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01 奇妙な態度

 おだやかな昼下がり。

 花の香りがただよう四阿(あずまや)にわたし達は座っていた。ゆらゆらと湯気の立ちのぼる茶器をはさんで、わたし達は向かい合う。

 リスタシア王国、花の都リースブルーム。水の魔術師が護り続けるこの土地は、一年中花に咲き乱れる場所だった。とくに華やかさを誇るのは、王族達が住まう王宮だ。そしてわたしはいま、そんな場所の一角にいる。いまは見慣れてしまったこの場所だが、こうして訪れるのは実に久しぶりのことだった。

 そして、漆黒に身をつつんだ青年はわたしに言った。

「で、結局フィオナは薬師免許を取ることにしたのか」

「ええそうよ」

 わたしはアレクにうなずいた。

 ひと月前、この国の第二王子にかけられた呪いの一件で、わたしは薬師という道に歩むことを決めたばかりだった。そんなわたしの目の前には、山ほども積まれた“薬学書”が鎮座している。

 アレク――アレイスト王子は卓子に出来上がった塔を一瞥すると、つとわたしへと視線を戻した。

「にしても借りすぎじゃないか? いちおう王宮の蔵書なんだから、フロディスの屋敷に持って帰るのはまずいぞ、フィオナ」

「大丈夫よ。ここで読んで帰るから」

 わたしは彼にあっさりと返した。アレクはなぜか「うへえ」という顔をしている。

「これだけの量を一日で? 正気の沙汰じゃないな」

「だって本を買うと高いんだもの」

 リスタシア歴三八〇年。

 製本技術ができあがって間もないこの時代、本というのは基本的にお金持ちのものだった。つまり貴族なんだけど、例えば目の前の薬学書を一冊買おうと思ったら、庶民はふた月分もの生活費を費やすほどの労力がいる。

 ちなみに、さらにその上を行くのは魔術書ね。あんなの買おうと思ったら、どれだけ働けばいいのか分からない。魔術の存在するこの世界では、だから魔術師というのは希少だった。もっとも、薬学書だって似たような希少価値はあるんだけど。

「そこまでするなら、いっそ僕が買ってあげようか?」

 美しい金髪を風にゆらし、深い緑の瞳を得意げに細めるアレクだった。まさしく物語の王子さま。確かに、彼にならそれぐらいのお金はあるだろうけど……。

「引き換えに何かよこせって言うんでしょ?」

 わたしも負けじと微笑み返した。でもアレクは乗ってこなかった。

「馬鹿だな。その遊び(・・・・)はもう、流行りは過ぎたぞ。まったく、僕は好意で言ってたっていうのに酷いやつだ」

「あらそ。別にいいわよ、こうやって借りれるから困ってないし」

 わたしは卓子のうえに両手で頬杖をついた。なんだ、あの遊びもう終わっちゃったのね。

 ひと月ほど前、なぜか王宮の友人達の間では“取り引きごっこ”というのが流行っていた。流行らせた張本人は他でもないアレクだったが、なぜかカルーもローズもここぞとばかりに乗ってきた。ひとりだけ、わたしの居候先の青年がものすごーく嫌そうな顔でそれを見ていたけど、何でだったのかしら。

 わたしはふっと息をつくと、アレクを見あげた。

「わたしが薬師になるって聞いてがっかりした?」

「いや、それが自然かなあ」

 アレクは言った。

「どう見てもフィオナには魔術師ってのは合ってないからな」

「どういう意味よ。わたし一応、才能あるって言われたんだからね」

 大魔術師からのお墨付きよ。むっとしてやると、アレクはおかしそうに笑い返す。

「だって君、天然なんだもんなあ。魔術を修めるにはちょっと抜けすぎなんだ」

 わ、悪かったわね……! べつにだから薬師になろうって思ったわけじゃないんだから。でもこれ以上反論しても彼を喜ばせるだけだと思い、わたしは話題を変えた。

「ところで何でアレクはここ最近、黒いローブなんて着こんでるの?」

「ん? ああ……」

 途端、アレクは微妙な顔になっていた。彼はリスタシアの王子だったが、今はなぜか首から足まですっぽりの黒いローブをまとっている。魔術師の制服だ。いちおう魔術師免許を持つ彼だから、おかしいとは言わないけれど。

