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死霊術師と聖女  作者: よん


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12/27

3:3

 プラナとマルトルル(鎧)が孤児院へと向かうのを見送ったのは、まだ日が高い昼過ぎのことだった。レザインは時間を無駄にするつもりはなかった。日没後に港の西にある廃倉庫で落ち合う約束だ。それまでに、可能な限りの情報を集めなければならない。彼はすぐに人混みに紛れ、エイティの迷路のような裏通りへと足を踏み入れた。


 まずは定石通り、情報が集まりやすい場所を探る。場末の酒場や賭博場の隅で、あるいは裏路地で交わされるチンピラたちの会話に耳をそばだてる。港の利権を巡るマフィアの噂、役人の汚職、密輸品の取引……この街が悪徳に満ちていることはすぐに分かった。だが、肝心のウォーザルや孤児院に関する話題は、まるで硬い殻に守られているかのように表には出てこない。他の悪事に情報が埋もれてしまい、これでは進展が望めない。


(…ちっ、効率が悪い。時間の無駄だ)


 レザインは早々に見切りをつけ、生きている人間から情報を得ることを諦めた。彼の本領はここからだ。死霊術は彼にとって、最も効率的で確実な、お得意の情報収集手段なのだから。彼は人目を避け、埃っぽい裏路地を抜け、やがて打ち捨てられた倉庫や廃屋が立ち並ぶ、街の吹き溜まりのような一角へとたどり着いた。昼間だというのに薄暗く、淀んだ空気が漂うこの場所ならば、彼の術が誰かに見られる心配も少ないだろう。


 彼は廃屋の壁に背を預けると、腰のポーチからモノクル型の焦点具しょうてんぐを取り出し、右目に装着した。そして右腕の篭手の内側、ブレスレット型焦点具に意識を向け、魔力を静かに練り上げる。


「…語れ、声なき者ら。この地に刻まれた記憶の断片を…」


 モノクル越しの視界が歪み、周囲に漂う無数の淡い光の粒子――死者の残留思念――が現れ始めた。それはまるで、夥しい量の破損した記録データのようだった。意味を失った光のノイズが明滅する。レザインはその膨大なノイズの奔流の中から、比較的新しく、強い負の感情――「恐怖」「絶望」「無念」――を放つものを探し始めた。


(…これは港湾労働者か。マフィアに逆らって消されたらしいな。…こっちは? 商人か。取引の失敗で…違うな。もっと深い情報が必要だ…孤児院、ウォーザル、そしてあの不自然な子供たちの数の不一致に繋がる何かが…)


 彼は辛抱強く、残留思念の海を探る。まるでノイズの嵐の中から、か細い信号を拾い上げるように。 やがて、いくつかの断片的な情報が繋がり始めた。港の西側にある古い廃倉庫。夜な夜な、そこへ厳重な警備の下で何かが運び込まれていること。そこでは高価な「商品」が取引され、買い手がついたものはすぐに船でどこか遠くへ運び出されること。そして、時折、その「商品」の中に、幼い子供の姿があったという噂……。


(西倉庫…船…子供…まさか…!)


 レザインは息を呑み、さらに情報を求めて意識を集中させた。すると、彼の注意を強く引く残留思念の一群があった。それは、この廃屋周辺に、まるで澱のように溜まっていた。一つ一つは弱々しい光だが、数が多く、そして共通して強い「恐怖」と「悲しみ」、そして「温かい場所へ帰りたい」「誰かに抱きしめてほしい」「もう痛いのは嫌だ」といった切ない願いを放っていた。子供たちの残留思念だ。それも、一人や二人ではない。


 彼は、その中でも特に強く、比較的新しいと思われる一つの思念――小さな女の子のものらしい――に焦点を合わせた。流れ込んできたのは、やはり壊れた記録のように断片的な光景だった。薄暗く黴臭い地下室。檻。怯える他の子供たちの顔。品定めするような大人たちの冷たい視線。鞭の音。短い悲鳴。そして、船の甲板のような場所。隣で泣いていた友達の顔。もう二度と、あの孤児院の数少ない優しい職員さんの笑顔は見られないのだという、幼い心にも理解できた絶望的な別離の光景……。


(…これだ! 孤児院の子供たちが、あの西倉庫へ連れてこられ、“商品”として取引されている…! 間違いない、人身売買……奴隷オークションだ!)


