第28話 十字の瞳は見ている
音が聞こえる
靴の鳴る音が、獣の足音が
音が聞こえる
怒り震える音が、泣き叫ぶ音が、憎しみに歯をぎりぎりと噛み締める音が、火に包まれる音が、血と肉と骨の焼ける音が、食い殺される音が、人が事切れ死ぬ音が。
魔女蔓延り魔法使い跋扈する世界の中で、人間の、彼らのあるいは彼女らの、
音が聞こえた。
その中を少女は歩む、歩みながら思い出していた。
白髪を二つに結び左右非対称な黒布の目隠しをした少女、禍根鳥憂喜を彼女らしい野太い声を、思い出していた。
『貴様に対する命令はただ一つだ。想像と違うだろうが、ぜひとも従って欲しい、その命令とは。ただ聞き見ることだ。ただ世界を感じていなさい。』
その言葉を思い出していた。
泣き声が腕の中から聞こえる。
「おい、おいおい、この子泣いちゃってるじゃねーか!ちょっと待ってろ今、泣き止ませるからな!!」
その声を少女は、19号は聞いていた。
見てもいたとも思う。
目を開いていたのだその声に
穴の空いた空の中、晴れ渡った空の中、
腕の中の赤子、赤紐の赤子を
ただじっと見つめながら横で赤子をあやすバフォメット、プネウマを目の端に捉えながら
腕をゆすゆすとすれば
プネウマの「あやし」が聞いたのか、19号の「揺らし」が聞いたのか赤紐の赤子が笑った。
その花が咲いたような笑みにしかし19号は笑わない、表情の一つすら変えはしなかった。
なにせ19号に下された命令は「見て聞く」ことであり「笑うこと」ではないのだ。
名前すら持たない彼女にとって、剥奪された彼女にとって
命令とは絶対、命令とは命そのものの価値を持つものだったのだ。
例え体を、命自体を捧げることであっても、19号は寸分の躊躇いもしないだろう。
それ程の覚悟もまた、彼女の中にはあった。
そんな彼女を知っているのか知らないのかプネウマは赤紐の赤子に突きっきりであやしている最中であった。
そしてそれを見つめる者もまたいたのだ、
それは住民である。
魔女でもなく魔法使いでもない、ただの人間の住民。
所謂「紛れ人」であった。
彼らは今、見ていた。
憎らしい者を見る様な目で、悍まし気に唇をいびつに歪めながら
怒りと憎悪、微かな嫉妬と羨望をない交ぜにした表情をしながら、顔をしながら、見ていた。
「紛れ人」とは偶然鏡の世界に引き込まれた者の事である。
魔女の血に見初められることもなく、行く当てもない彼らはある場所に「自治区」を築き狭い世界の中で暮らしていた。
貴族と呼ばれる者達のみ入ることの許されるこの「自治区」は多くの者が闇を瞳に宿しながらそれでも希望をもって生きてきた。
体を売る者、日雇い労働で食い繋ぐ者、魔女を襲い、その身ぐるみを剥いで彼女らの杖と服そして「花」、そして魔女達そのものを売る者の蔓延るこの場所は多くの魔女やひいては魔法使いからでさえ忌避され、敬遠されてきた、忌まわしい場所だった。
魔女の代理の権威すら届かないこの場所にはけれど多くの手練れがいたのだ。
少なくとも魔女の代理に匹敵すると言われる程の戦力を築きあげていた「自警団」。それを抱えるこの場所はしかし、滅ぼされた。
色欲の魔女の代理
禍根鳥憂喜ただ一人に
多くの者が武器を取った。
赤子の笑い声が町をどころか「自治区」を包んだその時から
空が再び晴れ渡ったその時から
手を取り合い、犬猿の仲の者でさえお互いに矛を収め、新な敵に剣を向けたのだ。
けれどもこの有様である。
この街は滅ぼされた、ただの一発の魔法でもない「魔術」によって、
程度の低い魔法、それ程の神秘のみによってこの街は滅ばされたのだ。
この街は栄えていた。
どれだけ腐り果てていようと
どれだけ非行や暴行が横行していようと。
そこには「生活」があり「日常」があったのだ
しかし、力は力に捻じ伏せられるのだ、より強い力に。
・・・・・焼き尽くされた街を我がもの顔で歩く魔物と魔女を彼らは受け入れるしかなかった。
その大群を多くの者が見逃さざるを得なかったのだ
弱肉強食こそが、他ならないこの街のルールだったのだから。
それを元に栄え、それを元に罪を重ねたのだから、
