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イェルフと心臓  作者: チゲン
第一部 イェルフと心臓
7/61

7頁

 鉄が交わる、甲高かんだかい響き。

 土を踏みにじる、荒々しい足音。

 怒号。

 悲鳴。

 絶叫。

 肉を断つ音。

「ん……」

 薄目を開けた途端、飛び散る血飛沫におはようの口付けをされた。

「!」

 慌てて、血をぬぐう。

「何が……」

 周囲は血臭に満ちていた。

 目の前に、死体が三つ。裂かれた胴から、おびただしい量の血と臓物が溢れている。

「……!」

 舌の先まで出かかった悲鳴を、ウタイは必死で飲み込んだ。

 剣戟けんげき

 ポロノシューが四人の野伏と戦っている。

 また一人、野伏が倒れた。

 残りの三人が算を乱して逃げだした。そのうち一人は背中から斬られた。

 逃亡する野伏を追って、ポロノシューはやぶのなかへ姿を消した。ウタイは声も出せず、その後ろ姿を見送った。

「…………」

 見渡せば、物言わぬ五つのむくろ。むせ返るような死臭。また吐きそうになり、口元を押さえる。

 そのとき茂みが揺れ、血刀を手にしたポロノシューが戻ってきた。

 ウタイは、ほっと息をついた。

「大丈夫?」

 柄にもなく、優しい言葉をかけてしまう。

「よく眠れたか?」

 だが返ってきたのは、視線と同じくらい冷たく痛烈つうれつな皮肉だった。

 ウタイは、ムッと顔をしかめた。

「……あなたこそ、ずいぶん帰りが遅かったじゃない」

「村でこいつらのうわさを聞いて、すぐに戻ってきたつもりなんだがな。おまえこそ、あんな無防備な姿で眠って、危険だと思わなかったのか?」

「う……。し…仕方ないでしょ。急に苦しくなったんだからっ」

「苦しい?」

「何だか知らないけど、急に胸が痛くなって……死ぬかと思ったわよ」

「…………」

 どうせまた嫌味でも言うんでしょう、とウタイは身構えた。

 しかしポロノシューは、ひと言、すぐにつとだけ言うと、曲刀の血を近くの死体の服で拭いた。

「二人逃がした。仲間を集めて戻ってくる前に、ここから離れた方がいい」

 ウタイは得心とくしんして、唇の端を吊り上げた。自分がヘマをしたものだから、ばつが悪くて、彼女に対して強く言えないのだ。

「あなたもたまには……」

 ここぞとばかり嫌味のひとつでも言ってやろうとしたが、肝心のポロノシューはさっさと歩きだしている。

「ちょ…ちょっと待ってよ!」

 杖を突き、慌ててポロノシューの背中を追いかけた。

「後で覚えてなさいよ」

 ポロノシューは藪のなかに潜り込み、山中の道なき道を進んだ。少しでも、追っ手の目をくらませるためだ。

 木の枝やつたが二人の進路を塞ぐと、そのたびポロノシューが、山刀で切り落とした。

「ん?」

 どことなく彼の動きが、ぎこちない。

「あっ!」

 ウタイは驚愕の声をあげた。

 ポロノシューの脇腹から、血がにじみ、土の上に転々と滴り落ちていたのだ。

「ちょっと、あなた、血が出てるわよ」

 果たしてポロノシューは脇腹に手をやり、顔を強張らせた。彼にしては珍しい反応だ。

「痛くないの?」

 先の戦闘で負傷したのだろう。だが、いくら何でも気付かないものだろうか。

「手当てしといた方がいいんじゃない?」

 だがポロノシューは、黙って血の付いた手を凝視している。

「聞いてるの?」

 しだいに、ウタイの方が不安になってきた。

 唐突にポロノシューが歩きだした。

「ちょっと待ちなさいよ。手当ては?」

 しかし彼は聞く耳を持たない。

「待ちなさい……待てってば!」

 頭に来たウタイは、杖でポロノシューの背中を小突こづいた。そんなに強くやったつもりはなかったが、予想以上に手ごたえがあった。

「きゃっ」

 その拍子にバランスを崩し、小突いた彼女の方が転倒してしまった。

 顔を上げると、ポロノシューが立ちはだかっていた。

 じっと彼女を見下ろしている。ウタイは、土の味のする唾を飲み下した。

「……おこってる?」

「いや」

「小突いたのは悪かったわ。けど、そうでもしないと、こっちの言うこと全然聞いてくれないじゃない」

「こんな怪我、放っておいても治る」

「あのね……」

 ウタイの頬が引きつる。

 思ったより傷は浅いのだろうか。だが、そうは見えない。これで何もせずとも完治したら、本当に不老不死の魔物である。

「とにかく」

 気を取り直して、ウタイは二人が通った後を指差した。そこには転々と血の跡が残っていた。

「こんなの残してたら、わたしたちの行き先を敵に教えてるようなものよ」

「なるほど」

 それで納得したのか、ポロノシューはその場に座り込んだ。

 思いのほか彼の顔が近くに来て、ウタイは緊張した。

 だがポロノシューは、彼女の微妙な反応には一切気付かない。荷物から包帯や当て布を取りだすと、慣れた手つきで自分の体に巻いていく。

 その様子を、ウタイはじっと見つめている。

「…………」

 目を伏せた。

 かぶりを振った。

「行くぞ」

 声に反応して顔を上げると、ポロノシューはすでに立ち上がり、ウタイの返事も待たずに歩きだしていた。

「待ってよ。わたし怪我人なのよ。もうちょっといたわりなさいよっ」

 文句を言いつつ、足場の悪いなかで、何とか立ち上がる。

 杖にも、だいぶ慣れてきた。

 そのはずだったが、うっかり右足を滑らせてしまった。

「あっ」

 咄嗟にポロノシューの腕が伸びて、ウタイの体を支えた。

 いつの間に……。

「気を付けろ」

「あ、ありがと……」

 頬が自然と赤くなる。

「歩けるか?」

「うん……」

 彼の顔が、また間近にある。

「…………」

「どうした」

「……何でもないわ。さっ、早く行きましょ」

 ウタイは、冷静をよそおいながら言った。

 ポロノシューは無言で歩きだした。

 その小さいのか大きいのか判らない背中に、ウタイは無意識に、何度も目をやっていた。

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