの声をたかしが怒声で遮った。たかしは明らかに苛立っていた。
『俺はずっとサッカーをやってきて、クラブでも代表メンバーだし、中学生相手にも負けねえ! なのに、暁は俺に勝っちまうんだ! 人じゃないから、練習も何もしなくても強いんだ! それに勉強だっていっつも一位だ! 神様の孫だからずるなんだ!』
舞ちゃんは言い返した。
『勉強は関係ないでしょ! 頭の悪い神様だっているんだから! 美沙希ちゃんをみればわかるでしょ! 眼鏡っ子なのに勉強もできないんだから!』
『え、委員長。ひどい……』
僕の話だったのに急にディスられた半神の美沙希ちゃんは涙を浮かべて、そう呟いていた。
たかしは怯んだ。
『ぐぅ。神様の娘のくせに美沙希が馬鹿で何もできないのはそうだけどよ……』
『でも!!』
たかしが怯んだ時、別の所から声が上がった。それは普段は内気なあきらくんだった。
『ぼ、ぼくは、塾だって通って勉強を……頑張ってるのに、暁には勝てない……。もう、高校生の問題だって、わかるんだろ?』
メガネをかけたあきらくんは涙を浮かべて、強い瞳で僕を睨んだ。
あきらくんの声は、僕を責めるようなものではなかった。強い矜持が感じられた。本当に悔しかったんだろう。
『そうよ! 神様なんてズル! 私だって頑張ってるのに!』
次々と声が上がった。
それでも舞ちゃんはがんばってくれた。
『でも、音楽とか図工は普通じゃない! 暁君だって同じよ!』
『俺はそれでもずるだと思う。おい美沙希! お前も同じ神様なんだから黙ってないでなんか言えよ!』
『わ、私は、神様の娘だけど、頭もよくないし、運動もできないから……、暁くんはそれができるだけだから、一緒でも、い、いいと思う……』
美沙希ちゃんは縮こまりながら、小さな声でそう言った。が、それに反対する声がすぐさまあがった。
『私は半分妖狐だけど、暁くんはなんでも出来すぎると思う。神様にもいろいろな種類がいるし、人とは能力や力、それに頭脳が異なる神様は、区別されるのも必要だと思う。現に河童は哲学と計算は人間と比較して高いレベルだから、成績を別にされてるでしょう? その河童より暁くんは成績が良いのよ。これは普通じゃない』
『確かに。河童の小生より暁くんは計算ができるように思えるからね』
ぐるぐる眼鏡をかけた河童のデネブがふむふむと同調した。
妖狐は僕を疎ましそうに見つめた。
『暁には、私達妖怪とも、人間とも違う、新しいくくりが必要だと思うけど』
妖狐の隣の席の狸の妖怪が、心配そうに言った。
『妖狐ちゃん、そんなこと言ったら妖怪の私達も差別されちゃわないかな??』
『たぬ子ちゃんは暁くんを差別の風よけにしようとしてるの? いい? これは区別よ。暁は私達とは違う存在だから、仕方ないのよ』
『な、ならいいけど……』
『ちょっと待って! 今の話だと、暁くんが神様じゃなくて、出来るからダメってことだよね? もしも暁くんが普通の人で、今の成績だったらどうなのよ?』
リカちゃんが強く反論したが、たかしも大きな声を上げた。
『もしもの話じゃねえよ! 神様だからなんでもできんだよ!』
『なんでもできるわけじゃないわよ! 魔法の授業は補助具があっても何もできないじゃない! それはどうだって言うの!?』
『んなの知らねえよ。神様だからできねえんだろ!』
『ポンコツ神美沙希ちゃんだって、補助具あれば魔法使えるのに!?』
『ふぇえ……』
『そんなことより、私、聞いちゃったんだよね』
議論が白熱する中、妖狐は前置きして、僕を見てにやりと笑った。
『暁くんの、お父さん。指名手配のすごく悪い犯罪者なんだって?』
『え?』
それは初めて聞いたことだった。確かに僕のお父さんとお母さんは家にいない。でも、犯罪者だなんてこと、僕は一度も聞いたことが無かった。
『ちょっと、皆さん、落ち着いてください』
先生が手を叩いて、その場を静めようとしたが静かにならなかった。さらに二回声をあげて、ようやくみんな落ち着いた。
『今までの話で皆さんの意見はよくわかりました。でも、ここには最も意見を聞かなければいけない一人が居ます。暁くん、みんなの声を聞いて、あなたはどうしたいと思いますか』
『……』
いつも授業で明確に答える僕がすぐに答えられなかった。誰かが唾を吞んた。
『……どうって』
静かな教室で、僕はようやくそれだけ、小さな声を振り絞ってだした。
先生は僕の言葉の続きが無いことを確認するような間を置いて、付け加えた。
『どう思うかではなく、あなたはどうしたいと、思いますか?』




