祝祭と毒
どすっ、と刑務所長が地面に両膝をつき、崩れ落ちた。
ローカンは、ぼんやりしていた雰囲気から一転し、刑務所長へ駆け寄ると、剣の柄頭をその腹に叩き込む。
「見えてないはずなのに……上手い」
あっという間に、他の看守たちも地に伏した。
ノルドは収納魔術からダーツと催眠薬を取り出し、投げる準備をしていたが――投げる前にローカンが全員を片づけてしまった。
「どうだ、ノルド。見たか? 俺も鍛えられたからな。こいつらとは違う」
「ええ、驚きました」ノルドは淡く笑い、武器を服の内側にしまった。
「ライト! 足元に気をつけてください」
彼は小さく魔術を唱え、掌に光を灯す。淡い光が地下の通路を照らし出し、捕虜たちを導いた。
扉の向こうから、かすかな人の気配。
ローカンが剣を構えると、現れたのはガブリエルとカノンだった。
「ご無事でしたか? 馬車を準備しております」
「おお、ガブリエルじゃないか?」
共和国の大使と聖王国の司祭は、助祭姿の彼を見てようやく緊張を解いた。
「はい。お話は後ほど。急ぎましょう」
ガブリエルの声に促され、一行は静かに地上へと進む。
妨害を受けることなく彼ら脱出し、サルサのサナトリウムへと向かった。
※
祝祭の準備は早朝、ほんのわずかな時間で終わっていた。
大陸からの出店はなく、例年より華やかさは欠けるものの、全島から集まった商人や島民たちで広場はすでに熱気を帯びていた。
「ここは行商エリアだ、みんなで譲り合ってくれ! お前たち、よろしく!」
ノシロは、シシルナ島新聞の子供たちに声をかけた。
「任せとけって! 並んで並んで! まず名前と、何を売るか書いてな!」
子供たちは、受付の合間にテントや机を有料で貸し出している。もちろん、新聞の販売も抜かりない。
「おお、採れたての果物を並べるよ!」
「うちは、朝焼いてきたパンだ!」
いつもの祝祭よりも、数倍の人出が予想された。
すでに会場の周囲には人の波ができている。
鐘塔の鐘が鳴り響き、祝祭が始まる。
島民たちが笑顔で会場へと流れ込んだ。
「いらっしゃいませ! みずみずしい果物だよ!」
「うまいよ! この香り!」
「もう少し安くしてくれよ!」
歓声と笑い声が入り混じり、出店の列は瞬く間に人で埋め尽くされた。
客は欲しい品を求め、金額を巡って声を張り上げる。
朝の混乱が落ち着くと、ステージでは島民たちによる出し物が始まった。
今回はすべて地元の演目である。祝祭の開催が告知されると、ノシロのもとには出演希望者からの問い合わせが相次いでいたのだ。
「まるで昔の島祭りみたいだな……これはこれで悪くない。だが、問題は夜の“島主の発表”だ」
ノシロは人波を見渡しながら、懐かしい思い出をかみしめた。
「ディスピオーネおじさんは、島主を見つけられたのかな……」
島全体が笑いに包まれるなか、楽しい祝祭の裏で、静かに陰謀の歯車が回り始めていた。
※
ドラガンはひどい頭痛に悩まされていた。もともと慢性的な頭痛持ちではあったが、この数日間の痛みは常軌を逸しており、脳を締めつけるように鋭く、意識がぼんやりと霞んでいく。
ラゼル王子が島に到着してから、まだ一月も経っていないというのに、島の空気は一変し、人々の態度も、そして自分自身の感覚さえも変わったかのようだった。
「最初は、とんでもない奴だと思っていたんだがな……」
だが、その考えはすぐにガレアに諭された。
「いつもの島主の思い違いだろう」
ドラガンは深く息をつき、改めてラゼルの言動を観察した。接するたびに、かつて抱いていた先入観はゆっくりと解けていき、代わりに尊敬の念と、信頼に近い確信が心に芽生えていくのを感じた。
ラゼルの瞳は、柔らかさと鋭さを同時に湛え、どんな困難にも動じない意志を示していた。
「サガン、どう思う?」
最も信頼できる友の名を呼ぶ。サガンは迷わず、しかし熱を込めて答えた。
「いつまで疑っているんだ! 彼がやっていることは、俺たちだけでは思いつかない理想そのものじゃないか!」
ラゼル王子は、誰もが安全に探索でき、楽しめる環境を整え、自己の利益にこだわらず仲間や訪れる者すべてを楽しませる。危険が迫れば迷わず先頭に立ち、自ら理想を体現する――まさに英雄そのものだった。
「ラゼルを守らなければならない」
冒険者たちは静かに、確固たる決意で立ち上がった。
だが、ドラガンの心の片隅に重くのしかかる不安は、ガレアの存在だった。近頃の彼の体調不良は、もはや些細なものではなく、島主という重責が確実に彼の体を蝕んでいるのは明らかだった。
偉大な母の死から数年が過ぎ、島の運営に限界が訪れたのかもしれない。
「賭博場を作り不正を働く碌でもない兄のディスピオーネ、母親の利権を独り占めしておいて島主を敬わぬ妹のメグミ……一族は島主の足を引っ張ることしかせん。しかし奴も甘いからな」
だが、その状況も今日までだ。島主やラゼルを排除しようとする陰謀は、島の内外に確実に存在する。今日、宣言が終われば、少しは不安も軽くなるはずだ。
「ラゼルが島主になれば、暗殺の手段も取れまい。ガレアもようやく引退し、静かに余生を過ごせるだろう」
自分の顔が血走り、目が異様な形相になっていることに、ドラガンはまったく気づいていなかった。
かつて抱いた疑念や警戒心も、ラゼルの存在に完全に上書きされていた。
そして、薬として欠かさずガレアに飲ませていたものが、命を削る猛毒であるという事実も、微塵も思い浮かばなかった。
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