 そして彼はわたしに言った。

「僕も取り引きに負けたんだ」

「え、誰に?」

 きょとんと目を見開いたわたしに、彼は小さく「内緒だ」とつぶやいた。



 ◆・◆・◆



 水の魔術師、ヴェイド・フロディス。

 水属性の魔術を極めた、偉大なる人物と呼ばれるその青年は、実はわたしの同居人だ。今年でめでたく三五一歳を迎えたという彼は、見た目だけはとても若々しい二十代の青年である。

 そんな彼は月の光を映したような銀色の髪の向こうで、深い水の底のような青紫の瞳を――――なぜか今、とっても鋭く細めていた。

「ちょっと、フィオナ」

「な、なにかしら……?」

 目をすがめる彼に、わたしは若干うろたえながらも、にっこりと微笑み返した。さっと背中に“うしろめたいもの”を隠すのは忘れない。そんなわたしを見ぬくように、水底の瞳はわたしの顔をじっと見る。

「さて、その背中のものを出しなさい」

「なにを言ってるのか分からないわ、ヴェイドさん」

「正直に言うなら許してやろう。なんでぼくの書斎から魔導具がひとつ消えたのかなあ、なんて、これっぽっちも、ほんの少しも、塵ほども気にしてないから」

 気にしてるじゃない!

 わたしは思わず顔をしかめた。後ろにまわした手のひらで、いまは“ふたつになってしまった”魔導具がコロコロと遊んでいる。なんでこんな小さい物が無くなったのに気付くのよ。

「い、いちおう後で言おうかなって思ってたのよ?」

「なら今言っても問題ないね」

 うっ……。

「観念しなさい、フィオレンティーナ。手のなかの物を見せなさい」

 その声に弾かれるようにわたしの手は勝手に(・・・)彼の前に差し出された。

 ちょ、ちょっとなんてことするのよ!

「ヴェイドさん、真名を呼ぶのはひきょうだわ」

 わたしは自分の意思で動かせなくなった体に、あわてふためく。だけどヴェイドさんは容赦がなかった。

「きみが子どもみたいに隠し事をするからだろう?」

「こんな風に使うだなんて、お母さんが知ったら激怒ものよ!」

「ああそうかい」

 彼は苦虫をかみつぶしたような顔で、ひょいとわたしの手のひらから、壊れた魔導具――魔石と土台に別れてしまった耳飾りを取り上げた。彼はそれをまじまじと眺めた。

「どうしたら、こんなことになるんだ?」

「だって久しぶりに屋敷に帰ったら、見ないうちにすごい荒れ方してたんだもの……」

 数日ぶりに帰宅したフロディス邸は、ぐちゃぐちゃになっていた。彼の屋敷には、彼の魔力に惹かれてきた精霊たちがそこかしこに潜んでいるのだ。好き勝手に物を動かされたせいで、せっかく少しは綺麗にしたのに、わたしはまた最初から掃除する羽目になっていた。

 まあ、その過程でふんづけちゃったという耳飾りは……不幸な事件だったわ。さすがに怒られると思ってひた隠しにしていたのだけど、案の定彼は怒ったわけで。

 ヴェイドさんは、深くため息をつく。そして、

「まったくきみは――」

 叱られる!

 と、思ったのに。

 その先はいつまでたってもやって来なかった。

「え?」

 わたしは思わず、ぎゅっと閉じた目をうっすらと開ける。そこには、怒りの言葉に口を開けたまま、言葉をうしなう魔術師がいた。

「え、ちょっとヴェイドさん?」

 まさかあなたも固まったんじゃないでしょうね。不安になって彼の顔をのぞきこむと、彼はぎろっとわたしを見おろした。青紫の瞳がわたしを射ぬく。

「……反省するんだ、いいね」

「え? ええ……」

 戸惑いがちにうなずくと、彼はさっと部屋から出て行ってしまった。わたしはその場に取り残される。

 なんなの、あれ?

