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最終話

「っだ―――――――――――! チクショー、負けた負けたァ――!」

 満員の食堂を揺らすドラ声。ぎょっとする生徒たちを尻目に、フェデリコはローストビーフの惨殺体を皿に叩きつけた。経験上、このヤケ食いは三十分は収まりそうにない。

 テーブルの向かい側から、僕はおずおずと声をかけた。

「あ、あの……その……ざ、残念だったね」

「誰かさんのおかげでな! 一週間だぜ、延期がたった一週間! それでいきなり代わりに出ろって言われてもよォ、準備できるわけねェだろ! 大体俺だってフォルゴーレだって、爆弾にやられた傷がまだ治ってねーんだからよォ!」

 頭の包帯をバンバン叩く。僕は「ハハ……」とごまかし笑いを浮かべるしかない。

 『雷』のレオンが天秤樹を襲撃するという前代未聞の事件は、瞬く間にゾディア中を駆け巡った。

 混乱の大きさに、大長老会ではジオストラを中止すべき、との意見も出たらしい。

 が、そこは年に一度の大イベント、結局一週間の延期を置いての開催に落ちついた。

 ただし、事件の加害者たる獅子樹区は、ペナルティとして参加禁止。

 そして、天秤樹区の代表(つまり僕だ)は持ち竜を失ったため、フェデリコが代役として出場することに相成った。

 そして結果は聞いての通りだ。

「今気づいた! こりゃアレだ、俺を勝たせまいとする大長老会の陰謀だったんだよォ! 体調が万全なら、余裕で優勝かっさらっちまうからなァ!」

「よく言うわね。二十五秒で負けたくせに」

 頭の上に豊かな重み。ぎょっと振り向くと、それはおっぱいさん……じゃなかった、

「チャオ。ジュリオ君」

「ア、アルダさんっ! その挨拶はやめてくださいって言ってるじゃないですかっ」

 銀髪の美女は「嬉しいくせに」と目を細めた。

 僕はさらに赤くなった。

「おうコラ、女ギツネ。なんでアンタが学校にいんだよ。部外者立ち入り禁止だぜ。あと、俺が負けたのは二十五秒じゃねェ。三十秒だ」

「あらごめんなさい三十秒君。大丈夫よ、ちゃんと口実は作ってきたから。今日はリーヴァ先生に御馳走になりにきたの。……あら、これは昨日の口実だったかしら? ええと、グロッソ君に指輪を買ってもらう……のは明日でゾラ君とのデートは……ん? おとつい済ませた?」

「やっぱ神様なんていねェな。こいつに天罰が下らねェんだから」

 ……というわけで、アルダさんはここのところ、何かと男絡みの理由をつけて(本人いわく全部遊び)学校に、というか僕のところにやってくる。それはいいのだけど、さっきみたいな過剰な接触はやめてほしい。彼女の虜になった男子生徒たちの敵意の視線が、痛くて痛くて仕方ないのだ。

