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信頼するオシフル帝とソガシの冷たい仕打ち……心身の疲れを癒すにも信仰が必要だったのかもしれない。
トヨミは仏像だけでは飽き足らず寺院建設にも打ち込んだ。アスハナに幾つかの寺院を建立している。アスハナはトヨミの私領、その地に私財をなげうっての寺院建設がオシフル帝やソガシの顰蹙を買うなど思いもしなかった。だが……
完工した寺の伽藍に仏像を安置してすぐ、母ハシヒにせがまれ案内したトヨミにハシヒが言った。トヨミが彫り上げた仏像をじっくり見てからだ。
「己の重さに耐えきれず落ちる。それが大きく育った実の運命」
仏像を見ても巫女の力が働くものなのか? しかし、落ちるなど、なんと不吉な……呆気にとられるトヨミ、ハシヒが続けた。
「落ちた実から零れるは種、やがて芽吹くが若木は風に揺れるもの」
そしてハシヒはトヨミに向き直る。
「若木は守らねば、な?」
「母者は吾を実り過ぎたと言いたいか?」
トヨミはいつかハシヒに言われた『咲き過ぎたる花は摘め』との言葉を思い出していた。
『咲き過ぎたる花は摘め。実り過ぎたるもまた同じ。大きく育てたタチバナは欲しがる者も多し。惜しむな』
「吾は、何も己ばかりを考えてなどいない。むしろ己のことは後回しにしてきた」
「ふむ……」
トヨミに答えずハシヒが仏像を見上げた。
「見事よな。これほど大きく美しい釈迦三尊を見たことがない。この寺もまた素晴らしい……」
この流れで褒められても素直に嬉しいとは思えず、トヨミが返答に困る。
「この寺や仏像をオシフル帝やソガシが見たら、どう思うであろう?」
「母者は二人が気を悪くするとでも言いたいのか? オシフル帝もソガシも仏教に帰依している。喜んで貰えるはずだ」
「二人が寺の建造や造仏に関与していたら、あるいはそうであったかも知れぬ――明日はイナノが見に来ると聞いた。イナノに訊いてみよ」
翌日、訪れを予告していたのはイナノだけではなかった。畏れ多いことにオシフル帝の御幸(帝の来訪の意)もあると言う。イナノはオシフル帝のお供の形だ。マダラ宮では帝を接待すべく準備に忙しかった。が、徒労に終わった。オシフル帝は寺と仏像を見たのちに、マダラ宮に寄ることもなくイナノを残して都に戻ってしまった。
ホキのいるマダラ宮に別の妃を連れて行くのもどうかと、トヨミはイナノを母ハシヒのナカツ宮に伴っている。
「トヨミは立派過ぎるのです」
イナノが言った。
「同じように寺を建て仏像を作っても、トヨミほどのものを誰も作れない。だからオシフル帝もソガシもトヨミを恐れるのです」
「吾が帝やソガシを脅かすはずはない……なんで信じて貰えないのだろうな?」
トヨミが溜息を漏らす。ハツヒは自分の部屋に籠ってしまい、ここにはいない。
「なんだか生きているのがイヤになった」
「何を言うのです!?」
「そう怒るな、何も自ら死のうとは思っていない」
イナノの剣幕にトヨミが苦笑する。
「だがな、死後には極楽に行けるそうだぞ?」
「極楽?」
「あぁ、如来のおわす美しいところだそうだ」
「トヨミは極楽に行きたいのですか?」
「うん? もしも死んだらな。まぁ、いずれ死ぬのだから、その時には行くぞ」
極楽は行こうと思っていけるところではなさそうだが、不用心なことを言ってイナノを不安にさせた。その不安を消すために、そう言ったトヨミだった。
しかし、ハシヒの告げやイナノの言葉を真剣に考えないトヨミではない。かと言って、今さら寺や仏像は壊せない。
まずトヨミは己の後継者と指名しているヤマセの身辺を固めることにした。ホキとの間に生まれたツキネをヤマセの妃としたのだ。異母兄妹での婚姻である。
同族間の婚姻を嫌っていたのでは? 問うホキにトヨミはこう答えている。
「吾の死後を考えるとヤマセの地盤を固めておきたい。皇女に数えられるツキネを娶れば、母親が皇女ではないヤマセの助けとなる。そしてツキネの母はホキ、皇女でないうえに、丈夫な身体を持っている。ヤマセの相手にこれ以上はないだろう」
つまり、同族間の婚姻と言っても両親が揃って同族ではないと言い訳したのだ。本音は他人など信用できるかと言いたかったのかもしれない。オシフル帝やソガシの仕打ちを考えたら、己の家族しか信用できないと思っていても不思議ではない。
ヤマセがホキの娘ツキネを妃とすると決まったと聞いたトウジの心は穏やかではなかった。夫トヨミだけでなく、あの女は息子まで奪うのかと思っている。反対するもののソガシは『決まったことだ』と受け入れない。
「よく考えろ。ツキネは皇女の身分を認められている。ヤマセが帝位に近付いたと言うことだぞ」
ソガシから見ればヤマセは孫、甥や姪は帝位に就いているが己の血を引いた帝は未だいない。トヨミからの申し出は願ってもないことだった。
納得できないトウジは弟エミゾに愚痴をこぼしている。
「父親さまはトヨミを嫌っていたのではないか?」