 水の精霊と人間の間に生まれた半精霊――わたしの朝は、そんな魔術師の奇妙な反応で始まった。






「何だったの、あれ」

 屋敷の掃除に取り掛かりながら、わたしは思わずつぶやいた。

 今日はひとまず、食堂を綺麗にするとしよう。そう思ったのだが、今朝のヴェイドさんの反応が気になって、あまりはかどってはいなかった。

 怒鳴るかと思ったら怒鳴らない、とっても変な反応だった。

 わたしは仕事に出かけてしまった彼を思う。体調が悪そうには見えなかったし、むしろ途中まではいつもの彼だったのに、いったいどうして。わたしは少し、不安な気持ちを覚えていた。

 実を言うと、彼が変だと思ったのは今日だけではない。

 屋敷に戻ってからの、このひと月、なぜか彼の態度はよそよそしかった。以前はあんなに無駄にわたしの頭を撫でたり、触ったり、なんというか猫かわいがるようなベタベタした接し方をしてきたのに、いまの彼はどこかそっけない。

 そろそろ屋敷から出てけってこと?

 ううん、そんなはずはない。だって彼は精霊界から帰って来れなくなったわたしを、わざわざ迎えにまで来たというのに。それは彼の傍に居ていいという、静かな意思表示だと思っていた。

 でもそう思いたいのはわたしだけなのかもしれなかった。

 もしかすると、彼は半精霊のわたしが面倒くさくなったのかもしれない。一緒に暮らそうって言ったのは、ヴェイドさんだったのに。そんなのってない。

 悶々としたまま箒を握っていると、ふと玄関ホールの呼び鈴がなった。

「ヴェイド、いるー?」

 若そうな女の人の声だった。誰だろう? 聞き覚えのない声音に少しだけいぶかしむが、わたしはすぐに玄関へと走った。

「おーい開けろー! あけなさーい」

 ガタガタガタガタガタガタガタ。

 そこにたどり着くと、玄関扉がうなっていた。ちょ、ちょっと……!?

 たぶん謎の女の人が揺らしているのだろうと思ったが、わたしは思わずたじろいだ。ふ、普通の人ならこんなことしないわ。

 おそるおそる、揺れる玄関扉をすこしだけ開けると、真っ赤な瞳と視線が合った。意思の強そうな、燃えるような瞳はまっすぐにわたしを見おろしている。でもその瞳の持ち主は、ぽかんと口をあけていた。

「あ、あの……ヴェイドさんならいま、仕事にでていますけど」

 そう言うと、「おお、しゃべった」と言いながら彼女は焦ったように後ずさった。そうして彼女の全貌が明らかになる。彼女は真っ赤な瞳をしていたが、それと同じぐらい赤い髪を背に流していた。

 でも格好が変だった。

 まるでおとぎ話の登場人物のように、裾がすりきれた感じのぶあついローブを着こんでいる。よくよく見れば、彼女はとんがり帽子を手にしていた。これはまさしく、

「……魔女だわ」

 わたしのつぶやきに彼女は、はっと我に返ったのか、「あ、ごめんごめん、つい」と頭をかきながら破顔した。

「まさかヴェイドの家に、こんなかわいいお嬢ちゃんがいるとは思わなくって。我ながら思わず固まっちゃったわ」

「えっと」

 どなたです?

 明るく笑う女の人に、わたしは完全に気おされていた。

「私、リフレイアっていうの。お嬢ちゃん、なんていうの?」

「……フィオナです」

「ふーん、フィオナか。いい名前ね。……ところで、あいつは居ないって?」

「はい、夕方には帰ってくると思いますけど」

 ほうほう、とリフレイアさんはうなずいた。

「うーん、相変わらず真面目な男だわー。物好きってやつね」

 彼女は姿勢をくずして首をかしげる。

「ねえ、フィオナちゃん。とりあえず、あいつが帰ってくるまで家で待たせてもらってもいい?」

「えっと」

 勝手に人を上げてもいいのかしら。今までこのフロディス邸にはまともに人が訪ねてくることなんて無かったので、ちょっとだけ困る。

「ああ大丈夫よ。お姉さんあやしい人じゃないから」

 そ、そう言われるとあやしいけどね。

 でもわたしは結局、彼女を屋敷にあげることになった。

「じゃあ、お邪魔しまーす」

 だってこの人、堂々と勝手に入っていくんだもの。



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