04 結婚したの?
なぞの長期休暇を申し出たというヴェイドさん。
彼が「旅に出よう」と言い出したのは、その日の夜のことだった。
「…………旅?」
面倒くさがりの彼にそぐわぬ言葉に、思わず怪訝な顔になったわたしだが、ヴェイドさんはなんてことない顔で続けた。
「いや、ソイルがぼくに暇をくれると言ってきてね。ほら、前に言ってただろう? レオディスの件のときに」
――陛下より、あなたには代わりの休暇を用意するよう仰せ仕りました。ここは国王陛下に免じて、来てくださらないか。
「そういえばそんなことあったわね」
わたしは過去の、宰相様の言葉を思い出していた。
このフロディス邸に、リスタシアの宰相であるソイルさんが“第二王子の容態を見てくれ”とやって来たのは記憶に新しい。なるほど、今回の長期休暇というのは、そのときヴェイドさんの休暇を反故にした代わりのようだ。しっかり覚えていたとは、彼もなかなか律儀な人だった。
「でも旅って、どこに行くつもり?」
変な場所じゃないでしょうね。
訊ね返したわたしにヴェイドさんは一言こう口にした。
シャメルディ領だ、と。
シャメルディ領と言えば、思いつくのは地の精霊のこと。わたしが最初にヴェイドさんと知り合った事件のことだ。
今から少し前、わたしは母親と一緒にクレマン伯爵と言う男――まあ父親だったようだけど――に捕まって残虐な実験台にされていたのだが、そのとき一緒にとらえられていたのが、シャメルディ領にしか居ないという精霊達だった。あのときのことを思い出すのは未だに胸が痛むが、ようやく心穏やかに話題にできるようになっていた。
「結局、男爵さんとは知り合いだったの?」
規則的に揺れる箱馬車のなか、わたしは彼に訊ねていた。
「そうだよ、彼とぼくはちょっとした友人なんだ」
ヴェイドさんは窓枠に頬づえをつきながら、わたしを見る。
「意外だわ……」
「なんで? きみだって不思議に思ってたじゃないか、どうして大魔術師のぼくがわざわざあの案件を引き受けたのかって」
「それはそうだけど」
わたしは彼の真向かいに座りながら、首をかたむける。
彼の言うとおり、とらわれの精霊たちを救ってほしいと依頼したのは、シャメルディ男爵だった。当時はどうして、偉い立場のヴェイドさんが引き受けたのかと思ったが、まさか友人同士だったとは。
「でも、なんで急に彼の領地まで行こうと思ったの?」
その疑問に彼は、「リフレイアが手紙を持ってきたんだ」と答えた。
「ぼくも近いうちにあの地に赴こうと思ってたんだけど、ちょうどいいタイミングだったからね」
「ふうん」
わたしはあいまいに言葉を返した。そしてふと、考える。
「ねえ、ヴェイドさん。それって時の石のことと関係あるの?」
「ん、なぜ?」
「なぜって……リフレイアさん、あなたに“時の石のことで来た”って言ってたわよね。いくらなんでも時期が合いすぎよ」
彼の師の思わぬ訪問。そして、彼が旅に出ると言いだしたこと。
なんとなく、その両方には“時の石”が関わるのではないかと思ったのだ。
訊いても無駄だろうなあと一度は思ったが、考えても拉致があかないことは、もう直接聞くしかない。あれからローズやアレクに相談したり、書物庫の本を探したりと、わたしなりに時の石について調べてみたが、腹の立つことに本当になんにも情報が出てこなかった。
「ああ、時の石ね」と、話題にしたとたん、ヴェイドさんは微妙な顔になる。都合の悪い話題だといつもこうだ。
「べつに、きみが気にするようなことじゃない。時の石っていうのは、ぼくが持ってる、ただの魔導具のことだよ」
「ただの? わざわざあなたのお師匠様が訪ねてくるぐらい、大ごとなのに?」
それのどこが“ただの魔導具”だ。
疑ってかかるわたしに、彼はあきれたように息をつく。
「あのね、フィオナ。勘繰るのはきみの勝手だけど、それっていま話さなくちゃいけないことかい?」
「そんなに訊かれたくない話?」
「少なくとも今はね」彼は言い切った。「いまは休暇を楽しむべきだ」
そしてこの話は打ち切りだといつものお決まりの流れになり、わたしは口をつぐむしかなくなった。
いつもそうだ。
彼は自分のことを何も教えてくれない。
わたしはそこまで信用できない相手なの? もっと彼を分かりたいと思うのに、わたしだけが空まわりしているようだ。こんな気持ちで旅だなんて笑っちゃうわ。
休暇として願い出たのは、約ひと月だとヴェイドさんは言った。ひと月か……この調子じゃ、気持ち的に長くなりそうね。この旅路にあまり気乗りのしないわたしは、いまは遠い場所の友人達に、そっと思いをはせた。
ああ、ローズは今ごろ何をしているのかしら。
アレクも少し心配だ。魔術局長の代役だなんて、いまごろ倒れてなければ良いんだけど。
むしろ倒れるのはわたしのほうだったと、それから半日も経ったころにわたしは理解することになった。
わたしは相変わらず馬車の後室に座ってはいたが、苦々しく涙をこらえていた。
痛かったのだ。
なにがって。
……おしりが。
さすがに何時間も馬車に揺られっぱなしというのはきつすぎる。成人前の乙女だという恥じらいも忘れ、わたしは恨みがましい気分で目の前の魔術師を見あげた。
「なんでヴェイドさんは平気なのよ……」
「うーん、それは人生経験の長さかなあ」
苦しむわたしを見ながら、しみじみと言う彼だった。
「だいたい、同じ格好で座ってるから駄目なんだ。ちょっとずつ姿勢をズラして受け流すっていう考えに至らないあたり、フィオナは馬鹿だなあ」
「お、教えてくれたっていいじゃない!」
馬車になんて、めったに乗ったことないんだから!
