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05 ひとりの人間

 目的の花畑に向かうには丘をくだり、ふもとの町を迂回していく必要があった。

 シャメルディは険しい土地だったが、さすがに人が暮らす場所は穏やかな場所だ。わたしはにぎわう大通りを歩きながら、つとヴェイドさんを見あげた。

「意外と栄えてるのね」

「もっとド田舎だと思った?」

 正直、思った。

 だってここまでの道中がすさまじかったんだもの……まるでリスタシアの南の大陸みたいに未開拓だったわよ。わたしは内心そう思いながら、苦笑いを返した。

 そんな、わたしの後ろ向きな第一印象は、大通りに立ちならぶ店の数々によって払拭される。ヴェイドさんいわく、シャメルディ領のなかでも最も栄える、このミニャールという町は、わたしが不安がっていたよりもずっとずっと普通の町だった。

 よく見てみると、界隈には結構、身分のありそうな人達が歩いている。リースブルームほどではないけど、まさかこの地で領主以外の貴族を見かけるとは! 不思議そうにそれをながめるわたしに、「実は結構、静養地としても知られるらしい」とヴェイドさんが教えてくれた。なるほど、空気はきれいで食事もおいしい、か……。

 町の大通りに並ぶのは、青物屋、精肉屋はもちろんだったが、意外に目立つのが装飾品屋だった。

 ここから少し先をいった場所に、貴石が採掘される鉱山があるという話だったが、装飾品のたぐいがやたらと売られているのはそのためのようだ。

 必然的に彫金師が数多いというこの町には、数は少ないが魔導具を作る職人もいるらしい。先日、某火の魔術師によって大量に作り置きされた“どうしようもない装飾型魔導具”のために、わたしはまったく購入意欲がわかなかったものの、店の品はどれも美しいものばかりだった。

 火の魔術師リフレイアは光ものが大好きだと言っていたが、わたしとて見る分には好きである。つい通りすがった店先の指輪なんかを目で追っていると、

「きみはリュカルスの作品ばっかり見るんだね」と、ヴェイドさんが言った。

「リュカルス?」

 なんとなく聞き覚えのある響きに、わたしは顔をあげた。その反応に返したのは店の店主だった。

「リュカルス・クラヴリーっていう、いま売れっ子の彫金師のことだよ。お嬢ちゃん、彼の作に目をつけるとはお目が高いね!」

「ふうん」

 売れっ子の彫金師ねえ。

 わたしは“彼”の作品だという淡い桃色の石がついた指輪をながめながら、その彫金師のことを思いうかべた。どこかで聞いた名前だと思ったけど、そんな知り合いは居ないわね……。悲しいかな、わたしお友達が少ないもので。

「欲しいなら買ってあげようか?」

 じろじろながめすぎたのか、ヴェイドさんが訊いてくる。

「べ、べつに欲しいだなんて思ってないわよ!」

 わたしは慌ててそれを陳列棚にもどした。顔がすこし熱くなる。アレクみたいなこと言わないでよ。

 というか彼に、よりによって指輪を買ってもらうなんて、恥ずかしくてできるわけが無かった。母親の魔石のときとは理由が違うのだし、彼とわたしはその……そんなんじゃないし、ただの居候だし。

 そして黙々と店から離れて歩きだすと、すぐ隣を歩くヴェイドさんが言い出した。

「フィオナは本当に物欲がないね。もうちょっと“あれ買って”“これ買って”とか言われるかなって思ってたのに」

「わ、わたしはそんなこと言わないわよ」

 少し残念そうな顔のヴェイドさんに、わたしは逆に問い返した。

「っていうことは、過去にいろいろ物をねだった人がいたってこと? いったい誰と勘違いしてるの、ヴェイドさん」

 我ながらひねくれた質問だわ、と内心思ったけど、わたしのなかではずっとリフレイアさんの『特別なヒト』という言葉が尾を引いていた。わたしは彼の特別にはなれないのに、過去に誰かが“彼の特別”だったかもしれないと思うと、心穏やかにはいられない。

