第二十三話 私と彼と彼の妹と……
公園に入ると私たちがいつも座るベンチに腰掛ける。
一番見晴らしがいいところだ。
だからなんだと思うけど、この公園のほとんどを見渡す事ができる。
実際に、今公園に走って入ってきている人だって見える。
年のころはたぶん、大体私と同年代だと思う。
と言うか、私が通っている高校と同じ制服なので、たぶん間違いはないはず。
その彼女は、誰か――もしくは何か――を探しているみたいで、しきりに首を振っている。
その様子はかなり必死のようで、周りのことなんか目に入ってはいないみたいだ。
そして、そんな彼女と目があって、私は思わずはっとした。
向こうも気付いたみたいでさっき以上に急いで走ってくる。
彼女とは数回会ったことがあった。
彼の家に遊びに行ったときのこと。
そう、彼女は彼の妹で、私たちの通う高校の一年生でもある。
どうしたのだろう。
私は思わずそう思った。
彼の話では彼女は非常にマイペースであまり急いだり、焦ったりする事はないそうだ。
しかも、それは、マイペースというより、自己中心的なものに近いみたいで、彼もいろいろと苦労しているとも言っていた。
そんな彼女が、ものすごく焦っている。
それが不思議でたまらない。
「どうし……」
「お兄ちゃん知りませんか!!」
彼女が目の前に来た瞬間、思わずそう尋ねようとしたのだが、それはあっさり彼女の言葉で覆いかぶされた。
けれど、そんな事より気になることがあった。
と言うよりも、わけの分からない、といった方が正しいかもしれない。
それが思わず表情に出たのだろう、目の前にいる彼女は、深呼吸をして、一生懸命になって、落ち着こうとしている。
「お兄ちゃんが、いなくなったんです」
けれど、どうやらそれはうまくいっていないみたいで、やはりそわそわしている。
兄妹なのに、ものすごく違う。
たぶん、彼なら、どんなに焦っていても、表情に出しはしないと思う。
と、そんな悠長なことを考えて、はたと気付く。
「いなくなった?」
「はい、そうなんです。お母さんがパートから帰ってきたら、玄関に鍵が掛かっていたらしいんです。自転車もなかったみたいで、そのときはどこかに遊びに行ったんだろうと思ったみたいなんだけど、キッチンにいったら、朝なかった紙が机の上にあって、それにはしばらくどこかに行くなんてことが書かれていたんです。しかも、電話を掛けても全くつながらないし、メールを送ってみても返事も全然返ってこなくて」
話しているうちによほど感情が高ぶったみたいで、支離滅裂な言い方になっていたけど、彼女が言った事は大体こんな事だと思う。
「もう、お兄ちゃんがいなくなってから、お母さんは怒ったり騒いだして私たちに当り散らして大変だし、弟は泣きだすし、ほんとにもう……」
もうたぶん限界なんだと思う。
独り言のように呟く。
その姿は今にも泣き出しそうだ。
そういえば、前彼が言っていたことを思い出す。
なんとなく、失礼だとも思ったんだけど、そんな妹の事が好きなのか、と聞いたことがあった。
なんとなく、もし私が彼の立場なら好きにはなれそうにはなかったからだ。
「大切だよ」
けれど、彼はいつもどおりにやわらかい笑みを浮かべるとそういった。
「確かに気が強くて、自分勝手で、たまにやつあたりしてくるけど、でもあいつはものすごくもろいから。一見するとすごく強いように見えるけど、ものすごくもろい。たった一つのことで、簡単にも崩れる。それが分かるからね、護ってやらなくちゃ、て思うんだ。それに、たまにかわいいとこもあるしね。まあ、早くそれに気付ける恋人ができてくれればいいんだけど、簡単にはできそうにもないからね。しばらくは、俺がその代わり。普段、家には父さんがいないから、俺がそうするしかないでしょ」
なんだか、そのときほんの少し胸がちくりと痛んだ。
たぶん、嫉妬だったと思う。
