83. もう一人の最強
◇◇◇
約半年後。
学祭も間近に迫る秋。
大阪府下の某スポーツ施設の武道場に於いて、白いテコンドー着に赤帯を締めた和希は、目の前の一人の男と打ち合っていた。
相手の男は、裾が黒く縁取られた有段者用道着に、二段という段位と名前が入った黒帯を締め。
その打撃は速く、そして重い。
跳び斬り結ぶ手足。
火花が散りそうに鋭い音が、その空間に響く。
相手の蹴りを受けた瞬間、和希の体はくるりと後ろを向く。
これでもかと高く跳んだ跳び上段後ろ回し蹴りは、そのまま見事に相手の側頭部をとらえるはずであった。
しかし、白刃のごときそのかかとは、空を切る。
「―――――――――!!」
安定した着地をした和希の、こめかみぴったりに突きつけられたのは、恐ろしく正確な上段横蹴りのかかとだった。
その軌道もピタリと止められた最終形も、日本刀のごとき凄みを持ちながらも芸術品のように美しく、周囲の一同から、思わず感嘆のため息が漏れたほどだ。
…………毎回、食らう方は、この寸止めの距離感が狂わないか、生きた心地がしないのだが。
この美しき蹴りは、ほんのわずか角度が調整されていなければ和希の顔の中央を見事粉砕したであろうから。
そしてこのあと、和希が同じことを繰り返さねばいけないのだが。それも、誤魔化しなく、きっちりと当てられる距離感で。
この、無駄に手数も多ければハードルもクソ高い攻防を、嬉々として(和希の意見を無視して)組みたてたのは目の前の男である。
調子にのったそのイケメン面に、間違えたふりしてかかと落としぶちこんでやろうか。
やったら普通に間違いとして減点だろうけど。
そしてコイツはどうせ避けるだろうけど。
コイツ。すなわち、牧ノ瀬覇華のごときステップを使いこなし、和希と本山との闘いをお膳立てし、月の夜に和希と語った男。
そしてかつて、高校生の和希と闘った少年。トオル。
その黒帯には、金色の糸で彼の名が記されている。
『牧ノ瀬 刀流』と。
この彼こそが、姉も奪い取れなかった世界選手権組手準優勝の栄冠に輝き、いまや日本の競技格闘技界最強の男の一人と言われる、牧ノ瀬覇華の弟だ。
和希は軽く唾を飲み込み、その猛者に、間合いを精密に確認しながら向き直る。
会場に入ることを許されず、廊下から覗いている眼鏡の後輩の顔が視界の端に一瞬入り。
攻守を替えて、和希たちは、つい先程と同じ、冷徹で熱い攻防を展開した。
半自由約束組手。
昇段科目のひとつだ。
スパーリングではなく、一定のルール内で攻防をあらかじめ決め、2者が攻守替えて突き蹴りと受け等を決めた通りに再現する。
ここは昇段試験の審査会場。
試験官と衆人が見守るなか、素手素足は良いとして、決められた攻防を寸分狂いなくやってみせなければならない。
しかも、和希の得意なスライドによる足元の調整もできず、最初から正しく『当たる距離感で突き、蹴る』ことが必要になる。
昇段試験の内容は多岐にわたる。
型、約束組手、半自由組手、護身術、
パワーブレイキング、自由組手……など。
このうち、約束組手、半自由組手、護身術については、2人一組で攻防交代しながら審査員の審査を受ける。
それゆえ、昇段試験を受ける上での、最初にして非常に大きな関門は、試験を受けるパートナーを見つけることだった。
学校のクラスや中高の部活とは意味が違う。
道場の人間関係の中で、同じタイミングで試験を受ける赤帯か、あるいは既に昇段済み黒帯の中から、一緒に試験を受けてくれる相手を見つけなければならない。
後者の場合、自分の昇段試験でもないのに、無償で長い練習時間にも付き合ってくれと、目上の人間に頼むことになる。
それは、そもそも和希にとっても苦手なことではあり。
相手にお互い様、と、思ってもらうにも、それなりの信頼関係が必要とも思える。
これまでほとんど道場から離れていた人間が、昇段試験を受けますからと都合よく頼めるかというと、難しいと思われた。
道場に戻ったとしても、しばらくは人間関係の再構築に力を注がねばならない。
また、昇段試験の科目も多岐にわたり難しい。
半自由組手などは、作る時間だけでなく練習のなかで調整し変えるといったことも必要になってくる。
それを考慮すると、昇段試験を受けるとしても1、2年は先だろうと考えていた。
…………和希のパートナーになると名乗り出る男が現れるまでは。




