06 俺と契約して
結局、ヴェイドさんの言う“旅”というのは、単なる魔石用の石を探すための“買いつけ”のことだったようだ。“旅に出よう”と言ったときから、こんなことだろうと思ったわ。だいたい、面倒くさがりなヴェイドさんに旅なんて言葉似合わないのだし。
「それにしても暇ね」
そして今、わたしはとても手持ち無沙汰だった。
ヴェイドさんはというと、宝石商の店のなかである。どうやら貴石を売りたたこうとした店主と交戦している模様だ。あんまり長く商談しているものだから、わたしは待ちきれなくなって表に出てきたのだった。
軒先に置かれたベンチに腰を落としながら、わたしは目の前の石畳を数えていた。そこに通りがかる人の足は数えきれないほどである。シャメルディで一番栄えているというだけあって、さすがに人通りも多かった。
ここを最初に通ったときも思ったけど、ミニャールの町は小さいわりにはとても活気にあふれた場所だ。少し土ぼこりが多いのは問題だけど、こういう場所も悪くないと思えてきた。
でも、とわたしは思う。
フロディス邸が少し、恋しかった。
――うちの屋敷、いい響きだねえ。帰る場所って感じがまた。
わたしは先ほどのヴェイドさんの言葉を思い出していた。
ただの居候のくせに、いつの間にかすっかり“うちの屋敷”と言っていたわたしだけど、ああ、あの屋敷はわたしの帰る場所なんだなと、我ながら感慨深く思った。あの魔術師が変わったのも、きっとフロディス邸が彼にとって帰る場所になったからだろう。
以前は屋敷に寄りつかなかったというヴェイドさん。でも、確かに彼のなかで何かが変わった。
「できるなら、ずっとこのままで……」
ぽつりとつぶやいた言葉は、喧騒にかききえた。
わたしの気持ちなんていいから、ずっとこのまま、彼と一緒に暮らせたらいいのに。そうして“いつまでも幸せに暮らしました”という結末があっても良いんじゃないかしら。
そしてまた、でも、と思う。
彼が最近、わたしに対しておかしかったことが気になった。
それにもうひとつ、不安に思うことがある。このところ、彼は一度もわたしの前で魔術を使っていない。使う必要がなかったから? それにしたって、前はあんなに転移陣を使っていたのに、急に使わないのはおかしい。歩くのもいいって、そんなわけないじゃない。
どうしてなの……?
わたしはふいに、足もとから世界が崩れるような心地がしていた。
そうしていると、
「……水の精霊がいる」
「――え?」
い、いま何か言われた?
わたしは、はっと顔をあげて振りかえった。じーっと見られている視線を感じたのだ。
そこに居たのは、見知らぬ人だった。
見知らぬっていうか……み、見知らぬ浮浪者? よく見るとわたしと同じぐらい――つまり十五歳ぐらいの少年のようにも見えるけど、それにしてもなんて汚い格好だ。
少年はドロドロに汚れて茶色に染まったシャツと、同じぐらい汚いズボンをはいていた。それだけならまだ良かったのだが、えんじ色の髪が伸ばし放題になっている。それを後ろでひとつくくりにした彼は、よたよたとした動きでわたしに歩み寄る。こ、こわい。
「あ、あの……何かご用ですか?」
引きつりながら問いかけると、彼はわたしの腕をがしりとつかんだ。思ったよりもしっかりとした肉付きに、彼がただの孤児とかではなさそうだと思ったけど、
「ねえ、あんたが欲しい」
「へっ!?」
思わず裏返ったわたしの声にもかまわず、彼は続ける。
「俺と契約して使い魔にならない? こういうのも運だよね、俺いちいち水を運ぶの嫌だったんだ」
「えっと」
何言ってるの、この人?
わたしは完全に気圧されていた。いきなり女の子をつかまえて“使い魔”だなんて、失礼にもほどがあるわ。というか問題はそこじゃなくて、この人なんでわたしのこと精霊って呼ぶのよ!?
「あ、あのごめんなさい、わたし精霊じゃなくって……」
半精霊なんです、とは人の目もあるから言いづらかった。
そして一向に離してくれなさそうな彼に、わたしはうろたえる。唯一助けてくれそうな大魔術師はお店のなかだし、通りがかりの人たちはわたし達を興味深そうに眺めては過ぎていくし。
ぼろぼろの少年は、髪の毛に隠れてしまった顔の向こうでわたしに笑いかける。
「なに言ってんの、あんたどっからどう見ても精霊でしょ。大丈夫安心して、大事にはしてあげるから。こう見えて俺ってお金あるしね」
な、ならもうちょっと綺麗にしてきてよ! これほど説得力のない言葉もあるだろうか。
わたしがなにも言い返せないでいると、彼は好機とばかりに魔法陣を組み立て始めた。どうやら魔術師だったらしい彼だが、淡い赤の光を見たとき、ふいに、わたしはその場から動けなくなっていることに気づいた。まるで足もとを縫いとめられたように、うんともすんとも持ちあがらない。
なぞの少年は満足気に笑う。
「怯えなくても大丈夫。契約はすぐに終わるから」
「え、ちょ、ちょっと!?」
まだ良いとも何とも言ってないのに!?
