02 やさしい瞳
かなり不安だったが、勝手に家の中に入っていく彼女を止めることができず、わたしはまあいいかと諦めた。
フロディス邸は見られて恥ずかしい屋敷だったが、見られて困るようなものは特にない。人々はこの屋敷を【人食いが棲む家】だとか何だとか噂するようだけど、実際にはただの変哲もない、魔術師の家だ。
そして屋敷に無頓着な、あの水の魔術師のことだった。友人だと名乗ったリフレイアさんがどれほど屋敷を物色しようが、全く気にも留めないだろう。
――ただし、書斎はのぞいてだ。
わたしは多少気圧されながら、目の前の赤い髪の彼女を見つめていた。
「リ、リフレイアさん……? ヴェイドさんの仕事道具をさわっちゃ、地獄を見るわよ」
経験からくる忠告である。思わず言ったわたしだった。
なんということだろう。リフレイアさんはわざとかと思うほどに、まっすぐヴェイドさんの書斎へとやって来ていたのである。まるで、間取りを把握していたかのようなスムーズな動きに、わたしは茫然と着いていくのがやっとだった。
そして彼女は、ちらりとわたしに振り返る。
「ねえねえフィオナちゃん、この魔石いっしょに山分けしちゃおーよ!」
とっても綺麗じゃない?
そう言って楽しそうに微笑むリフレイアは、まるで年ごろの娘のように明るかった。ローザリア姫よりは少し年上に見える彼女だが、溌剌とした笑顔が非常にまぶしい。
そうして彼女は得意げに、小箱いっぱいに収められた石の、小さなひとつをつまみあげる。淡い青紫に透けた石が、かの魔術師の瞳みたいに見えたわたしは、ぶるりと背筋をあわ立たせた。
「だっ、駄目よリフレイアさん。それは死に急ぐっていうものよ!」
命は大事に、そして人生は平和に生きるに限る。
あの人やたらと目ざといから、書斎を触ったって多分すぐに気づいちゃう。わたしは彼女につままれた石を見つめながら、今朝の悪魔のような顔を思い出した。
「平気、平気。あいつ怒ったってぜーんぜん恐くないもの!」
だがしかし、からからと笑う彼女はえらく肝の据わった人間だった。
あの人を下に見るだなんて、いままでにないタイプの人だ。そして彼女はきれいに弧をえがく眉を、片方だけつりあげながら「いいこと、フィオナちゃん」と、わたしにずいと近寄った。
「あいつのものは私のもの。私のものは当然、私のものよ!」
「そ、そうですか……」
こ、この破天荒ぶり、さすがは彼の友人なだけはある。わたしは完全にたじろいでいた。
「とはいえ、石だけじゃあ意味がないわね」
うん?
ふいに、リフレイアさんは澄ました顔で小さな石を見おろしたかと思うと、慣れた動作でふいと指をふった。次の瞬間、
――カラン。
「えっ?」
耳にはねた金属音に、わたしは目を見ひらいた。なんの音だと問う暇もなく、そしてカラン、と次の音が鳴る。
「え、え?」
カラン、キンッ、カラカラカラ、カランッ。
いきなり何が起こったの!?
わたしの目鼻さきに、きらめく鉄の塊がなだれ落ちる。鈍い光を帯びた黒がねの雨は、いったいどこから落ちてくるのか? 残念だけどそこまで思う余力はなかった。わたしはカラカラ押し寄せる金属片につぶされていたのだ。
「ちょ、ちょっとリフレイアさん! お、おもっ」
カラカラカラ、ガラガラガラッ。
ガラガラガラガラガラガラガラガラガラガラ、うわあああああーッ!
「――え、い、いまの人の悲鳴ッ!?」
「ああ、あんたは要らないわよリュカ。さっさと帰りなッ」
いきなり鋭い声のリフレイアさんに向かって、わたしはがばっと鉄の山をかきわけた。
「ちょっと今誰かいなかった?」
「気のせいよー、フィオナちゃん」
這い出してきたわたしに、リフレイアさんはにっこりと笑った。
「見てみて、これだけあれば魔導具作り放題よー」
幸せいっぱーい!
