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二人で

 周囲を沈黙が支配する。無音の中、早苗の表情から希望が消え失せた。最後の望みだった光は姿を消し、辺りには黒い霧が再度立ち込める。放った光の重みで、早苗の手は小刻みに震えていた。


 骨を軋ませながら朱音が首を元の位置に戻す。


「危ないなぁ……お姉ちゃん」


 狂気に満ちた笑顔で早苗を見つめる。朱音はそっと手を早苗の首に当てた。

 ジリジリと力が増していく。しかし、今の早苗に抵抗する気力はない。


 自分のミスで全てを台無しにした。そのことが早苗の心を砕いたのだ。


「これで、終わり」


 朱音の手の力が急激に強くなった。早苗の意識が薄れていく。


「優雨……くん」


 早苗は気を失った。

 朱音は容赦することなく、手の力を強くしていく。

 朱音は早苗の死を確信して、笑い始めた。


 しかしその声が部屋に響いてすぐ、朱音の体は横に転がった。


「何……」


 朱音は自分の身に何が起きたか理解できなかった。何かが勢いよく自分にぶつかったのは分かったが、状況を把握するのには少し時間が必要だった。


「早苗! 大丈夫か?」


 優雨が早苗を揺さぶっている。それを見た朱音は今の状況を理解した。

 朱音にぶつかったのは優雨の足。その証拠に優雨の足には血がべっとりと付いている。

 そして朱音の脇腹は異常なほど陥没していた。肋骨が折れているようだ。


「くそ、気を失ってるか……」


 優雨は早苗の首についた血を丁寧に拭う。


「優雨……何してるの?」


 朱音が優雨との距離を縮めていく。


 朱音の表情はとても複雑なものだった。怒りと悲しみが混ざり合った表情。かろうじて悲しみが勝っている、といった状態だった。


 朱音にとって、優雨が早苗の味方をするのは気に入らないことだ。それに加えて、この世界に来て以降、優雨は朱音に対して優しくはしていない。


 好きな人に冷たくされるのは、朱音にとってとても苦しいことだった。


「うるさい」


 場の空気を一瞬にして凍らせてしまいそうなほど冷たい声だった。朱音の体は一瞬硬直してしまう。


 優雨は振り向くことなく早苗についた血を拭き取っていた。


 一頻り血を拭いて、優雨はゆっくりと朱音を見る。


 朱音は優雨の表情を見て絶句した。優雨はこれまで一度も朱音に見せたことがない顔をしていた。


「絶対に許さない」


 またしても冷たい声で朱音を怯ませる。


 優雨の瞳には強い怒りが宿り、いつも見せていた優しさは微塵もない。


「なんでそんな顔するの?」


 朱音の頬に一筋、雫が流れ落ちた。


 優雨はそれを見ても表情を一切変えない。


「お前が……」


 ここで優雨の表情に変化が現れだした。歯ぎしりの音が少し離れた朱音にまで聞こえるほど、強く歯を食いしばっている。


「お前が俺の大切な人を傷つけたからだ!」


 優雨が大声を上げる。


 声を荒げて息が上がる優雨。その姿を見て朱音は黙って涙を拭った。


「……嫌だ」




 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ。




 朱音が涙を拭いながら、狂ったように言い続ける。


 そんな朱音を見て、優雨は少し心が痛んだ。


 見た目は同じ朱音なのに、全く違う人物を見ている気になってしまう。

 早苗を傷つけたことによる憎しみと、これまでの朱音に向けてきた「優しくしたい」という気持ちが混ざり合う。その複雑な気持ちが優雨の心に鈍い痛みを与えていた。


 そんな時、急に朱音の様子が変わった。


 無表情で優雨を凝視する。


「私は、優雨が欲しい。力尽くでも手に入れる」


 その言葉が優雨に届いた時、朱音の姿は既に優雨の目前にまで迫っていた。


 優雨は一瞬にして朱音に引き倒される。


「優雨はずっと私と一緒にいればいいんだよ。動く必要なんてない。だからこんなものは要らないね」


 朱音はそっと優雨の足に手を伸ばす。


 次の瞬間、硬いものが砕ける音と共に優雨の右足は不自然な方向へ曲がった。

 膝が砕け、そこから前方へ足が曲がっている。




 ————————っ!



