6. 後輩観察中
◇◇◇
旗が上がった瞬間。
ジャージ姿の二人の男子が走り出した。
1人は今井慶史。
もう1人は今日初めて見学にきた新入生。
サークルの今日の練習は、グラウンドをつかっての短距離走だった。
和希の同期の2回生男子が、途中、ビデオカメラで走る2人を撮影している。
このあと走るフォームを自分で確認するためのものだ。
新入生2人とも、出身高校のジャージで全力で大地を蹴っている。
しかし見学者が圧倒的な速さで走りぬく一方、慶史は奮闘するも力がはいりすぎたフォームで引き離されていく。
「三条の方がだいぶ速いね」
新橋が余計なことを言うのにイラっとして、和希は地面から聞こえよがしに舌を打ってみた。
人の身体能力の高さを誰かをディスるのに使うものではないし、言われてほめられた気もしない、という意思表示。
なぜ地面の上かというと、和希は前後180度開脚ストレッチ中だったからだ。
足をぺたりと地面につけて丁寧に伸ばす。しかしそれを前後入れ替えようとしたら、「そろそろ終わりなよ」と新橋に声をかけられ、しぶしぶ和希は立ち上がる。
(……伸ばした気がしない……)
柔軟が足りない気がして、ちょっと気持ち悪い。
このサークルの準備運動の時間は高々10分ほど。短すぎるのではと思う。
ストレッチ中心の練習日も挟むからそれで良いだろう、というのが現体制の考え。どうも納得いかない。
走りぬいた慶史が、ぜいはぁ肩で息をしながら帰ってきた。
出身高校の素朴なジャージが似合っている。
間をあけず、次の2人が50mレーンを疾走し始めた。
今度の2人はいずれも陸上部出身のようだ。
これから走る予定の人間が、列を作って並んでいる。
新橋に年代物のバインダーファイルを手渡され、和希は受け取った。
「今井くんは、わりと何でも速筋使うものが苦手ですね」
「努力はするけど器用じゃないタイプ、かな。
運動部には入ってたの?」
「高校2年まで、剣道部だったそうですけど」
手元のバインダーファイルを身ながら和希は言う。
新橋がその手元を覗き込む。
そこに挟み込まれているのは、全部員のパーソナルデータファイルである。
全部員の連絡先に学部に出身中学高校や、今までの運動歴が詳細に記されていた。一番上が、作られたばかりの慶史のページだ。
「高校…聞いたことないな。どの辺なんだろ?」
出身高校の名前を見ながら、新橋は首をかしげる。
たぶんまったく悪気はない言葉だが、
(今井くんが聞いていなくてよかった)と和希は思った。
同じ大学の中でも、上位合格者もいればギリギリで何とか受かった人間もいる。
日比谷と新橋は、全国的な知名度を誇る有名高校出身である。
慶史と同じく無名の進学校出身、スレスレでこの大学に入った和希としては、無自覚な上級国民しぐさにたまにイラッとする。
……慶史がようやく帰ってきた。
「おかえりー」
新橋がのんびり声をかける。
「……はい」
心なしかしょんぼりして見えるのは、隣の相手にものすごく差をつけられた自覚があるからだろう。
思わず、和希も声をかける。
「メガネ、大丈夫だった? 預かっとく?」
「あ、いえ、落ちそうにはなりますけど、ないとゴールが見えなくて……ありがとうございます」
えらく恐縮しながら慶史は謝った。
(声かけたの、かえって悪かったか?)と思ってしまうほどに。
自分が先輩であるというだけで、会ったばかりの今井慶史に先輩扱いされるのは、すこし居心地の悪さを覚える。
いや、教育係としてついたからには慣れなければならないのだろうけど……。
「すみません、私走ってくるので」
和希はたたんだファイルを新橋の手に押し付ける。
歩き出す背中に、新橋と慶史の会話が聞こえた。
「ちょうどいい。
今井君、三条のフォーム見るといいよ。
めっちゃ綺麗だし速いから」
「そうなんですね。陸上もやられてたんですか?」
「いや、サッカー部だったかな。
武道を優先してたから補欠だったって言ってたけど…」
(やっぱり、足のストレッチが足りない気がする…)
左右、片膝ずつ上げてぐるぐる足の付け根を回してから、和希は列の最後尾へ走った。
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