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彼の心は誰のもの?  ~愛した人は雲の上、ついていきますどこまでも!  作者: 寄賀あける


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 (きささぎ)母者(ははじゃ)を呼んだのだろうか? 埋葬を終え、陵を見上げてそう思った。違うのは判っている。だが……母者(ははじゃ)の死は流行(はや)(やまい)によるものではない。アスハナで、(はは)(じゃ)以外に同じ病に(かか)った者がいない。流行り病に似せた何か。だがなんなのかは判らない。


 毒? どんな? 毒だとしたら飲ませたのは誰だ?

『トヨミ……菓子が届いた』

病床の、苦しい息の中でハシヒはトヨミにそう言った。


『ホキたちに、子らに食べさせなくてよかった……』

母者(ははじゃ)、その菓子、誰から届いたものですか?』

答えることなくハシヒはトヨミをじっと見た。そしてフッと息を吐いた。告げを言うのをやめたのか、それとももう巫女の力を(ふる)う体力が残っていないのか?


皇女(ひめみこ)として生まれ、(みかど)の妃となり皇子(みこ)皇女(ひめみこ)を産んだ。それが()の務めと疑いもしなかった』

母者(ははじゃ)、苦しそうです。お話は元気になられてからでよいのでは?』

『今、話しておきたい――トヨミ、済まない』

『何を謝られておいでか? 謝られるようなことは何もないではありませんか』

フッとハシヒが笑む。


『この病に伏してから、もし皇女(ひめみこ)でなかったらもっと違った人生があったのだろうと考えるようになった』

母者(ははじゃ)……』

『トヨミ、其方(そなた)もそう思うことが何度もあったのだろう? 其方(そなた)の母が()だったことを済まないと、そう思っている』

『そんなことは、けっして……母者(ははじゃ)で良かったと思っているのに!』


『あぁ、()もな、トヨミを産んでよかったと思ってはいるのだ。皇子(みこ)として生まれながら其方(そなた)は偉ぶることもなく、他者を常に思いやる慈しみに満ちている。そんな其方(そなた)()は誇りに思っているぞ』

『……母者(ははじゃ)

『この先、何があってもその心だけは持ち続け――』

ハシヒの言葉が不意に途切れる。ハッとトヨミがハシヒを見た。ハシヒはもう、息をしていない。うっすらと微笑んでいるようだった。


 ハシヒの病の原因は誰かから届けられた菓子だと推測するものの、誰から貰ったものなのか、言わないままハシヒは死んだ。ハシヒに付きっきりだったトヨミが発症しなかったことを考えても、流行(はや)(やまい)でないことは間違いない。ハシヒが崩御したことにより、名実ともに家長となったトヨミが最初にしたことは、弟妹たち、その子らに誰からの献上品であっても口にするなと命じたことだった。


 表面上は笑顔で受け取り、あとでこっそり捨てろ、けっして召使いに食べさせてもいけない。家畜にもだ……事情を知らない弟妹たちは奇妙に思った事だろう。しかし尊敬するトヨミの言うことだ、背く者は居なかった。


 心配はトウジのもとに居る子らだった。トウジは『馬鹿なことを』と笑い、考え過ぎだとトヨミの言うことを聞かなかった。幸いだったのはヤマセをツキネの婿とし、マダラ宮に住まわせていたことだ。もっともトヨミはトウジのもとに居る子らに危害が及ぶことはないような気がしていた。ソガシの後ろ盾があるからだ。それにひょっとしたら、ハシヒの死にソガシが絡んでいるかもしれないと疑っていた。


