告白と審理 その2
最近初めてばかりな経験が多く、流石にもう初体験はないだろうと思っていたけど、まさか警察病院に訪れることになろうとは思わなかった。
というより普通の病院と変わりがないのに驚いた。
「警察病院と言っても、民間病院と変わらないさ。警察官以外にも一般人も利用できるしな」
桜川さんがそう説明してくれたけど、いまいちピンと来なかった。
受付で名前を記入した後、青木さんの先導で件の入院患者のもとへ向かう。
「あまり刺激しないようにな。精神的に安定してきたけど、いつ爆発してもおかしくないからな」
「ああ、分かっている」
「どんな人に会うんですか?」
気になったので訊くと「事件関係者でまだ会ったことのない人だよ」と桜川さんは言った。
「事件関係者ってもう全員会ったと思いますけど」
「そうだな。事件関係者というより、被害者に近いな」
被害者? 雨音真理ちゃんはもう亡くなっているし……
「ここだ。五二三号室。くれぐれも慎重に頼むぞ」
ドアの隣にネームプレートがあって『田中進』とだけ書かれていた。
どうやら個室らしい。
青木さんがノックを三回して「青木です。失礼します」と言ってドアをスライドさせて開けた。
病室の窓側に位置するベッドに居たのは、若い男性だった。
おそらく二十代後半もしくは三十代前半。患者衣を着ていて、ベッドから上半身を起こしてぼうっとしている。
頬がこけていて、目の下のクマが大きくて、髭が伸びっぱなし。
病院に居るのに不健康な容貌。いや、不健康だから病院にいるのか。
なんだか異常な雰囲気を出している。
「田中さん、こんばんわ。青木です」
青木さんが話しかけると、田中さんは無言でこちらを振り向いた。
「…………」
「先程話した探偵と助手を連れてきました。是非、田中さんのお話をお聞きしたいとのことです」
「……そうですか」
なんだか分からないけど、異様な感じがした。
「はい。探偵の桜川元春です。こちらは助手の砂原めぐみです」
「砂原です。よろしくお願いします」
「訊きたいことってなんですか」
私たちの自己紹介を半ば無視して話し始める田中さん。桜川さんは「事件のことなんですけど」と口火を切った。
「先々週の木曜日、あなたは一人の少女を――」
「そうさ。僕が殺したんだ」
言い切る前に、田中さんは言った。
「僕が殺した僕が殺した僕が殺した僕が殺した僕が殺した僕が殺した僕が殺した僕が殺した僕が殺した僕が殺した」
まるで壊れたラジオのように繰り返す田中さん。
私は――正直、ゾッとした。
この人は、狂ってしまっているんだと感じた。この人は誰だかよく分からないけど、もう元に戻らないのだと確信した。
「田中さん、落ち着いてください。あなたが殺したわけではありません。あなたはただ、列車を運転していただけなのです」
青木さんが田中さんの肩を掴み、落ち着かせようとする。
ここでようやく、田中さんが特急電車の運転士だと気づいたのだった。
「でも、僕がブレーキを踏んでいれば、彼女は死なずに済んだんだ!」
青木さんの手を振り払い、ほとんど怒鳴るように言う。
「あの子は死んでしまったのは僕の責任なんです!」
パニックを起こして手がつけられない。
どうすれば――
「青木、どけ」
桜川さんが間に割って入り――
「うるせえ、静かにしろ」
容赦なく、田中さんの顔面を平手で殴りつけた。
「ふぐぅう!」
まるで蛙の鳴き声のような悲鳴をあげてベッドに倒れこむ田中さん。
「おい、桜川! てめえ何してんだ!」
「気つけだよ。これで切れた線は繋がったろう」
全然悪いとは思っていない桜川さんに、私はかなり引いてしまった。
人があんな勢いよく殴られたのを間近で見たのは初めてだ……
桜川さんは青木さんを振りほどき、田中さんの首元を掴んで、無理矢理目を合わせた。
「田中さんに訊きたいことがある」
「……な、なんですか! いきなり殴って」
「あんたが最後に雨音真理の生きている姿を見たんだよな?」
雨音真理という言葉に、田中さんは反応した。
「それがあの子の名前、なのか?」
「そうだ。あんたが轢き殺した女の子の名前だ」
「桜川! それ以上は――」
「うるせえ! 黙ってろ!」
桜川さんの一喝にその場にいた全員が動きを止めた。
「あんたには責任はないかもしれない。自殺にしろ他殺にしろ利用されたのは間違いないからな。だけど、それでも真実を知る人間には義務がある!」
桜川さんは怒っている。
何に対して怒っているのか、それは分からないけど、確実に怒っている。
「あの日、雨音真理はどういう風に電車に飛び降りたのか、どういう風に死んでいったのか、話してもらうぞ! まず彼女は誰に突き落とされたんだ!」
「つ、突き落とされて?」
「そうだ! 電車から見て誰から突き落とされたのか、あんたには見えていたはずだ!」
桜川さんの詰問に田中さんは首を振った。
「見えていなかったのか?」
「違う、違う! あの子は――」
田中さんは、恐怖していた。
桜川さんにではない。
とある現実に――恐怖している
それを言うのが恐ろしくて仕方がないとばかりにぶるぶる震える。
