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傷だらけの関係を君と。  作者: 真曽木トウル
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38. 後輩の部屋

◇◇◇



 ――――ミサナ、お願い。お母さんのところに帰ってきて。


 悲痛な声で叫ぶ女が、うっすら記憶に残っている。


 ――――ミサナだけなの。

     お母さんには、ミサナだけなの……!


 大人なのに、女は、何度も泣いた。

 それを見ても、ただ恐いだけだった。


 何をしても怒って、恐いことをして、恐いところに連れていかれて、痛いことをさせられた。

 

 次は何をされるんだろうと思った。

 いま助けてくれる人の手を離したら、殺されるんじゃないかと思った。



◇◇◇



「どうぞ……散らかってますけど」


 さびた玄関ドアを押さえながら、慶史は和希の方を振り向いた。


「悪い……ありがとう」


「すみません、結局晩を過ごせる場所が、俺の家のほかに思いつかなくて……」


 和希は頷いて、和希の部屋に負けず劣らず古い学生マンションの床に座った。

 慶史の部屋は、奇しくも和希と同じ階数、4階だ。

 和希の部屋と同じぐらい、そんなに広くない部屋に机やベッドやテーブルが押し込まれているが、床で何とか寝られると思う。


「あの……明日、俺、三条さんの部屋に寄って服を取ってきましょうか?」


「――――――そう、だね。頼む」


 その問題を忘れていた。

 そういえば、朝から汗をかいた服の着た切りスズメだ。少し肌寒い。

 男に服や下着を持ってくるよう頼むことにいろいろ思わないわけはないが…………今の和希の立場では、頼むしかなかろう。


 逃げて逃げて、いまは既に夜。

 慶史が和希の部屋に何かものを取りに行くにも、できれば昼間がよかろう。

 しかし、服だけの問題ではない。明日は平日だ。

 講義は自主休講サボリやむなしか……。

 サークルの練習はどうするか。


 ボディバッグを体から外す。

 色々な情報が詰まったPCを、本山たちの目に触れずに何とか持ってこれたのだけはよかった。

 それに首に下げた犯罪者のデータには、自分だけじゃなく、たくさんの人の思いが詰まってる。


「おなかすいてません?

 ごはん、ありもので作っていいですか?」


 言われて和希は、昼食の欠食に気が付いた。

 こういう状況、食べないと体がもたないし、それは慶史もだ。


「ありがとう。苦手なものは残すから適当で」


「……何が苦手か聞いて良いですか?」


 突っ込んで聞かれて、和希は、メモに書いた。

 牛乳、チーズ、マヨネーズ、クリーム系のもの、豆乳、ナス、キノコ類全般……。

 人に食事を頼むにあたって食べられないものが多すぎるのが、本当に自分でも嫌なのだが。

 メモを見て、一瞬ひるんだ慶史の顔がいろいろ物語っていると思う。


「え、えーと……安売りの時のイワシを大量に冷凍してあるんですけど、魚大丈夫ですか?」


「うん。魚は好き」


「よかった」


 貧乏学生には冷凍庫が強い味方だ。和希の家の冷凍庫にも業務用鶏肉パックを小分けにしたものが眠っている。


「じゃ、じゃあ、ゆっくりしててください。

 冷凍ご飯切らしてたので、コメを洗って炊くのに1時間はかかります」


「うん」


 和希は頷いて、ベッドにもたれかかった。


 一人暮らし始めたてのはずだが、部屋の中に新入生のピカピカの真新しい感はそれほどない。

 自分と同じくリサイクルショップを使った口か、実家から多少は家具を持ってきたのか。

 完璧にスタイリッシュにコーディネイトされ、うっかり座るのにも気を遣った桜井の部屋とはだいぶ違う。


 新入生だからか、部屋の中にはそれほど本はないが、しいて言えば、受験の時に使っただろうK大の赤本と数学の青チャートがなぜか棚に置いてある。お守り代わりか。懐かしい。

 

 ――――米が炊けるのに合わせて、食事が、こたつ用らしいテーブルの上に並んだ。


 お茶碗がひとつしかなかったようで、慶史は自分の分を、コメとおかずをワンプレートにしている。

 シンプルに焼いたイワシと、山もり米飯と、トマトのスライスと、そぼろ入りもやし炒め。

 そして、それぞれマグカップに入った油揚げの味噌汁。


 細切りの塩こんぶのパックを渡される。ふりかけ代わりの意味か。

 塩こんぶをパラパラまいて、和希は何の変哲もないご飯を口にする。


「……コメがうまい」


「へ?」


「なんかおいしい。なんだろ」


「ああ。実家から送ってもらったコメです。なんかブレンドしてあるみたいで」


「へぇ……」


 和希はあまり米飯の味のよさを表現する語彙をたくさん持ってはいないが、口に入れたときにふわっと香るものがすごく豊かな感じがする。

 米飯は必要なカロリーと必須アミノ酸補給のために摂取するものであり、時短のために飲料のごとくかき込み呑み込むものという感覚の和希だったが、今井家の米のクオリティの高さには、認識を改めざるを得なかった。


「……お味噌汁うまい」


「そっちも実家からです。

 ダシがはいっていないのでダシとる手間があるんですけど」


「そうなんだ」


 なるほど。今井家は味噌もうまいのか。

 和希はダシなるものをとったことがない。一人暮らし歴1か月にして、こいつ料理スキル私より高いんじゃないか、と、和希は後輩をまじまじと見て。


「ありがとう。おいしい」


 味噌汁が食道から腹にかけて温め、和希の体を落ちつけた。

 豪華な食事でも和希の大好物でもないのに、何か、記憶にあるかぎり一番美味しいものを振る舞われたように思う。状況のせいか、それとも。


 ――――それから、ユニットバスを借りてシャワーを浴び、さらに借りた慶史の高校体育ジャージ上下とTシャツを下着なしで着て、自分の着ていたもの一式は、慶史のものと一緒に洗濯機を回した。


(……で、結局、今井君の目に触れるこの部屋の中に干さないといけないんだよな……)


 洗濯物と、結局合わせて洗った、胸を固定していたサラシを、風呂の中の物干し棒に干しながら、和希は心の中でため息をついた。


 スポーツブラとスポーツショーツだったのがまだ救いと考えるべきか……。もし生理だったら、更なる悲劇が待っていたところだった。


 それにしても、身を守るため必要だということで、このたった数時間で、いろいろ自分の中で女として気になるべきものを無理矢理、捨てまくった気がする……。


 桜井相手にも、ここまではなかった。


 歯を磨いたあと、こたつ布団らしきものを引っ張りだした慶史は当然のように自分がそれにくるまって床に寝ようとしたのだが、和希はそれを察して奪い取った。


「いや、さすがに家主はベッドで寝てよ。頼む」


「え!?……いや、でも」


「いいから」


「さッ、さすがに先輩ですし女性ですし」


と言って、再び慶史は和希の手からこたつ布団を奪い取った。


 ……細いくせに男子の馬鹿力め。譲らないらしい。

 奪い返そうと両手を構えて。


(……………………)手を下ろした。


 男子である慶史の方は気づいていないだろうが……和希としては正直、胸が揺れて体がすーすーする状態で、この男とこれ以上、総合できそうにない。


「寝ましょうか」


「うん……」


 慶史が照明の紐を引っ張る。

 うっすら灯りだけを残して、部屋が暗くなった。


 電気をつけたまま寝たいような気持ちではあったが、さすがに家主に従うことにして和希は何も言わなかった。


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