初めての事件 その3
千代田区霞ヶ浦に所在する警視庁に行くのは、生まれて初めてだった。
自分は警察官でも犯罪者でもない一般人なのだから無理もない話だけれど。
やましいことがないのにも関わらず、心臓がばくばくする。
圧迫感もしくは威圧感を覚えてしまう。
しかし、そんなことはまったく感じないと見受けられる桜川さんは勝手知ったる他人の家のようにエントランスの中にある受付に真っ直ぐ進んだ。
私も置いて行かれないようについていく。
「失礼、警視庁捜査一課の青木陽三をお願いします」
桜川さんがそう受付の女性に言うと「ご用件は何でしょう」と聞き返された。
「桜川元春が来たと言えば伝わりますので、それでお願いします」
受付の女性は不審に思ったらしいけど、一応伝えておかなければならないと思い直したようで「分かりました。しばらくお待ちください」と言った。
そして電話をかけて五分もしないうちに、受付の女性は「青木は八階の第八会議室で待つとのことです」と告げた。
「こちらが入館証です」
二つの入館証を渡され、私たちは首にかける。
「ありがとうございます。さあ、行くぞ砂原さん」
「はい、分かりました」
私たちはエレベーターに乗り込んで、制服とスーツの人たちに囲まれながら、八階へと行く。
エレベーター内では会話がなかった。まあ周りが警察官だらけだから、余計なことを言うのは避けたほうがいい。
八階に到着すると「第八会議室はこっちだな」と言って一人でずんずん進む。私の歩幅は桜川さんよりも狭いので、自然と早足になってしまう。
第八会議室と書かれた部屋の前に来た。
「おーい、青木居るか?」
ノックもせずに勢いよくドアを開ける桜川さん。その傍若無人ぶりに当事者じゃあないけれど、冷や冷やものだった。
「……ノックぐらいしろよ桜川。ここは天下の警視庁だぞ」
机が四角形に並べられて、椅子がところ狭しと置かれている部屋の奥。
呆れた表情で出迎えたのは、スーツ姿の男性だった。
桜川さんもスーツだけど、男性のほうは黒スーツ。目や鼻、口が大きく、快活なイメージがした。整髪料で髪をオールバックに固めていて、背が桜川さんよりも大きい。健康的な中肉中背な体格。
話の流れから、この人が青木だと推測される。
「うん? そちらの女性はどなただ?」
ドアを閉めていると、そんな声が聞こえたので、自己紹介をする。
「初めまして、葉桜探偵事務所で働かせてもらっています。砂原めぐみといいます」
「俺の助手だ。よろしく頼む」
職業が助手なんて、あまり印象が良くないと思ったので、敢えてぼかして言ったのだけど、桜川さんは構わず助手と言った。
私と桜川さんの考え方に齟齬が生じているのか、それとも私に助手の自覚がないのか。
「ああ、これはどうも。私は警視庁捜査一課に所属しております、青木陽三です」
爽やかに笑って名刺を差し出す青木さん。
丁寧に応対するところ、桜川さんと比較してまともな人かもと感じた。
「それにしても桜川。お前何人目だ? 助手がころころ変わって、名刺何回渡したか、数え切れねえよ」
「そうだな、十七人目だな」
「えっ? 十七人も変わってたんですか?」
つい口に出てしまった。
「お前、砂原さんに何の説明もしてなかったのか?」
「聞かれなかったからな」
すまし顔でそんなことを言う桜川さん。
まあ、差別的な発言に我慢できない人もたくさんいるから、それも仕方がないのかも。
「そんなことより、訊きたいことがあるんだよ。雨音真理の事件についてだ」
早速本題に入るようだ。けれど、『雨音真理』というワードを出した途端、青木さんは渋い顔をした。
「あれは自殺だろう。お前なんで捜査してるんだ?」
「うん? お前が雨音夫妻に俺を紹介したんじゃあないのか?」
「ああ言わないと収拾がつかなかったんだ。二人ともまるで俺が犯人のように睨んできたんだ」
青木さんは溜息を漏らした。
「だから俺は言ったんだ。『法外な報酬を要求する代わりに必ず事件を解決できる探偵が居る』って。まさか依頼するとは思えなかったんだ」
「そんな言い方したら依頼するに決まってるだろう。馬鹿なんじゃないか」
「おい、言いすぎだろう。それに言い方変えれば仕事を紹介してやったんだ。逆に感謝しろよ」
開き直る青木さんに桜川さんはやれやれと肩を下ろす。
「まあいいさ。とりあえず事件のファイル持って来いよ。それと詳細を話せ」
「だから何でいつも偉そうなんだよ。まあファイルぐらいは念のために持ってきてるけど」
