掌編(何祇伝) 一人でしゃべる男
~~~益州 何祇の邸宅~~~
「おや。これは珍しいお客さんだ」
「………………」
「それにしても久しぶりだねえ。10年、いや20年ぶりかい?
幼馴染と言っても大人になったら他人同士、すっかりご無沙汰だ。
まあそんなとこに突っ立ってないで上がんなさいよ」
「結構」
「上がりたくないって? なんか事情がありそうだね」
「依頼」
「何か頼みがあると。お前さんあいかわらずその二文字縛りをやってるんだね。
まあ二文字でもしゃもじでも伝わるなら大丈夫だ。
幼馴染のよしみでなんでも話してくださいよ」
「借金」
「これはわかりやすい。この世で一番わかりやすい二文字だね」
「切望」
「切望するほど金に困ってると。
いったい何があったんだい。
お前さん、酒や女で身を持ち崩す人じゃないだろうに」
「病気」
「病気か。そりゃなかなか避けようがない。雨や雷と一緒だ。
でも見たところ、どこも悪そうな感じはしないけど」
「家族」
「お前さんじゃなく、家族の誰かが病気になったのか。
そりゃ大変だ。よしわかった! いくらでも融通しようじゃないか」
「利息」
「何を水臭いこと言ってるんだい。困った時はお互い様、
それも離れていたって幼馴染じゃないかい。
返せる時に返せるだけ持ってきてくれればいいよ」
「…………感謝」
「それじゃあちょいと待ってておくれよ。
あいにくと今は手元が不如意でね。
金になりそうな物を見繕って、質屋に駆け込んでくるよ。
だから時間が掛かりそうなんだ。遠慮せず上がって待っといてくれ」
~~~錦屏山~~~
「やれやれ、あれだけ御礼なんかいらないって言ったのに律儀な男だね。
地図と紹介状なんて押し付けやがって。あたしをどこに行かせようってのかね。
それにしても険しい山道だ。こんなとこに誰が住んでるんだか。
おーい。誰かいますかい?」
「………………」
「おやまあ、また無口なお人だよ。
張嶷さんの友達なだけはあるね」
「友人ではない」
「よかった、二文字以上はしゃべってくれるようだ」
「何を占って欲しい」
「おお、誰かと思ったら占いをやる人だったのか。
張嶷さんはあの通りろくに説明してくれないからね。
わけもわからずここまで来たんだよ」
「何を占う」
「ううん、急に言われても困ってしまうな。
特に占ってもらわなくてもいいんだが……」
「義理は果たさねばならぬ」
「仙人みたいな人でも義理人情を感じるんだね。
それにしても仙人に義理があるなんて張嶷さんはすごいな」
「………………」
「はいはい、占いたいことだったね。
そんな恨めしい目で見ないでおくれよ。
ええと、なんにしようかね。
そうさなあ……昨日見た夢とかでもいいかい?」
「話せ」
「あたしの家の裏庭にね、井戸があるんだ。
その井戸の中から桑の木が生えてきたっていう夢を見たんだ」
「寿命だ。
桑という字は十が4つと八が1つと分解できる。
井戸に木が生えれば植え替えることになる。
お前が48歳で死ぬことを表している」
「ははあ……。それはなんともはや。
聞きたくなかったような、聞いて良かったような」
「天命には逆らえない」
「まあこんな戦乱の世の中だ。
若者や子供も死んでいくのに、48まで生きられれば御の字だろう。
残りは……ええと12年くらいかな。大事に生きるとするよ。ありがとさん」
~~~益州 成都~~~
「なに、また視察が来るって?