 その疑いは当たらずとも遠からずと言ったところか? ハシヒの死にソガシは絡んでいはしない。だが、ソガシの息子と娘はどうだったか……


 ハシヒの死を知ったトウジが弟エミゾに詰め寄っていた。

「まさか、ハシヒに毒を盛ったのはエミゾか?」

するとエミゾがフフンと笑った。


「あぁ、姉者(あねじゃ)()にくれた毒な。ハシヒに届くよう、手配したのは確かに吾()だ」

「な……なんてことを? ()はホキに食わせろと言って其方(そなた)に渡したはずだぞ?」

すると悪びれることなくエミゾが言った。


「トヨミでもいい、と言ったよな? だから()はどうしたら安全に(・・・)トヨミを()れるか考えたのさ」

「確かに言った。だがな、()が本気でトヨミに死んで欲しいと思うとでも?」

「おぉや、おや。トヨミがそんなにいいのかねぇ? (とこ)を共にするのが苦痛だって言ってたくせに」

「そ、それは……」

エミゾに気安く話し過ぎたと後悔するトウジ、だがもう遅い。


 トヨミとの(ねや)は苦痛だった。正確には苦痛でないのが苦痛だった。


 初めてトヨミを見た時、トウジは自分よりも美しい女童がいることに驚いた。のちのソウシュン帝(オシフル帝の前帝)の妃となっていた姉に会いに行った時、ソウシュン帝の同母妹ハシヒが連れてきていたのがトヨミだった。


 トヨミの美しさにドキドキしながら見渡すと、周囲は皇子(みこ)皇女(ひめみこ)、なんと彼らの煌びやかなことよ……姉や自分が見すぼらしく思えた。トヨミが男童と知った時は衝撃を受けた。男でさえあの美しさ、帝の血筋はみな美しい。


 トヨミが気になってチラチラと盗み見た。皇女ヌカタベ(のちのオシフル帝)の娘皇女(ひめみこ)カタコと親し気に微笑みあっているのを見て羨ましく、カタコになりたいとさえ思った。


 そのカタコがトヨミの妃になった――羨ましいのを通り越して妬ましかった。


 いつものように姉に呼ばれてソウシュン帝の宮に行くとヌカタベ(オシフル帝)やハシヒも来ていた。トヨミとカタコもいた。話しに()いたトヨミがカタコとトウジを庭の散策に誘った。本当はカタコと二人で行きたかったのだろうが、トウジを置いて行っては可哀想だと思ったのだろう。トヨミは誰にでも優しかった。その優しさを辛く感じる相手がいるなんて思ってもいない。


 春の麗らかな日差し、よく手入れされた庭、すぐ横に流れる小川は光を弾いて輝いていた。トウジは二人より少し遅れて歩いた。トヨミは時おり振り返っては、トウジがちゃんとついて来ているかを気にしてくれていた。


 やがて池のほとりにつくと、カタコが足を止めてツバキの木を見上げた。高い位置に咲くツバキ、トヨミが庭の大きな石を足場に手を伸ばす。それを見詰めるカタコ、カタコのためにトヨミがツバキを手折ろうとしている……トウジの足がよろめいた。わざと転んだふりをした。その勢いてカタコを押し倒そうとした。押し倒すだけのつもりだったのに。


 押し倒されたカタコは池に落ちていく。気付いたトヨミが、手折ったツバキを投げ出して、自分も池に飛び入った――池は膝ほどの高さ、トヨミが笑ってカタコを助け起こした。トウジは地に倒れたまま、池の中の二人を見ていた。二人ともずぶ濡れ、『泳ぐにはまだ早いぞ』とトヨミが笑い、クシャミをしたカタコが照れて笑った。


 カタコが熱を出したのはその夜だ。そしてあっと言う間にこの世を去った。自分のせいだ、いいや違う、カタコは昔から体が弱いと(あね)さまが言っていた。


 だけどトヨミは()のせいでカタコが池に落ちたことを知っている。恐ろしさで身体が震えた。それなのに、カタコがいなくなったことを心の奥では喜ぶ自分がいることにも気づいていた。それが尚更トウジを悩ませる。


