第20話 心無きもの
なり損ないには感情が無い
より正確にいうならば人間的な感情表現が出来ない
弱い感情、苛立ち、感心、平穏、容認、不安、放心、哀愁、退屈
強い感情、憤怒、警戒、恍惚、敬愛、恐怖、驚嘆、悲嘆、嫌悪・・・などからなる24の純粋感情
そして派生する28の混合感情、52のそれらの感情を彼らは知らないのだ、いいや正確には忘れている。ただ一つの願いを抱き燃やし続けるが故に、ただ記憶と精神、魂の何もかもを燃料として焼べるが故に。一つの事にその魂を浪費し消費するが故に
プルチックの感情の輪というもので表せるそれらの感情が彼女らには無いのだ
正確に期すなら表現できない、表出出来ず、表面化出来ない
ただ一つの感情を除いて、ただ一つの望みを除いて
唯、偏っているのだ。感情の一極化が起こるっているのである。
冷淡に、極端に
そう単純に、その性質が故に
故に普段の表情はプルチックの感情の輪の三次元感情色彩立体モデル、その底辺、真っ白な感情、あらゆる感情の薄まった、快となるのだ。
「その笑みだろう。なり損ない。」
「・・・・・何の話?私今とっても痛いんだけれど、痛んで痛んでしょうがないんだけれど。貴方の腕で体を引き裂かれて、痛むんだけれど、とても。」
「なり損ないに痛みなどありはしない、少なくとも肉体的な痛みはな。」
「・・・・・・」
「どうした、図星だったか。それとも・・・・・」
「怒った、のか。」
しかし、シアは違う、「少女」は違うと考える禍根鳥である
確かになり損ないに痛みは無い、少なとも肉体的な痛みは
故に「命令撤回」で造り出した魔力だけでは意味がないのだ
けれど感情が無いわけではないのだ、少なくとも感情の表現が彼女には、出来る。
そう赤紐の赤子を片手で抱きかかえながらあやしつつも、考える禍根鳥である。
血に濡れた片腕を添えずに、なり損ないから引き、抜いた片腕を添えずに考える、禍根鳥である。
何故か?
「貴様、なり損ないの振りをしているな?」
少女の目蓋が、見開かれた、血はだらだらと流れる、今も。
■
なり損ないとは異形である。
白い異形、化け物、怪物、なり損ない、竜、そして・・悪魔。
これらの名で呼ばれるそれは大方が異形であるのだ
竜の形をした、悪魔の色をした
個体差はあるものの多くの者がその形に収まる
その魂の形故に、
「・・・・・・・」
なり損ないを見つめる。
否少女を見つめる
黒い髪に蒼い目
蒼いラインの入った黒地の制服を着た少女のその瞳は
沈みかけの上弦の月のようなその瞳は、見開かれていた
驚きに、
ただただ発せられていたのだ、感情として、賞賛でも、侮蔑でもなく、ただの素直な驚嘆として
けれどそれは、スッと消えた。
それはあまりにも人間らしく、そしてあまりにも人間の黒さだった。
髪も、服も、精神も
悪魔の白さなどありはしないのだ、どこにも。
傷口が治る、治されてゆく。
肉が盛り上がり魔素が臓腑を結ぶ代謝が促進され、でた煙の中で行われたそれはそれは魔女の自己修復とあまりに酷似していた
煙が掻き消え
瞼が開く、赤い瞳に。
目がスッと細まれば
何かが視界を埋めつくし辺りを覆いつくした
■
黒、ただ黒のみが映る
その世界にはただ二人が「在った」。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
なり損ないと化け物が
二つ結びの白靡く中、黒の腹の中、暗闇の中、化け物が言葉を紡ぐ。
「思えば、貴様は変だった。何故あれほどの暴走を引き起こしていながら、あそこまで肉体に負荷、負担が掛かっていなかったのか。」
「何故、予言との差異があまりにも無かったのか。」
「何故友をその手に掛けたことを覚えていないのか。」
「・・・・・・・・・・」
「それは」と口に仕掛けて禍根鳥は瞬時に口を閉じる。
いいや閉じざるを得なかった
黒、ただ黒が続く暗闇の中、禍根鳥は縛られていた。
腕、足首、腿、胴、首そして顔
唇を覆われてしまえば喋れはしない、それはどの魔女とて同じである。
きっとあの「暴食」でさえも、故に意識を集中する必要はないと考えた禍根鳥であった。
これ以上無駄な魔力を使う必要はないのだ。この黒々とした空間の中、次の予言の関係上魔力を消耗したくない禍根鳥である。
赤紐の赤子はこの場にいない、禍根鳥が既に音もなく別の空間に転移させている。
バフォメットも既に火葬を終えていることを確認している禍根鳥であった。既に次の予言の為待機中である。それだけの時間が経っていたのだ。あるいはここと外の空間は流れる時間あまりにも違い過ぎるのかも知れない、だがそれもどうでもいい禍根鳥である。
故に何の心配もない禍根鳥はこの場で魔力を消耗しないことを選んだ。
自身の経験故にこれ以上魔力を使うことを恐れたのだ
そのデメリット故に。
経験則から来る判断に間違いなどある筈が無かった。
