告白と審理
火曜日の午後一時。
閑静な住宅街。
雨音さんの自宅は舞姫女子大の近くにあった。というより、この区内では幼稚園から大学までの校舎が集中して建てられており、通学はすべて徒歩で行けるみたいだ。
まさに舞姫女子大の系列学校に通うのに、もっとも適した場所に存在している家だ。
外観は新築と一目で分かるほど小奇麗で、またガレージと庭があって、裕福な暮らしが想像できる、立派なものだった。
「いいとこ住んでるなあ。庭付き一戸建て。どんなあくどいことしたら、こんなに稼げるんだろう」
「失礼ですよ! そんな大きな声で言わないでください!」
この人にはデレカシーというものがないのか。
桜川さんは人の家をじろじろ眺めた後、インターファンを押した。
「あ、桜川です。時間になりましたので、はい、お邪魔させていただきます」
あまり正しくない敬語を使って桜川さんが言うと、玄関から雨音直美さんが出てきた。
「すみませんね。突然のことで、戸惑ったと思いますけど」
「いえ、真理のためですもの。捜査に協力するのは当たり前です」
そういって微かに笑う直美さん。私は「ありがとうございます」と頭を下げた。
「ご主人は? お仕事ですか?」
「ええ。仕事をしばらく休んでいましたので、その埋め合わせを」
桜川さんは「そうですか」と言った。
「立ち話もなんですし、どうぞ家にお入りください」
「そうですね。失礼します」
家の中に入ると、外観と同じくらい内装も整えられていた。
私は家政婦をやっていたので、お金持ちの家をずっと見てきたけど、それと遜色ない。家政婦がいないのがおかしいくらいだ。
「今、お茶を――」
「いえ、おかまいなく。時間がありませんので、お気持ちだけ」
桜川さんはそう言うとキョロキョロと周りを見て「雨音さん、祭壇はありますか?」と訊ねた。
「祭壇、ですか? 家庭祭壇ならこちらにあります」
「祈ってもよろしいですか?」
へえ、そういう気遣いはできるんだと驚いた。
「……ありがとうございます。こちらになります」
案内されたのは居間だった。
十字架を中央に、側面に花瓶と燭台が飾られている。
十字架の下には写真。
おそらくは雨音真理ちゃんだろう。
桜川さんは無言で手を合わせ祈る。
私も同じように祈った。
心の中で真理ちゃんの冥福を祈る。
「ありがとうございます。それでは雨音真理さんの部屋を案内してもらえますか?」
直美さんは「こちらです」と歩き出す。階段を昇り、二階の奥のほうにその部屋があった。
扉には聖母マリア様の像の写真が貼られている。
「そういえば敬虔なクリスチャンだったらしいですね、真理さん」
「はい、そうですけど……」
「奥様とご主人もクリスチャンですか?」
桜川さんが訊ねると「ええ、そうです」と直美さんは肯定した。
「お三方は洗礼を受けたのですか?」
「はい、受けました」
「真理さんはいつからですか?」
「産まれてすぐですけど……」
桜川さんは「なるほど」と呟いて直美さんを見た。そして言う。
「それでは、中に入ります。奥様も立ち会いなさりますか?」
「ええ、あなた方を信用していないわけではありませんが……」
「分かっております。では、入ります」
鍵がついているタイプの扉だったけど施錠はしていないので、すんなりと開いた。
部屋は埃一つない、清潔感のある一室だった。
青などの寒色系の色で統一された部屋。クローゼット、本棚、勉強机、椅子、ベッドといったものが整然と配置されている。
おそらく自作であろうぬいぐるみや編みぐるみが本棚の上に置かれている。
女の子らしいシンプルな部屋だ。
「警察はここに来ましたか?」
「いえ、そこまでは捜査してくれませんでした。自殺だと決め付けたんです」
「そうですか――結構、濫読家だったんですね」
桜川さんは本棚に注目したようだ。
私も本棚の中を見る。
本棚は三段あり、上から旧約聖書、新約聖書、天草四郎の物語、細川ガラシャの伝記、天正遣欧少年使節団の歴史書、中段にはぬいぐるみなどの手芸の本、料理本、一番下には少女漫画などが綺麗に揃えられていた。
「キリスト教関係の本はご本人が購入したのですか?」
「いえ、主人が買い与えたものです。主人は隠れキリシタンの研究を行なっていますのでその関係の本を読ませておりました」