彼に引き取られるまでは、庶民中の庶民だったわたしである。移動は徒歩と、相場が決まっている。つい声をあげずにはいられなかったわたしに、ヴェイドさんは先ほどとはうって変わり、楽しそうに笑い返した。
「そう怒らないで、フィオナ。もうそろそろ着くよ」
もうそろそろ?
そう言われて初めて、わたしは窓の外の景色が変わっていることに気づいた。わたしは外の光景に目を奪われた。
「すごい場所ねシャメルディって」
想像していた以上だわ。
そこには、おどろおどろしいほどに陰った、深く生い茂る森が広がっていたのだから……。
「わたし、なんだか不安になってきたわ」
ぽつりとつぶやく。
旅と称して、わたしはとんでもない場所に来てしまったのではなかろうか。
シャメルディ地方は、岩山や崖が多い山岳地帯だと言われている。自然豊かだと言ってしまえばそれまでだが、傾斜のつよいこの土地は、天気がころころ変わるうえに雨も多く、どう見ても生活には不向きである。野生動物も多いだろう。
その証拠に目の前は、開拓の進んでいない森林地帯だ。
もうそろそろ着くって、いったいどこに着くっていうの……。
引きつった顔のわたしを慰めるように、「まあ、でも水は美味しいそうだよ」と、ヴェイドさんが言った。
「山地に溜まった水がずっと地下を流れてきて、ふもとの町に湧くそうだ」
「そ、そう……」
わたしはうなずき返す。
でも地下水があるからといって、どうこうなる問題なの。生活には水は必須だが、それだけ雨が多いということは地崩れなんかも多そうだ。ああ、おそろしい土地。
そう言ってみると、ヴェイドさんはあきれたように否定した。
「天然もいい加減にしたまえ。ここにはシャメルディの精霊が居るって言っただろう?」
「あ、そっか」
なるほど、ここでは自然災害はめったに起こらないようだ。それは全て、シャメルディ男爵が、地属性の精霊たちと契約を交わしているから。
災害がないから、山の生き物は飢えない。だから農作物は荒らされないし、数少ない家畜は襲われる心配もない。あと水が美味しいから料理もおいしい。――と、いうことらしい。
「うまく出来てるのね……」
あとは行き先がもうちょっと開けた場所であることを祈るわ。
「大丈夫。シャメルディ卿が住む場所はもうちょっときれいな場所だ」
「あらそう」
期待しないでおくわ……。
わたしのげんなりとした顔をよそに、ヴェイドさんはいつになく機嫌がよさそうだった。それは、久しぶりに知人の家に訪れるから? なんだろう、他になにか理由があるようにも見えるけど、ここで水をさすのは悪い気がした。
「とくにテュメル峠という場所はね、フィオナ。あたり一面が自然にできた花畑なんだよ。あとで一緒に行ってみようか」
「……仕方ないわね。付き合ってあげるわよ、ヴェイドさん」
わたしは苦笑した。
ヴェイドさんが楽しそうにしている。彼の秘密主義っぷりには腹が立つが、なんとなく、向けられた笑顔にわたしは満たされる気がしていた。
だからだろうか。
彼がこの旅路でめずらしく転移陣を使わなかったことに、わたしは疑問を抱くこともしなかった。
◆・◆・◆
シャメルディ領の現当主は、名をセザール・ロブ・ブランシェと言うようだ。そう名乗った青年は、栗色の髪を風にゆらしながら爽やかに笑った。
「はるばるようこそー、僕の領地へ」
そう言って彼はわたしに手を差し出した。
その背後には両翼をのばす彼の屋敷があった。ゆるやかな丘の上に建つその場所は、背後に青々とした山脈を抱えている。そのはるか向こうのほうに、うっっっすらと海が見える。でも海岸はやはり崖のようだ。
シャメルディ領に居る間、わたしたちは彼のお世話になることになっていた。
ブランシェ邸は丘の上に建つということもあり、頑丈な石造りの屋敷だった。門をくぐった先に見える淡く赤みを帯びた外壁が、建物としての年月の長さを感じさせる。