 レザインは奥歯を強く噛み締めた。彼の胸に、死者の無念と恐怖が流れ込み、自身の感情とない交ぜになって、激しい怒りが込み上げてくる。


(…許せん! ウォーザルも、この街のマフィアも…子供たちを物のように扱い、売り飛ばすなど! そして、こんな非道を見て見ぬふりをする、この腐った世界そのものも!)


 彼の魔力が、怒りに呼応するように僅かに揺らめいた。


 だが、次の瞬間、レザインははっと我に返り、荒い息をついた。彼はモノクルを外し、額の汗を手の甲で拭う。


(…いかん、少し同調しすぎたな。死者の感情に引きずられるのは三流のやることだ。冷静にならねば…)


 死霊術は強力な手段だが、死者の負の感情に深く触れることは、術者の精神にも影響を及ぼす。師からも、常に冷静さを保てと、口を酸っぱくして言われていたことだ。彼は数回深呼吸し、乱れた思考を整えた。


 怒りは収まらない。だが、今は感傷に浸っている場合ではない。真実を暴き、可能ならば、まだ囚われている子供たちを救い出す。そのためには、情報が必要だ。そして、目の前には、そのための鍵がある。


 レザインは再び、女の子を中心とした子供たちの残留思念に意識を向けた。この女の子はオークション会場で、"味見"されそうになったところを抵抗したため、ひどく痛めつけられ、船に運ばれる前に、力尽きて捨てられたようだ。他にも、病気のために価値なしと打ち捨てられた子ども、逃走を図って溺れた子の思念もある……レザインは、今度は先ほどのような強い感情移入を避け、術師としての冷静さを持って、それらの情報と向き合った。


(…嬢ちゃんたち、あんた達の無念は理解した。だが、ただ漂っているだけでは何も変わらん。俺に力を貸せ。あの忌まわしいオークション会場へ案内しろ。それが、あんた達の無念を晴らす第一歩になるかもしれん)


 彼は、子供たちの残留思念に語りかけるように、使役の契約の呪文を紡ぎ始めた。それは、魂を縛る強制的な術ではなく、彼らの微かな意志に働きかけ、協力を得るための繊細な術式。


「俺がお前たちを導こう。だから、道を教えてくれ」


 レザインの魔力が、子供たちの残留思念を優しく包み込む。怯えていた光の粒子たちが、彼の言葉と魔力に応えるかのように、次第に彼の周囲へと集まり始めた。


 やがて、彼の前に、半透明の小さな人影が複数、ゆらりと姿を現した。中心にいるのは、記憶を読み取った女の子のゴースト。他のゴーストたちは、まだ輪郭が曖昧で、はっきりとした姿は成していないが、その全てが、強い意志を持ってレザインを見つめていた。


「…よし。案内しろ、お前たちが最後に見た、あの忌まわしい場所へ」


 レザインが命じると、女の子のゴーストが代表するようにこくりと頷き、他の子供たちのゴーストたちを従えるように、廃屋の壁をすり抜けて港の西側へとゆっくりと漂い始めた。


 レザインはその後を追った。背後には、声なき子供たちのゴーストたちが、影のように付き従っている。彼の胸には、悪事を暴く決意と、幼い魂たちを使役せざるを得ない矛盾した感情が去来していた。


 やがて日は傾き、いつしか夜のとばりが下りていた。ゴーストたちが港の西倉庫へ向かい始めたのを見て、レザインはその後を追った。


 しかし、プラナと合流してから動くのが、おそらくは安全で確実な手順だろう。


 だが、彼の思考は即座に別の方向へと向いた。強い怒りと、真実への抑えきれない好奇心、そして目の前のゴーストたちの無念に応えねばという使命感が、彼の背中を強く押していた。


 その決断が、先ほどまで触れていた死者たちの強烈な感情――恐怖、悲しみ、怒り、絶望――の残響によって、微妙に歪められていた可能性に、レザイン自身は気づいていなかったのかもしれない。合理的な判断よりも、高ぶる感情と衝動が優先され、案内役である女の子のゴーストを、彼女にとって最も辛い記憶が刻まれたであろう因縁の場所へと導くことが、彼女たちに新たな痛みをもたらすかもしれない危険性を深く顧みる余裕も、今の彼にはなかったのだろう。


「行くぞ!」


 彼は、自分自身を奮い立たせるように短く言うと、ゴーストたちの後を追って歩き出した。その足取りは速く、どこか前のめりで、冷静さとは程遠い衝動的な熱を帯びていた。彼は夜の闇に紛れ、特定した港の西倉庫――地獄への入り口――へと、プラナとの約束を頭の片隅に追いやりながら、突き進んでいった。


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