・・・最も抵抗する力すら失われた今でも彼らは睨み続けていた、敵を、魔物と魔女を、そして他ならない赤紐の赤子そして19号とシアを、他ならない禍根鳥を
それをただ聞き見つめる19号の十字の瞳孔は動揺に同情にも揺れず、ただじっと見つめていたのだ
地獄を
■
「色欲の魔女の代理、禍根鳥憂喜の魔術によって「自治区」が陥落しました!!」
「・・・・・・」
それを受け取るのは、六人の魔女の代理、そして百名以上の議員を抱える国際議連だった。
彼らは今、居た。
遺灰城の地下、そこに在る会議室に、
その報告に、多くの者が押し黙る。
魔女の代理
彼らは知っていた、
それが一つの町を滅ぼし得ることを
それが一つの国をも転覆し得ることを
・・しかし
「ここまでとは。」
国際議連の一人、彼のある言葉に又しても沈黙が支配する。
そうそれこそがこの場にいる者ほぼ全ての総意であった。
魔女の代理はここ100年、戦いの機会を得ていなかった。
得たとしても彼らの主たる戦場は、フェイラー戦線は遺灰城や七罪都市などの都市国家の「外」である為に衆人は彼らの実力を噂でしか知らなかったのだ。
それは当然、国際議連のような世界最大の権力機関に所属する「議員」であっても同じであった。
だからこそ、この沈黙である。
多くの者が期待し、多くの者が願った彼らの活躍は、そして他ならない実力の証明は、
こうして成されたのだ、一つの街の滅びとして
彼らは予想も想像も超えた世界を目の当たりにして、ただ言葉を失ったのだ。禍根鳥を『処刑対象』にという言葉すら浮かばずに
明日への希望を失う程
けれどこの場で動じない者達がいた。
「落ち着け、この場には世達がおろう。」
そう魔女の代理である。
大罪の魔女の代行である彼らとてこの「業」には既に届いているのだ。
千年をも超える彼らの魔女の血は告げていた。
「この戦い勝つぞ!!勝って裏切り者を、禍根鳥憂喜の首を城前に晒すのだ!!!」
そう勝利を
けれど現実はそう上手くはいかない。
人々はどうしても疑ってしまうものなのだ。
「何故、ここまでの力を前にそう言えるのですか。」
そう人の力を人はある種、疑わなければ生きていけないのだろうと言ったのは誰だったか
人が何を信じ、何を疑うかは人々の自由であり、それを無体に変えようとするのではなくそのまま「受け入れるべきだ」と言ったのは誰だったか
ともかく人は人を早々信じられないのだ、「貴方が彼女を処刑対象から外させようとしていたのでは?」
という言葉と共にだからこその言葉に彼は、「傲慢の魔女の代理」、明星葵はこう言ったのだ。
「無論私とて奴を助けたい。
だが、いいやだからこそなのだ!
恐れても良い、目を覆っても良い、だが逃げてはならぬ!逃げてはならぬのだ!!
なにせそれは多くの者の死のみならず己の「死」を意味するのだから。
死、これは肉体の死のみならず精神の引いては魂の「死」をも意味する。
死にたくなければ、足を向けろ!死にたくなければ耳を塞ぐな!!それが!それこそが「死」を退ける手段である!!!」
「故に我らは奴を殺すのだ!!例え思い移ろおうと、「旧知の者」を『処刑対象』として手に掛ける事になろうとも!!!」
「”人類の平和の為に”!!!!」
その言葉に、多くのものが顔を上げた。
目を見開く者、
耳から手を離す者、
そして心を奮い立たせる者、
その気が、「勇気」がそれがバっと広がり慈しみのようにそして他ならない希望のように包み込んだ。
「そうだ、そうだよ!「俺達がやるんだ「ワタシ達が!!」
多くなる声に、大きくなる望みに人々が顔を上げる。
そうそこには在った
「素晴らしいぞ、貴様ら。」
望みと願いそのものが、希望そのものが。
それを以て彼らは言葉にした。
「彼らに立ち向かいます!!手を、手を貸してください!!!」
未来への言葉を、明日への「道」を切りひらく為に
・・それがそれこそが・・・更なる地獄の「道」とも知らずに
・・・十字の瞳孔が闇の中またきらりと煌めいた
そしてシア達同様に色欲の魔女の代理は罷免、『処刑対象』と成った。