「いやあ、まさかヴェイドがこんな可愛いお嬢さんを連れてくるとはねえ」
そんな屋敷の主であるセザールさんは、ヴェイドさんに負けずおとらず機嫌よく言った。
「いったいいつ結婚したの?」
「えっ」
なぜかヴェイドさんは、ぎくりと顔を引きつらせた。
……そんなに衝撃を受けるような言葉だったかしら。どう聞いたって、彼はわたしをヴェイドさんの娘だって勘違いしていると分かるのに。
わたしは彼の代わりにセザールさんに答えた。
「違うわよ、セザールさん。わたしヴェイドさんの子どもってわけじゃないの、ただの居候よ」
身寄りのないわたしを親切にも引き取ってくれたのだ。そう説明すると、セザールさんは「そうなのかあ」といささか落胆したようだった。
「ようやく家庭におさまったかと思ったのに、残念だ。フィオナちゃんと言ったね、この人結構な横着ぶりだから苦労するだろう?」
「そ、そうでもないわ」
本音は言うまい。わたしはあいまいに笑い返すことに成功した。
そしてわたしはふと、人好きのしそうなセザールさんの顔をまじまじと見やる。彼は栗色のよくある髪の色だったが、妙な既視感を覚えていたのだ。観察しているうちに、彼もまた青紫の瞳をしているのね、とわたしは思う。
なんとなくだ。
なんとなく思ったことをわたしは言う。
「セザールさんって、ヴェイドさんと似てるわね。こう、目のあたりとか……」
水の底を思わせる瞳の色、そして涼やかな切れ長の目もとが、非常によく似ているような気がした。案の定、彼は「ああ、よく言われるよ」と言ってうなずく。
でもその先は予想外だった。
「だって僕、ヴェイドの血縁だもん」
えっ?
セザール卿、まさかのフロディス家の血縁ということが判明した。
「なんでそんなに驚くの、フィオナ? 結構そっくりだろうと思うけど」
「そ、それは……」
不思議そうなヴェイドさんから、わたしはぎこちなく目をそらした。
動揺のあまり言葉を失いがちのわたしだったが、いまはセザールさんの屋敷ではなく、のんびりと街道を歩いている途中だった。せっかくだから散歩に行こう、とヴェイドさんに連れ出されたのだった。
彼は先ほど言っていた花畑というのを見にいくつもりらしい。まさか本気で“観光”するつもりだったとは驚きだが、彼はシャメルディに来てからやけに意欲的だ。
しかし、わたしは内心穏やかではない。
セザールさんとヴェイドさんが血縁ってどういうこと?
血縁――血のつながりのある間柄。
ヴェイドさんは三五一歳だから、普通に領主をやっているセザールさんは彼の兄弟というわけはないだろう。いや、そんなことは分かっている。問題は、彼がヴェイドさん“の”血筋なのか、そうじゃないかということだ。
わたしは彼に訊ねていた。
「ねえ、ヴェイドさんて結婚したの?」
「えっ」
えっ、てなによ、えっ、て。
「……あなたセザールさんにも、同じこと訊かれて引きつってたわね」
わたしは遥か頭上の、青紫の瞳を見あげる。なぜか彼は冷や汗をかいていた。
「あ、あのねフィオナ……」
「いいから答えなさい、ヴェイドさん。セザールさんはあなたの子孫? それとも違う?」
その問いかけに、彼は「なんだ、そっちか」とやや疲れた表情になった。ヴェイドさん、そっちもこっちも無いでしょうに。
彼はうんざりとした顔で言った。
「血縁といっても、正しくはぼくの姉のほうから続く血筋だよ」
彼いわく、シャメルディ男爵家は、彼の姉が嫁いだ家になるのだとか。
「だから彼とは親戚みたいなものかな」
「そうなの」
ほっとしたような微妙な気分だった。
とりあえず、ヴェイドさんが過去に妻子を持ったわけではないらしい。最近こんなことで悩む日々が続くわね、とわたしは内心つぶやいた。
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