まあ女子高生が進んで読むジャンルではないなあ。
「なるほどなるほど。机の引き出しを開けてもよろしいですか?」
「え、ええ。どうぞ」
桜川さんは椅子に座って、上から順に開けていく。
「ボールペンに、消しゴム。爪切りにピンセント、ビーズに糸、裁縫道具、ですか……うん?」
机のサイドにある引き出しを開けようとしたのだけど、どうやら鍵がかかっていたようだ。
「奥様、鍵はありますか?」
「鍵ですか……? 持っていません。部屋の鍵は預かっていましたけど、引き出しまでは……」
「おかしいな。遺品には鍵は……失礼」
遺品という言葉に、直美さんは反応したのを見て、言葉を止める桜川さん。
「奥様、開けてもよろしいですか?」
桜川さんはポケットから針金のようなものを取り出す。
「あの、いいですけど、開けることができるんですか?」
直美さんが訝しげに訊くと「このタイプの鍵は単純ですから」と答えて、鍵穴に針金を通し、ごちゃごちゃとかき混ぜるように動かした。
そして五分後。
「よし、開きました。中身を見ますよ」
がちゃりという音で鍵が開いたようだ。
「すごいですね……どこでそんな技術を身につけたんですか?」
私が訊くと「トップシークレットだ」と誤魔化された。
「中にあるのは……日記、か」
大学ノートぐらいの少し分厚い一冊の日記がそこにはあった。
「あの子が日記をつけていたのは知りませんでした」
直美さんは少し意外そうに言った。
親の知らない日記か。
一体どんなことを書いているんだろう。
「とりあえず、預かってもよろしいですか?捜査の進展へと繋がりますし」
「あの、日記はちょっと……」
渋る直美さん。日記はプライバシーの塊そのものだから預けるのは忍びないのだろう。
「そうですか。では中身を見るのも駄目ですか?」
「この場で見るのは構いませんけど、記録するのは控えてもらえませんか?」
直美さんの譲歩に桜川さんは「わかりました」と答えた。
「では、早速拝見させていただきます」
机の上に置いて、日記を開く。
字は丁寧に書かれており、比較的読みやすかった。
『七月十一日。明日は同好会の引退式だ。先輩たちが引退するのは寂しいけど、耐えなければいけないなって思う。来年は後輩がたくさん入ってくれたら嬉しいな』
こうした日常がつらつら書いてあった。
桜川さんの読むスピードは速く、あっという間に読み終えてしまった。
「奥様、ちょっといいですか。話したいことがあるので、下に下りてもらっても」
そう促して部屋から出て行かせようとする桜川さん。私もついていこうとしたら、桜川さんは「砂原さんはここに居て」と止められた。
「どうしてです――」
「日記でも読んで待っていてくれ」
言い終わる前に言われたので反論できなかった。
「なんで、日記を――」
「特に九月からがおすすめだ」
わけの分からないことを言って。
「それでは参りましょうか」
困惑している直美さんと共に、本当に下に下りていった。
「なんなんだろう?」
とにかく、やることもないので、私は言われたとおり日記を読むことにした。
「確か、九月からがおすすめだって……」
ぺらぺらとめくり、九月のところを見つけたので読んでみる。
『九月一日。九月に入ったので自分の気持ちを整理したいと思う。やっぱり私はK先輩のことが好きだ』
「えっ? そんないきなり――っ!」
声を押し殺す。そうしないと大声が出てしまうから。
口を抑えつつ、次も読んでみる。
『今まで生きてきて、こんな気持ちになるのは初めてだった。K先輩が「真理ちゃん」と呼んでくれるだけで天にも昇る心地だった。優しい瞳で私を見つめてくれるだけで、幸せになれる。そんな気持ちで満たされている』
これが坂井ちゃんと本多ちゃんが言ってきた好きな人のこと? なんだか純真な子供の心を覗き込んでいるようで、罪悪感が沸々と湧いてくる。
『告白しようか、悩んでいる。でも今までの関係が崩れてしまうことを、私は恐れている。ああ、私に勇気があったなら! あかりちゃんとはじめちゃんに相談したいけどできない。なぜなら』
次に見た文章に、私は目を疑った。
『相手は女の子だから』
「砂原さん、日記を持ってきてくれ!」
下から大声で呼ばれて、飛び上がるほど驚いた。手で口を抑えていたから、悲鳴はでなかったけど。
この日記を持っていくの……?