「そうそう、部外者立ち入り禁止と言えば、最近多いみたいね。ジュリオ君に会おうと学校に来る人。しかも他の樹区からの」

「ああ、スカウトだな」 

「スカウト?」

「有望な竜撃士を引き抜きに来るんだよ。いい生活させてやっから、ウチの樹区に来ねェかって。もちろんジオストラのためにな」

「それで僕を? ……なんで?」

「なんでも何も、あのニワトリを乗りこなした天才少年、って巷じゃ有名なんだぜ。昨日来たヤツなんか相当しつこかったらしいぜェ。おめェに会えなきゃテコでも帰らんて」

「へ、へぇ~……」

「ダーメよ、別の樹区なんかに行っちゃ。他では味わえないわよ、この感触?」

 言って、アルダさんは背中に胸を押しつけた。「ギャース!」とはね退く僕を見て、愉快そうに笑う。こ、この人、最近さらに大胆になってきてるよ……

 じんわり血圧が下がるのを待ってから、僕はフェデリコの言葉を反芻した。

 ――ニワトリを乗りこなした、か。

「……大丈夫ですよ」

 二人はきょとんという顔をした。

「もう、竜には乗らないですから。乗りたくないとかじゃなくて……乗れないんです」

 僕が求める翼は、この世にいない。あの白く美しい風切り羽には、もう、二度と……

 あの白髪の少女がいなくなった理由を、彼女には話していない。

 どう説明したものか迷っているうち、彼女のほうから聞いてこなくなった。

 女のカンというか、何か感じるものがあったのだろう。

 それ以降僕へのアタックも一見大胆に見えて、どこか線を引いているのを感じる。

 フェデリコは、もちろんもうちょっかいなんて出してこない。

 それどころか、僕が落ち込んだときにはぶっきらぼうに励ましてくれる。

 言葉は悪くても、武骨に、そして力強く。

 助けられてるなと思う。ありがたいと感じる。

 だけど、僕は贅沢だろうか――ふとした瞬間、ひどく心が乾くのだ。

 喪失感は、風に似ていると思う。

 たとえば友達と話をする。たとえばおいしい料理を食べる。たとえば竜の世話をする。

 その瞬間だけは、それを忘れられる。まるで、物陰で風をやりすごすときのように。

 でも、ふと話が途切れたとき、悲しみは元通りに吹きつけてくる。

 そして僕らはその風を止められない。ただ一時、身を隠すことができるだけだ。

 いや、きっと時が経てば、風も弱まるのだろう。いつかは悲しみも癒えるのだろう。

 けど、それはいつになるだろう。

 明日か明後日か、一年後か、十年後か。

 僕には分からない。忘れることが、正しいのかどうかさえも。

 それでも僕は生きてゆく。彼女からもらった命を永らえさせるためだけに――

「あ~、ちょっ、ちょっ、ジュリオくん。ちょっ、いいかぁね」

「あ、はいっ?」

 不意に声をかけられた。頭のてっぺんがやや寂しい、痩せた中年の男の人だ。

「あ、えっと、門番の……」

「サッキだぁね。ちょっ、今、君に会いたいって人が来てるんだぁがね、すまんがちょっ、会ってやってやってくれんかぁね」

 よその樹区の出身とかで、やたら言葉が聞き取りにくい。それに怒ったわけじゃないだろうが、フェデリコは露骨に不機嫌な顔を見せた。

「あー、ダメダメ、スカウトだろ? こいつはどこにも行かねーから。クソして寝ろって伝えといてくれよ」

「いや、最初は帰ってもらおうとしたんだだが、もうテコでも動かんちゅう感じで」

「なんだよ、ひょっとして昨日も来たってヤツか?」

「そぉ。こっちもホトホト困っとって……顔見せるだけでもいいからお願いできんかね」

 しゃーねーなぁ、とフェデリコ、立ちあがって腕をまくり、

「いいぜ、その野郎連れてこい。拳で分からせてやっから」

「ちょっ、それはまずいがぁね。野郎でなくて女だぁね」

「女ァ?」

「ちゅうか女の子。また変な子なんだぁね。小さいくせに喋り方が年寄りみたぁで」

 とくん、と心臓が跳ねた。

「自分のことを『わし』って言ったり『じゃ』とか語尾につけたりしてぇね。学校に関係ない人は入っちゃいけんよぉ、て言ったら『だまれバフンウニ』って……そりゃバフンウニみたぁな頭しとるかもしれんけど、あんまりにもひどい……ジュリオくん?」