恐慌状態におちいったわたしをよそに、彼はぶつぶつと「おかしいな、真名が読み取れない。それに俺の契約陣が効かないなんて……」だとか何とかつぶやいた。
そして彼は顔をあげ、
「あんた変わった精霊だね」
「馬鹿か、リュカルス」
「――いでっ」
ごつん、と小気味いい音が響いた。顔をあげると仏頂面のヴェイドさんが立っていた。
「ヴェイドさん」
安堵しながら魔術師に呼びかけると、彼はあきれた顔でわたしを見た。
「ねえフィオナ、すごく疑問なんだけど、なんで人が目を離したすきに勝手に使い魔になろうとしているのかな?」
「わたしに言わないでよ」
どう見ても不可抗力じゃないの。
「なんだ、あんたヴェイドの知り合いか」
やがて脳天から殴られたなぞの少年は、いてて……とうめきながら復活した。わたしは思わず、ヴェイドさんの後ろへと隠れる。
「そ、そうよ。それにわたし精霊じゃなくて人間だから!」
「あんた半精霊だったのか……それなら早く言ってよね」
「だから人間だって言ってるじゃないッ」
「その魔力でよく言うね。あやうく騙されるところだった」
なんていう被害妄想よ。頭の後ろをさすりながら、少年は苛々した声でそう言った。
「ちょっとさっきとはえらい違いね……」
数分前は気持ち悪いぐらいに詰め寄ってきたわりに。そう思っていると、少年は「精霊じゃないやつには興味ないからね。俺にとって見る価値があるのは、魔術関係と石だけだ」と言い放った。
「そ、そう……」
それを自分で言っちゃうあなたって変人だわ。わたしはあきれ返るしかなかった。
「そろそろ本題に入ってもいいかな」
落ち着いたころにそう切り出したのは、他でもないヴェイドさんだった。本題って? 不思議に思って彼を見あげるが、ヴェイドさんに応えたのは少年のほうだった。
「ああ、そういえば俺あんたに呼び出されてきたんだったね。人がせっかく工房に篭もってるときに」
ぐちぐちと彼はぼやいた。
話を聞くに、彼はなにかの職人らしい。どうやら知り合いのようだったし、交渉がすすまないヴェイドさんに体よく呼び出されたというところだろう。
「でもそれじゃあ、篭っていたというより、死にかけてたって言ったほうが正しくないかしら……」
ぼろぼろの格好はフロディス邸並みにひどかった。
そのうちひょっこり死体があがりそうだ。それはさすがに言わないでおいたけど、彼はわたしの内心を見透かしたように「俺は一度作品に手をつけたら、完成までやめないんだよ」と、わたしを睨んだ。
あ、あらそう……。
そして、わたしは嫌な予感を覚えながら彼に問いかけた。
「というか、あなたリュカルスって呼ばれたわよね? もしかして、売れっ子彫金師って……」
まさかね、と思ったのに彼はあっさりと言った。
「ああ、リュカルス・クラヴリーなら俺のことだよ、半精霊」
「ええっ!?」
わたしは愕然とした。
あの繊細できれいな、薄桃色の指輪を作った人が……こんな少年? 嘘でしょ!