「嫌っちゃいないだろうさ。吾は大嫌いだがな」
煎り豆を頬張りながらエミゾが笑う。
「父者が面白くないと思うとしたらヤマセのことじゃなく、マダラ宮の近くに建てた寺だろうね」
「あぁ……聞くところによると随分と立派で美しい寺だそうだな。トヨミ自ら彫り上げた仏像が安置されてるらしいが」
「うん。その寺と仏像を民にまで拝むことを許した。みな、ありがたがって拝みに行く。ますますトヨミの人望は高まる一方。トヨミって男は人が好過ぎるうえに自分が妬まれるなんて思いもしてない。吾に言わせりゃあ愚か者だ」
これにはトウジがムッとする。
「おや、姉者が怒った」
ケラケラとエミゾが笑い声を立てる。
「そうそう、トヨミ、陵(墓)を造り始めたらしいぞ」
「ふん、存命中に陵を造るなど珍しくもない」
「それがさ、埋葬するのは誰だと思う?」
「ん? 自分ではなく?」
「自分も入るさ、だけど、ハシヒも合葬するんだと。母者大好きってか? 笑わせてくれる」
「それはトヨミが願ったわけではないな。いつだったかトヨミから聞いた。ハシヒが『夫が二人いるから選ばなかった方に恨まれそうだ』と言ったそうだ。だからトヨミと同じ墓がいいってね」
「ふぅん、なるほどねぇ……それじゃホキにも同じことを言われたのかな?」
「ホキ?」
「その陵にはトヨミとハシヒ、それにホキが埋葬されるって話だぞ」
「なんと……?」
トウジの顔が見る見る蒼褪めていく。
「エミゾ、その話は真実か?」
「さぁな、噂だからね」
「真実かどうか、確かめては貰えないか?」
「いいけど……確かめてどうする?」
「そうだな」
姉の顔を見てエミゾがぞっとする。これほど恐ろしい顔を初めて見たと思った。
「陵を、いつまでも空で置くのは勿体ないとは思わないか?」
ニッと笑ってトウジが言った――
トヨミが守ろうとした若木……己の子はヤマセだけではなかった。ホキとの間にできたハクセにも妃を迎えさせた。相手は皇女サト、トヨミの異母兄の娘だ。しかもサトの母親はハシヒ、亡夫の息子との間にハシヒが産んだ娘である。トヨミからすると姪であり妹、ハクセから見れば従妹で叔母、だが従兄妹同士はもとより、叔父姪、叔母甥の婚姻は珍しいことでもなかった。
トヨミはこの時はホキに言っている。
「これほど信用できる相手は他に居ない」
はやりオシフル帝やソガシの仕打ちをトヨミは忘れていない……重くなりそうな気持を隠して
「そうですね」
とホキは微笑んだ。もっともこの婚姻にホキは反対するつもりはなかった。
「反対されるかと思ってた」
「反対したほうが良かったですか?」
実はね、とホキがトヨミが打ち分けた。
「知っていることは、本人たちには内緒ですよ」
ハクセはサトに思いを寄せている……ホキの言葉に驚くトヨミ、が、それならと、さっさと話しを進めた。己の初恋を思い出していたかもしれない。ハシヒはサトを呼ぶとじっくり顔を見て、
「好いたものは仕方ない」
とだけ言っている。それは巫女としての告げではなかった。
サトもハクセを思っていたのだと判ったものの、仕方ないと言うことは何か支障が見えたのだろう。が、巫女が告げなかったのには告げないだけの理由があるのだと思うしかない。あるいは告げるほどの支障ではなかったのだ。
気掛かりではあるものの、トヨミはハクセとサトを結婚させた。結局、トヨミはハシヒが告げなかったことを知ることはなかった。告げずにいたことが現実に起こるのはのはずっとあと、ハシヒもトヨミもこの世を去ってからだ。
ハシヒが病に倒れたのはアスハナの南西イソナガの地にトヨミの陵が完成して間もなくだった。
ハシヒの症状は明らかに、このところ都で蔓延している病と同じものだ。都で病が流行っていると聞いて、トヨミは都からアスハナへの立ち入りを制限しアスハナに住む者には都に行かないよう触れを出した。ハシヒは宮から滅多なことでは出ない。それなのに、アスハナでその病にかかったのはハシヒが最初だった。
母者が病になるはずがない……だが今は原因を追究するよりもやることがある。ハシヒの部屋より、ナカツ宮に住む者を全て遠ざけ、トヨミ自ら看病に当たった。食事は部屋の戸の前に置かせ、運んできた者が遠ざかってから部屋に入れるようにしていた。
ホキさえ近づかせないトヨミ、仕方なくホキはナカツ宮にほど近い寺に籠ってハシヒのために祈り続けた。アスハナの民たちがいつしか集まり、ホキと並んで祈りをささげた。
ハシヒは理解できないところも多かったが、常に気遣ってくれているとホキは感じていた。いつも急に呼び出されるが、呼び出しの目的はホキや子らに何か食べさせるためだった。たいていは誰かから献上された菓子だった。身籠れば必ず手ずから拵えた菓子を振舞ってくれた。それが忘れられない。回復したら吾が拵えた菓子を食べて貰おう、そう決めていた。それなのに……
トヨミの看病もホキと民らの祈りも虚しくハシヒが息を引き取ったのは、あと十日もすれば新年になるという寒い日だった。