「言え! 言うんだ!」
「ぼ、僕には無理だ! 言えない!」
「言わないと一生後悔するぞ! 誰に突き落とされたんだ!」
「あの子は……あの子は……」
「言うんだ! 早く!」
「あの子は――っ!」
田中さんは滂沱の涙を流して、ほとんど叫ぶように、言った。
「あの子は突き落とされたんじゃない! 線路の上に立ってたんだ! 笑ってたんだ!」
「な、なんだと……? 今なんて言ったんですか?」
青木さんが恐る恐る聞き返す。
「ホントだ! 信じてくれ! あの子は線路の上に立って笑ってたんだ!」
田中さんは堰を切ったように話し出す。
「いきなり現れたように、線路に立っていたんだ。しゃがんだり横たわっていたりしていない! 立っていたんだ! 逃げようと思えば逃げられた! 避けようと思えば避けれたんだ! 僕はあっけにとられてブレーキをかけるのが遅くなってしまった。だから轢いてしまったんだ! 僕は、僕は――」
田中さんは頭を抱えてうずくまる。
「眠れないんだ。最後のあの子の笑顔が頭にちらついて、離れないんだ! 薬を飲んでも駄目だ! 一生離れなくなってしまった!」
まるで子供のように泣き出す。
青木さんも桜川さんも動かない。
誰も動かなかったので――
私が――田中さんに近づいて、頭を抱えて撫でてあげた。
「田中さん、大丈夫。あなたは悪くないよ」
できうる限り、優しい声で言ってあげる。
田中さんはハッとして私の顔を見つめる。
「僕は、どう償っていけば――」
「償いは田中さんの心が治った後にすればいい。今はゆっくり休んで」
施設の子供を慰める経験が活きたようだ。
「うう、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「……大丈夫ですよ。寝付くまで一緒に居てあげますから」
その後、田中さんが眠りにつくまで手を握り、頭を撫でてあげた。
ようやく寝られた田中さんの寝顔は――まるで憑き物が落ちたように晴れやかなものだった。
「すみませんね、砂原さん」
青木さんが申し訳なさそうな顔をしている。
「いえ、謝る必要はありませんよ」
そう。謝るなら桜川さんのほうだ。
病気の人にあんなやり方はないだろう。
その桜川さんは病室の隅でしゃがんでいた。
「桜川さん――」
「砂原さん、事務所に戻ろう。確認したいことができた」
桜川さんはあんなことがあったのにマイペースそのものだった。
「桜川さん、あなたには――良心がないんですか?」
そもそも人の心があることも疑わしい。
「探偵には必要ないさ。探偵に必要なのは好奇心と探究心。それだけで十分だ」
言い訳をするわけでもなくあっさりとそんなことを言う桜川さんに、私は心底幻滅したけれど、次の一言でそんな考えが吹き飛んでしまった。
「犯人が分かるかもしれない。今まで吹き込んだレコーダーを聞けばね」
「はあ? 昨日三分の一しか分からないって言っていたのに――」
「それが分かったんだよ。理由もその根拠もすべてが分かりそうなんだ」
桜川さんはにっこりと笑った。
それは真実を知ったものの反応だった。
「桜川。いつものパターンで、こんなことを訊くのは嫌なんだが、犯人はまだ言えないのか?」
青木さんはやっと解決できる期待と内緒にされるうんざり感の半分半分の表情をした。
「今は秘密だな。まあ待っててくれ。青木、車を回してくれ」
桜川さんは病室から出ようとする。
「疑問は氷解している。後は面倒くさい捜査編じゃなくて解決編へと繋がっていくんだ」
そう言い残して、病室から出た。
「青木さん、桜川さんは本当に分かったんですか? 正直、一緒に居ても誰が真理ちゃんを殺したのか、分からないんですけど」
「あいつの考えていることなんて、長い付き合いの俺にも分からないよ」
青木さんはやれやれといったように肩を竦めた。
「それでもあいつの事件解決率は十割だ。これは結構驚異的なんだぜ?」
青木さんはそこで、なぜかにっこりと笑った。
「あいつは名探偵じゃないけど、探偵としては優秀なんだ」
それから期限の金曜日まで、桜川さんはテープレコーダーを聞きながら手帳に何やら書き写す作業を繰り返していた。
「青木に頼んだら、金曜日に事件関係者が事務所に来てくれるようだ。それまで待機だ」
そんなことを言いながら作業の手を休めない。
私は三日間、もやもやしたままで過ごした。
それは私の頭が悪いせいか、どうしても犯人が分からなかったからだ。
まず田中さんの証言。
真理ちゃんは自分から線路の上に立ち、自ら望んで自殺したと田中さんは言っていた。
しかも微笑みながら。
しかし、そうなると矛盾が生じる。
真理ちゃんは敬虔なクリスチャンだ。そしてカトリックにおいて自殺は大罪。問答無用で地獄行きだ。
真理ちゃんが実はキリスト教を信仰していない見せ掛けのクリスチャンだとするならば、前提は崩れるのだけど、それはないようだ。
友達も親も、それと真理ちゃんの生活からも彼女がクリスチャンなのは間違いない。
ならば他殺とすると、どうして自ら線路の上に立っていたのかが説明できない。
誰かに脅されていたのだろうか?