彼は本当に優しそうな顔で話していた。
それがたぶん、たまらなく悔しかったんだと思う。
けれど、今は彼の言っていたことがよく分かった。
たぶん、彼からしてみれば、彼女は幼いんだと思う。
年はほとんど変わっていないみたいだけど、内側の年齢がかなり開いているように見える。
それに、今の彼女を見ていると、本当に痛々しくて思わず手を差し出したくなってしまう。
だから、たぶんそんな気持ちになったんだと思う。
「あの、それで、お兄ちゃんの事知りませんか?」
と、どうやら自分の世界に行っていたみたいで、彼女の声でようやくわれを取り戻す。
けれど……
「ごめんなさい、分からないの」
私は何も知らない。
彼からは何も言われてない。
ただ、別れようと言われただけ。
そして、いくら質問してもその答えも返ってこない。
彼は私と接触する事を拒否しているから。
彼女は私がそう言うと、ものすごく落ち込んだようで、肩を落とす。
「大丈夫?」
その姿があまりにも弱々しくて、言わなくても分かっているのに、思わずそう訊ねていた。
「大丈夫」
けれど、彼女は笑ってそう言う。
その笑顔は作っているものだとすぐに分かる。
それが分かっているんだと思う。
すぐに、辛そうな顔をすると
「お兄ちゃんの真似はできませんね」
泣き出しそうな声で言った。
「お母さんなんかが言うと、お兄ちゃんはものすごく弱いって言うんですよ。すぐに弱音ばかりはいたり、諦めたりするって。でも、私からしてみれば、そうは思えないんですよ。確かにお兄ちゃんは、表面だけ見たら、精神的には弱そうだし、諦めも早そうに見えるんですけど、本当は違うんです。周りが本当に辛そうなときは、自分が辛くて辛くてたまらなくても、優しい笑顔をして周りのことを気に掛けるんです。自分が精神的に追いやられていても、自分のことより周りを、そんな事ができるんです。それに、諦めの速さだって、本当に大事な事は絶対に諦めたりしない。ただ、優先順位の中で切り捨てて行ってるだけみたいだし。本当のお兄ちゃんは、ものすごく精神的に強い。実際、出て行ったのが私で、残っているのがお兄ちゃんだったら、たぶんこんな事にはならないと思うんです。今、お母さんは、いろんなことがあって頭が混乱して、ものすごく慌てているけど、お兄ちゃんならお母さんをすぐに冷静にしてくれるし、弟を泣き止ませられるし、きっと今みたいな滅茶苦茶な状態にはさせないと思うんです。私みたいに慌てる事はないと思うんです。」
彼女は泣きそうな声でそう言うと、俯いてしまう。
私は何も言えなかった。
彼女の言っていることはたぶん間違いないことだから。
彼は、本当の意味で強い。
精神的な強さを持っている。
彼はたぶんこういうときだからこそ冷静さを失わないように心がけ、まず体制を整える。
そして、それができてから、初めて行動をする。
まず間違いなく行き当たりばったりの計画を立てたりはしない。
だから、たぶん彼女の言うとおりなんじゃないかと思う。
「ねえ、携帯見せてくれない?」
「え?いいですけど」
彼女はいきなりのことにきょとんとしたけど、コートのポケットから出すと、私に渡してくれる。
私はそれを開くと、彼女の個人情報を開き、それを見てからワン切りとメールを送り
「これ、私の携帯の番号とアドレス。何かあったり、辛くなったりしたら、連絡して」
彼女に笑いかけながらそういう。
彼女の気持ちが痛いほど分かった。
私も時々彼を見てそう思ってしまうときがあった。
だから、彼女の力になりたかった。
ううん、たぶんそれだけじゃないと思う。
彼女を通して、彼の情報を手に入れるとができるという理由もあると思う。
「えっと、その、ありがとうございます」
そんな心内の考えなんか余裕のない彼女には判らないんだろう、お辞儀をしてお礼を言うと
「それじゃあ、失礼します」
彼を探すために急いで私のもとから去った。