12 非
わたしが発した言葉が酒匂くんと一致したが、やはり不思議な気がしない。
酒匂くんは『同期』と言うが、本当に同期しているのかもしれない。
「高野さん、ねっとり感を感じたのは、あのときだけ……」
酒匂くんが問うので、
「そうね、その後薄れて再現はないわ。でも今は少し感じるかな」
「ぼくも同じだよ。少し感じる方も……」
「酒匂くんは何だと思う」
「境界が薄い部分があるのかもしれない」
「本当の現実との……」
「それとも同じ人間なのかな」
「誰と誰が……」
「ぼくと高野さんがだよ」
「どういうこと」
「一人の人間が、ぼくと高野さんの両方にアクセスしているってこと」
「わたしには酒匂くんの心の中までは見えないけど……」
「ぼくと高野さん自体は独立したプログラムなんだよ。でも乗る人が同じ」
「ああ、そういう……」
「単なる思い付きだけど……」
「可能性はあるかもしれないわね。でも変態だわ」
「どうして……」
「だって、わたしたち、さっきまで××していたのよ」
「なるほど、そうか。究極の独り××だね」
「そう思うと気分が悪いわよ。酒匂くんとのは良かったけど」
「じゃ、その説は捨てることにしよう。どうせ証明できないから」
「代案は……」
「単なるバグ」
「そっちの方がありそうかも……」
「月並みだからね」
「一つ戻って、薄い部分って言う方は……」
「あの場所に行けば、また同じ現象が起こるかもしれないってこと」
「だって、わたしは五日通ってるけど、その感じはないな」
「じゃ、移動しているのかな」
「ウィークポイントの移動……」
「……だとしたら、もう体験できないかもしれない」
「わたしと酒匂くんの二人が近くにいるといっていう条件があるのかも……」
「それなら同期も関係するかな」
「この世界の秘密を本人たちはまったく知らずにわたしと酒匂くんが担っているみたい」
……ということで、あの場所に出向くことに酒匂くんと決める。
でも酒匂くんは、その前に少し愉しみたいようだ。
「ところで高野さん、まだ元気がある」
酒匂くんが言うので、わたしが手を伸ばす。
感触を味わい、言葉を返す。
「酒匂くんの方は元気みたいね。いいわよ、わたしも付き合うわ」
その後、一眠りし、ホテルからのチェックアウトが遅くなる。
道行く人の顔を避けるように酒匂くんと二人、そそくさとラブホテルを出て街を歩く。
春も近いと感じさせる風を感じながら……。
電車を乗り継ぎ、あの現場へと徐々に近づく。
そこで何かがはっきりするのか、それとも唯の勘違いに落ち着くのか、現時点では答が見えない。
が、それよりも現実的なのはお腹が減ったことだ。
「酒匂くん、何か食べない」
「ああ、ごめん。ぼく、朝はあまり食べないから気づかなかった」
……ということでファストフード店へ。
酒匂くんもコーヒーだけではなくハンバーガーを食べる。
「シミュレートされた世界にいるなら、お腹なんか空かなけりゃいいのに」
「そうかな。わたしはシミュレーションでも、いろんな美味しいものを食べたいな」
「高野さん、楽観的だね」
「離婚してから、そういうことにしたのよ。悪いことに気を病むのは無駄だって……」
「高野さんがぼくより確りしてるのには、それなりの理由があったわけだね」
「どんなことにだって理由はあるものよ」
やがて朝食を終え、現場に近づく。
期待はしていなかったが、ねっとり感が再現される。
前より濃いかもしれない。
わたしが思うと、
「街自体が生きているみたいだ」
酒匂くんが感想を述べる。
「心臓の音が、また聞こえて来たよ」
「わたしにも聞こえる」
「いったい何なのかな」
「見て、地面が脈を打ってる」
「本当だ。でも他に気づいた人がいない」
「見えないのよ」
「そういうバグか」
「あるいは単に背景なのかもしれない」
ついで起こったのは空間亀裂。
道路から家の屋根くらいまでぐにゃりと裂ける。
元の風景が何処にでもある町の一角なので違和感が凄い。
亀裂自体は脈動し、赤黒い中のモノをわたしたちに見せる。
が、データや数字や、そういったイメージは現れない。
「何なの、これは……」
「さっぱりわからないよ」
が、答の方がやってくる。
タツノオトシゴのような形が垣間見えたのだ。
わたしにはまるで意味がわからないが、酒匂くんには閃くモノがあったようだ。
「このシミュレーション世界は電脳空間じゃないんだ」
……と言われても。
「あれは海馬だよ。しかも形が通常人と違って萎縮している。知的障碍者の海馬だと思う。それが正しいとすれば……」
酒匂くんが怖い顔でわたしを見つめ、言う。
「ぼくたちは人の脳の中にいるんだ。しかも非正常人の脳の中に……」
「それって、どういう……」
「海馬っていうのは人間が外から取り込んだ情報を脳本体に伝える機関なんだ。だから海馬に異常があれば、それ以外の脳組織に異常がなくても知的障害になる。このシミュレーション世界を作った人たちの社会の倫理がどのようなものだか、ぼくには想像もつかないけど、外の世界の研究者は、そういった知的障害者の脳をシミュレーションに利用しているんだ」
「ある意味、胡蝶の夢、ってこと……」
「荘子のモノとは違うけれどね」
が、それは本当に違うのだろうか。
「それに高野さん、見てごらんよ。海馬の形が少しずつだけど正常なモノに戻っている。つまり脳の持ち主が僅かでも正常に戻ろうとしているんだ」
「……ということは、それが、わたしたちが体験したバグの原因とか」
「確信も確証もないけど、高野さん、その可能性はあるね」(了)




