エピローグ
突然のように恋に落ちる中学生は、ひょっとすると王子様と令嬢に憑りつかれ、呪いをかけられているのかもしれない。
そんな時は、唱えてみよう。
王子様、王子様、王都へオカエリクダサイ――と。
「先生。ずっと前に補習で言っていた「第一次世界大戦前から広まった呪い」って、「王子様」のことだったんだ」
自分でも分からないうちに死にそうな目に遭ったのは知っている。放課後に職員室の加藤先生のところに藍と二人で話に来ていた。
「お互いの愛が通じない、まるでロミオとジュリエットのような悲愛。そんな呪いが今でも世界中の学校に憑りついているのね」
それを聞いてクスクス笑う加藤先生。机の上のガラスのコップには冷たそうな緑茶が注がれ、表面に水滴が付いている。
「違うわ。やっぱりぜんぜん気付いていないのね。呪いのこと。あなた達、まだしっかり呪われているわよ」
呪われている――。
まだしっかり――。
「繋いだその手がその証拠。だって、恋の呪いだもの」
「「恋の呪い?」」
……あ、そんなものが呪いなら。解けるハズはないか。
――っていういか! それは呪いじゃなくて、恋でいいだろ! 恋愛で!
「「のろけ話」の語源が「呪いの話」だって知ってる? 自分の恋話を自慢して、聞いた相手に嫉妬させ、それ以上の恋愛をしたいと思わせる。
心を煽り立てる――。それはもう、恋ではなく呪いなのよ」
……?
先生がニッコリ微笑んだ。
「今のご時世、「恋愛せずに結婚して子供を産もう」なんて望まないわよね? 政府の政策では、若い人がたくさん恋をして結婚し、元気な子供たくさん育てて強い国を作るのが目的だったの。呪いとは、若い人を虜にするような、
――恋愛の呪い――。
小説や漫画、映画、絵本までを利用して、男と女が惹かれ合う。――恋愛をさせるのが真の呪いの目的だったのよ」
――一度でも恋に溺れたら、もう恋をせずに生きてはいけない。
呪いは脳内に強く芽生えて根付き、けっして消し去ることはできないわ――。
「恋なんて、男と女がいれば当然のようにするものに見えるけど、そんな簡単な物じゃないのよ」
「簡単?」
「そう。想像してごらんなさい。恋愛ものの小説や漫画、映画、ドラマ。その全てがなくなっても、人が生きていくことに支障はないでしょ。でも、他人の恋愛を知ってしまったり、キスするところを見てしまったりすると、自分も憧れて、知らないうちに子供が知らなくていいドロドロの恋模様にさえ興味が湧いてくる。好奇心がそうさせるの」
先生は持っている小さな小説を軽く振ってみせる。ドロドロの恋模様が描かれた恋愛小説なのだろう……。子供が読んではいけないような……。
幹彦が近野の胸を触ったと聞いたあの日、……その情景を想像すると頭から離れなかった……。自分も同じことをしてみたいと……思った。
「恋愛で競争心を掻き立てられてしまう。「素敵な恋がしたい」ってみんなが思うけれど、素敵な恋っていうのが、「手の届かないようなスペシャリストの絵に描いたような恋物語」なわけ。そんなのを読んだり見たりしてしまったら、誰だって自分と比較してしまうわ。
――お互いが異性に必要以上に惹かれ合うのは、「呪い」以外のなにものでもないの。笑っちゃうでしょ、読んでいた恋愛小説に呪いが掛けられていると知ると――」
「呪いが掛けられているだって?」
笑っちゃえないだろう……。そもそも俺は恋愛小説なんて読んだことない。だが、藍はいつも読んでいた。鞄には今も入っていると思う。
「繋いだ手は離せない。他の異性に奪われたくない。恋愛脳の過剰な進行は世界中で様々なメディアを使って今でも膨れ上がっていく。呪いの仕返しね。好きな人の為にはなんだってできる。「愛してる」って、それ自体が人間の脳から生み出された「呪い」なのよ」
そんな……俺達が呪われたままだなんて――!
