81. 君がいて良かった。
「ああ。それは、ふたつのことを考え合わせて判断した。
ひとつは、この間覇華さんが練習に来た日以来私はサークルの練習に行っていないんだけど、その間、君も一度も行っていないよね。一番乗りで入部を決めて、土曜日の練習にも積極的に参加していたような君が」
「…………そうですね。言われてみれば」
後輩の手が、四尺棒のケースをぎゅっと握る。
「それだけだったら、私を心配してかなとも思えるけど、それでも、サークルにちょっと顔を出してきたいとか言い出しもしないのは不自然だ。
加えて、もうひとつ。私は私で、新橋さんから今井くんの面倒を見るようにと言われていたから、一応練習のつど、一回を除いて新橋さんに欠席連絡をしていた。
だけどその際、新橋さんからは一言も、次は来れるのかという確認も、今井くんが最近ずっと来ていないけど何か知らないかと尋ねられたこともなかった。
私は欠席についてしか伝えていない。だから、今井くんが私とずっと一緒にいるということを、新橋さんは知らないはずなのに」
「欠席連絡ができなかった一回、っていうのは、もしかして」
「家を襲撃されて、君の部屋に転がり込ませてもらった翌日。電波を辿られるのが恐かったから、ずっと電源を切っていた、けど、特に新橋さんからの連絡はなく。
じゃあ、誰が新橋さんに連絡をしたかと考えると、君以外いない」
「そうですね。俺が先に欠席連絡をしてしまっていました。三条さんも来られない、と」
「襲われたとか、今井くんの家に来たとか、そういう話はしなかったんだね」
「えっと、襲われたことを伝えてサークルに動揺が走ったり、噂が広まったら、どこからどう犯人たちに伝わるかわからないから恐いなと思いまして。家の件は、味方とはいえ、居場所の情報を流してしまったら、そのあと、誰かが言葉巧みに聞き出すかもしれませんから」
感心するほど冷静な判断である。そして正しい。
そこで慶史が新橋に真面目に逐一報告をしていたら、和希が今日まで無事でいたか、わからない。相手が慶史で、本当にありがたかった。
「ただ、ずっと、いくら考えてもわからなかったのは、君と新橋さんの間には、入学式まで接点はないはずなんだよね。もちろん、君と私との間にもない。
それが、どうして、私の監視を引き受けるような関係性になったのか、そして、どうして君は引き受けたのか」
「あ、それは。。。。」
慶史の顔が、微妙に歪んだ。
なんだ?と一瞬思ったら、すみません、といきなり頭を下げられた。なんのすみませんなのかわからない。
「あの、接点がない、ということもないんですよ、実は……」
「ん? うーん……」
和希は自分のことを思い返す。
大学に来たのは、入試の前日、場所を下見に来たのが最初。
次に、入試1日目、入試2日目。
いずれもサークルの勧誘のビラを撒いている人間はいたが、正直精神的余裕がなくてそんなものを受け取ったりはできなかった。
そしてその次は、家で合格発表を見て(Webで)合格を知り、高校の担任に報告の後………。
「あっ…………」
思わず声が漏れた。
「そうだ。大学来たとき、あったわ。合格発表2日後の、入学手続きの日」
「ああ、やっぱり三条さんもそうですよね?