けれど禍根鳥は意識を集中することになる、それ以外の事に。彼女の「事」に
首輪が、枷が、鎖が消えていく
足と手、首についていた枷はそれぞれが純度百パーセントの銀であり「魔鉱」である。
銀であり「魔鉱」、純物質であり混合物
その矛盾した性質は果たして生み出したのだ。
新たな「魔鉱」、聖銀を
それは霊子から成る物質であり、魔鉱と銀の混合物質であり純物質である。
銀の上位互換とも称されるそれらはその生成の難易度故かかような特性を持っているのだ
ただの銀よりも汎用性があり、ただの銀よりも堅牢、そしてただの銀よりも神聖であるという単純かつ合理的な性質が
しかし「救済」の意味を持つその鉱石は消えた。
解けるように
存在を否定されるように
やはり、やはりそうだったのだ
そう心の中で独り言ちる禍根鳥である
「模倣」
それが彼女の能力である
それは想像したものを創造する能力である
「想像」
相手をよく見てその通りの能力を構築し、
「創造」
構築したイメージ通りに魔力を変化、変換し疑似的な「魔法」を生み出す
能力の創造に等しいその能力は予言の魔女の特異性の一端であり基礎能力の一つである
しかし、禍根鳥はこうも考えた。
今はそれを考えるべきではない、と
いま見るべきは、鎖と「枷」について
唐突だが黒それは影で出来ている
三島最高裁判所長官と鏡月最高裁判所長官、両名の前で見せた暴走。
その時に見せつけられた影そのものであった。それは影に残る微弱の霊子を繋げ編み一つの「腕」として成した、「影遊び」という技法であった。
魔女のごく一部にしか扱えない高等技術である
果たしてそれぞれの関節そして要所と急所を外さず捉えたその束縛は、歴戦の猛者である禍根鳥をして賞賛せざるを得なかった。同時に「医学の道を進むつもりだったのだろうか」などという益体の無い想像をしてしまう程でもある。それ程の適切な締め付け具合。
つまりは縛られている者の人としての最低限の尊厳と判断力を超えない適切な「縛り」であったのだ。
しかしこれは同時にこれは脅しでもある。
「これ以上言葉を吐けば『それ』すら失わせるぞ」という、明確にして強固なそれであったのだ。
かつてなり損ないを束縛していたそれら同様の悪辣かつ苛烈な鎖と「枷」そのものだったのだ、影で出来ただけの、命を縛り奪い取る為の。
しかしそれらは・・・・・
『私には通じない。』
「・・・・・・・・」
手腕が迫る。
それは束であり波であり、力であり、魂である
なり損ないの頭に直接問いかけつつ禍根鳥は「支配」する。
禍根鳥に従う、「赤子」達その『念』を
バフォメットの姿は果たしてそこにあった。
その特徴的な山羊頭と女性的な体つきはそこにいる者、全てが彼を彼だと認識することが可能であろう。
それだけの「分かりやすさ」だった。それだけの「変わらなさ」だったのだ。
死体を焼いてなお、契約を破った者の死を見届けてなお
彼女の意思に従う意思を持つ亡霊を、彼女の命を狙うそれらは今、「支配」されているが故に、開いた。禍根鳥とバフォメットの元で、少女達の元で
華として、手腕は花弁としてその役割を果たさんと蠢きその青白い肌の印象通りにその場に寒気を齎すことだろう。
「・・・・・・・」
しかし、なり損ないには動揺はない
ただ見下すような、見下ろすような静かな目を向けるだけである。
空に浮かびながら、黒そのものの空でその黒髪を耳に掛けながら
聖銀が霊子に変える様を目に映さずに
彼女は彼女をプネウマを見下ろす
『『開け、門よ。』』
左右非対称目隠しの女、その二つ結びの白髪が靡き、音が止んだ。
青白い手が視界を覆いつくし、プネウマの姿が消えれば
どろりとした気配がシアを、空間を、黒を包む。
ビキっという音のあと
世界が割れた、細長い手腕によって
■
魔女の代理、その力は絶大である
どうして、何故強いのかその答えは単純である。
魔女の血を介して力を受け継いできた者
あるいは本当の天賦の才を持つ者
あるいはその両者
それらが殆どであり全てであるからだ。
どんな強さにも理由があるのだ。
唯の努力か唯の才能か、唯の怪物か種類が別れようとも
七つの都市国家それぞれ統べ、単独での国家転覆を可能とする数少ない魔女達は、大罪の魔女の代行は
それらの中でも魔女に選ばれた魔女、数少ない怪物達、そのものであった。
「詰みだ。少女」
「・・・・・・・」
その化け物が今、切っ先を向けている。
ブロックノイズの形をした剣、剣の形をしたブロックノイズ
虹の七色から成るその剣の切っ先、穴の空いた晴れ模様の下。
その先に居るのはなり損ない、シア
黒い髪に赤い、赤い沈みかけの月のような瞳、それらを持つ美貌の少女、
その黒地の服には赤いラインが奔っている、しかしその先、肩には
「・・・・・・・・」
赤い、赤い染みがあった
魔女の血は不滅である。
熱しようとも、焼こうとも、燃やそうとも、冷やそうとも、凍らせようとも壊れはしないし滅ぼせはしない。