机の下から紙袋を取り出す青木さん。その中からファイリングされた書類を取り出す。
桜川さんはファイルを受け取ると、机の上に置いて、ポケットからテープレコーダーを取り出し、立ったまま読みあげる。
「雨音真理。身長百五十二、体重四十二、性別は女性、年齢は十七歳、血液型O型、誕生日は五月二十八日、左利き、兄弟姉妹なし、学校の成績は中の上、特技は早縫い、趣味は手芸、友人関係希薄――」
警察の資料を勝手に記録していいのか、判断つかないけど、絶対アウトだと思うけど、音声を記録しているので、喋ることができないから、黙ったままでいることにした。
「竹尾駅構内で特急電車に跳ねられ、病院に運ばれたがまもなく死亡を確認。即死と思われる。四肢が破損し、原型は留めていなかった。最後に目撃されたのは学校帰りで、クラスメイトが校門を出たのを見ている。また竹尾駅構内の防犯カメラに改札を一人で通っているのを確認された。その時刻は十時三十一分」
ぺらぺらとめくりながら、重要だと思われる事柄を述べていく。
「竹尾駅構内の防犯カメラは改札以外なく、また死亡時の目撃者は誰もいなかった。近くに待合室があったため、駅からの乗客はそこに全員集まっていたようだ。それにより、全員のアリバイは証明されている」
怪しい人物はいないってことかな? よく分からないけど。
「以上の点から、動機は不明だが自殺と断定される。よってこれ以上の捜査は行なわれない、か……」
桜川さんはテープレコーダーのスイッチを切り、ふーっと息をついた。
「厄介だな。ここまで自殺に違いないとやる気が起きてこない。青木、面倒くさいことをしやがって」
恨めしげに青木さんを見つめる桜川さんだったけど、青木さんは「知るかボケ」とそっけない。
「金貰ってるんだろう? だったら真面目に捜査したらどうだ?」
「警察が言うかよ。ああ、砂川さん、どう思うよ? 警察の怠慢だと思わないか?」
現役の刑事さんの前でなんてこと聞くんだと思ったけど、私は「あはは……」と苦笑いするしかなかった。
「怠慢というが、捨て山を捜査しても無駄だろうが。警察だってお前みたいに暇つぶしで仕事しないんだ。今、ここにいるのも税金を納めてくれる国民の皆様に申し訳なくもってくる」
青木さんの言うことはもっともだけど、それでも冷たい感じがしてならない。
「だから、俺みたいな人間がいるんだよ。捨て山上等、ゴミ拾い上等。さっさと解決させて報酬貰うさ」
先程まで厄介とか言っていたのに、一転して前向きになっていた。
「青木、頼みたいことあるんだけど」
「嫌だね」
短く速くずばっと答える青木さん。
「お前の頼みはろくなことじゃあないし、ろくでもないことに決まっている」
「そんな面倒くさいことではないさ。簡単なことだ。頼むよ」
「絶対嫌だ。お前の頼みはもう聞いたじゃあねえか」
「聞くだけならいいだろう? それで判断してくれよ」
しつこく頼み込む桜川さんに嫌気が差したのか「じゃあ聞いてやるよ」と根負けした青木さん。
「くだらないことなら、すぐ断るからな」
「簡単さ。舞姫女子大付属高校の生徒に話が聞きたいんだ」
それは探偵活動としては別段変わったことではないのだけれど、青木さんは何か引っかかるのか訝しがっている。
「そのぐらいのことだったら、まあいいが何の目的で話を聞くんだ? お前、女子高生嫌いだったろう」
女子高生が嫌いな成人男性は珍しいのか判断しかねるけど、桜川さんは「ふん」と鼻を鳴らした。
「女子高生は嫌いだ。馬鹿だし世の中舐めきっているし何にも考えてないし、自分の置かれている現状に疑問すら抱かない。話は流行に乗っているだけでつまらないし、その話自体、内容がないんだ。死ねばいいのに」
「……桜川さんは女子高生にトラウマがあるんですか?」
口を出すつもりはなかったけど、元女子高生の身からしたら聞き捨てならないこともあったので、我慢できずに訊いてしまった。
「うん? いや、トラウマはない。一方的に嫌っているだけだ。気にしないでくれ」
「それだけであんなに……いえ、なんでもないです」
反論しようと思ったけど、すぐに無駄だと気づいて途中で止めた。
「それで、どうして嫌いな女子高生と話がしたいって思ったんだ?」
蛇蝎のごとく嫌っているのに、どうして訊きたいのだろう。
「それは――」
桜川さんは何でもない風に言った。
「犯人がいるかもしれないからだ」
「……もう、犯人の目星がついたんですか」
