緑の狂宴と昭和の残滓
さて、滑り降りる順番も決まったところで、早速スロープという名の滑り台へと乗り込んでいく。
事前の打ち合わせ通り、まずはコビンが先陣を切って滑り出す。
「コビーン! もう少し、ゆっくり頼む!」
身体が軽いせいか、はたまたスロープの性質によるものか。
哨戒役だというのに、彼はあっという間に加速し、視界の彼方へと消えていく。
ひとまず危険なトラップは作動していないようだが、もし重量に反応する仕掛けがあったなら、巨漢のドルクの番で一巻の終わりだ!
僕たちも順次、スロープへと飛び込んでいった。
最後尾のライアが、腰に命綱のロープをしっかりと結びつけてから滑り込んでくる。
僕は滑降しながら、なぜかほのぼのとした郷愁に駆られていた。
「うん、あの夏の日を思い出すなぁ」
このスロープは、まさに市民プールにあった、あの巨大でぐるぐる回るウォータースライダーを彷彿とさせる。
途中から表面が微妙に湿気を帯びており、摩擦が少なくお尻への負担が軽いのはありがたい。
「あれ? なんだか速度が上がりすぎていないか……?」
これまで緩やかだったスロープが、突如として急角度へと変化した。
壁面や足元に力を込めて踏ん張ろうとするが、表面のぬるぬるとした粘液のせいで、加速が一向に止まらない。
先ほどまで緩やかな曲線を描いていたスロープが、徐々に直線的な急斜面へと姿を変えつつあった。
「みんな、速度が上がり続けている! 警戒を怠るな!」
僕が叫んだ直後、前方に異変が起きた。
シュパーッ!
何かが勢いよく上空へと打ち上げられていく。
目を凝らすと、それは先行していたコビンの姿だった。
さらに下方へ視線を移すと、なんとスロープの終点が真上に向かって反り返るように伸びているではないか。
「やばいな! ティーナ、風魔法で減速できないか!?」
このまま滑り続ければ、僕たちもコビンと同じように上空へと射出されてしまう。
ティーナは慌てて風魔法を全力で展開し、決死の減速を試みた。
しかし、もはや容易にはスピードが落ちないほどの急傾斜へと突入している。
「リューイ様、これ以上の減速は不可能です!」
ティーナが悲痛な声を上げる。
多少の減速には成功したものの、このままではコビンと同様に空へ打ち上げられることはもはや確実だった。
「全員、対ショック姿勢をとれ!」
僕たちは頭を抱え込み、必死に衝撃へと備えた。
そして次の瞬間、僕たちはスロープの終端である発射台から勢いよく射出され、虚空へと放り出された。
打ち上げられた直後、眼下の着地点を確認すると、どうやら水面のような場所が見える。
これならば、何とか致命的な被害は免れそうだ。
僕たちはそのまま、水面らしき場所へと落下していった……。
⚪︎
深い水中へと沈み込んでいく。
強い水の抵抗を感じるが、自力で這い上がることはできそうだ。
周囲には無数の気泡が激しく漂っていたが、今はそれに気を留める余裕などない。
必死に手足を動かし、何とか水面へと浮上して大きく息を吸い込む。
どうやら怪我もなく、無事に着水できたようだ。
周囲を見渡し、仲間たちの安否を確認する。
皆も無事に水面へと顔を出している。
「ティーナ、ドルク、エルーザ、コビン、ライア! みんな無事か!?」
ティーナ、ドルク、エルーザからはすぐに無事を知らせる返答があった。
しかし、残る二人の姿が見当たらず、返事もない。
「コビン! ライア! 無事か! 返事をしろ!」
僕は声を張り上げ、必死に呼びかけた。
すると、遥か頭上から聞き覚えのある声が降ってきた。
「リューイちゃーん、お姉さんは無事よぉ〜」
見上げると、垂直にそびえ立つスロープの発射台のすぐ下で、命綱のロープにぶら下がったライアが、なぜか振り子のように横へ揺れ動いていた。
「いや、どう考えてもおかしいだろ」
そう、普通であればあれほどの猛スピードで高く打ち上げられたのだ、反動でスロープに激しく叩きつけられるはずである。
それなのに、彼女は平然とした顔で横にブランブランと揺れている。
「いやん、リューイちゃんたら。乙女の秘密をそんなに見つめちゃダメよ! あれっ?」
ブランブランという揺れが止まった瞬間、ライアはその豊かな胸の重みに引っ張られ、あえなく逆さまの体勢になってしまった。
