1. 低体温な元女王
◇◇◇
「毎度毎度、顔に生傷作りやがって。
少しは自分が女ってことを考える気になれないのか?」
いや、性別は関係ないのでは? という言葉を挟む間もなく、第二撃が続く。
「おまえ、今年で20歳になるんだぞ。
傷害で警察に捕まればニュースに名前も出る。
路上の喧嘩なんてやってる歳じゃないだろうが。
それにそんな顔で、今日何の日かわかってるのか……」
相手の言葉は容赦ない。
コンクリート造りで量産された、ごくごく狭い大学の部室の中で、彼の声が反響するように響いた。
(………………………)
面倒くさい気持ちのゲージがぐいぐい心中で上がっていく。
三条和希はバッグを下ろしながらため息をつく。
工学部2回生。172センチ。
男物の服を身にまとった、人並み離れて長い手足を持つ女である。
────春。
京都にあるこの大学も、つい先日多くの新入生を迎えた。
キャンパスはいま、明るく浮かれた新歓ムードに包まれている。
先ほどからお説教をしてきているのは、経済学部3回生、日比谷。このサークルの部長である。
狭い部室に押し込まれたベンチに、大きな体で窮屈そうに座っている。
「………ケンカなんかするぐらいなら他流試合でもしてこい。
極真とかキックボクシングとかWTFとか。
何かしらオープンな大会、やってるんだろ?」
「ねぇ日比谷、そろそろ止めよ?
ていうか、顔の作りはやっぱり美人だから、目立つんだよね、傷」
同じ部室の中にいたもう一人の男が、ようやく口をはさめた。
3回生で、副部長の新橋。
柔らかい茶髪に細身の体、和希と近い身長。
その新橋が何かを指さす。
指先を目で追うと、壁にかかっている古い姿見の鏡の中の自分と目が合った。
(…………ああ。意外と傷、腫れてる)
頬骨の上あたりに、傷。
擦り傷のようなものでそんなに目立たないと思っていたのだが。
見てみると、意外と赤い。
長い前髪だけ残して、この間自分で無造作に短く切った黒髪。
新橋は美人と言ったが自分ではそう思わない、通りすぎた鼻筋につり上がり気味の鋭い目。
それら、見慣れた自分の容姿が目に入る。
「また、あれなんだろ?
路上でイキったヤカラに、ケンカ売られたんだろ?」
「え、あ、いや今回は…」
「そんなケンカなんか挑まれても乗るんじゃねぇ。
すぐに逃げて警察に言えよ」
人の話を聞かない日比谷。
いやまぁ、確かに、それにも困っているが。
「確かに、元々のきっかけはおまえのせいじゃないんだろうな。
大会優勝とかで、顔写真が雑誌やネットニュースに載って。
そしたら、あれやこれやSNSやら掲示板やらで書かれて、最強女子とか男より強いとかなんとか、一部で顔が売れて有名になっちまった。
そこから、『いったい女にどれぐらいやれんのか?』なんて試してみたがるイキった阿呆どもに、しょっちゅう絡まれたりつけ狙われる羽目になった。
繰り返すけど、“そこまでは”おまえのせいじゃない」
報道の連中が、本人の許可なく勝手に写真使って、しかも個人名と道場名出して『最強女子高生』みたいな記事を書きやがったのは、断じて和希のせいではない。
「けどな、そこからだ。
なんでその喧嘩を買うんだって話だ」
たった一学年上の先輩は、説教を打つ。
あたかも、和希よりも遥かに豊かな人生経験でも持っているかのように。
「勝っても勝っても、
結局噂が広まって新たに挑戦してくるやつが出てくるだけ。
なのに、おまえがいちいち買ってりゃ、きりないだろう?
負けた男たちだって、仕返しに何をやってくるかわからんぜ?
いざとなったら、結局そいつらは男で、おまえは女なんだからな??」
ぴ く り。
意識しなかったのに、和希の肩が小刻みに 動いてしまった。
何か不穏な空気を読み取ったのか、新橋の顔色もふっ、と青くなる。
「なぁもういいって日比谷やめよう…。
三条も反省しているだろうから……」
動揺しながら、あまりどちらの火消しの役にも立たないだろうセリフを吐く。
もちろん気にも止める様子がない日比谷は続けた。
「そりゃ、俺は格闘技も武道もやってない。
経験あるのはせいぜいラグビーやサッカーとかだ。
それだって体重差や筋力差の大きさは痛いほど感じた。
格闘技なんてもっとダイレクトだろ?
男と女はあらゆるものが違いすぎる。
それはおまえの方がわかるだろう?」
「いや、日比谷ってば」
「いい加減に気づけよ。
黒帯だろうが元全日本王者だろうが最強だろうが、結局お前は女でしか……」
和希と目が合った日比谷が、口をつぐんだ。
言葉が出ない顔で……こちらをまじまじと見る。
いま自分はどんな顔をしているというんだろう。
「……先輩になるんだから、後輩に見せられないようなことするんじゃねぇ」
言葉が途切れた後で、日比谷は、そう、締める。
最後にいいな、と念を押したのは、自信のなさのせいだと和希は見抜いていた。
関西の大学では学年を、●回生、と表す。