悩んだけど、雇用主の言うことは聞いておかなければならない。私は階段を下りてリビングに向かった。
「ああ、日記のことなんだけど、しばらく預かることにしたよ」
そう言われて、安心してしまった。
だってそうだろう? 亡くなった娘が実は同性愛者だったなんで、衝撃的だ。
しかもカトリックだから同性愛は罪になるはずだ。院長が言っていた通りなら。
「桜川さん、ど、どういう経緯で、そうなったんですか?」
すっかり動揺してしまった私は聞くべきでないことを聞いてしまう。
「まあ、あれだよ。色々あってさ」
桜川さんは誤魔化して詳しく言わない。
「本当に真相が分かるんですか?」
疑わしげな直美さんだった。
「ええ、それで十分分かります。一応、部屋の探索を続けてよろしいでしょうか?」
「それは……いいですけど」
「ありがとうございます。さあ、砂原さん。続けようか!」
そうやって意気込むのはよかったものの、残念ながら日記以上の収穫はなかったのだった。
「K先輩って手芸同好会の一体誰ですか?」
事務所に戻ってすぐに、私は桜川さんに訊いた。
「あー、今は分からない。日記を読んで推測するしかないな」
ぐったりと安楽椅子に座って気の無い返事をする桜川さん。どうやら疲れているようだった。
「K先輩って言っても、全員頭文字が『K』だもんなあ」
その通り。
小西琴音。
熊谷久美。
加藤小鳥。
如月香織。
全員の名字と名前に『K』が入っている。
これじゃあ区別のつきようがない。
「書いている本人は分かっているし、誰に読ませるつもりもないから、ややこしいことになっているなあ。まあ日記ってそういうものだし、仕方ないか」
収穫があったと思ったら、するりと手から逃げていく。
捜索に三時間もかけてしまったのに、手がかりがないのは痛い。
「砂原さん、日記の最後まで読んだか?」
「ええ、読みましたよ。でもますます分からなくなりました」
日記の最後の文字は乱れていて、余程落ち着いていないのが見て取れた。
『K先輩に告白しようか、悩んで誰にも言えなかった。やっぱりこの想いは心の中にそっと閉まっておこうと何度も思った。だけど、我慢できない。チャンスがあれば想いを伝えようと思う』
「これでは告白したのかしなかったのか分からないですしね」
「曖昧な言い方だからな。さて、どうしたものか……砂原さん、紅茶くれ。気分転換になるかもしれないから」
紅茶は精神を落ち着かせる効果があるので間違っていない。私は「分かりました」と言って調理室に向かった。
お湯を沸かしつつ、茶葉の用意をしているとインターフォンが鳴った。
来客だろうか?