そう言って、彼女は幸せそうに金属片の山から両手いっぱいにそれをすくいあげる。
「魔導具……?」
訝しい目になったわたしは、彼女がぱらぱらと床に取りこぼす欠片をじっと見た。
よく見てみると、それは耳飾りの台座だったり、ブローチの台座だったり、指輪の台座だったり――つまりぜんぶ台座なんだけど、どれもこれも肝心な貴石が付いていない。なるほど、ヴェイドさんの私物を組み合わせて完成させようというわけか。
「でもこんなにたくさん、どこから出してきたんですか……」
魔術は奇跡の力ではない。確実にどこかから転移させてきたと思われる台座たちを前に、わたしはじっと考えこんだ。
「んふふ、秘密」
すごく楽しそうに言う彼女だった。
わたしが最初に“魔女”だと思ったとおり、リフレイアさんはやはり魔術師のようだった。
彼女はどかりと床に座りこみながら、無作為につかんだ貴石と台座を、ぱちんぱちんと組み合わせていく。なぜかわたしもその作業を手伝わされる羽目になっていた。
「あーあ、フィオナちゃんが居るってわかってたら、もっとお洒落して来たのになあ」
そう愚痴っぽく言いながら、リフレイアさんは今しがた作り上げた装身具を掲げて見る。
窓からの陽の光を受けて、きらきらと輝くそれはとても綺麗だ。そして不思議なことに、ただ組み合わせただけの貴石と台座は、いまは淡い光を帯びている。
「リフレイアさんは、魔術道具屋の人だったりするんですか?」
わたしは“ダグラス魔術道具店”を思い出していた。以前、わたしが薬の調合器具を買いに行った店のことだが、もしかすると関係者なのかもしれない。彼女はヴェイドさんが集めた貴石を、こうして買いつけにやって来たとか?
だが、彼女はあっさりと言った。
「ううん、私はただの魔術師よー。これはただの趣味よ、趣味ぃ」
ただの趣味で、膨大な量の魔導具を作りあげちゃうだなんて、頭の痛い話である。いまや部屋の半分ぐらいを占領した装飾型の魔導具は、こう見えて、結構値段が高いんだけど……。
「私はね、フィオナちゃん。綺麗なものが大好きなの」
「綺麗なもの、ですか?」
ふとそう言った彼女に、わたしは思わず問い返した。彼女はぽいっと完成させた魔導具を放りなげると、また次へと取りかかる。言葉のわりにはぞんざいな扱いだが、あえて言うまい。
そしてにこにこと、ご機嫌のリフレイアさんはわたしに答える。
「宝石とか、銀細工とか、光るものとか! フィオナちゃんもそうじゃない?」
「えっと、気持ちは分かる気がします」
わたしも一応は女の子だ、きらきらしたものは嫌いではない。うなずいたわたしに、「やっぱり女の子同士の会話っていいわよねー」とリフレイアさんは満足気に言った。彼女は自宅に弟子を二人も抱えているようだが、どちらも男の子なんだと言っていた。若そうなのに、結構やり手だ。
「わたしの夢はね、フィオナちゃん。光り物にかこまれて生きることよー」
「そ、そうなんですか……」
若干身を引いてしまうわたしだが、装飾品にかこまれる彼女が容易に想像できてしまう。彼女はある意味、ローザリア姫のように激しい気質の人だった。
「んふふ、だから綺麗なヴェイドのことも大好きよー」
まるでアクセサリー扱いの魔術師である。
確かに彼は見た目は派手だし、整った顔だ。雪のように白い肌、そして銀の髪に澄んだ青紫の瞳というのは、結構、目をひく姿だった。
しかし突っ込みどころはそんなことではない。わたしは戸惑いがちに訊ねていた。
「あの、聞いてもいいですか? あなたヴェイドさんと、どういう関係なんですか」
「え、私?」
あやしい人じゃないと前置きしていたリフレイアさんだけど、絶対ただの友人じゃないだろうと、わたしが思うぐらいには彼女の言動はあやしかった。いくらなんでも、彼女はヴェイドさんに遠慮がなさすぎるのだ。友人じゃないとすれば、もしかすると彼女は……?
ごくりと構えるわたしに、
「そうね端的に言うなら、こうかしら」と彼女は思わせぶりにくねっと身をよじらせる。そして彼女はこう言った。
「彼の、特別なヒト」
「ええっ!」
特別!?
特別ってどういう意味で?
