初めての事件 その2
「砂原さん、紅茶を淹れてくれないか」
インターフォンが鳴ったのは、ちょうど桜川さんのリクエストに私は「分かりました」と答えて調理室に行くところだった。
時間は午前十時半。
結構大きな音が部屋中に響き、びくっと身体が反応してしまう。
「あ、ちょっと待ってくれ。どうやら依頼人のようだ」
そう言って安楽椅子から立ち上がり、扉のほうへ歩いていく。私はどうしたらいいか分からず、それでもそのままでいるのは良くないと思ったので桜川さんの後ろにつく。
桜川さんが扉を開けると、一組の男女がそこに立っていた。
男性の方は四十代ぐらいのサラリーマンという感じ。桜川さんほどではないけど、目つきが鋭い。無精ひげが目立つ。男性の割りに背が低く、女性の方とあまり変わらない。
女性とはいうとこれまた四十代ぐらいの見た目。ウェーブのかかった髪は肩まで伸びている。そしておそらくシャネルであろうブランドのバックを大切そうに持っている。
二人ともどこか様子がおかしい。何かに怯え、何かに悲しんでいる、そんな雰囲気を醸し出していた。
顔もやつれているし、それに服装が黒ずくめなのも気にかかる。
「どうぞ。葉桜探偵事務所へようこそ」
ニコリともせずに桜川さんがそう言うと男性は黙って頷き、女性は「失礼します」と小さく答えた。
「中へどうぞ。お飲み物は紅茶で構いませんか?」
「ええ、なんでも構いません」
「砂原さん、紅茶を二つ、用意して」
「は、はい、かしこまりました」
調理室に入り、紅茶の準備をする。銘柄はダージリン。
それにしても、男女二人が揃って探偵事務所に依頼なんて、どんな内容なんだろう。
夫婦に見えるから、浮気調査じゃあないだろうし、飼っていたペットの探索、もしくは家出人の捜索かも。
いろいろ想像は膨らむけれど、実際聞いてみないと分からないな。
紅茶の準備が済んだのでお盆に二つ載せて持っていく。
応接間では男女とも黒いソファーに座っていて、その向かい側に、桜川さんは座っていた。
依頼の話はまだしておらず、紅茶が来てから話を始めるようだった。
「どうぞ。砂糖はお入れになりますか?」
そう訊くと女性のほうは「結構です」と断り、男性のほうも「大丈夫です」と断る。
「それでは、失礼します」
一礼して調理室に戻ろうとすると、桜川さんが「砂原さんも聞きなさい」と呼び止められた。
「私もですか?」
「君は助手なんだから、一緒に調査するだろう。後から説明するのも億劫だから、今聞きなさい」
ああ! そういえば私、助手だったっけ。
家事ばかりしていたから失念していた。
「わ、分かりました。失礼します」
私は桜川さんの隣に座った。
「それではお話を伺いましょう。えっと、お名前を教えてもらえますか?」
初めて聞く桜川さんの敬語に違和感を覚えながら、相手の反応を待つ。
「私はこういう者です。そして家内の直美です」
差し出された名刺を覗くと『雨音茂』と書かれている。
職業は……舞姫女子大の准教授と理事?