だがそんなわたしの反応は平常よくあることらしく、彼は気にしたふうでもなくヴェイドさんに向き直った。
「それでヴェイド、俺は何すればいいわけ。あんたに石ころを恵んでやればいいの?」
「そうとも。うんと質のいいやつを頼むよ。店の店主ときたら、きみの知り合いじゃないと見せられないって言うもんだから」
「まあ、俺これでも売れっ子だから」
うんざり顔のヴェイドさんに、リュカルスはにやりと余裕ぶって笑う。わたしはそんな二人を交互に見ながら、ふと疑問を口にした。
「ねえ、あなた達いったいどういう関係なの?」
友人にしては年齢が合わないし、態度がお互いなんか適当だし。眉をひそめて不思議がるわたしに、彼らはついと顔を向けた。
そして彼らは言ったのだ。
「「兄弟弟子」」
もう、なにを聞いても驚かないわよ……。
弟子入りした時期こそ違うものの、ヴェイドさんとリュカルスは、火の魔術師リフレイアの兄弟弟子にあたるらしい。
でもとっくに師のもとを離れたヴェイドさんとは違い、リュカルスは師のリフレイアさんに魔術を教わりながら、この町で彫金師として生計を立てているのだと話した。
「リュカって呼んで」
「そう、じゃあ……リュカ」
ヴェイドさんと店の主人を仲介した後、やはり暇になったらしい彼はわたしに向き直った。そして戸惑いがちに返したわたしを、少年は値踏みするような目でじろじろと見る。
ああはやくヴェイドさん戻ってこないかしら、とわたしは願った。とても気まずい。
いまのリュカルスは先ほどとはうって変わり、小奇麗な衣服に身をつつんでいる。というか、わたしが無理やり工房に戻らせて着替えさせたんだけど。まだ十四歳だと言った彼は、なんとなく手のかかる弟のような印象だ。
身なりを整えた彼は、柔らかそうなえんじ色の髪と青灰色の瞳をしていた。結構、かわいい顔だちをしているから、腕がいいという点に加え、そういうのもあって女の子たちから人気なのだろう。
彼はひとしきりわたしを観察した後、「ふーん、フィオナって名乗ってるんだ」とつぶやいた。
「真名はなんていうの?」
「……真名なんて言えないでしょ」
半精霊にとって、真名を護ることは自由を護ることと同じなのよ。それを知らない彼じゃなさそうだったが、リュカは淡々とした顔でわたしに言った。
「べつに言ってくれてもいいよ」
「言いません」
「言ってよ」
「…………」
わたしを使い魔にしたいと言った彼、どうやら完全に諦めたわけではなさそうだ。会話の糸口がまったくつかめないわたしは、とりあえず何でもいいから話そうと口を開いた。黙っているとまた変なことされそうだった。
「あのね、ちょっと聞きたいんだけど……」
「なに?」
「リュカはどうして魔術師なのに、彫金師になろうと思ったの?」
まあ実際に疑問に思っていたのは本当だ。わざわざ希少な魔術師に――それも大魔術師の弟子になったという彼なのに、どうしてわざわざ別の道を?
「べつに魔術師だからって彫金師になっちゃいけないわけじゃないよね」
「まあ、そうね」
魔術道具屋になる魔術師もいるものね。
「それに俺、装飾品が女の子を飾ってるのが好きなんだ」
その言葉は意外すぎた。あなたさっき、俺にとって見る価値があるのは、魔術関係と石だけだとか言いませんでしたっけ?
そう言ってやると、「だから“装飾品が”女の子を飾ってるのが好きなんだって」と彼は言った。
「か、変わってるのね」
「よく言われる」と、リュカはしれっとした顔で言った。そして彼はおもむろにわたしを指さす。「ねえ、フィオナ。あんたも俺の作品持ってるんだね」
「え?」
胸のあたりを指さされて、わたしは思わず自分を見おろした。リュカが作った装飾品? 言われて思い当たるのは、わたしの母親の魔石がついた指輪だけだ。
「もしかしてこれのこと?」
「ああ、それそれ」
胸もとから引っ張り出した指輪を見るなり、彼はうれしそうにうなずいた。淡い水色の石がついた、美しい銀細工の指輪――過去にヴェイドさんから貰ったものの、大きさが合わなくて首飾りにしていたものだった。
「俺の作品久しぶりに見たよ。やっぱりいい出来だね」
彼は指輪をころころと転がした。わたしはそれを眺めながら不思議に思う。
「久しぶりって……自分で作ってるのに、久しぶりに見るもなにも無いんじゃないの?」
毎日見てるんじゃないんだろうか。
そう言うと、彼は途端に悲しそうな顔をした。
「いや、この前師匠が俺からぜんぶ巻きあげていって……おかげで工房は空っぽだ」
リフレイアさんが、巻きあげた……?
わたしは途端、嫌な予感を覚えていた。そういえば、フロディス邸でリフレイアさんが、どこかから装飾品の台座を召喚したとき、変な声を聞いた気がしたけど。
「ねえリュカ」
わたしは神妙な顔で切りだした。
「この間、あなたのお師匠様にその……召喚されちゃったりとか、してない?」
「ああ、されたね。お蔭でそのとき、俺の作品がぜんぶどっかにいっちゃったよ。まあ、俺は次が作れればそれでいいんだけど」
全部、我が家にありますが……と、言っていいのかわからなかった。
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