驚き顔になったわたしに、リフレイアさんはふっと笑った。
「やだ冗談に決まってるじゃない、フィオナちゃん。やきもち顔も可愛いわねー」
「や、やきもちなんかしてません」
絶対してません。
でもわたしは居たたまれない気分になり、ぎこちなく彼女から顔をそらした。それを見たリフレイアさんは、からかうようにころころと笑う。そして彼女はわたしにじゃれつくように抱きつくと、耳もとでささやいた。
「んふふ、そんなに彼との関係が気になる?」
「別にそんなこと……」
否定するわたしを、彼女は間近にのぞきこむ。
「ほんとに?」
「本当よ」
「本当の本当に?」
「……き、気になるわ」
悔しいけど、とっても。
だってわたしは彼のことが好きなのだから。まさか今さら恋人があらわる、という展開はちょっと勘弁してほしい。そんなわけで見事に誘導に負けてしまったわたしに、「素直な子は大好きよ」とリフレイアさんはにやりと笑った。
「あのね、教えてあげる。私とヴェイドはねー」
「…………教えなくて結構ですよ」
割って入ったのは、聞きなれた魔術師の声だった。はっと顔をあげると、そこには不機嫌そうに顔をしかめたヴェイドさんが立っていた。
「あっ、ヴェ、ヴェイドさんおかえりなさい!」
わたしは意味もなくうろたえた。いまの会話、聞かれてなかったわよね? 恥ずかしいったら。
慌てるわたしをよそに、わたしをしっかり抱きこんだリフレイアさんは、ヴェイドさんに冷ややかな目を向けた。
「ちッ、屋敷の主のお帰りか。お邪魔してるよ、ヴェイド」
「ねえフィオナ、怒らないから言ってごらん。なんでこの痴女を屋敷に入れてしまったんだ?」
彼はわざとらしくわたしに訊ねた。
「は、痴女って!」リフレイアさんが、はん、と笑った。「こんな美女をつかまえて言う台詞?」
「うるさい、この年増。さっさとフィオナから離れるんだ」
「へえぇー、ほぉー……あんただって年齢見ればクソジジイじゃないのよ」
「ぼくの体は二七で止まってるだけだ。あんたみたいに、好きこのんで若作りしているやつと同じにしないでくれ」
激しい会話に、完全にかやの外になったわたしだった。
そして、リフレイアさんは「おおこわ」と大げさにのけぞったかと思うと、固まっているわたしの顔を見おろした。
「フィオナちゃん同情するわー、こんなやつと同居だなんて。私ならとっくにどうにかなっちゃってるわ」
まあ、結構な苦労はしたわ。
そして彼女は小さく微笑む。
「ねえ、提案なんだけど……いっそうちの子になる気はない? フィオナちゃんなら大歓迎するわよ」
「フレイア、彼女は魔術師じゃないんだ。勝手なことを言わないでもらえるかな」
「あんたに言ったわけじゃないわよ」と、リフレイアさんは実に憎らしげな顔で、ヴェイドさんに視線をもどした。「手放したくないなら、ないって素直に言いな。私は自分に嘘をつく人間はだいっきらいなんだよ!」
傍から聞いているとむちゃくちゃである。でも、なぜか彼は反論しなかった。
「それで、あなたの用件はなんですか?」
その代わりヴェイドさんは気に入らないといった表情で、その場に腕組みしてわたし達を見おろした。
「さっさと言って、とっとと山に帰れ」
ちょっとヴェイドさんそれはキツすぎるわよ、と思ったのは、どうやらわたしだけだった。言われた当のリフレイアさんは、しれっとした顔で肩をすくめる。
「ったく、それが久しぶりに会ったお師匠様への対応とはね」
……え?
私、辟易するわあ、と言ったリフレイアさんの顔を見て、わたしはまた固まる羽目になっていた。
◆・◆・◆
話を聞くに、前に彼が話していた“火の魔術師フレイア”というのは、彼女のことだったようだ。
火属性魔術を極めし者。
リフレイア・バーディアスと名乗った彼女は、見た目はいい年ごろの女性だというのに、実は御年 七百歳を迎えているという、ヴェイドさんに負けずおとらず――いや、それ以上だった。なるほど、彼のことをちっとも恐いと思わないはずである。
「――それで、偉大な偉大な、お師匠様……」
食堂に場所を移してからしばらく経って、ヴェイドさんは神妙な声で切りだした。
「あんた一体、何しに来たんだ」
「ヴェイド、お師匠様にお茶のひとつも出せないわけ? こんな男に教育した覚えはないよ!」
「あんたに飲ませる茶なんてない!」
ヴェイドさんは、力づよくテーブルを叩いた。そのあまりの形相に、ふよふよ着地しようと試みていたティーカップ達が――精霊たちが気をきかせたのだろう――慌てて逃げて行ったのをわたしは見逃さなかった。そうね、触らぬ神にたたりなしだわ。