結構偉い人なんだ。
「あまおと……でよろしいですか?」
職業よりも名前のほうが気になるのか、尋ねる桜川さん。
「いえ、『あまね』と読みます」
珍しい名字だ。だけどどこかで見たことがあるような……
「ほうほう。雨音さん。夫婦揃って、私に依頼したいこととはなんでしょうか?」
挨拶もそこそこに話を始める桜川さん。
名刺交換はしなくていいのかな……
「それはですね――」
「お子さんのこと、ですか?」
聞いておいて先回りして言う桜川さん。雨音さんと直美さんも目を見開き、口をあんぐり開けた。
私もそのリアクションを見て「ええ、当たってるの?」と驚く。
しばらくして雨音さんが首を振って平静を取り戻した。
「どういうことですかな? まさかすでに依頼内容を知ってて、知らないフリをしていたのですか?」
雨音さんの指摘に桜川さんは「ただの推理ですよ」と手品の種明かしするかのように話し出す。
「夫婦お二人で来るケースのほとんどがお子さんに関する事例なんですよ。簡単な統計です。それに夫婦が揃っていて浮気調査を依頼するのはありえないですしね。もしかして違いますか?」
そう説明されると納得はできるけど、わざわざ口に出す意味はあるのだろうか。
「なるほど……」
雨音さんは何回か頷いた。
「確かに私の娘の依頼です。間違いありません」
「では具体的にお子さんの調査をどう行なえばよろしいのですか?」
そこまでは分からないらしい。
「そうですね。しかし何から話していいのか……」
「あなた。はっきり言いましょう。あの子のことを解決してもらいましょう」
「……わかった」
直美さんの促しに、決意したのか、雨音さんは言いにくいことを言う。
「私たちの娘、雨音真理の死の真相が知りたいのです」
応接間に静寂が訪れた。
私は息を飲んで言葉が出なかった。
「そうですか。娘さんが……お悔やみ申し上げます」
桜川さんは頭を下げて哀悼を示し、続けてこう言った。
「いつ、お亡くなりになられたのですか?」
すぐさまそういうことが訊けるのは厚かましいというかずぶといというか。
「……先週の木曜日です」
「亡くなった場所と時間は正確に分かりますか?」
子供を亡くした親によく訊ける。この人良心とかないのかな。
しかしそんなメンタルだから探偵をやれるのだと思い直す。
「亡くなったのは竹尾駅の構内で、時間は午後十時三十八分です」
竹尾駅は都心からやや離れた他県の駅だ。私が桔梗学院に行く際、通り過ぎる駅の一つだから聞き覚えがあった。
「時間がやけにはっきりしていますけど、もしかして飛び込みですか?」
桜川さんの質問に、雨音さんは声を震えながら「はい」と答えた。
直美さんのほうを見ると目尻に涙が溜まっていて、いつ零れてもおかしくない。
「そうですか、飛び込み自殺――」
「真理は自殺なんかじゃありません!」
突然の大声に私は直美さんを見つめてしまう。
直美さんは、はあはあと息を切らし、桜川さんを睨みつけた。
「真理が、あの子が自殺だなんてするはずがありません!」
「えっと、落ち着いてください」
私は内心どきどきしたけど、ここは落ち着かせないといけないと思って声をかける。
直美さんは自分が何を言ったのかようやく理解したのか、気まずそうに「すみません」とか細い声で言う。
「直美、失礼だぞ。少し黙っていなさい」
雨音さんが注意したところで「いえ、私がデリカシーのないことを言ってしまい、本当にすみませんでした」と桜川さんが頭を下げた。
「ひょっとして依頼は自殺かどうかの調査でしょうか?」
桜川さんの言葉に二人とも反応した。
「こんなことを訊くのは失礼だと重々承知しているのですが、警察の見解は――」
「自殺、とのことです」
雨音さんが苦々しいという表情をした。
「ろくに調べずにあっさりと自殺だと決めつけて……私たちは信用できません。真理が自殺するなんて信じられません」
まあ、そうだろう。私は親を知らないけれど、もし自分の娘が死んでしまったらと考えると辛いに決まっている。
悲しいに決まっているのだ。
「そうですか……えっと、それではお辛いでしょうけど、雨音真理さんの経歴を教えてもらえませんか?」
桜川さんは懐から手帳とボールペンを取り出した。さらにボイスレコーダーもポケットから取り出す。
「それは……なんですか?」
「人となりを知りませんと、失礼ですが、自殺かどうかが判断がつかないんですよ。ですので、親の視点から見た雨音真理さんの性格を知る必要があるんです」
「しかし――」
「ご安心してください」
渋る雨音さんに桜川さんが説得を始めた。
「この案件が済みましたら、記録媒体は全て処分いたします。もちろん、あなた方の目の前で。誰にも漏らしませんし、風評もしません。誓約書も書きます」
「わかりました。すべて話します」
