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鉄が交わる、甲高い響き。
土を踏みにじる、荒々しい足音。
怒号。
悲鳴。
絶叫。
肉を断つ音。
「ん……」
薄目を開けた途端、飛び散る血飛沫におはようの口付けをされた。
「!」
慌てて、血を拭う。
「何が……」
周囲は血臭に満ちていた。
目の前に、死体が三つ。裂かれた胴から、おびただしい量の血と臓物が溢れている。
「……!」
舌の先まで出かかった悲鳴を、ウタイは必死で飲み込んだ。
剣戟。
ポロノシューが四人の野伏と戦っている。
また一人、野伏が倒れた。
残りの三人が算を乱して逃げだした。そのうち一人は背中から斬られた。
逃亡する野伏を追って、ポロノシューは藪のなかへ姿を消した。ウタイは声も出せず、その後ろ姿を見送った。
「…………」
見渡せば、物言わぬ五つの骸。むせ返るような死臭。また吐きそうになり、口元を押さえる。
そのとき茂みが揺れ、血刀を手にしたポロノシューが戻ってきた。
ウタイは、ほっと息をついた。
「大丈夫?」
柄にもなく、優しい言葉をかけてしまう。
「よく眠れたか?」
だが返ってきたのは、視線と同じくらい冷たく痛烈な皮肉だった。
ウタイは、ムッと顔をしかめた。
「……あなたこそ、ずいぶん帰りが遅かったじゃない」
「村でこいつらの噂を聞いて、すぐに戻ってきたつもりなんだがな。おまえこそ、あんな無防備な姿で眠って、危険だと思わなかったのか?」
「う……。し…仕方ないでしょ。急に苦しくなったんだからっ」
「苦しい?」
「何だか知らないけど、急に胸が痛くなって……死ぬかと思ったわよ」
「…………」
どうせまた嫌味でも言うんでしょう、とウタイは身構えた。
しかしポロノシューは、ひと言、すぐに発つとだけ言うと、曲刀の血を近くの死体の服で拭いた。
「二人逃がした。仲間を集めて戻ってくる前に、ここから離れた方がいい」
ウタイは得心して、唇の端を吊り上げた。自分がヘマをしたものだから、ばつが悪くて、彼女に対して強く言えないのだ。
「あなたもたまには……」
ここぞとばかり嫌味のひとつでも言ってやろうとしたが、肝心のポロノシューはさっさと歩きだしている。
「ちょ…ちょっと待ってよ!」
杖を突き、慌ててポロノシューの背中を追いかけた。
「後で覚えてなさいよ」
ポロノシューは藪のなかに潜り込み、山中の道なき道を進んだ。少しでも、追っ手の目を眩ませるためだ。
木の枝や蔦が二人の進路を塞ぐと、そのたびポロノシューが、山刀で切り落とした。
「ん?」
どことなく彼の動きが、ぎこちない。
「あっ!」
ウタイは驚愕の声をあげた。
ポロノシューの脇腹から、血が滲み、土の上に転々と滴り落ちていたのだ。
「ちょっと、あなた、血が出てるわよ」
果たしてポロノシューは脇腹に手をやり、顔を強張らせた。彼にしては珍しい反応だ。
「痛くないの?」
先の戦闘で負傷したのだろう。だが、いくら何でも気付かないものだろうか。
「手当てしといた方がいいんじゃない?」
だがポロノシューは、黙って血の付いた手を凝視している。
「聞いてるの?」
しだいに、ウタイの方が不安になってきた。
唐突にポロノシューが歩きだした。
「ちょっと待ちなさいよ。手当ては?」
しかし彼は聞く耳を持たない。
「待ちなさい……待てってば!」
頭に来たウタイは、杖でポロノシューの背中を小突いた。そんなに強くやったつもりはなかったが、予想以上に手ごたえがあった。
「きゃっ」
その拍子にバランスを崩し、小突いた彼女の方が転倒してしまった。
顔を上げると、ポロノシューが立ちはだかっていた。
じっと彼女を見下ろしている。ウタイは、土の味のする唾を飲み下した。
「……おこってる?」
「いや」
「小突いたのは悪かったわ。けど、そうでもしないと、こっちの言うこと全然聞いてくれないじゃない」
「こんな怪我、放っておいても治る」
「あのね……」
ウタイの頬が引きつる。
思ったより傷は浅いのだろうか。だが、そうは見えない。これで何もせずとも完治したら、本当に不老不死の魔物である。
「とにかく」
気を取り直して、ウタイは二人が通った後を指差した。そこには転々と血の跡が残っていた。
「こんなの残してたら、わたしたちの行き先を敵に教えてるようなものよ」
「なるほど」
それで納得したのか、ポロノシューはその場に座り込んだ。
思いのほか彼の顔が近くに来て、ウタイは緊張した。
だがポロノシューは、彼女の微妙な反応には一切気付かない。荷物から包帯や当て布を取りだすと、慣れた手つきで自分の体に巻いていく。
その様子を、ウタイはじっと見つめている。
「…………」
目を伏せた。
かぶりを振った。
「行くぞ」
声に反応して顔を上げると、ポロノシューはすでに立ち上がり、ウタイの返事も待たずに歩きだしていた。
「待ってよ。わたし怪我人なのよ。もうちょっと労りなさいよっ」
文句を言いつつ、足場の悪いなかで、何とか立ち上がる。
杖にも、だいぶ慣れてきた。
そのはずだったが、うっかり右足を滑らせてしまった。
「あっ」
咄嗟にポロノシューの腕が伸びて、ウタイの体を支えた。
いつの間に……。
「気を付けろ」
「あ、ありがと……」
頬が自然と赤くなる。
「歩けるか?」
「うん……」
彼の顔が、また間近にある。
「…………」
「どうした」
「……何でもないわ。さっ、早く行きましょ」
ウタイは、冷静を装いながら言った。
ポロノシューは無言で歩きだした。
その小さいのか大きいのか判らない背中に、ウタイは無意識に、何度も目をやっていた。