50. 公開処刑
◇◇◇
――――――近くに立つと、リングは意外と高さがある。
そのリングの上に、先輩・三条和希が、当たり前のように立っているのを、慶史は下から見上げていた。
つい先ほど慶史は、彼女のグローブのバンドを巻き、貸し出されたレガースを彼女のひざ下につけ、彼女の口に薄く複雑な形をしたマウスピースを、言われるままに押し込んだ。
妹の空手の試合でもしたことがなかった。
初めて触った女子の唇の感触が、指に残っている。
三条和希を下から見ると、改めて足が長いなぁと思う。
すらりとしたその体の上に、小さな顔。
まるでなんてことのないような顔で、リングの上で体を揺するようにジャンプ。
裸足なので、上足底の強靭さが露骨にわかる。
一方。
その対角線上に目をやれば、ぶぜんとした顔の本山がいた。
こちらも誰かから借りたのか、キックボクシングジムのロゴTシャツに、スポーツブランドらしきハーフパンツ。
心なしか、本当に嫌そう…以上に、何かものすごく腹立たしいものを抱えている顔だった。
リングの横で「おう、本山。めちゃめちゃ強いから胸借りるつもりでいきやー」とのんきに声をかけている関係者たちとの温度差がひどい。
公称183cm95kg。
和希と比べれば大分顔が大きいのでわかりにくいが、そう言われればそれぐらいの身長はあるように思う。慶史よりはおそらく高い。
そして横にも、体が大きい。
Tシャツになってみると、ホームページの筋骨隆々たる写真とは異なり、Tシャツの下の体は歳相応のものを感じる。
祈るような気持ちで慶史がいると、「あーあ」と、牧ノ瀬覇華の弟子?のイケメンがさも残念そうな口調で近づいてきた。
「マウスピースつけてないじゃん。
三条和希相手に何してんのアイツ」
本人に聞こえかねない声の大きさでそんなことを言うものだからひやひやする。
やがて、和希と本山の両者はリングの中央に寄る。
本山は両手を構えたまま、和希はすっと、グーを作った両手をそれぞれ斜め下に向けて伸ばし、両者頭を下げる。
そうして主催者の号令と共にグローブを合わせ……3分間のスパーがスタートした。
ブォン…とリングが大きく振動する。
スタートと同時に本山が大ぶりのパンチを踏み込んで撃ったのだ。
そのパンチは小さな的…三条和希の顔をとらえきれず、下からではわからなかったが音の様子からすると間髪入れずカウンターが何か本山に入ったようだ。
ひるまず、本山が和希に襲い掛かる。
和希は縦横無尽にかわしまくっている、ようだ。
……速い。
格闘家の速さだ。
慶史の目には、思った以上に本山が速く見えた。
あの速さであの重い体の蹴りやパンチが三条和希の細い体に入ろうものなら……。
「だいぶお怒りみたいだな」
「お怒り?」
イケメンの唐突な言葉に、慶史は思わず聞き返す。
「本山だよ。
体を見れば、最近まるでトレーニングしてないのは誰の目にも丸わかりなのに、開始早々ブンブン足振り回して、ないスタミナ使い果たすような動き方しちゃって。
そんなに自分のフィールドで三条和希がちやほやされてるのが憎いんかね。
男の嫉妬はめんどくせえな」
「憎、い…? 憎いって…」
「女相手にマウスピースなんて必要ない、なんてくだらないポーズ付けるとか、馬鹿か?としか。
こんなスパーでも三条和希と堂々と闘えるなんて相当幸運なのに」
ぶつぶつ、あーもったいない、何やってんだと呟くイケメン。
試合に見入っているところ、邪魔をしていいか軽く迷いながら、慶史は言葉をかけることにした。
「……あの。
マウスピースって、つけないとマズイものなんですか?」
「格闘技の試合でつけないってことはないね。普通練習のスパーでもつける。
口腔内の保護、脳への衝撃の軽減、歯が折れるのの防止とか」
「マウスピースを持ってなかったとか?」
「そこの売店に売ってた。
もちろん、三条のマウスピースみたいなカスタムメイド、つまり完璧に歯型と口腔内の形状に合わせて作った奴じゃないけど。
ストックトレイっていう、口の形には合ってないけど買ってそのまますぐ使えるやつとか、マウスフォームっていう、お湯で柔らかくして自分の歯型をかたどるやつ。
まぁ、お湯はあるかわからんけど、さすがに……」
「邪魔だったから、とか?」
「は?」
「あ、ええと推測なんですけど。
高校の友達で柔道部にいた子が、顧問からマウスピース推奨されてたけど呼吸しづらいから着けないって言っていたような気がしまして。
その時見せてもらったマウスピースって、三条さんのと違って分厚くて…」
「で? ヘッドギアが邪魔だから着けたくない奴みたいな感覚で、マウスピースを着けなかった?」
「それこそ、三条さんも同じこと言ってましたけど、一発も顔には食らわないつもりで……」
と、慶史が言いかけたその時、すごい音がリングの上に響いた。
目をリングに戻すと、和希の足、否、かかとが、本山の顔にめり込んでいた。
「え……」
否、本当にめり込んでいたわけではなかったが、固い骨の戦槌を眉間に振り落とされた本山は、思わずひざをくずしかける。
和希は危なげなく足を引いた。
「……食らってるな」
「そうですね……」
「さすがにマウスピースは、ヘッドギアつけるつけないとは全然違うから…例えるなら、バンテ巻いてないとか、グローブの紐結んでないようなもんだから」
そういうものなのか。格闘家のたとえはよくわからない。
「でも。テコンドーの足用防具と違って、キックのレガースにはかかとにクッションが付いてないからな。
さっきのは絶対痛いわ……」
「でも……今のところ、本山のほうが押してます?」
「ん? なんでそう見える?」
「いつもの三条さんの動きじゃないというか……もちろんかわしてカウンターを入れてるのはわかるんですけど。
いつもなら、もっと三条さんから仕留めに行くというか……。
やっぱり本山の体格が脅威なんでしょうか?
牧ノ瀬さんの時みたいな動きはさすがに……」
「いやいやいやいや」
イケメンはまったくもってそんなわけないだろうと言いたげに、手を振って慶史の言葉を否定した。
「言っとくけど、三条和希は女子相手より男相手の方がはるかに強いよ?」
「え……?
あの……」
どういうことだ。
慶史は戸惑いながら、イケメンが以前に言った言葉を一生懸命思い返した。
「三条さんは……身体能力とトリッキーな駆け引きの才能の上はあるけど、定型からは外れている分、MAXの威力じゃないって…そうおっしゃっていませんでした?」
「うん。それは間違ってない」
「だったら……」
「だから、男相手の方が強くなるんだよ」
「………………?」
「まぁ、信じて見てな。のこりあと1分。すぐにわかるから」
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