48.危険地帯
「優一さん、今日はお掃除なさらないのですか?」
一階の廊下で立ち尽くして悩むオレに、メイドさんが声を掛けた。
「いっ……いや、あの、すっする。するけど、タンス捨てたくって、その……でも、君、部屋に入っちゃダメだし、オレ一人じゃ無理だし……」
「では、どうすればいいのか、ご主人様にお伺いしてきます」
あーッ! オレ、何を口走ってんだよ!
今のじゃメイドさんに手伝ってもらう気みたいじゃねーか。
つか、ムネノリ君に入室の許可取るんだよな?
見える所にヤバい物はないけど、メイドさんに、あの害虫飼育箱はダメだ!
「いや、まっ待って! 待って!」
「はい?」
メイドさんは、靴を履きかけた姿勢のまま振り返った。
「いっいや……うぁ……あの、さっ三枝……三枝さんに、言って……」
「ご主人様と、三枝さんにもお伺いすればよろしいのですね」
「いっいや、その……うっうん……」
メイドさんは庭に出て行った。残されたオレは、全身がギシギシと軋むように痛んだ。
……ああ、これ、筋肉痛なんだ。
痛みの正体に気付いた。
超久し振りに重い物を持って、階段を何往復もしたからだ。理由がわかったところで痛みが和らぐ訳ではないが、腑に落ちてちょっとすっきりした。
「お部屋の様子を見て、入っても安全そうなら私が、そうでなければ三枝さんが運ことになりました。お部屋、拝見しますね」
メイドさんは軽快な足取りで階段を上り、すぐに降りてきた。部屋のドアが開けっ放しだったからだろう。
そのまま玄関を出て、三枝を連れて戻って来た。
え? オレの部屋ってまだ危険地帯扱いなの?
「優一さん、三枝さんが『重力遮断』の魔法を掛けてくれますので、一分以内に運んで下さい。玄関までで結構ですから、頑張って下さい」
一分……持続時間、短過ぎんだろ! で、オレ一人かよ!
途中で切れたらやべーじゃん!
「昨夜も、優一さんお一人でゴミ出し頑張られてたみたいですし、きっと大丈夫ですよ」
「いや、あ……ま、まぁな。タンス一個くらい、オレ一人で充分だ」
三人で二階へ上がる。
丸洗い魔法、机周辺は避けてもらったから、あの辺のカーペットには、まだ……虫が居て、メイドさんは入れないんだろうな。
寝てる間に、洗浄済みゾーンに幼虫が移動していることも有り得る訳で……よく考えたら、メイドさんを部屋に入れるとか、とんでもなかったわ。
オレは、虫を踏んだ足の裏の感触を思い出し、身震いした。
……ダメ過ぎる。
オレの部屋、危険地帯だったわ。虫的なイミで。
三枝はさっさとオレの部屋に入り、タンスと本棚の間に立って手招きした。
オレが部屋に入ると、共通語で何か説明し始めた。
「いや、ちょっ……待て、オレ、共通語は……読解はイケるけど、きっ聞きとりは、その……」
「優一さん、タンスの正面に立ってしっかり抱えて下さい。術が発動したら三枝さんが合図します。それから持ち上げて下さい。とても軽くなりますから、気を付けて下さい」
「いや、え……お、おう。わ……わかった」
三枝はタンスの側面に掌を押し当て、多分、湖北語で呪文らしきものを呟いた。
短い詠唱の後、三枝はタンスの側面をポンポン叩いて、俺に頷いてみせた。
オレはタンスにがっぷり組みつき、一気に持ち上げた。
空の段ボール並の軽さに拍子抜けし、勢い余って二、三歩よろよろ後退する。
ああ、これ、ホントにオレ一人で充分だわ。
体勢を立て直したオレは、廊下に出た。
カサカサカサ。
引き出しの中で虫の蠢く音がする。さっさと捨てよう。
足下に注意しながら階段を降りる。
軽くなったタンスを抱えたまま、靴に足を突っ込む。きちんと履いている余裕はない。新品の靴の踵を踏み潰し、玄関を出た。
後はムネノリ君の前に置いて、あの爆炎魔法で灰にするだけだ。
オレは顔だけムネノリ君の方へ向け、タンスを抱えて蟹のように走った。