 

 優雨は頭上を向いて言葉にならない悲鳴を上げた。全身から脂汗が吹き出し、眼球が血走る。


 朱音はその様子を見てくすりと笑った。


 その時、朱音の背後から足音が響く。


「朱音、優雨くんから離れなさい」


 ふらふらと早苗が朱音に接近していた。


 そして力なく朱音の肩を掴むが、簡単に振り解かれてしまう。


「いいところなのに。先にお姉ちゃんを殺そうか」


 早苗に向かっていこうとする朱音。その朱音を優雨は掴んで止めた。


「ちょっと待てよ」


 優雨は苦しそうに笑顔を作る。


「何? 私が離れるのが寂しい?」


 朱音は優雨に顔を近づける。


 優雨はため息を漏らすように一息吐き、朱音を抱きしめた。


 優雨の行動に驚きを隠せない早苗と朱音。


「優雨、やっと私と居てくれる気になったのね……」


 朱音は優雨を抱きしめ返す。


 早苗は状況を把握できずに取り乱していた。


 そんな中、優雨は笑みを浮かべたまま朱音の後頭部に手を回して髪を鷲掴みにした。


「俺たちの勝ちだ」


 その言葉と共に、優雨は掴んだ髪を思い切り引いた。引っ張られた朱音は海老反る形で真上を見てしまう。


 朱音は突然の出来事と、目の前の光景によって絶句した。


 朱音の顔めがけて、光の玉が降ってきた。


 光の玉は朱音の顔に直撃し、周囲に朱音の絶叫が響き渡る。


 光はどんどん朱音を包む。そして朱音の姿は光の中で消えていった。


「終わった」


 早苗が小さく呟く。


 立ち込めていた霧が晴れ始める。


 優雨は立ち上がろうとした。しかし、足が動かない。早苗が駆け寄り、肩を使って優雨を立ち上がらせた。


 それと同時に、大きな振動が優雨たちを襲う。


「何? 地震?」


 二人はじっとして揺れが収まるのを待った。


 しかし、その揺れは収まるどころかどんどん強くなる。


「お姉さん! この世界が壊れ始めてる! はや……く……に……げ……」


 言い終える前に人形は動かなくなった。そして小さな光になって消えていく。


「急ごう!」


 優雨と早苗は宝箱に向かって進みだした。




 どんどん崩れていく壁や床。その中を、ゆっくりだが確実に進んで行く二人。そしてついに宝箱の部屋にたどり着いた。


 しかし、二人の視界に宝箱が入った時、宝箱の下が崩れた。


 崩れた床と共に闇に落ちて行く宝箱。辛うじて蓋は開いていて、上を向いた状態で落下している。


「優雨くんどうしよう!」


 早苗が声を上げる。


 その一方で、優雨は自分で思っている以上に冷静だった。


 今ここで飛び降りてどうにかなるのか。他の道もあるのではないか。いろんな考えが脳裏を過る。




 どうする。




 優雨は、周りの時間が少しゆっくり流れているように感じた。頭にある選択肢は、この二つ。


 一、別ルートを探す。二、一か八か宝箱めがけて飛び込む。


(飛び込むのはリスクが高すぎる……常識的に考えて別ルートか)


 そう思った時、優雨の頭に過去の自分の言葉が浮かんだ。


(常識は捨てるべきだな)


 その言葉が浮かんでからの優雨の行動は早かった。


「早苗! 行くぞ!」


 優雨は早苗を引っ張って宝箱めがけて飛び込む。


 運良く、宝箱は優雨たちの方に向いていた。二人は綺麗に宝箱の中へ入っていった。そして二人の意識は遠退いていった。







 早苗は目を覚ますと、自室のベッドに寝ていた。上半身を起こし、部屋を見渡す。部屋に人の姿はない。


 その時、柔らかい風が早苗の髪をなびかせた。早苗は風が吹いた方を見る。


 白いカーテンが揺れている。そのカーテンの先に、薄っすらと人の影が見えた。その影はベランダで外を眺めているようだ。


 とても頼り甲斐があって、早苗が大好きな影。一緒にいるだけでホッとさせてくれる彼がゆっくりと振り向いた。


 風がゆっくりとカーテンを開け、優雨の顔が見える。


「おはよう」


 優雨が優しい笑顔で言う。


「おはよう」


 早苗はそれに笑顔で答える。


 あの世界から脱出してからどれほどの時間が経ったか、早苗達はわかっていなかった。


 早苗が一度元の世界に戻った時とは違い、記憶はなくなっていない。


 とても恐ろしい経験だったが、早苗はそれを少しいい思い出のように感じた。早苗にとって朱音と本音で話せたことがとても嬉しいことだったのだ。そしてその経験が早苗の心に変化をもたらしていた。


「今はまだ、伝えきれないけど……」


 早苗は小さく呟く。




 ——いつか必ず、自分の口ではっきり伝えるんだ。



 

 早苗は決意を固めていた。


 部屋には三人で撮った写真が飾られている。そこに写った朱音の笑顔は、心成こころなしかいつもより輝いているようだった。

これでこのお話は完結です。

活動報告の方も更新しますので、そちらも見ていただけると嬉しいです!

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