そう答えたのは直美さんだった。
「おい、直美――」
「あなた、真理の為ですよ。私は真理のためなら何でもします。もうできることは無くなってしまいましたけど、それでも真理が自殺なんてしたという事実を、受け入れて生きていくのは耐えられません」
直美さんは桜川さんに向かって、頭を下げた。
「私の証言だけでも、捜査してくださりますか?」
「もちろん。必ず真相を明らかにします」
自信満々に答える桜川さん。その自信はどこからくるんだろう。
「直美……そうだな、私も話そう」
雨音さんも納得したようだ。
「では、雨音真理さんの性格を教えてください。活発な子でしたか? それともおとなしい子ですか?」
テープレコーダーのスイッチを押して、質問が始まった。
「おとなしい子供でしたね。私たち親に逆らったことはありませんでした」
雨音さんが暗い顔で話し出した。
「ああ、失敬。その雨音真理さんは女性ですよね。年齢はいくつぐらいですか?」
そういえば基本的なプロフィールも訊いていなかった。
「はい、女の子です。高校二年生で、十二月で十七歳になるはずでした」
「ふうん。それではいわゆる反抗期はなかったんですね」
桜川さんは手帳にメモりながら、続けてこう訊いた。
「躾は厳しいほうですか? 何か束縛していた面はありましたか?」
「……原因が、私たちにあるとおっしゃりたいのですか?」
「いえいえ、あくまで参考程度ですよ」
雨音さんは気分を害したけど、思い直したのか「普通の家庭と同じですよ」と返した。
「体罰もしたことありません」
「なるほど。それでは……雨音茂さんはあの舞姫女子大の理事をしていられる」
いきなり話が変わったのに面食らったようだけど、雨音さんは「はい、それが何か?」と聞き返す。
「雨音真理さんは舞姫女子大の付属高校に在籍していましたか? それとも全然関係のない高校ですか?」
「いえ、舞姫女子大付属高校です」
「私の記憶ですと、舞姫女子大は幼稚園から中学校まで系列の学園を持っていたはずですが……すべてそれですか?」
「ええ、そうです……あの、それが関係あるんですか?」
傍から聞いているとまったく関係なさそうに思える。桜川さんは一体何の目的があって訊いているんだろう。
「何気ないことが大切なことに繋がる。これが私の捜査方法です。砂原さん、舞姫女子大についての知識はどれくらいある?」
「……えっ? 私ですか!?」
いきなり話を振られたので、当惑したが、自分の中にある記憶から舞姫女子大の知識を引き出した。
「私の知識だと名門中の名門の大学ですね。それでもお嬢様が通うイメージはなくて、むしろ庶民のほうが多い感じです。いわゆるお金持ちが通う大学じゃありません」
舞姫女子大は創立者が華族や名門の出ではなく、一代で財を成した富豪、姫川舞が築いた最高学府だ。そういう歴史もあって、お金持ちが入るような学校ではない。
奨学金制度も充実していて、私の偏差値が高ければ進路の一つとなっていたのだ。
「それで、特色と言えば?」
「えーっと、文武両道でいろんな大会の常連校だったような」
うろ覚えの知識だけど、まあそんなところかな。
「まあ、私たち一般人はこのくらいの認知度なんです。内情が分からなければ捜査のしようがない。雨音さん、これは答えられないのなら、言えないで構いません」
桜川さんは言葉を一旦切ってから、そして言う。
「いじめ問題はあったりするんですか?」
この問いに、雨音さんは首を振って「分かりません」と答えた。
「私は大学の人間ですので、付属高校までは目が届きません。しかし、いじめられるような子ではありませんでした。いや、いじめを受けるような人間関係を築いていませんでしたね」
「それはどういう意味ですか?」
桜川さんの追求に雨音さんは本当に困った顔をした。
「特定の人間としか深く付き合えない人っていますよね。社交性がなかったり、自分から交友関係を広げたりしなかったり……真理はそのタイプの女の子でした」
ああ、その手の子供は桔梗学院にも居た。仲良くなるのは難しいけど、慣れたら良い子が多かった。
「そうですか。では交友関係は乏しいんですね。良ければ雨音さんたちが知る限りでいいので、その友人たちの名前を書いてもらいませんか?」
桜川さんは手帳から一ページ紙を破り、ペンと一緒に手渡す。
「おい、直美。私が知っているのは二人だけだったよな?」
「ええ、あなた。坂井さんと本多さんね。よく家に来てくれたわ」
真っ白な紙に二人の名前が刻まれる。
坂井あかり。
本多はじめ。
「この二人は葬儀に来ましたか?」
「ええ。二人とも泣いていて、本心から悲しんでくれていましたよ」
桜川さんはふうんと頷きながら、書かれた紙をポケットに仕舞いこむ。
「それと部活とか同好会に所属していましたか?」
「ええ、手芸同好会に」