しかし自分の死と引き換えに成立する脅しとは一体なんだろうか?
想像もつかない。
真理ちゃんの秘密を知っていた人物?
そう、真理ちゃんの秘密だ。
彼女は同性愛者だったようだ。
それは彼女の日記から知ることができた。
日記に記された『K先輩』とは誰のことを指すのだろう?
ヒントも何もないのに、分かるわけがない。
手芸同好会の誰かだと思っているが、もしかして他校の生徒という可能性も出てくる。
私たちが知らない第三の人物がいるのだろうか? それとも真理ちゃんの妄想?
そう考えるときりがない。
頭がショート寸前だったので桜川さんに直接「犯人は誰なんですか」と聞いてみた。
「砂原さん、それはトップシークレットだ。簡単に言うわけにはいかないね」
スマホを操作しながら桜川さんは言った。
「ゆっくり考えればわかるさ」
それっきり何を訊いても答えてくれなかった。
仕方がないから私は応接間を掃除したり、桜川さんのご飯を作ったりして、時間を潰した。
元々家政婦な私に探偵の助手なんて務まらない。
そう開き直ってしまった。
そして、期限の金曜日。
「午後七時に全員が事務所に来る手はずを整えた」
そう青木さんは言ったらしいけど、全員集まったのは、六時を少し越えた時刻だった。
全員とは事件関係者。
まずは依頼人の雨音夫妻。
雨音茂。
雨音直美。
次に亡くなった真理ちゃんの友人。
坂井あかり。
本多はじめ。
そして手芸同好会の四人。
小西琴音。
熊谷久美。
加藤小鳥。
如月香織。
それに加えて探偵と助手と警察官。
桜川元春。
青木陽三。
砂原めぐみ。
以上の人物が探偵事務所に集まった。
各々が立っていたり座っていたりして、どこかそわそわして探偵の口が開くのを待っていた。
探偵が一同を集めて推理を披露するなんて、まるで推理小説のようだと思う。
人口密度が高いせいか、それとも全員が発している緊張感のせいか、空気が張り詰めている。
呼吸するのも難しい。
息苦しい。
私は当事者ではない傍観者である。そんな私でもそう感じるほどだから――
「桜川さん、始めてもらえませんか?」
そう言ったのは、雨音茂さんだった。
「もう全員集まったのですから、良いではなりませんか。真理の死の真相を明らかにしてください」
そう急かす雨音さんに桜川さんは安楽椅子から立ち上がり「そうですね」と頷いた。
「その通り、全員が揃いました。そして謎も出揃い後は解決するのを待つばかり。しかし初めに言っておきたいことがあります」
桜川さんは全員の顔を見渡す。
見つめられた人は目を逸らしたり、見つめ返したりするなど、反応がまちまちだった。
「今回の事件の犯人は、刑事告訴できません。つまり逮捕できません」
その言葉に――一同はどよめいた。
不安げに顔を見合わせて、何やら囁く。
「それは――」
「事実です」
雨音さんの言葉を遮って桜川さんは言う。
「青木にも確認しましたが、逮捕できないようです」
全員が一斉に青木さんを見つめる。
「あー、そうですね。私は直前に桜川の推理を聞きましたが、どう考えても逮捕できません」
青木さんは注目されながらも軽く言うと、「納得できません!」と直美さんが立ち上がった。
「真理を殺した犯人を、どうして――」
「奥様、落ち着いてください」
桜川さんは静かに言う。
「私の話を聞けば、理解できると思います」
桜川さんは歩きながら、全員の視線を浴びながら、落ち着き払って言う。
「それでは、真相を明らかにしましょう」
いよいよ、謎解きが始まる。
「雨音真理さんを殺した犯人。それは――」