「だいたいあんた、何でぼくの書斎になんて居たんだ。普通に待ってればよかっただろう?」
書斎は彼にとっての聖域である。屋敷の掃除を頼んでおきながら、わたしにでさえ進入に“いい顔しない”ヴェイドさんは、自分の師に向かって声をあらげた。
「勝手にぼくの魔石をぐちゃぐちゃにしてくれて!」
ヴェイドさんは、いまや立派な魔導具と化した石たちを、テーブルの上にバラバラと取りこぼした。
「これひとつで普通の魔石よりも何倍もの力があるのに、箱いっぱいに集めるのにどれほど苦労したと思ってるんだ」
「いやー、優秀な弟子が私のために用意したプレゼントだと思ってー」
「だっ、誰があんたのためなんかに……!」
完全に主導権をとられる彼というのは、めずらしい。さすがはリフレイアさん、彼のお師匠様だっただけはある。
そして、あの箱いっぱいに貯められた貴石は、どうやらヴェイドさんがそのうち実験に使おうと思っていたものらしい。不運だったわね、とわたしは心のなかでそっと思った。
「感謝するよフレイア、お蔭でしばらく、あんたをどうやって細切れにしようかってのに専念できるんだから」
「でしょー、苦労は買ってでもしろって言うじゃない」
「その減らず口を縫い付けてやろうか!」
「二人ともいい加減にしたら?」
仲が悪いのは分かったけど、いつまで言い争ってるつもりなの。いい大人がみっともない。
わたしの言葉に、リフレイアさんはついとわたしを見て、対するヴェイドさんは口を引き結んで苦虫をかみつぶしたような顔になる。
「フィオナちゃんてば、ちゃんとこの馬鹿弟子の手綱を握ってるわけねー。やるじゃない」
「べつにそういうのじゃありませんけど……」
にっこりと微笑む彼女に、わたしは微妙な気持ちになった。彼女はわたしが、ヴェイドさんに振られつづけているとは知らないのだ。まあいいけどね。
わたしは改めて彼女達にお茶を出しながら「リフレイアさんはどうしてここに?」と、彼の代わりに訊ねた。
「ああ、それなんだけどねー」
リフレイアさんは茶器を受け取りながら口を開いた。
「ねえ、ヴェイド。あなた私の指輪を壊したでしょう?」
「壊したのは、わざとじゃない」
「べつに、わざと壊したかどうかは問題じゃないのよ愚弟子。フィオナちゃんが壊したからって、あんたを責めるつもりはないしー」
「え、な、なんでわたしが壊したって分かるの!?」
わたしは吃驚した。
「だってヴェイドが壊すとは思えないんだもの」
リフレイアさんは焦り顔のわたしに、満足そうに微笑みかける。
わたしが壊したという問題の指輪は、過去にわたしが自分の母親を助けるときに使ったものだ。というよりも不可抗力で壊れたと言っても差し支えないのだが、あの石におさめられた魔力のおかげでわたしは窮地を脱したのだった。
「んふふ、大事な大事な指輪だったのに……それをあっさり人にあげちゃうとはねー」
そのわりには、書斎のガラクタ集団に埋もれていた気はするけど。でも壊した張本人だったわたしは、とってもばつの悪い心境になる。
「ごめんなさい、リフレイアさん」
「あら、なんで謝るの? 魔導具をあなたにあげたのはヴェイドでしょ。それぐらい責任取れない魔術師でどうするって話よ。それに無くなって困るのはヴェイドだし、私は痛くもかゆくもなーんとも。それに……」
彼女はやさしくわたしを撫でた。
「人の心を思い出した弟子を、盛大にお祝いしたい気分なんだから」
「え……?」
顔を見あげたわたしは、火の魔術師のやさしい茜色の瞳に目をうばわれる。水の魔術師とはまた違う意味で、人を包みこむようなその視線は、ふいにヴェイドさんによってさえぎられる。ぐい、と彼の手によって乱暴に引き離されるわたしだった。
「きみはそんなことを言いに、わざわざ来たのかい。満足したらさっさと帰りなさい」
わたしを抱きあげたまま、ヴェイドさんは苦々しい顔で言った。いつもより二割増しで、苛々した様子の彼だった。
「まあまあ、私あんたをなじりに来たわけじゃないのよー?」
「嘘をつけ、嘘を」
「じゃあ嘘だと分かったなら、そろそろ本題に入りましょ。私、あんたの“時の石”のことで来てやったのよ」
時の石?
なんだろうと思ったわたしだが、彼女の言葉に急に真面目な顔になったヴェイドさんは、わたしにこう言った。
「フィオナ、ちょっと別の部屋に行ってなさい」
あっさり追い出されたわたしだった。
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