矛と矛(2)
セルナフカがゆっくりと立ち上がった。
灯希は〈脱殻竜四肢〉を維持したまま対峙する。
「竜にはいい思い出がない」
将軍がこぼした。
「実に不愉快だ」
踏み込み。セルナフカと灯希の距離が詰まる。灯希は右手を繰り出した。セルナフカが左手で応じてくる。爪が灯希の頬を裂いた。彼の拳は相手の肩をとらえる。
両者が激しく打ち合った。それは躱す気などまるでない格闘戦だった。灯希は体を落とした。懐からアッパーを叩き込んでセルナフカを後退させる。間を置かず追撃、右拳、左拳を相手の肩から腹にかけて連続で打ち続ける。
セルナフカは下がらない。受けながらも隙を窺っている。灯希が拳を引く。将軍が前に出た。――右足。硬い爪先が灯希の腹に食い込む。息が止まった。足がわずかに浮いて二、三歩下がる。
今度は敵の連撃だ。左の爪が迫る。躱せず腕に食らった。二の腕に穴が開いて肩にも裂傷を受ける。
灯希は叫んだ。大声を出すことで神経を昂らせる。興奮は痛みを殺す。秒の狭間で行われる命のやり取りでは体を気遣っていられない。
セルナフカはなおも左手で突いてくる。ひしゃげた右手、俊敏な足を交えて灯希を幻惑する。遠距離攻撃は一切使ってこない。格闘を挑まれたら格闘で受ける。それは種族としてのプライドか。それとも将軍の誇りか。
セルナフカの左腕が出てくる。灯希は右手で受けた。手のひらを爪が貫通して肘のあたりまで届いてくる。激痛は噛み殺す。穴の開いた右手でセルナフカの左手をがっちり掴んだ。それで敵の動きを封じる。
相手の右足が跳ねた。――させない。灯希の方が一瞬速かった。セルナフカの足が地面から離れた瞬間、爪先を踏んで押さえつける。これで二ヶ所の自由を奪った。
灯希は相手の右手を掴む。ぐっと引き寄せて、
「おらああああああああッ」
全力の頭突きを叩き込む。
セルナフカの体から力が抜けた。灯希が両手を離す。右足で腹に蹴りを入れる。セルナフカが再び路面を転がった。
――格闘戦はここまでだ。
灯希は〈紅炮灼烈波〉を放った。セルナフカが左手で受ける。その間に接近、左側を奪う。側面からナックルを放つが飛び退いて躱された。セルナフカが〈獄鬼魂吐針〉を発現、漆黒の針が灯希に殺到する。
灯希は走って避けていく。セルナフカが並んできた。三車線の道路を睨み合って並走していく。灯希が〈炸炎珠〉を撃った。セルナフカの腕の一振り。火球が爆散する。黒煙に紛れて接近するが読まれた。出した右腕が掴まれる。
「恐ろしい雄だ……!」
「ぐうっ⁉」
相手の左腕が振り上げられた。灯希の体が持ち上がって逆さまになる。あがく暇もなく路面に叩きつけられた。二度、三度と繰り返される。衝撃に〈鬼身〉の皮膚硬化能力が削られて痛みが増幅していく。
「このっ、野郎がっ!」
持ち上げられた瞬間、灯希は左手を出した。両手でセルナフカの左腕を掴む。
間に合え――!
灯希は巨竜の移動をイメージした。歩くたびに沈む地面、その重量。
「なにっ⁉」
灯希の体重が爆発的に増える。一メートル七十五の体に想像できないほどの重量がかかる。
セルナフカの腕が曲がった。灯希を持っていられなくなったのだ。
灯希は逆さのままセルナフカの頭の上に落ちた。図らずも二度目の頭突きになった。しかも一トンを軽く超える重量を持った頭突き。
激突の瞬間に灯希は〈重竜割歩〉の想術を解除した。沈むセルナフカの両肩に手を置く。腕立て伏せの要領で肘を曲げて飛び跳ねる。
一気にセルナフカと距離を置き、再び〈紅炮灼烈波〉を放った。敵の体勢は崩れていた。熱波がセルナフカを直撃する。堕天使は衝撃に押されて吹っ飛び歩道橋の階段に激突、コンクリートを破砕した。
「ここまで、やるとは……」
セルナフカがコンクリートの破片を振り払って立ち上がった。
「頑丈すぎだろ……。どうやったら死ぬんだ?」
「さあなぁ」
「やっぱあれか、光の想術が効くんだな。さっき〈光鞭〉で足首から煙出てたし」
「そう思うなら試してみるといいぞ。それ以外の技を持っているのならな」
ぐっと息を吞む。
灯希は〈光鞭〉以外の光の想術は使えない。
光が効くことは間違いないのだが……。
「灯希隊長!」
横合いからトドロの声がした。
「隊長じゃねえ」
顔は動かさずに返す。
「何も正々堂々の戦いをする必要はないのですよ! 我々をもっと頼るべきであります!」
「できるならそうしたいけどな」
「死ぬのが早まるだけだろう」
セルナフカが嗤う。
「あまり抵抗するようなら種付けは諦めて殺す」
「それはけっこうだが、お仲間が削られてんのは無視でいいのか?」
「…………」
セルナフカの視線がやや上を向いた。
在歌たちが確実に堕天使の数を減らしている。戦いながらも、灯希はそれに気づいていた。セルナフカはこちらを殺すことで頭がいっぱいだったようだが。
「貴様ら……」
「女遊びはほどほどにしねえとな」
「遊びではないッ!」
セルナフカが激昂した。
「貴様らにはわからんのだ……同族だけでは増えていけなくなった我らの苦悩など……」
灯希は答えない。
ただ、服の中を血が流れていくのを感じていた。
「まあ、よい。貴様を殺して雌どもは使う。それだけだ」
「そんな真似はさせねえ」
「ならばこれを止めてみよ」
不意にセルナフカが飛んだ。
空中、相手の周囲に黒い穴が大量に現れる。すべて〈影迫波〉の発射口だ。
――多すぎるっ!