 わたしの心境をよそに、ヴェイドさんはあっさりと言った。

「誰と勘違いって、フレイアとか、フレイアとか」

「あらそう……」

 あなたのお師匠様っていったい。

 げんなりと返すと、彼は「いや、あともう一人居たかな」と思い出すような顔になる。

「わたしの知ってる人?」

 思わず訊ねると彼はあいまいな表情で、知らない人だよ、と微笑んだ。




 ヴェイドさんが行きたがっていたテュメル峠というのは、なんと海へと突き出した崖っぷちにあった。

 正しくは彼が見たがっていた花畑なんだけど、立地にしては穏やかな気候のため自然にできたという野の花壇は、あたり一面、スミレやシロツメグサといった花でうめつくされていた。暖流がそばを流れるというはるか下から、潮のかおりを含んだ風がゆるりとわたしの頬をなでていく。遠くさざなみが聞こえる美しい場所に、わたしは思わず笑顔になっていた。

「すごい、本当にお花畑なのね」

 しゃがみこむわたしを目に、ヴェイドさんは満足そうに腕を組んでいる。

「来た甲斐があっただろう?」

 ここは地元民しか知らない穴場なんだと言った彼は、振りかえるわたしに目を細めている。小さな幸せを感じているような、微笑みともなんとも言えない微妙な表情。彼は最近こういう顔をよく見せるようになった。いったい何時からそうだったのかは分からないけど。

 わたしはそんな彼をじっと見たあと、ぽつりと口にした。

「あなた変わったわね」

 出会ったころはそんな顔をしなかった。だがわたしの言葉に、彼はかるく肩をすくめた。

「ところがどっこい、なにも変わってないという……」

 ヴェイドさんはこちらにやって来ると、足もとのスミレを一輪つんで、わたしの耳もとにそっと差しこんだ。彼の瞳の色にも似た青紫の小さな花が、わたしの視界のすみに見え隠れする。

「ぼくは基本、小心者だからね。自分を護ることでせいいっぱい。わざわざ四属性を学んだのも、実はそういう気持ちがなかったからとは言い切れないんだよ」

「ヴェイドさんが?」

 わたしは目を瞬いた。

 水属性を極めた大魔術師とされる彼だけど、実は火、水、地、風すべての属性魔術が使えると知ったのは、いまから少し前のことだ。それだけ優秀な魔術師なのに、自分のこと小心者だなんて。

 意外な彼の発言に、わたしは首をかしげた。クレマン伯爵の件、そしてわたしが精霊に取りこまれた件……彼は二度もわたしを助けてくれた。わたしの知っている彼は、いつだって思い切った人だった。

「三五一年も生きてきてよく言うわよ。あなたいつもはもっと尊大な人じゃなかった?」

「三五一年も生きたから、だよ」

 彼が穏やかな瞳でわたしを見つめ返す。

「この一帯は、いちおうぼくの故郷ということになるからね。色々思い出すんだ」

 なるほど、彼にもいちおう“懐かしむ”という言葉があったらしい。

 いや、彼だから懐かしむのかもしれない。よく考えてみれば、彼が故郷と言った場所はもう三百年も前になるのだから。そう思い当たったとき、わたしは青紫の包みこむような瞳のなかに、迷い子のような彼を見つけていた。

 偉大なる魔術師ヴェイド・フロディス。様々な顔を見せるひとりの青年。いったいどれが本当の彼だろう。

「ヴェイドさん、シャメルディは昔と変わった?」

「変わらないよなんにも」と、彼は言った。

「ブランシェ家がそういう統治をしてくれたから、だからぼくは帰る場所を失わずにすんだんだ」

 わたしは、彼そっくりの顔で笑うセガールさんの顔を思い浮かべた。

 水の魔術師を血縁に持つブランシェ家が、シャメルディの精霊達の力を持ってもなお、町を発展させてこなかったのは、きっと彼のためでもあるのだろう。貴石という魔石の材料になる石の鉱脈があることは、魔術国家とも言えるこのリスタシアにおいては重要なことだ。その気があればいくらでも町を大きくできただろうと思うのに。

 以前、置いて行かれるのはうんざりだと話した彼。でも、あなたとても愛されているのよ。

「ヴェイドさん、ここに連れてきてくれてありがとう」

 うまく伝える言葉が見つからなくて、わたしは代わりに彼へと手をのばした。それを受け止めるようにかがみこんだヴェイドさんに手をとられ、そのまま彼の頬にそっと手をはわせる。彼のやさしい魔力がそっとわたしに伝わってくる。