「呪いと聞くと、悪いことのように聞こえるかもしれないけれど、呪われている気分はどう? 毎日が苦しい? 楽しいでしょ! 「リア充」って言うんでしょ。あー、羨ましい。私だって学生時代には勉強ばかりじゃなく、素敵な恋愛をしたかったわ。恋愛小説とかも、もっとたくさん読みたかった……もっとドロドロしたのを……」
先生の口調が、途中からヒートアップしているのも、ひょっとすると恋の呪いのせいなのかもしれない……。
「次は、先生が呪う番ですか?」
「え? ええ、そうね。あなた達を羨ましがって呪うのではなく、好きな人を見つけて、仕事そっちのけで恋の呪いに没頭するのよ!」
「生徒そっちのけかよ!」
「もちろんよ~! 私にとって生徒は商品みたいな物だもん。あ、でもこれは教頭先生には絶対に内緒よ!」
前に藍が言ってた通りだった……。駄目だこりゃ。この先生は……完全に呪われている。
職員室を出ると、坂本と武内にばったり会った。
二人とも今日は学校へ来ていたが、教室に行っていたかどうかは分からない。だが、変わったことといえば、廊下ですれ違っても気兼ねなく喋れる。
「よっ」
夏休み中ほぼ毎日顔を合わせていた二人にそう挨拶すると、小さく手を振り返したり、小さく「よ」っと答えてくれたり。
藍もこの二人とは普通に話し始める。……陰口や噂話もする。
教室では転校生を装っているから、ひょっとして肩がこっているのかもしれないなあ……。
「「ええ! 椎名って、マジでそんなことみんなの前で言ったの! 恥ずかし~!」」
キャーキャー言いながら口元を押さえてこっちを見やがる~!
……。いや、それって……わざわざこの二人にまで言わなくても……よくなくないか?
二学期の初日は何事もなかったかのように終わり、二人で揃って下校した。
これから毎日一緒に下校できるのなら、こんな楽しいことはないかもしれない。部活動をしていない二人の特権なのかもしれない――。
「加藤先生が言っていた、「のろけ話の語源が呪いの話」って……。嘘じゃないのかもしれないなあ」
「え?」
「いや、幹彦が近野と付き合っていると聞いて、羨ましいと思ったんだ……」
堂々と付き合っていると言ったことや、近野の胸を触ったと聞かされたこと。
俺の中に、それまでにない感情が湧き上がったのは事実だった。それまで興味なかった藍の胸元に視線が移ってしまうのも……、その呪いのせいなんだ――。
「あ、いやらしい! また触る気?」
繋いでいる反対の手で、胸元をサッと押さえる。少し怒っているようにも見える。
「待てえい――! 俺は一度たりともそんな破廉恥なことはしていないぞ!」
また触る気? ってなんだ――人聞きの悪い~!
誰かに聞かれていれば致命的な誤解を招くぞ。重要インシデントだ――!
「あ、……覚えてないんだ」
なぜか猫背になり虚ろな視線を俺に注ぐ藍。意味不明だ。
「なにをだよ」
神妙な目で見てもダメだ。身に覚えのない事には同調できない――。誘導尋問にそう易々と引っ掛かるものか――!
「まあいいか。言っとくけど、私は軽い女じゃないんだからね」
「あのなあ……」
そんなことくらい、言われなくても分かってるさ。俺だって軽い男じゃない。ナンパ野郎じゃないと言っておきたいぞ――。
俺達は俺達のペースで恋愛をしていけばいいのさ。誰かと比べることもなければ、焦ることもないし、逆に遠慮することもないんだ。手を繋いで歩くのにも慣れた。見られても冷やかされても恥ずかしいと思わなくなった。
校門を過ぎた所で見上げた空には、まだ夏の入道雲が浮かんでいた。大きな入道雲が、まるで空に浮かぶお城のようにも見える。
王都へと帰ってしまった王子様……。
恋に落ちたい中学生達を、……今もどこかで狙っているのかもしれない。
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