パッと見ても十五以上の口が開いている。
「絶対に逃しはせんぞ!」
あの数では躱しようがない。
灯希はすべての想波を右手に集めた。打撃では止められない。最高火力の〈紅炮灼烈波〉を撃ち込む。それで押し返すのだ。
右から熱波が飛んできてセルナフカを直撃した。トドロの一撃だった。
「無駄だ」
しかし、セルナフカにはひるむ気配がまったくなかった。どこまでもこいつは硬い。
〈紅炮灼烈波〉に全力を込めても通らないかもしれない。位置関係がこうなってしまっただけで追い詰められるとは。格闘で飛翔させる隙を与えないという判断は間違っていなかったはずだ。そこで仕留めきれなかったのが痛い。
「死ね、雄めが――」
キィン、と音がした。左からだった。
白色の光線が走って、セルナフカの脇腹を直撃した。
「あがぁっ⁉ お、ぐ……なにっ……が……?」
セルナフカの脇腹が深くえぐり取られていた。
灯希は左に視線を送る。
花山が雑居ビルの屋上に立っていた。
ハッと思い出した。
そういえば彼女も昨日、水晶を見ているのだ。今の一撃が昨日の成果なのか?
――ここしかねえっ!
灯希は迷わなかった。
想波がすべて右手に収束する。
「終わりだっ!」
灯希は全力の〈紅炮灼烈波〉を放った。熱波がセルナフカを飲み込む。灼熱が、えぐられた傷から相手の体内に入り込む。
「があああっ、おのれ、地上人めええええええっ!」
セルナフカの体が膨張していく。熱が入り込んで内側から溶かしている。
「堕天使がっ、この、程度で……、……、…………」
その声は途中で消えていった。
セルナフカの体がはじけ、いくつもの破片に分かれた。肉体がばらばらと降ってくる。〈影迫波〉の発射口が次々に薄くなって消滅していった。
「やったね」
トン、と花山が隣に飛び降りてきた。
「花山! あれが昨日の収穫なのね!」
「すごいです! 将軍を倒せましたよっ!」
在歌とトドロも駆け寄ってきた。
「花山、そうなのか? さっきのが、昨日見たやつなのか?」
灯希は呼吸を乱しながら訊く。
「そう。〈天臨光流華〉」
「よく、そんなもん見られたな……」
「運がよかったんだよ」
大仕事をやってのけたというのに、花山はいつもと変わらなかった。
「く……」
「ちょっと灯希⁉ 大丈夫⁉」
体が傾いた。在歌が受け止めてくれる。
「さすがに、無理、しすぎた……」
地上人最強と大見得を切ったものの、相手は同じ地上人ではないのだ。体に深刻な負荷がかかるのは当然だった。
「わりぃ……駅まで、運んでもらえるか……」
「もちろんよ。また助けられちゃったわね」
「そうだね」
花山も言う。
「灯希が注意を惹いてたからあれが当たったんだし」
「あんな奴と殴り合えるなんて末恐ろしいですね!」
「トドロ……それ、なんか違うぞ……」
まぶたが重くなっていく。
灯希が眠りに落ちるのはすぐだった。
†
「本当に、ありがとね」
意識を失った灯希に、在歌はそっと声をかけた。
「さ、敵も全滅させたし、帰りましょ」
「そうだね」
「凱旋でありますな!」
「おーい!」
そこに、聞き慣れた声がした。
キリカが大通りを走ってくる。
「あ、キリカ。どうかしたの?」
「堕天使は?」
「全滅させたわ。聞いて! セルナフカ将軍を倒したのよ!」
「そうなんだ。それはあとで聞かせてほしいな」
キリカの表情は硬い。在歌は嫌なものを感じた。
「……何があったの?」
「おいおい、誰も気づいていないのかい? 青南市の方からとんでもない大軍が上がってきてるんだよ」