この暑いのにご苦労なことだね。
この前来た馬謖さんだろう。
また鼻薬を嗅がせてやれば、良いように報告してくれるだろうさ」
「馬謖じゃないです。私です」
「…………こりゃどうも」
「良いことを聞いたです。帰ったら馬謖を収賄でとっちめるです」
「いやあ、さっきのは軽い冗談というかなんというか。
よしてくださいよ。冗談で馬謖さんがとっちめられたら寝覚めが悪いや」
「安心するです。お前もとっちめるです。
怠けてると聞いたです。本当なら殺すです」
「な、怠けてるだなんてそんな滅相もない」
「証拠を見せるです。収監してる囚人は6人いるです。
全員の罪状と処罰を30秒以内に答えるです。1、2、3」
「右から暴行、傷害、窃盗、暴行、殺人、窃盗。
棒打ち10、20、戒告、棒打ち10、死罪、棒打ち20」
「28、29……。
一人目の窃盗は戒告で二人目は傷害と同罰の理由はなんです」
「一人目は初犯で二人目は重犯、
それも故意ではないといえ被害者に怪我をさせています」
「わかったです。命拾いしたです。帰るです」
「…………やれやれ、なんとかしのげましたかね。
こんなこともあろうかと、とっくに処罰の決まってる囚人を残しといたのと、
カンペを用意しておいた甲斐がありましたよ」
~~~数年後 益州 広漢~~~
「またサボっているのか」
「いやいやいや、サボってるだなんて人聞きの悪い。
楊洪さんが見えるまでは働いてましたとも。
たまたまこうちょいと一呼吸入れた時に、ちょうど来られた次第で」
「よだれの跡を拭いてから言い訳するのだな。
その怠け癖さえなければもっと出世できたろうに」
「下手に出世したら忙しくなって、おいそれと怠けられませんからね。
そんなのまっぴら御免ですよあたしゃ」
「だがおかげで私はいい迷惑だ。口さがない者たちは、
お前の出世を私が妨害していると勘違いしている」
「はあはあ、あたしも耳にしましたよ。
なんでも楊洪さんがあたしにこう聞いたそうですね。
おい何祇、どうしてお前の馬は走らないんだい?
そしたらあたしがこう返した。
そりゃ当たり前だ。乗ってるあんたが走らせないんだから!」
「フン、つまらん話だ」
「まったくですよ。そもそも楊洪さんは馬になんて乗れやしない。
筋金入りの勉強嫌いで、馬に乗る勉強も練習もしたくないってんだから」
「乗馬ができないのはお前も同じだろうが」
「あたしはそもそも馬に乗ろうなんて発想がありませんや。
だいたいなんのために馬に乗るんです?
急ぐためでしょうが、あたしは生まれてこのかた急いだことがありゃしない!」
「威張ることではあるまい」
「だからあの話もこう変えるべきですよ。
楊洪さんがあたしにこう聞くんだ。
おい何祇、どうしてお前の馬は走らないんだい?
そしたらあたしがこう返す。
しっかりしてください、馬なんてどこにもいやしませんよ!」
「私がただの馬鹿になっているではないか」
「おや驚いた。馬だけじゃなく鹿もいたのか!」
「………………」
~~~数年後 益州 広漢~~~
「おい何祇、しっかりしろ!」
「カシサン、ガンバッテー! ガンバッテー!」
「………………」
「ははは、あたしゃもう駄目ですよ……」
「何を弱気なことをぬかしやがる。
お前はまだ若い。48歳だろうが」
「48だから駄目なんですよ。
と言うのもあたしが若い頃に…ごほげほごほ」
「無理にしゃべるんじゃない。おとなしくしていろ」
「なんとご無体な。あたしからしゃべりを取ったら何も残りゃしませんよ。
あたしを引き立ててくれた楊洪さんって人もそう言ってました。
そうそう、楊洪さんといえば面白い話があってね、
ある時、あたしにこう聞いたんだ。おい何祇、お前の馬はごほげほごほ!」
「だからしゃべるなと言ってるだろ!」
「やれやれ参りましたね。あたしの親はお前が黙る時は死ぬ時なんだろうって、
よく言ってましたがごほげほごほ!!」
「カシ…………」
「あたしゃ幸せ者だ。羌族のあんたらと仲良く出来て、
好き放題しゃべりながら死ねるなんてね。
口から先に生まれて来た身にゃあこれ以上ない果報ですよ。
だからどうか最後まで聞いててくださいな」
「わかった。もう何も言うまい。
異民族の俺たちをお前は平等に扱ってくれた。
お前にならと俺たちは従ったんだ。お前の頼みならなんでも聞く」
「………………」
「ところでその、さっきから黙って横に座ってる爺様は誰ですかい?
あたしにだけ見える死神ってやつですかね」
「ああ、一言もしゃべらないからよくわからんが仙人らしい。
たぶん見舞いに来たんだろう」
「仙人ですって。するってえと張嶷さんに紹介された……。
そういえばあの人の名前も聞いてなかったな。
たぶんあの仙人の知り合いなんでしょう」
「あんたは羌族だけではなく仙人にも慕われてるんだな」
「恐縮です。そうそう、こんなあたしにもね、無口な友達がいたんだ。
張嶷さんっていう人でね。これがもう筋金入りの極端な無口で、
なんせ一度に二文字しかしゃべらない。いや冗談じゃなくて本当なんだ。
それであたしがある時ごほげほごほ――」
~~~~~~~~~
かくして何祇は一人でしゃべり続けた。
その裏表のない性格は羌族にも慕われ、
彼のいるところ、賑やかな声が絶えることはなかった。