一応、ティーポットに三人分の紅茶を入れて、ティーカップも三つ持って応接間に行くと、そこに居たのは青木さんだった。
茶色いソファーにどかりと座っている。
桜川さんも安楽椅子から青木さんの向かい側に座っている。
「青木さん、どうしたんですか?」
「ああ、砂原さん。こいつの使いで病院に行ってきたんだよ。大変だったなあ」
そういえば昨日、病院に行くって話だったような。
「それで、誰かさんはいつ会えるんだ?」
「今日の七時。面会時間を過ぎた会えないからな」
私は桜川さんと青木さんの前にティーカップを置き、紅茶を注いだ。
「ありがとう。いただきます」
青木さんは微笑みながら紅茶を口にして、「こりゃ絶品だ!」と大声をあげた。
「うるせえ。静かに飲めないのか」
「美味いものを美味いって言って何が悪いんだ」
「大声がうるさいって言ってんだよ。まあいい、今は五時だから時間はあるな」
「移動時間を考えても六時に出れば間に合うさ。それと、調べておいたぞ」
青木さんは持ってきたバックから資料を取り出した。
「友人二人と同好会の四人の当日のアリバイだ。見てくれ」
「見る前にアリバイがない奴が居たのか?」
「いない。誰一人アリバイがない人間は居なかった」
即答する青木さん。訊かれると思ったのだろう。
「確か、死亡時刻は十時三十八分だったな。そんな遅い時間に、はたしてアリバイが成立するのか?」
「肉親の証言を信用すればな」
「肉親の証言はアリバイにならないんじゃあないか?」
桜川さんが訊くと青木さんは「そうでもないさ」と答えた。
「信用性が低いが信用がないわけではない。そもそも肉親の証言は法的に根拠がないとう法律なんてないからな」
「まあそりゃそうだ」
桜川さんはぺらぺらと資料をめくり「分かった。役に立ったよ」と言って返した。
「……まさか、犯人が六人の中にいると思ったんですか?」
私は信じられないという気持ちを胸に訊ねると「そうだ」と桜川さんは答えた。
「殺意は親しみと憎しみから生まれる。それが俺の持論だ」
「憎しみは分かりますが親しみから人を殺すっておかしくないですか?」
「そうだな、たとえば砂原さんの大事な人が病気で苦しんでいるとしよう」
大事な人というフレーズから院長や施設の子供たちが頭に浮かんだ。
「もしその大事な人が『殺してくれ』と頼まれたなら、砂原さんは殺すか?」
「それは……実際にならないと分かりませんけど、私は殺したりしません!」
「でも悩むだろう?」
「…………」
少しだけ、悩んでしまった。
「悩むってことは少なからず殺意が潜んでいるってことだ。違うか?」
「違いませんけど、極論ですよそれは」
「そのとおり極論だ。でもいつかその選択が迫られるときが来るかもしれない。今は認められていないけど、安楽死が合法となるかもしれない。そのとき砂原さんは親しみ、愛情を持って医者が差し出した安楽死の同意書にサインするだろう。いや、するかもしれないだが」
ありえない話ではないけど、今するべき話でもないだろう。
「桜川さんは、サインするんですか?」
「するね」
即答かつ断言した。
「苦しんでいる愛すべき人を楽にさせるのは今を生きる人間の義務だ」
そうはっきり言われてしまったら、何も返せない。説得することもできない。
「おい、桜川。砂原さんが引いてしまっているだろう」
黙りこんでしまった私に代わって、青木さんが桜川さんを注意した。
「そんな話よりも事件の話をしろよ」
「してたらお前がやってきたんだ。話の腰を折ったのはお前だぞ」
「それは失敬。だったら俺は黙ってるから話を続けろよ」
ソファーに身を預けてリラックスする青木さん。桜川さんの扱いに慣れてるみたいだ。
「お前がいると話せないこともあるんだけどな……まあいい。もう行こうぜ」
桜川さんは立ち上がり、スーツの上着を着た。
「おいおい。まだ時間が――」
「どうせ車だろう? 軽く飯でも食おうぜ。おごってやるよ。砂原さんもおごってあげる。時間なんていくらでも潰せるんだ」
「強引だな。まあいいさ。砂原さんも行こうよ」
青木さんはやれやれといった感じで立ち上がった。
「は、はい。行きましょう」
私は二人の後についていった。
歩きながら考える。
いつか来る選択のときのことを。
そして自分の決断のことを。
『苦しんでいる愛すべき人を楽にさせるのは今を生きる人間の義務だ』
桜川さんの言葉が頭の中で反響して。
いつまでも消えなかった。




