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縁-えにし-  作者: 狸塚ぼたん
三章
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中尾将平


指先がそれに触れた瞬間、目の前がテレビの砂嵐のような風景に変わった。

かと思えば、まるでチャンネルが変わるかのように再び周りの景色が切り変わる。


「うぅ……!」


身体が鉛のように重くなり、頭には何かが突き刺さるような鋭い痛みが走った。

思わず呻き声を上げて膝をつくほどの痛み。

ズキズキと痛む頭を押さえて、辺りを見回した。


「お母さん、具合はどう?」


「今日は調子がいいわ。ありがとう、将平」


しょう、へい。

頭の上で交わされる会話に顔を上げた。


目の前にはベッドに横たわる女と、その女のそばで椅子に座っている男の子がいた。

届かない足を揺らしながら、嬉しそうに女に話しかけている。


木造の古めかしい雰囲気と、清潔感漂うベッドシーツの白、そして点滴台。

ここは病室らしい。


痛みに慣れ、重たい身体を引きずりながら二人の顔を確認する。

調子がいい、と言っていた女性の頬は痩せこけ、顔色は真っ青だった。

誰が見ても長くはないことがわかる。


男の子の方は随分昔から知っていた。

夢の中で私に宿題を教えてくれた、秀才のショウヘイくん。


ここはショウヘイくんの記憶の中なのだろう。

だからなのか、二人には私の姿が見えていないようだった。

突然現れた私に何の反応も見せず、楽しげに会話を続けている。


「見て! この間のテスト、百点だったんだ!」


ショウヘイくんは誇らしげにテストの答案用紙を女に見せた。


「凄い! よく頑張ったのね」


「うん!」


元気よく頷き、頭をわしゃわしゃと撫でられ嬉しそうに笑う。

けれどその表情は次第に曇り始めた。


「……あのね、僕ね、将来学校の先生になりたいんだ」


ショウヘイくんは俯きながら小声で将来の夢を口にした。

女性はそんな息子の態度に心当たりがあるらしく、悲しげに笑いながら息子の頬を撫でた。


「将平、顔を上げて。あなたはあなたがしたいように生きていいの。成績だって、一番じゃなくたっていい。ただ人には優しくいなさい。困ってる子には手を差し伸べてあげるの。お父さんみたいにね」


「……うん」


「いい子。ーー将平、キャビネットの一番上の引き出しをあけてくれる?」


ショウヘイくんは未だ暗い表情のまま、言われた通り引き出しをあけた。

中には懐中時計が入っている。


「この懐中時計、お父さんが初めてお母さんにプレゼントしてくれたの。これから一緒に同じ時間を歩みましょうって」


女性は昔を懐かしむように懐中時計を眺めていた。

一方でショウヘイくんは訝しむように母親を見つめた。


「あのお父さんが?」


「ふふ、あなたは愛されて生まれてきたってこと。それはその証なの。だから、その懐中時計は将平が持っていて。……愛されて生まれてきたってこと、忘れないでね」


女性が笑顔で両手を広げると、ショウヘイくんは吸い込まれるように女性の胸に飛び込んだ。



ーーそして、再び場面は変わる。


再び砂嵐のような空間が広がったかと思うと、直ぐに六畳ほどの和室が映し出された。

黒い服に身を包んだショウヘイくんが、ベッドに顔を埋めて泣いている。

その小さな手には、懐中時計が握りしめられていた。


「将平、入るぞ」


声と共に同じく黒い服を着た男が入ってくる。

察するに父親のようだった。

その隣には和服姿の老女が控えている。


「……今日の分の宿題は終わったのか」


私はその台詞に思わず眉をひそめた。


老女がすかさず口を挟む。


「旦那様、奥様のお葬式を終えられたばかりなんです。今日くらいは多めに……」


「ふざけるな! 医者はどんな時でも患者に向き合うものだ! 今から甘えさせていて、将来有望な医者になれるか!」


怒鳴り散らす父親。

自分の理想を息子に押し付けているその姿が、あまりにも痛々しく見えた。


「……ない」


ショウヘイくんが小さく呟く。

懐中時計を握る小さな手がふるふると震えていた。


「なんだ?」


父親が怒気を含んだ声をかけると、ショウヘイくんは殺すような勢いで父親を睨みつけた。


「僕は、お父さんみたいな医者になんかなりたくない!! お父さんみたいになんかならない!! お母さんはお父さんのせいで死んだんだ!!」


泣き叫ぶショウヘイくんの横っ面を父親は思い切り殴り飛ばした。

その拍子に持っていた懐中時計が宙を舞い、部屋の隅に転がる。


「旦那様!」


「こいつを納戸に閉じ込めろ。夕食も与えるな。いいな。ーー私はこれから診察に向かう」


「それでは坊ちゃんがあんまりです!」


老女の抗議も聞かずぴしゃりと襖を閉めて去って行ってしまった。

殴られたショウヘイくんは泣きながら懐中時計を拾い上げ、固く握りしめていた。


気持ちが追いつかないまま、風景は砂嵐に変わった。

そんな私の耳に子供たちの声が聞こえてくる。


「ねえ、知ってる? あそこの神社の噂」


「知ってる! 死んだ人に会えるんでしょ?」


「そう! お祈りしたら一番会いたい人が会いに来てくれるんだって!」


「でも、お母さんが行っちゃダメだって。もう何人も行方不明になってる子がいるらしいよ」


「誰か本当かどうか確かめてくれないかなー」


学校での何気ない噂話のようだった。

その会話の後、場面は見慣れた通学路へと移る。

黒いランドセルを背負ったショウヘイくんは、一人で神社へと続く道を歩いていた。


「行っちゃだめ!」


聞こえるはずがないのに叫んでいた。

この先で待っている未来がよくないことだとわかっていたから。

それでも過去の彼は立ち止まることなく進み続ける。

その首には懐中時計が下げられていた。


何もできない私はただショウヘイくんの後をついて行くしかなかった。

どうすることもできないとわかっていても、目を逸らすことも逃げ出すこともできない。


神社の階段を登り始めた時、


「……へい」


優しげな女の声が聞こえた。

それは彼にも聞こえたらしい。


「お母さん?」


ショウヘイくんは一気に駆け上がり始めた。


「待って! 行かないで!」


チェーンが切れ、懐中時計は階段へと転げ落ちる。

そんなことにも気づかないほど、彼はその声に夢中だった。


「将平……こっちよ」


「お母さん! どこ!?」


階段を駆け上がりきり、肩で息をしながら母親の姿を探す。


「だめ! 聞いちゃだめ、ショウヘイくん!」


必死に肩を掴んで阻止しようとするも、私の手は彼の身体をすり抜けた。


「将平」


女性の声は拝殿の左奥の方から聞こえて来ていた。

真っ直ぐそちらの方へ走り出す。

茂みを掻き分けながら追いかけると、小さな木製の屋根が見えてきた。

屋根の下には石でできた古井戸がぽつんと佇んでいる。


「お母さん、どこー!?」


「辛かったね」


井戸の中から女の声が聞こえて来る。


私はこれから起きることを想像して青ざめた。


「お願い、待って!!」


身を乗り出して井戸の中を覗き込むショウヘイくん。

背負っていたランドセルの重みが、重力に従って井戸の中の方へと移動した。


「わっ……!」


バランスを崩したショウヘイくんの身体が井戸の中へ吸い込まれる。

そして、


ーーグチャッ。


まるで柔らかい果実が潰れるかのような音だけが、辺りに響き渡った。

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