「あらやだ!」
ライアはそのままロープから滑り落ち、悲鳴を上げながら水面へと落下していった……。
豊かな胸がストッパーとして機能するとは、恐るべき威力である。
ひとまず水に落ちたライアを無事に救出した後、僕たちは泳いで陸地を目指すことにした。
豊かな緑に覆われた岸辺に向かって、青緑色に澄んだ水面を進んでいく。
ようやく陸地にたどり着いたと安堵した、その瞬間だった。
「リューイ様、ご無事で何よりです、ですです」
なんと、髪の毛一本すら乱れていない完璧な姿のコビンが、にこやかな笑みを浮かべて手を差し伸べてきたのだ。
「コビン、無事だったのか! あんなに高く打ち上げられたというのに……。というか、その服装は一体……」
目の前のコビンは、なぜか見事な漆黒の執事服に身を包んでいた。
左手で優雅にシルクハットを胸元へ当て、右手をこちらへと差し出している。
「あぁ、この装いのことですか? 少し高い所から落下した程度で、先ほどまで着ていた服がボロボロになってしまったため、急遽正装へと着替えさせていただきました、です。なに、この服であれば、並の魔獣の攻撃など受けたところで傷一つ付きませんので、どうかご安心を、ですです」
いや、コビンさん。服はおろか、あなた自身にも傷一つ見当たらないのだが。
コビンの手助けによって引き上げられ、他の仲間たちも次々と陸へと上がっていく。
「皆様、ではこちらへどうぞ」
コビンが恭しく僕たちを誘導する。
改めて周囲の景色を観察すると、そこはまさに一面の緑に支配された世界だった。
木々は鬱蒼とした葉で覆い尽くされ、太い幹は鮮やかな緑の苔にまみれている。
足元の獣道も、見慣れぬ緑の雑草や柔らかな苔によって完全に覆い隠されていた。
しばらく進むと、不意に視界が開けた。
そこには、息を呑むほど美しい緑の庭園が広がっていた。
「急なことゆえ、このような粗末なものしかご用意できず、誠に申し訳ございません、ですです」
確かに周囲は緑一色の自然そのものなのだが、なぜかそこには白亜の優雅なテーブルと椅子が設えられ、日除けのフードまで用意されている。
さらにテーブルの上にはティースタンドが置かれ、淹れたての紅茶が芳醇な湯気を立てているではないか。
「いや、十分すぎる……十分すぎる気遣いだけれど?」
確か、岸に上がってからこの場所へ来るまでに十分ほど歩いたはずだ。
その間、コビンはずっと僕たちと同行していたはずではないか?
この信じがたい状況は、いったいどんなマジックなのだ。
「本日は至らぬ点が多く、本当に申し訳ございません。コボルトとしての嗜みが全くできておりませんでした。異常な状況下とはいえ、どうか平にご容赦いただきたく存じます、ですです」
そう語ると、コビンは漆黒のシルクハットを左手で優雅に取り外し、僕たちに向かって深々と一礼をしたのだった。
さて、コビンのおかげで一息ついた我々は、改めて状況の確認を行った。
「一番の問題は、上に上がっていたはずなのに、気がついたら下に降りていたことではないです? ですです」
その通りだ。ダンジョンが上へと伸びていたはずなのに、僕たちは今、おそらく地下深くへと落とされている。
そして、この緑に囲まれた空間は、おおよそ一つの都市レベルの広がりを持っているように思える。
明らかに、上の階層よりも今いる場所の面積の方が巨大なのだ。
ということは、これがダンジョンの仕様なのか、あるいは下層へ行くほど面積が広がっていく構造なのか。
「みんな、ここは現実空間だと思うかい? それともダンジョンが見せている幻想かな?」
僕の問いかけに、エルーザがおもむろに弓を構え、一本の矢を解き放った。
ヒュンッ……。
エルーザの放った矢は、綺麗な放物線を描いて遠くへと消えていった。
「どうやら、現実のようですね」
エルーザ曰く、もしここがダンジョンの作り出した幻想空間であれば、矢の飛距離の限界点で目に見えない壁に当たり、不自然に落ちるはずだという。
しかし、矢は自然な放物線を描いて落ちていった。
ということは、この広大な緑の世界は紛れもない現実だということだ。
そして、ダンジョンが発生したのはこの地下であり、それが地表へと姿を現したに過ぎないということになる。
