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イェルフと心臓  作者: チゲン
第三部 人間とイェルフ
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56/61

17頁

 キローネの夫が帰ってきた。

 テモンという名で、ポロノシューより少し若い。精悍(せいかん)で、肌も焼けている。

 左手の小指がなかった。少年の頃、工房の事故で失ったらしい。

 キローネは、人目も憚(はばか)らず夫に抱きついた。テモンはその逞(たくま)しい腕に、最愛の妻と、少し見ない間に大きくなった我が子を抱いた。

「留守中、二人がだいぶ世話をかけたみてえだな」

 ポロノシューと顔を合わせると、テモンは人懐(なつ)こい笑みを浮かべた。

 同じ人間でも、こうも人相が違うものかと、シュイは感慨深く思った。

「一年も、どこをほっつき歩いていたんだ」

「話せば長くなるがよ」

 昔、都の工房で鍛冶仕事をしていた頃に、些細(ささい)なことで同僚と喧嘩をして、怪我を負わせてしまったらしい。

 罪にこそ問われなかったが、キローネの両親は、そのことを理由に二人の仲を裂こうとした。キローネは良家の息女で、両親は二人の交際を快く思っていなかったのだ。

 そのことを察知したテモンとキローネは、家を捨て、二人で駆け落ちをした。そして行き着いた先が、この村だった。

 やがてヤナンが生まれて、一家は貧しくとも幸せな日々を過ごしていた。

 ところが去年、どこで聞いたのか、都の工房から便りが来た。人手が不足しているため、テモンに手を貸してほしいというのだ。

「そしたら、やっぱり水が合うってのかな。賃金もいいし、もう一度、工房でちゃんと働こうかと思ってな」

 話がトントン拍子に進んで、新居や何やらを準備していたら、予想以上に時間が掛かってしまったというのだ。

「そんな大事なことを一人で決めるな」

 ポロノシューは、そんなテモンに渋い顔で苦言を呈す。

「いやあ、成り行きでな。あっという間に話が進んじまって」

「だったら、せめて手紙くらい書け」

「俺は字が書けないし、代筆してもらうほどのもんでもないと思ったからよ」

「そういう大雑把(ざっぱ)なところが、キローネに余計な心配をかけるんだ」

「悪かったよ。おまえには本当に感謝してる」

 どこまで悪いと思ってるんだか。

 二人の会話を聞きながら、シュイは眉をしかめた。いわゆる憎めない男といった印象を受けるが、彼女はあまりテモンに好感を持たなかった。

「キローネもヤナンも、なによ……あんなに嬉しそうにしちゃってさ。ポロノシューもポロノシューだわ。一発くらい、ぶん殴っちゃえばいいのに」

 ぶつぶつと不穏な言葉を呟いている。

「キローネのために、あいつがどれだけ苦労したか知ってんのかしら」

 父に肩車されて、無邪気に喜ぶヤナン。

 その光景を見守りながら、目端に涙さえ浮かべるキローネ。

 家族は明朝、都に向けて出発することになった。用意周到(しゅうとう)なことに、馬車もある。

「その馬車は……」

 懐かしい紋章を認めて、キローネの表情がハッとなった。

「君の実家の馬車を借りてきたんだ」

「まさか……」

「義父さんが、早く孫の顔を見たいってさ」

「お父様……」

 キローネの喉から、嗚咽(おえつ)が漏れた。

「……幸せがまとめてやって来ましたって感じね。まさに、めでたしめでたしだわ」

「物語の結末としては、申し分ないだろう」

「そうかしら」

 大喜びで支度をする家族を遠目に見ながら、ポロノシューとシュイは、脱力したように座っていた。

「文句でもあるのか?」

「全然面白くないわ。脇役が全然報われてないじゃない」

「脇役?」

「あんたよ、あんた」

 ポロノシューが怪訝な顔を向ける。

「このまま、なにも言わずに行かせる気?」

「何のことだ?」

「しらばっくれなくてもいいわよ。この際、遠慮なんてしなくていいじゃない」

「遠慮などしていない」

「また……すぐそうやってごまかす」

「大きなお世話だ」

「ほんとのこと言っちゃえばいいじゃない。好きなんでしょ、キローネのこと」

 ポロノシューは口ごもる。

「ばかなことを……」

「気付いてないのは、キローネくらいよ」

「…………」

 シュイは嘆息した。

「ほんと、バカよね」

「他人事だと思って、好き勝手なことを言うな」

「いいじゃない、言うだけはただなんだから」

 しかし、ポロノシューが想いを告げられるはずもなく……翌日、キローネとヤナンを乗せた馬車は村を後にした。

 恐らく、もう戻ってくることはないだろう。

 最後まで別れを惜しんでいたキローネと、見えなくなるまで手を振っていたヤナンの顔が、いつまでも瞼(まぶた)の裏に残った。

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