ゴミ虫、王都へ向かう
「ああ……あああ、あり得ん……! 私の魔力感知をすり抜ける魔法など、この世に存在するはずがない……!」
カジノ『黄金の天蓋』の特別室。
床に膝をつき、頭を抱えてガタガタと震えるマルコ男爵を、俺――アルスは冷ややかに見下ろした。
彼の自慢の指輪(魔導具)は、今やただの冷たい金属の塊と化している。
「男爵。勝負は決しました。ギルバートの『領主の推薦状』、土地の権利書、そしてこのカジノの経営権……すべて我々が回収させていただきます」
俺がテーブルの上の書類を優雅に手元へ引き寄せると、マルコの部下たちが一斉に腰の剣に手をかけた。
だが、シャイアード騎士団長を退けたあの「偽りの神聖オーラ」を全身から放つ俺に圧倒され、誰も最初の一歩を踏み出せない。
「ま、待て……! 種明かしをしろ……!」
マルコが血走った目で俺を睨みつける。
「お前たちはどんな高度な隠蔽魔法を使った!? 私の魔力感知の網を、どうやって欺いたんだ!」
その問いに、俺はフッと、部屋中に響くような高い笑い声を漏らした。
ソフィアを隣に引き寄せ、哀れな敗者へ向けて、最後の精神的トドメ(種明かし)を刺す。
「男爵。貴方は優秀な魔術師だ。だが、優秀すぎたがゆえに、この世界の決定的な盲点に気づけなかった」「……何だと?」
「貴方のイカサマの仕組みは、ダイスの内部に仕込まれた『形状記憶魔合金』。貴方が指輪の火魔法でテーブルの温度を操り、ダイスの重心をスライドさせて出目を操作していた。ここまでは合っていますね?」
マルコの顔が、驚愕でさらに一段白くなった。その場に仕込まれた、誰にも見破れなかったはずの極秘のトリック。
それを、初対面の魔力ゼロのガキに完璧に言語化されたのだ。
「だが、私たちが使ったのは、魔法などという大層なエネルギーではない。……ソフィア、見せてやれ」
ソフィアが小さく頷き、ドレスの袖から、自身の綺麗な長い髪の毛を数本、テーブルの上にハラリと落とした。
「ただの……髪の毛……?」マルコが呆然とそれを見つめる。
「左様。貴方のダイスは、熱を加えると下側が重くなり、上側が狙った目(偶数)になって、床にベタリと水平に張り付くように設計されている。非常に精密な作りだ。……だが、精密すぎるがゆえに、床に『髪の毛が1本』挟まるだけで、わずかにダイスが傾いて(片浮きして)しまう」
俺は落ちた髪の毛を指先で弄んだ。
「ソフィアがダイスカップに手をかざした一瞬、彼女の超絶的な手先の技術で、カップの隙間からこの髪の毛をダイスの下に滑り込ませた。男爵、貴方が熱で重心を下に集めようとすればするほど、髪の毛1本分の傾きのせいでダイスはバランスを崩し、コロンと1マス分、強制的に横へ裏返ってしまう。……つまり」
俺はマルコの目をまっすぐに見据え、残酷な現実を突きつけた。
「貴方がイカサマを起動した瞬間に、確実にその逆の出目が出るという『物理的な罠』を、その場で仕掛けたのですよ。魔力など1ミリも発生していない。だから、貴方の高尚な『魔力感知』には、最初から何も映らなかった。……ただの髪の毛なんですから」
「物理……トリック……。魔法では、ない……?」
マルコはパチパチと目を瞬かせ、やがて、自分がどれほどマヌケな深読みをして自滅したかを理解した。
何も感知できないという『事実』に怯え、勝手に「神の領域の因果の書き換えだ」と勘違いし、恐怖のあまり精神を崩壊させた。
優秀な魔力感知能力が、自分自身をハメる最悪の凶器になったのだ。
「ア、アアアアア……ッ!」マルコは絶望の悲鳴を上げ、そのまま白目を剥いて床に卒倒した。
「勝負あり、だな」俺はギルバートの推薦状を懐にしまい、カジノの権利書をソフィアに手渡した。
「ソフィア、このカジノはお前が引き連れていた平民たちのコミュニティにくれてやれ。これだけの富があれば、あいつらも当分は飢えずに済むだろ」
「えっ……? いいの? これ、国家予算レベルの価値があるのよ……?」
ソフィアがオッドアイを丸くして驚く。
「構わん。俺の目的は小銭稼ぎじゃない。この世界のシステムそのものを買い叩くことだ。そのための一番の切符(推薦状)は手に入った」
俺が歩き出すと、ソフィアは権利書を大事そうに抱え、満面の笑みで俺の後を追ってきた。
「……ふん、相変わらず生意気な詐欺師ね。でも、ついていってあげるわ。アルス」
カジノを後にした俺たちは、再びギルバートの馬車へと乗り込んだ。
御者台のギルバートは「アルス様万歳! 聖女様万歳!」と、もはや神を拝むような声で馬を走らせる。
馬車の窓から、夕日に染まる交易都市ラザリアの街並みが遠ざかっていく。
ただの魔力ゼロの奴隷寸前だった少年が、口先とハッタリだけで、最初の街の権力者を奴隷にし、次の街の経済を崩壊させた。
そして、馬車が進む道の先――地平線の向こうには、この世界のすべての権力と、強大な魔力を持つ化け物たちが蠢く、巨大な城塞都市が見え始めていた。
「さあ、ソフィア。いよいよ本番だ」俺は懐の推薦状に触れながら、暗い馬車の中で狂おしいほどの笑みを浮かべた。「世界中の天才、英雄、そして神々を、俺たちの『嘘の迷宮』で溺れさせてやろう」