「ダンジョンは生きている……?」
僕は強い不安を覚えた。
地表に現れたあの巻貝は、あくまでダンジョンの一部に過ぎず、それが徐々に周囲の世界を侵食し始めているということだろうか。
しかし、確証はない。
今はまず、この目の前のダンジョンをどうにかしなければならない。
「確証はないけれど、このダンジョンは生きている可能性がある。他にも同じようなダンジョンが確認されている以上、ここを攻略して確たる証拠を掴まなければならない。みんな、ついてきてくれるか?」
僕は自分なりの予測を踏まえ、皆に同意を求めた。
仲間たちは一瞬だけ険しい顔を見せたが、すぐに力強く頷いてくれた。
「では、ボスの元へ向かおうか……」
僕たちは、ボスが潜むであろう中心部へと歩みを進めた。
コビンが先頭に立ち、案内を務めてくれる。
休憩所を出発して三十分ほどが経過した。
明らかに怪しい気配は漂っているものの、こちらへ危害を加えてくる様子はない。
やがて、ようやく中心部らしき場所へとたどり着いたとコビンが告げた。
鬱蒼とした森を抜け、見晴らしの良い場所へと出る。
開けてはいるのだが、なぜか酷く視界が悪い。
景色全体が、チカチカと緑色に瞬いているのだ。
ダンジョンの中だというのに、妙に眩しい。
腰の高さまで生い茂る草、光を反射して輝く眩いほどの緑。
僕たちは、完全なる緑の世界に包み込まれていた。
その時、どこからか不気味な音が聞こえてきた。
カサカサカサカサカサカサ……。
気がつけば、僕たちは完全に包囲されていた。
茂みの中から、何かが勢いよく飛び出してくる。
エルーザがすかさず矢を放つ。
命中した獲物が、ドサッと鈍い音を立てて地面に落ちた。
「カマキリか……」
小学生ほどの大きさはある巨大なカマキリが、地面に横たわっていた。
「まずいな、状況が悪い」
周囲は一面の緑。そして敵もまた、保護色となる緑色の体躯を持っている。
とにかく敵の姿が認識しづらいのだ。
まずは、こちらの戦いやすい環境へと引きずり込む必要がある。
「ティーナ、土魔法で辺り一帯の草を除去できるか!?」
腰まである草と緑色のカマキリ。このままではどちらも認識が困難だ。
「わかりました、土魔法でこの辺りの草原を土へと還します!」
ティーナが土魔法を発動させると、周囲の大地が激しくひっくり返された。
見渡す限り土色一色へと染まったが、今度はその土の中から、ボコボコと緑色の塊が無数に湧き出してきた。
子供サイズの巨大カマキリたちが、土中から這い出してきているのだ。
完全に囲まれた。いや、最初から包囲されていたのだろう。
半径十メートルほどの範囲に、カマキリの群れがびっしりと僕たちを取り囲んでいた。
土魔法でひっくり返した範囲は半径十メートル。
今僕たちを囲んでいるカマキリの大群も半径十メートル。
ということは、この緑の空間全域がカマキリで埋め尽くされているということか?
これでは完全に詰みではないか。
カマキリたちが一斉に襲いかかってきた。
全員、否応なしに迎撃を余儀なくされる。
ドルクが豪快に斧を振るい、カマキリをなぎ払う。
エルーザが跳躍したカマキリを、正確な矢で次々と撃ち落とす。
少し離れた位置にいる個体は、ティーナが土魔法で容赦なく押し潰していく。
そしてコビンは、ブレイクダンスのような変則的な動きでカマキリを細切れに切り裂いていた。
「キリがないな……」
カマキリの波状攻撃は一向に止む気配がない。
僕も剣を振るい対処を続けているが、敵は次から次へと無尽蔵に湧いてくる。
「どうする……」
このままでは体力を削られ、最終的には全滅を待つのみだ。
一刻も早く次の手を打たなければ。
「どうやら、カマキリたちは何者かに意識を誘導されているようですね!」
コビンが魔力の流れを読み取り、何者かからカマキリたちへと魔力が供給されているのを感じ取ったらしい。
本当にこの執事は規格外に優秀すぎる。
「コビン、操っている大元の方向がわかるか!?」
コビンが一点を指し示した。
ひときわ巨大にそびえ立つ樹木の方角だ。
「あの辺りから、何かしら巨大な存在を感じ取れます。それがカマキリたちを操っている大元かと思われます、ますます」