資料をぱらぱら読んで言葉に出しただけなのに、たったそれだけで真相に辿りついたっていうのだろうか。
「目星とうより、それしか考えられないと言ったほうが正確だな。どうだ青木、話をさせてくれるか?」
桜川さんの頼みに、天を仰いで思案してから「分かった」と答えた。
「ただし、今からは無理だ」
「どうしてだ?」
「今何時だと思う? もう五時だ」
腕時計を見ると五時十一分を差していた。
「土日でいいか?」
「いや、それなら月曜日以降でいい。うちの探偵事務所は土日が休みだからな。知ってるだろう?」
「知ってるが、自由業なんだからいくらでも融通が利くだろ」
「土日はゆっくり休みたいだろう? それに校舎も見ておきたいからな」
「前から思っていたがお前現場とは関係ないところを気にするよな? 校舎なんか見て捜査にどんな意味が出るんだ?」
桜川さんは「絶対必要なんだ」と断言してそれから手帳を取り出し、何やら書きこんで破り、青木さんに渡す。
「この二人、坂井あかりと本多はじめ、おそらく雨音真理の同級生だろう、その二人と手芸同好会の四人の話が聞きたい。ああ、二人と四人は別々にな」
メモを見て青木さんは頷く。
「ああ、わかった。都合がついたらすぐに連絡する。おそらく月曜日になると思うが」
「頼む。あとは……砂原さんも一緒に来てもらいたい」
「私も、ですか?」
急に振られたので反応が遅れて返事が満足にできなかった。
「当たり前だろう? 砂原さんは俺の助手なんだぜ? そろそろ慣れてほしい」
「私が居ても、役に立ちませんよ」
足掻くようにそういうのだけれど、桜川さんは「それでもいい」と言う。
「何が役に立つか、俺にも分からん。砂原さんにも分からん。だったら連れてもいいだろう」
意味が分からない。
「それじゃあ青木、もうこれで帰るけど、もうあまり捨て山を回すなよ」
「…………」
「返事しろよ」
「……分かった分かった。なるべく回さないよ」
その言葉に納得したのか、桜川さんは「行くぞ砂原さん」と言って会議室を出る。
「えっと、本日はお忙しい中ありがとうございました。失礼します」
一礼して、私も外に出ようとする。
「ああ、砂原さん、ちょっといいかな?」
青木さんが呼び止めてきたので、私は立ち止まり、振り返って「なんですか?」と返事した。
「あいつ、桜川はああいう性格だから、接するの大変だと思うけど、良い奴……ではないけど、優しい奴……でもないけど、それでも悪い奴じゃないから、辛抱してくれよ」
青木さんはどうやら桜川さんのフォローしてくれてるようだった。
「差別的な発言を控えてもらえばいいのですが……」
「あー、そりゃ無理だな。でもそれでも最近はマシになったんだぜ。昔はもっと酷くて救いようが無かった」
うわあ。それは想像したくない。
「青木さんはどうして、桜川さんのことを気にかけているんですか?」
素朴な疑問に青木さんは腕を組んで「うーん、そうだなあ」と考え込む。
「学生時代にいろいろあってね。それでも友人に違いないんだ。あいつの性格は昔からあんなだけど、それでも変わらないことがあるんだよ」
「それはなんですか?」
青木さんは爽やかに笑って言う。
「真実を追い求める情熱。あいつはクールに見えて、そのくせ熱い何かをもっているんだよ」
このとき私はその言葉の意図を気づけなかった。
だけど、分からないなりに私は心に留めておこうと思った。
「はい、わかりました。なるべく助手を続けられるように頑張ります」
「ありがとう。それでは気をつけて」
別れの言葉を交わして会議室から出ると桜川さんが壁にもたれて待っていた。
「お待たせしました」
「青木の馬鹿が引き止めたんだろう? 砂原さんのせいじゃあないさ」
桜川さんにしては優しい言葉だった。
「さあ、行こう。入館証を返したら、解散していい。土日は休みだからゆっくり休んでくれ」
「はい、分かりました」
エレベーターに乗るとまた制服とスーツに囲まれてしまう。みんながこっちを見ているようで落ち着かない。
受付で入館証を返すと「それじゃあ、月曜日に事務所で」と言って先にでてしまった。
辺りはすっかり暗くなってしまった。
マンションに早く帰ってゆっくり休もう。
今日は予想外なことが多く起きた。
しかも許容範囲外なことだらけ。
初めての依頼人が来て。
その依頼人の子供の死の真相を探すように言われて。
そして最後は警視庁だ。
「なんだか大変なことになってきたなあ」
そう呟きながら駅へと向かう。
これから大変になる予感がした。