魔女の祝福と呪い故に
赤紐の赤子の先達には無いそれ故に。だからこそ魔女は不老なのであり不滅なのである。
「影無くせたんですね、何かの技術の応用ですか?プネウマも消えちゃって、もしかして取り込んじゃったんですか?私が未知数だから。」
「さあな、それを話す義務が少女にあるか。」
「確かに、無いですね。貴方がなにも命令せずとも魔法を使えるのと同じですから。」
しかし目の前の少女は別である。
なり損ないであるからではない。
なり損ないとて死はある、ならば何故か。
「貴様、人間だな。」
再びなり損ないの瞳が見開かれた。けれどそこに先ほど程の吃驚はない、驚嘆は無い。
少女達を取り込んだのは念のためであったが予想と予定通り、警戒しておいてよかったと感じる禍根鳥である。
なにせそれはなり損ないにとって予想通りである。
何せ
「知ってるでしょ。私が魔法を使えないこと、まだトイレに行く必要があること、人間を捨て切れていないこと、そしてただの「特性」しか持たないこと。」
「・・・・・・・・」
そうだ、その通りなのだ。
彼女は使えない、彼女自身の魔術も、魔法も。
彼女が用いるのは基礎技能だけ、それだけなのだ
「模倣」という特性だけなのだ。
・・・ところでなり損ないには排泄をする必要が無い。
正確には排泄の機能が無い、何かを食えば全て魔素に変えるが故に何かを飲めば魔力に全て変えられる故に、排泄自体の必要が無いのだ。人間では無いが故に、人間を超えているが故に。
故にこその気付きである。
禍根鳥にはあの時、トイレについて聞いたあの時から答えは分かっていたのだ。
彼女がニンゲンであることが、彼女がヒトをやめられていない事が、
しかし、
「違う。」
首先にブロックノイズによって形作られた剣、その切っ先が向けられる。
七色からなるその剣にシアは目を細めた
魔女の代理その力は比類するものは数少ないのだ。
先の細く白い長い腕達、それらによって空間を開いたのもその力の証明であり一種である。
ノイズで出来た剣など、魔女の代理としての特性の一つ、
「魔素と魔力の特異性」と「命令撤回」、この二つの副産物でもあったのだ。
それに気づくことが出来るのはごく一部であり、目覚めるものこそ更に少ない。今目覚めている者と言えば七人の魔女の代理の中で「暴食」のベルゼブブと「嫉妬」のレヴィアタンのみであった。
ただ一人禍根鳥憂喜を除いて
時に戦局を左右するその力は目覚め方が限られている、しかし最もわかり易い例が一つ、ある。
自覚することなのだ。
故にこう言った
「貴様は気付いていないのだ、自身の「力」というモノに。」
■
「何言ってんの?貴方?」
「貴様こそ何を言っている。私の「影遊び」を模倣して自我の一端を投影したお前が。」
何を言っている。それはシアの言葉である。
能力の模倣、それはいい。能力名は知らないが「魔法」の一端であることは大体わかるからだ、ニュアンスで。
「影遊び」とやらを模倣できたのがその証拠であろう。
けれど自我の一部、自我の一部とは
「何のこと?本当にわかんないんだけど、ですけど。」
「わざとらしい口調はやめろ、少女。」
そう言葉にした彼女は白髪二つ結びの左右非対称の目隠しをした魔女にして魔女の代理、禍根鳥憂喜である。
「そんなこと言われても、さ。私に「力」があるなんて、信じられないよ。だってただの特性だよ。特技みたいなもんだよ?魔法が使えるのは。」
「つまりだな、魔女。」
「・・・・・っ何。」
黙ってしまったのは何故なのか、当然剣が向けられたからではない。
七色に光っているとは言え剣に対して恐れを抱いた訳ではないのだ。
自覚したからこそ恐ろしくなった・・・・という訳ではないのだ。
剣や銃、鎌を向けられる恐怖含め、死の恐怖などなり損ない化の後に克服している。
であれば何か、単純な驚きである。
剣が向けられた今、その程度では驚きもせず切っ先が喉笛に向けられている今も驚かない。
そんな彼女が驚いたもの、それは。
「なんで、そんなに怒ってるの。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
禍根鳥の表情であった。
嘆きに表情が歪んでいた訳では無い、怒りに感情が、顔が、目隠しの奥の瞳が沸騰していた訳でもない。
ただ凪いでいたのだ、表情も感情も、何もかも。
魔力の回復が既にある程度まで達していた彼女には、シアには分かっていた。
それが怒りだと
「もしかして、気の障ること言っちゃった~?あ、ごめん嘘、ふざけ過ぎた。心読むね。」
「・・・・・・・」
意識する。
感情の起伏を無意識を読んですら分からない彼女に、解らない彼女に
意識する。意識して心の声を読み取る、、、、、、、結果は
「嘘、なんで何も考えてないの。」
ただの沈黙であった。
肩に奔る痛みの中、光がまた再び強く差し込んだ