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汚屋敷の跡取り  作者: 髙津 央
◆印歴2213年12月29日

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49.大惨事

 突然、手の中に重量が戻ってきた。


 ……しまった! 時間切れ!


 手の中からタンスが滑り落ち、左足に衝撃が走る。余りの激痛に声を失った。


 思わず両手を放す。

 タンスは重々しい音を立てて倒れた。

 同時に、左足が解放され、オレは尻餅をつくようにして倒れ込んだ。


 「ゆうちゃん、大丈夫?」

 ムネノリ君が近付いてくる。

 メイドさんと三枝(さえぐさ)も駆け寄ってきた。


 「優一さん、玄関まででよかったんですけど……」


 うん。そうだったね。そう言えば、メイドさんは、ちゃんとそう言ってくれてたよね。でも、オレの心配よりツッコミ優先って、酷くね?


 三枝がオレの靴を脱がし、左足の甲に触った。


 痛いっつーの! 触んな! 空気読めよ!


 だが、苦痛のあまり抵抗もままならない。白い靴下の爪先は、鮮血に染まっていた。

 三枝が、湖北語で何か言った。

 「ゆうちゃん、爪は割れてるけど、骨は大丈夫だって。よかったね」


 何が「よかったね」だ。大惨事だよ!

 頭沸いてんじゃねーのか、このロリ声は……!


 「これだったら僕でも治せるから、ちょっと待ってね」

 ムネノリ君はゆっくりしゃがみ、地面にキモい杖を横たえた。

 メイドさんがムネノリ君の手を取り、肩を貸して立ち上がるのを手助けする。自力で立つことすらできねーのかよ。


 メイドさんに支えられて、立ち上がったムネノリ君は、朗々と呪文を唱え始めた。


 湖北語なのか。何を言っているのかは、全くわからない。


 幼い少女のような声が歌うように滑らかに魔法の言葉を紡ぎ出す。

 その詠唱に不可視の力が乗り、オレの体を温かい何かが包み込む。


 爪先だけでなく、全身にやさしい何かが行き渡る。


 痛みが消える。

 体の芯から苦痛の素が消えて行く。


 不思議な響きの言葉が耳に心地良い。この幼く甘い歌声をいつまでも聴いていたい。

 言葉の意味がわからないからか、オレは純粋に、その響きの美しさに魅了されていた。



 ムネノリ君が、しゃがんで杖を拾いながら普通に話し掛けてきた。

 「ゆうちゃん、立って」

 「えっ? いや、もう終わり?」


 もっと聴いていたかった。


 「もうって……今ので治ったと思うんだけど……まだどこか痛い? 病気とか骨折とかは僕じゃ治せないんだけど……」

 「いっいや、大丈夫。何でもない」

 オレは勢いよく立ち上がって言った。

 ムネノリ君は杖に縋り、メイドさんに介助されてゆっくりと立ち上がる。


 三枝が、タンスを抱えて蔵の前に移動させていた。

 オレは左足の指を動かしてみた。本当に痛くない。


 しゃがんで靴下を脱いで確認する。爪は何事もなかったかのように、健全な状態で指についていた。

 靴下が血染めになっていなければ、怪我をしたことこそが、錯覚だったのかとすら思えてくる。


 「よかったね。ちゃんと治ってて」

 「いや、あ……ああ。うん」

 嬉しそうに笑うムネノリ君に、オレはぎこちなく頷いた。


 「何でそこで『ありがとう』の一言が言えないのかなー」

 それまで黙っていた藍が、オレの横を通り過ぎ様に言った。


 三枝(さえぐさ)が置いたタンスの前にゴミ袋を置いて振り向く。花粉症用のマスクで隠れて表情は読めなかった。


 「部屋掃除しなくてタンスに虫涌かして、捨てるのに自分じゃ運べないから、三枝さんに魔法で手伝ってもらったんだよね? クロエさんに玄関まででいいって言われてたのに、調子に乗って運ぼうとして怪我したのは、自業自得だよね? その怪我もノリ兄ちゃんに魔法で治してもらったのに、何で誰にも『ありがとう』とか『ごめんなさい』とかが言えないの? 何もかも誰かにやって貰って、当たり前だとでも思ってんの?」


 藍はそこまで一気に言って、言葉を切った。

 誰も何も言わなかった。


 オレの返事を待っているのか? 


 双羽(ふたば)隊長が泥水を従えて玄関から出てきた。

 今のを聞かれなかっただろうか?


 「本家の長男ってそんなに偉いの? ムルティフローラ国王の玄孫(やしゃご)で王位継承権持ってるノリ兄ちゃんよりも、ゆうちゃんの方が偉いの? 何で? 根拠は?」

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【関連】 「汚屋敷の兄妹
賢治と真穂視点の話で「汚屋敷の跡取り」と全く同じシーンがあります。

▼用語などはシリーズ共通設定のページをご参照ください。
野茨の環シリーズ 設定資料(図やイラスト、地図も掲載)
地図などは「野茨の環シリーズ 設定資料『用語解説17.日之本帝国』
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