その時、うちの両親に加えて、妹もついてきてたんです。半分、京都旅行感覚の泊まりがけで」
「それって、覇華さんのファンで追っかけてるっていう格闘技好きの妹……。
えっと、、、まさか?」
「…………その頃、妹はネットの格闘技選手に関する書き込みを追いかけまくってまして。
テコンドーの駒原和希選手が入った大学とか、名前が変わったとか、どうやらテコンドーサークルにはいないらしいとか。
あちこちの掲示板やSNSの情報を発掘して調べているうちに、独力で、所属サークルを特定してしまった…………というのを、後から聞きました」
「………………」和希は頭を抱えた。
妹は確か慶史の3つ下。当時中学生になるのか。おそらく悪気はなく、彼女のなかでは、有名人なのだから有名税だぐらいに思ったのかもしれない。しかし。
しかし、だ。和希にとって、これほどたちの悪いものはない。
それがまさか、今井慶史の妹までそうだなんて。
「……まさか、妹が、会いに行こうって言い出した…?」
後輩が思わず曖昧な笑みを浮かべ、その口元がひくっと動いた。図星らしい。
「入学手続きと住む部屋を選んだ翌日、親と別行動になったとき。
妹が、ちょうどよさそうなサークルの練習日だから是非行こうって言って、そのまま練習場所まで連れていかれたんです。
先にサークルのSNSアカウントを見つけていて、練習日時と場所を確認していたらしくてですね」
「。。。。。。うわぁ」
ファンだろうがなんだろうが、マジで心からやめてほしい最悪な手である。和希がいあわせていたら、女だろうとぶっ飛ばしていた可能性がある。
ただ、幸運なのは、時期が時期だったことか。
「大学の春休み中だから、練習っていっても自主練だし、ほとんど人いなかっただろ。
多分日比谷さんと新橋さん、あと帰省してない奴が1人か2人ぐらい? で、妹さん、私がいるサークルなのかを聞いたの?」
こくっ、と、慶史がうなずいた。
「そこで俺も気づいて、あわててそのまま、妹を引きずって宿まで帰ったんですけど。
そのあと、SNSに上がっていた新歓用の電話番号に、お詫びのお電話をしたとき、新橋さんが出られまして」
「そのまま、新橋さんからスカウトされた、ってわけか」
「……恥ずかしながら」
「なんでそれ、受けたの?」
「新橋さんがおっしゃるに『競技者として華々しいキャリアを持つにも関わらず変なファンどもに粘着されて精神的に荒れて喧嘩続きになっててこのままじゃ不祥事になって将来を棒に振ってしまうから、どうか彼女が持ち直すために後輩として面倒見られてくれないか』とのことで、そう言われると、もううちの妹が本当にすみませんとしか」
「あー…………」
和希としては、もううちの副部長が本当にすみませんとしか。
いや、周囲に心配をかけどおした和希自身のせいでしかないか。
「いや、もう、今井くんには謝るしかないけど、謝りきれなくて笑いそうだわ」
「えっ!? そ、その、ではなくて、俺の方が、その……色々隠したままでいて、それと監視みたいなことをしていて、本当にすみませんでした」
「そこで、後からでもちゃんと告白しようってあたりが、今井くんは真面目だし腹が座ってるよな。尊敬する」
くくっ、と和希は本当に笑う。
どんな選択を和希自身がしていようと、多分この今井慶史がいなければ、和希は今頃無事ではなかっただろう。
縁とは本当に不思議なものである。
そして、人生って面白いのかもと、ほんのちょっとだけど、思ってしまった。
そうだ。今井慶史は充分教えてくれたじゃないか。寄り添う優しさで、大きすぎるおにぎりで、その存在で、生きることの喜びを。生きていて良かったという思いを。
三条和希の人生には、ずっと消えない影がまとわりついてるかもしれないけど、それでも、一瞬一瞬の喜びは確実にあるんだ。それを教えてくれる人が、自分のそばにはいるんだ。
「今井くんがこの世に存在することに感謝する」
思わず口をついて出た言葉がものすごく大仰で、慶史も思わず「…はい? あの」とずいぶん怪訝そうな顔をした。そりゃそうだ。だけど和希としてはこのまま、生きててよかったと続けたいほどなのだ。さすがにそう続けたら後輩はもっと困るだろうから、やめとくけど。
かわりに、じゃないけど、他にも言いたい言葉がある。
「ありがとう」
何回でも、この言葉を言いたいと和希は思った。
「本当に、ありがとう、今井くん」
◇◇◇