間違いない、ボスだ。むしろボスであってほしいと切実に願う。
「ボスを倒せば手下の活動も止まる」という、RPGにおける絶対的なお約束を今は信じるしかない。
日本で言えば都市レベルの面積がカマキリで埋め尽くされているのだ。これを全て殲滅するより、親玉の首を獲る方が遥かに現実的だ。
そんな希望的観測という名のフラグを立てつつ、僕は皆に突撃の陣形を指示した。
「ティーナ、エルーザ、コビンは後衛でカマキリの追従を阻止してくれ。ライアは中衛から前衛と後衛の支援を。僕とドルクで、ボスまでの血路を切り開く!」
結果から言うと、確かにボスはカマキリだった。
ただ、それを純粋な「カマキリ」と呼んでいいのかは甚だ疑問が残る。
両腕は確かにカマキリの鎌。
体色もカマキリ特有の鮮やかな緑色。
全体的なシルエットを見れば、カマキリと言えなくもない。
しかし、その顔には某戦隊ヒーローのような緑の仮面が装着され、腰には風圧で回る扇風機付きの変身ベルト、足元には白い長靴を履いている。
昭和特撮の要素をこれでもかと詰め込んだ、あまりにも場違いな姿だった。
おまけに、サイズは僕たちとほとんど変わらない等身大だ。
「ショベルカー軍団よ、よくぞ吾輩の前に現れたな……。今こそ正義の鉄槌を下す時だ……!」
カマキリ男はそう高らかに宣言すると、空高く飛び上がった。
「フゥラァッシュ〜!」
昭和の変身ヒーローばりの掛け声と共に、カマキリ男の腰ベルトの扇風機が激しく回転を始める。
緑の光がフラッシュバックのようにカマキリ男を包み込んだ。
その瞬間、カマキリ男の姿が変化した。
「正義は揺るがない、征伐!」
着地したカマキリ男は、顔の仮面と股間を隠す葉っぱだけを残し、あろうことか筋骨隆々な人間の姿へと変身を遂げていた。
そして、明らかに昭和の特撮ヒーローを意識した決めポーズをとっている。
街中であれば、今すぐ公然わいせつで警察に連行されそうな変質者スタイルだ。
「おまわりさん、変態がここにいます!」
僕はたまらず大声で叫んだ。
その瞬間、カマキリ男は目に見えて動揺を示した。
「ポ、ポリスメンだと!? 我が最大のライバル……ここは一時退くしかないようだな!」
そう言い残し、カマキリ男は足早に去っていった。
一体、何だったんだあいつは。
気を取り直し、僕は仲間たちへと向き直る。
「ボスは去っていった。あとは、この残ったカマキリたちをなんとかするだけだ……」
そう安堵の息を吐いた僕に、コビンが冷酷な事実を告げた。
「リューイ様、真のボスの気配は未だ消えておりません!」
コビンが指し示したのは、先ほどから背景として存在していた、ひときわ巨大な緑の物体だった。
それは巨大な樹木のように見えたが、よく目を凝らすとただの植物ではない。
木々のカモフラージュに覆われてはいるものの、途方もない魔力と生命力を内包した巨大な物体がそこに鎮座していた。
そして、それは地鳴りを響かせながら、ゆっくりと動き始めたのだった……。
⚪︎
「なんだか、酷く揺れてますねぇ……」
地上に取り残されたライアが、横にいるポチへと話しかける。
「ご主人様たちが激しい戦闘を繰り広げていると見えますなぁ。我々も、何としてもこの命綱のロープを死守しなければ」
二人はスロープの入り口手前にある石柱にロープを頑丈にくくりつけ、その周囲を警戒していた。
しかし、遥か地下からは断続的に地響きが伝わり、明らかに異常事態が起きていることが窺える。
その時、ポチが強く握りしめていたロープの感触が、ふっと軽くなった。
直後、スロープの奥底から、巨大なカマキリが勢いよく飛び出してきたのだ。
「ようやく我々の出番ですかな。一仕事と参りましょうか」
そう言うと、ポチは大きく息を吸い込み、迫り来るカマキリの群れに向かって凄まじいブレスを放った。
「どうやら、奴らにロープを切断されてしまったようですな。これはもう、直接ご主人様たちを助けに向かった方が良いのではありませんか?」
ポチは戦闘の手を休めず、ライアへと問いかける。
「そうですねぇ……ここに留まっている意味もなくなりましたしぃ、いっちょ行ってみましょうかぁっ?」
二人は顔を見合わせると、躊躇うことなくスロープの闇の中へと飛び込んでいったのだった。