「ここにまた来ようと思えたのはフィオナのお蔭だ」

 わたしが居ることで、なにか役にたったのかしら。それは分からなかったが、わたしを見つめる水底の瞳がとても穏やかな色を帯びている。まるで恋人にするようなしぐさに、わたしの胸の奥が小さくうずくのが分かった。

 あなたが好きよ、ヴェイドさん。

 いま言ったとしたら、別の返事がくるだろうか。そう思ったけど、いつもより幼く見える彼がとてもまぶしくて、わたしはそっと彼を見返すだけに思いとどめた。

 自分のことを、ただのダメ魔術師だと言った彼。たしかに今のこの瞬間、彼は偉大な水の魔術師ではなく……ただひとりの人間だと、わたしは思った。



 ◆・◆・◆



「――で、結局また歩いて戻るわけね」

 そしてしばらく後、そこにはげんなり顔のわたしがいた。他でもない、彼が歩いて帰ると言いだしたからだった。

「もちろん当然」

 魔術師は非情だった。ごく当たり前のことを言うようにヴェイドさんは言った。

 帰りはてっきり転移陣だと思って疑わなかったわたしだが、過去に徒歩の移動を『そういうのは時間の無駄だ』と言い切った魔術師は、迷いなく帰りの道を歩き出す。

 帰りって、ここまで来るのにも結構時間がかかったのに? 坂道をくだって、町を迂回して、また丘のさきの屋敷へと……いつもなら歩いて帰ると言いたいところだけど、今日はもう馬車に乗ったことで体力の半分ぐらい持っていかれていた。しまったわね、わたしも彼と一緒にいる間に不精癖がついてしまったらしい。

「ねえ、ヴェイドさん。最近どうして行動的なの?」

「たまにはこういうのも良いじゃないか。少し歩けと言ったのは、たしかきみだった気がするけど?」


 ――でも、たまには歩かないと……ヴェイドさんって、ただでさえ貧弱そうなのに。


 ああ、はい、言いましたとも。

 彼と出会った頃、徒歩の距離だった治安局に行くのに、わざわざ転移陣を使う彼に向けた苦言だった。まさか根に持たれているとは思わなかったわけで。反射的に目をそらしてしまったわたしだったが、だから彼がほっと息をついたことに気づくことができなかった。

「そうそう、フィオナ。ちょっと大通りで用事があるんだけど寄り道しても構わないかな?」

「用事?」

 わたしは話題を変えたヴェイドさんの顔を見あげる。

「べつに良いけど、どこに行くの」

「宝石職人のところ」

 彼は続けた。

「フレイアがぼくの貴石を丸ごと無駄にしてくれたからね。急いで代わりの石を探さなくては」

 そしてこちら(・・・)も根にもっている彼だった。ヴェイドさんは苦々しい顔でぶつぶつとこぼしながら歩いていく。

「もしかして、いきなりシャメルディに行くって言いだしたの、石を探すためじゃないでしょうね?」

「だんだん察しが良くなってきたじゃないか、フィオナ。大きな成長だ」と、彼はなぜか満足そうに振りかえった。

「まあ観光するのも良いかなと思ったけど、本来の目的はそっちだ。あのめちゃくちゃな師に実験の邪魔をされて黙っているぼくではない」

 ちょ、ちょっと……。

「またあれだけ買いつけるってわけ? ヴェイドさん、いい加減うちの屋敷に余計なものを増やすのやめてってば」

 わたしはついつい考えることを放棄していたが、いまフロディス邸は無駄に大量の魔導具であふれかえっているのだ。これ以上ものを増やされるなんて、掃除をする身にもなってほしい。わたしの内心をよそに、彼はしみじみとした顔で言う。

うちの屋敷(・・・・・)、いい響きだねえ。帰る場所って感じがまた」

「ヴェイドさん誤魔化さないで! どうせ変な実験にしか使わなくって、長々と保管してる期間のほうが多いんでしょう!?」

「そのうちまたフィオナに壊されるんだろうな」

「人を破壊魔かなにかみたいに言わないでくださいッ」

 激高したわたしをおもしろがるように、彼は小さく笑った。




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