「人数と名前、その人の学年を教えてもらいませんか?」
雨音さんは詳しく知らないみたいで、奥様をちらりと見た。直美さんは「私も聞いただけですので」と前置きをした。
「真理の話ですと『自分以外先輩で、来年後輩が入らないと廃部になってしまう』とだけ言ってました。人数は真理を入れて五人だったはずです。名前は分かりません」
「なるほど。分かりました」
ペンを走らせ、何やら書くと手帳を閉じてテープレコーダーのスイッチを切った。
「質問は以上です。後はこちらで調べます。本日はどうもすみませんでした」
「……これだけでいいんですか?」
拍子抜けと言った顔の雨音さん。桜川さんは「ええ、十分です」と言う。
「写真をもらえますか? 雨音真理さんの」
「ああ、すみません。失念してました」
雨音さんは直美さんに出すように言った。
「こちらになります」
「拝見します。預かっていてもよろしいですか?」
「ええ、もちろん」
桜川さんは私にも「どうぞ」と言って見せた。
長い黒髪でなかなかの美人。華奢な感じがする。当然だけど雨音さんたちに似ていた。
背景の『祝入学』と書かれた看板とジャンバースカートの制服から察するに高校入学時の写真のようだった。
「ちなみに、誰の紹介で弊社のほうに来ましたか?」
そういえば宣伝も何もしていないのに、二人ともどうしてここに来たんだろう。
「担当の刑事さんの紹介です。えっと、青木さんという刑事さん――」
「ああ、青木ですか。あいつも偉くなりましたねえ」
そんな皮肉を言いつつ、顔は笑顔なのは不思議だ。
よっぽど親しいに違いない。
親しい人がいたのは驚きだけれど。
「次に報酬の話に移りたいのですが、よろしいでしょうか」
桜川さんは立ち上がり、木製の机の上の書類の中から無造作に紙を二枚取り出した。そして雨音さんたちに見せる。
「前金で五十万。真相解明で五十万。必要経費は別に請求します」
前金で五十万!? 全部で百万!?
はっきり言って法外な値段だった。
「青木から聞いていますよね? 前金は一括で払ってもらいます。現金で」
「ええ、聞いています。直美、出しなさい」
直美さんはシャネルのバックから分厚い封筒を取り出す。
「どうぞ、確認してください」
あっさり出すなんて、ブルジョアだ。
大学の准教授と理事ってそんなに儲かるものなんだろうか。
桜川さんは封筒から札束を取り出し、慣れた手つきで枚数を数える。
「……はい、確かに五十万、ですね。それではこちらの契約書にサインと印鑑をお願いします。後、連絡先も隣にお願いします。私の連絡先はこちらの紙に記載しておりますので、何かあればご連絡ください」
雨音さんたちは契約書をじっくり読んでから、サインと印鑑をした。
桜川さんももう一枚のほうにサインと印鑑を押した。
「ありがとうございました。それでは結果は一週間ほどお待ちください。必ず解決させてみせます」
お互いが書いた紙を交換して、これで契約が済んだ。
「……お願いします」
雨音さんと直美さんは立ち上がり、お辞儀をすると、そのまま玄関のほうへ帰っていった。
テーブルには、冷えたダージリンが残された。
「やれやれ、面倒な事件だ。自殺か他殺か見極めるなんて、探偵の仕事か?」
二人が帰ってからそんなことを零す桜川さん。私はティーカップを片付けながら「そういうこと言わないほうがいいですよ」と苦言を呈す。
「安請け合いしていいんですか?」
「安くはないだろう。百万貰えるのだから」
「そういう意味ではありません」
だけど百万貰えるってことは解決できる自信があるってことだ。
しかし――警察が自殺と断定した事件を覆すことができるのだろうか。
桜川さんの探偵としての実力を私はこの段階では知らない。
だから桜川さんよりもどきどきしている。
「さて、こうしていても時間の無駄だから、行くぞ」
桜川さんは立ち上がり、ネクタイとスーツを整え、玄関のほうへ向かって外に出る。
えっ? 私も行くの?
急いで外に出ると桜川さんはさっさと階段を下りていく。
入り口の札がひっくり返されていて『ただいま探偵活動中。不在です』になっていた。
鍵をかけてから階段を下りて、一階のロビーを出て、外に出て桜川さんに追いつくと、「どこに行くんですか?」と訊ねた。
「青木のところだ。事件のことはあいつに聞いたほうが早い。交通費をあげよう。一万円だ。チャージしてくれ」
さっき貰った封筒から一万円を取り出し、私に手渡す。
反射的に受け取ってしまった。
「ご飯はコンビニのおにぎりだな。一万円から出しといてくれ」
「ありがとうございます……青木さんって話に出てきた刑事さんですよね? どこにいるんですか?」
「決まってるだろう。あいつは捜査一課の刑事だ」
桜川さんはどうでも良さそうに言った。
「警視庁に行くぞ」




