魔力ゼロの詐欺師
「おい、その薄汚い泥棒の腕を叩き斬れ!」
怒号が響く。
目を開けると、俺は冷たい石畳の上に組み伏せられていた。
大勢の群衆が俺を見下ろし、豚のような顔をした貴族が、きらびやかな馬車の上から忌々しそうに俺を指さしている。
(……あぁ、思い出した。俺は死んだんだ)前世の俺は、詐欺師だった。
大企業の社長から悪徳政治家まで、あらゆる巨悪を口先一つで騙し、大金を巻き上げてきた男。
だが最後は、騙したマフィアに後ろから撃たれて終わった。
そして今、俺の脳内にはこの新しい世界の記憶が流れ込んでいた。
ここは【魔力至上主義の異世界】。
魔法の強さがすべてであり、魔力を持たない者は人間扱いすらされない。
この体の持ち主である少年・アルスは、生まれつき魔力ゼロ。
パンを一つ盗んだだけで、今まさに広場で処刑されようとしていた。
「待て」
俺は、自分の腕を掴む兵士の手をすり抜け、ゆっくりと立ち上がった。
首筋に冷たい刃が突きつけられる。
だが、前世で何度も修羅場をくぐり抜けた俺の心臓は、驚くほど冷静だった。
転生した瞬間、俺の脳内に神の「システム音声」が響いていたからだ。
『固有能力【言霊の迷宮】が発現しました』
『効果:対象があなたの「嘘」を真実だと信じ込んだ時、その嘘は【現実】へと書き換わる。ただし、嘘だと見破られた場合、あなたは即死する』
――なるほど。最高のチートだ。
ただし、失敗すれば即死のハイリスク。スリルとしては申し分ない。
「往生際が悪いぞ、魔力なしのゴミ虫が!」
豚貴族が嘲笑う。
周囲の観衆からも「殺せ!」と罵声が飛ぶ。
俺は服の汚れを払い、不敵な笑みを浮かべて豚貴族を見上げた。
「……哀れな。己の『死』がそこまで迫っているというのに、豚のように鳴くことしかできぬとは」
俺の声は、広場全体によく通った。
芝居じみた、しかし圧倒的な自信に満ちた声。
詐欺師の基本は、まず
「空気を支配すること」だ。
「……何だと? 負け惜しみを――」
「貴殿、今朝から右の脇腹が激しく痛むのではないか? そして、魔法を使うたびに、喉の奥から鉄の味がするはずだ」
もちろん、そんなのはハッタリだ。
太った中高年なら誰でも持っている持病と、魔法の使いすぎによる一時的な疲労を適当に言ったに過ぎない。
だが、豚貴族の顔が、一瞬で引きつった。
「な、なぜそれを……!?」
「かかった」と心の中で確信する。
詐欺の第一段階、【コールド・リーディング(観察と誘導)】の成功だ。
相手は俺が「何か特別な真実を知っている」と勘違いし始めた。
「貴殿のそれは、病ではない。……『呪い』だ。この街の魔力源である大結界が歪み、魔力の毒が貴殿の体を蝕んでいる。あと半日もすれば、貴殿の血管は内側から破裂し、血を吐いて死ぬだろう」
俺は、一歩も動かずに堂々と言い放った。
これが、命を賭けた最初の『嘘』だ。
「ば、馬鹿な! そんな呪い、聞いたことも――」
「信じぬなら、今すぐそこで死ねばいい。だが、私の言葉が真実かどうかは、貴殿の体が一番よく知っているはずだ。……さあ、胸に手を当ててみろ。鼓動が、異常に速くなっているだろう?」
人間は、恐怖を植え付けられると心拍数が上がる。
豚貴族はガタガタと震えながら、己の胸に手を当てた。
(騙されろ。俺の嘘を、本物の恐怖として受け入れろ……!)
広場が静まり返る。豚貴族の額から、滝のような汗が流れ落ちる。
彼は、目の前の「魔力ゼロの少年」が放つ、底知れない威圧感に完全に呑まれていた。
「あ、あ、ああ……! 確かに、心臓が破裂しそうだ! 喉が、喉が熱い! 助けてくれ! 呪いを解いてくれ!」
豚貴族が馬車から転げ落ち、俺の足元に縋り付いた。
群衆がどよめく。その瞬間、俺の頭の中にシステム音が鳴り響いた。
『対象が【嘘】を完全に信頼しました』『因果律の書き換えを実行します――【魔力の呪い】が現実化しました』
「ぐはぁっ!?」次の瞬間、豚貴族の口から、本物の鮮血がブチ撒けられた。
彼の血管が、見る見るうちに黒く浮き上がっていく。
俺のついた「嘘」が世界を騙し、本物の「呪い」として彼の体を破壊し始めたのだ。
「ひぃっ!? 呪いだ! 本当に呪いだ!」
「あいつ、ただの魔力なしじゃねえ! 呪術師だ!」
兵士たちが恐怖のあまり、持っていた槍を放り投げて後ずさりする。
さっきまで俺を処刑しようとしていた広場の全員が、今や俺を「死神」を見るような目で恐れていた。
俺は血を吐いてのたうち回る貴族を冷たく見下ろし、そっと耳元で囁いた。
「命が惜しければ、この街の全財産を私の宿に届けろ。……さすれば、呪いを解いてやらんこともない」「い、言われた通りにする! だから、助けてくれぇ!」
俺はゆっくりと翻り、怯える兵士たちの間を堂々と歩いて通り抜けた。
魔力など、一滴も持っていない。
だが、この日、一人の詐欺師の口先によって、一つの街の権力構造が、完全にひっくり返った。
(まずはこの街を買い叩くか。……次は、国だな)少年アルスの、世界を騙す「国崩し」が、ここから始まった。