 重く沈んで溜息ばかり、気付けば涙ぐんでいる。そんなトウジに父ソガシが言った。

『カタコとは幼馴染だったな。気落ちするのは判るが、そんなに思い悩んでも仕方あるまい』

『そうではないのです――さぞトヨミが悲しんでいるだろうと、それを思うと苦しいのです』

なぜそんな言葉が出てきたのか? カタコの死の原因を作ったのは自分だなど、たとえ父にも言えなかった。咄嗟に飛び出した言い訳だった。


 ソガシがマジマジとトウジを見て言った。

『ならばトウジ、カタコの代わりにトヨミを慰めてやらぬか?』

そうしてトウジはトヨミの妃となった。


 トヨミがカタコのことでトウジを責めることはなかった。それどころかいつも優しく気遣ってくれた。幼いころから思い続けたトヨミ、その妻となった喜びとカタコへの後ろたさ、そして……


 あれは初めての夜、優しいトヨミ、許された、愛されていると思ったのに。眠ってしまったトヨミの頬を伝う涙、そして聞こえてきた微かな声。

『カタコ……』

トヨミは()を妃にしてもカタコを忘れることはない。心に居るのはカタコだけ――


 ()が慕っていると知ったらトヨミはなんと言うだろう? カタコを殺した其方(そなた)が何を言う、そう言って()(さげす)むに決まっている。知られてはならない。


「おいおい。今さら気が変わったって言っても、遅いぞ?」

黙りこくってしまったトウジにエミゾが慌てる。

「もう仕掛けてしまった。今さら後には引けないからな」


「エミゾ、いなくなって欲しいのはトヨミじゃなくってホキのほうなのに?」

「んー、まぁ、ホキになるかトヨミになるか、それとも両方かは、なんとも言えないからなぁ」

「どういうこと?」

エミゾがニヤリと笑う。


「毒を仕掛けたのはナカツ宮の庭だ」

「へ?」

「ナカツ宮は主人(あるじ)をなくした。きっとトヨミはマダラ宮をヤマセに譲ってナカツ宮に移るはずだ――ヤマセを後継と公言してる。マダラ宮を譲るってことはそれを確かなものと世間に報せる意味がある」


「いや、待って……ナカツ宮の庭に毒?」

「庭に毒草を植えてきた。触れれば触れたところから体が腐っていく。手に入れるのに苦労したぞ」

「そんな恐ろしい……でも、トヨミは食べ物を迂闊に口にするなって」


「そうさ、オシフル帝が菓子を拵えてハシヒに届けた。一つしかないから自分で食べて、今度会った時に感想を聞かせて欲しいって使いの者に持たせたんだ。()はその使いと一緒にナカツ宮に入って隙を見て庭にその毒草を植えてんだよ」

「それじゃあ、ハシヒはその毒草に触ってしまった?」

「季節を問わず、きれいな花が咲く。()が植えた時も黄色い花が咲いていた」


「だってエミゾ、植えたってことは触ったんじゃ?」

「じかに触ったりするもんか――どうしてもトヨミを助けたいなら、行ってトヨミに教えてやるといい。庭に黄色い花が咲く毒草を植えたってね」

ふん、とエミゾが立ち上がる。

「でも、その時は姉者(あねじゃ)()だけじゃなく、姉者(あねじゃ)もトヨミに殺される覚悟をするんだね。何しろトヨミの母者(ははじゃ)を殺したんだ」


 エミゾの予測通り、それから程なくトヨミはマダラ宮をヤマセに譲り、ナカツ宮に移っている。トウジはナカツ宮の庭の秘密を告げられないまま思い悩んでいた。


 やはりトヨミに死んで欲しくない。だけど……カタコから奪えないと諦めたのにトヨミはカタコを忘れ、死んでもホキとともに眠りたいと望んでいる。それを思うと死んでしまえばいいと思えてくる。


 トウジが思いきれないまま時は過ぎ、野に山に、そして庭に花が咲き乱れる季節になった。トヨミがイナノに譲ったタチバナ宮の庭は白い花で覆われ芳香が漂い、ヤマセに譲ったマダラ宮のツバキは見ごろを終えていた。


 トヨミを新たな主人(あるじ)に迎えたばかりのナカツ宮では、トヨミの急な病にホキが()(ろた)えていた。ハシヒの死から、もうすぐ二月(ふたつき)になる頃だった。 

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