 僕は、石像のように固まっていた。

 フェデリコも立ったまま口を「あ」の形にしている。まくった袖がずるりと落ちる。

 そして。

「おい、バフンウニ! いつまで待たせるんじゃ!」

「あ! ちょっ、ちょっ、外で待っててぇて言うたぁでしょ!」

「お主がトロくさいから悪いのじゃ! がんばらんと立派なムラサキウニになれんぞ!」

「ならなくていいだぁよ、そんなの!」

「ちなみに、ムラサキウニは毛がいっぱいじゃぞ」

「え、ホント? どうしよぉ!」

 なぜか喜ぶ門番の人を押しのけて、その少女は食堂に入ってきた。

 くせのある長い髪は、雪色じゃなく薄い茶色。

 前髪の紅も無くなって、別人のようだ。

 ただ一つ、強く吊りあがった目だけは、雲一つない空の色を残している。

「おお、おったおった! さんざん手こずらせおって、阿呆が。門前払いは、よもやお主の指示ではなかろうな?」

 僕は、ほとんど放心状態で立ち上がった。

「どうして……」

 少女は、髪の毛に刺した一枚の羽根を撫でた。

「……こやつの魂が、身代わりになってくれた。あるいは百年もわしと生きてきて、飽いたのやもしれんがな」

 しんみりとした表情は、しかし一瞬のこと。再びその顔に嵐が宿る。

「それよりなんじゃ、そのツラは! 辛気臭い顔しおって、せっかく戻ってきてやったのに気分悪いわ! なんかこう……アレじゃ! 別の顔をせい、別の顔!」

 そうは言われても……一体どういう顔をしたらいいのだろう、こういうときは。

 あまりに胸が一杯で、感情がごちゃ混ぜになっていて、泣けばいいのか笑えばいいのか分からない。

 無表情すぎて、はたから見ればさぞかし不気味だろう。

 そんな僕の様子をどう思ったのか。

 少女は、ふと不安げに眉を寄せた。

 いからせた肩が空気の抜けたようにしぼみ、向けてきたのは溶けてしまいそうな上目づかいで。

「嬉しく………………ないのか?」

 雪崩のように。

「ルーチェ!」

「コケッ?」

 小さな肩に抱きついた。

 そのまま、勢い任せに押し倒す。

 一瞬たりとも離したくなくて、床をごろごろと転げまわる。耳のそばで何か怒鳴る声が聞こえるが、この際聞こえないフリだ。

「わはははっ、姐さ――――ん!!」 

 どしん、と肺のつぶれそうな重み。

 フェデリコの巨体が僕の背中に上積みされ、ルーチェはカエルのようにうめき鳴く。

 そこへ、ぶっかけられる冷たい水。見上げれば、逆さになったコップとアルダさんのにんまり顔。顔面びしょ濡れになったルーチェは沸騰せんばかりの勢いで顔を紅潮させ、

「こ、このクモ女ぁ……うぶわっ?」

 さらにさらに、一体誰があおったのか、僕らの上から次々と降ってくる人、人、人。事情も何も分かってないくせに、とりあえず面白そうだから参加してみましたということに違いない。男も女も関係なく積み重なってゆく人の山、ワーワーキャーキャーと叫び声と笑い声が食堂に満ち満ちてゆく。歓声がこだまする。

 重い、暑い、息苦しい。何十人もの体重に、内臓が降参の声を上げている。

 けど、全然イヤじゃない。自然と笑みがこぼれ出る。

 飛べなくたっていい。この腕の中の温もりが、きっと僕の欲しかったものだ。

「ルーチェ」

 ささやく。

「愛してる」

「あ――ッ? うるそうて聞こえんわァ! いいからこやつらをどけさせろ、阿呆!」

 台無しだった。

 それでも、僕は笑える。彼女の耳が、真っ赤になっているのに気づいているから。

 照れ屋の彼女が今度こそ逃げられないよう、言い直せるのはいつだろう。こっちだって恥ずかしいんだから、そうそうチャンスはないように思える。

 けど、きっと大丈夫。

 時間はたっぷりある。明日、明後日、一年後も、十年後も、きっと百年後も。

 僕と彼女は、同じ空の下にいる。 

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