謎の死②
蔵からの帰途、渡辺の脳裏には、榊原の遺体と、蔵の奥に佇んでいた老人の凍りついた表情が焼き付いて離れなかった。
車窓の外を流れる町並みは、冬の夕暮れがすでに夜の色に沈みかけ、通りにはわずかな街灯と、風に揺れる看板の影だけがあった。
助手席の鑑識員が短く息を吐き、「……こんなの、初めてですね」と呟いたが、渡辺は何も答えなかった。
言葉を交わすと、あの蔵の中に漂っていた、説明のつかない冷気や圧迫感が再び蘇ってしまいそうだったからだ。
署に戻ると、鑑識班から追加の報告が届いていた。
蔵内で採取した微粒子に、未知の金属成分が含まれているという。
分析担当者は「既存の合金には一致しません。人工物かどうかすら判断できない」と言い、首を振った。
さらに奇妙なことに、巻物破片の紙繊維には極めて高温に晒された痕跡がありながら、焦げはなく、内部構造だけが変質していることが分かった。
渡辺は報告書の数字を追いながら、机上に広げた現場写真の一枚に目を止めた。
榊原の右手が触れていた床板。その木目に沿って細い溝が刻まれ、まるで何かを引きずった痕のようだった。
しかし溝の縁は黒ずみ、焦げたような質感を帯びている。鑑識の報告には「触れると微かに熱を帯びていた」と記されていた。
夜半、署内はほとんどの灯りが落とされ、遠くの事務室で書類を捲る音だけが響いていた。
渡辺は証拠品保管室に一人残り、巻物破片を顕微鏡にセットした。
古びた和紙に墨の線が走るはずのその表面に、肉眼では見えなかった極小の歯車状の模様が浮かび上がった。
それは単なる印刷でも滲みでもない。
まるで顕微鏡の下に、生物の細胞と機械構造が融合したような光景が広がっていた。
幾何学的に組み合わさった金属光沢の断片が、ほんのわずかだが、脈を打つように明滅している。
(……模様じゃない。これは、動いている……?)
背筋に冷たい汗が流れた瞬間、保管室の奥から「カチ……カチ……」という音が響いた。
金属同士が噛み合うような乾いた規則音。
振り向くと、棚の隙間の暗がりから、細い金属片のようなものが床を這い出してくるのが見えた。
月明かりが窓から差し込み、その輪郭が一瞬だけ銀色に光る。
それは指ほどの長さの小さな歯車がいくつも連なった塊で、まるで昆虫の触肢のように蠢きながら、回転し、進んでくる。
渡辺は無意識に後退った。
床を這うその“塊”は、巻物破片のすぐ傍まで来ると、まるで磁石に吸い寄せられるように紙片へ跳び付き、音もなく吸い込まれて消えた。
保管室に再び静寂が戻る。
だが、その瞬間から巻物破片の明滅は、目に見えて速くなっていた。
明滅が収まると同時に、保管室の空気が妙に重く感じられた。
渡辺はゆっくりと椅子から立ち上がり、巻物破片をアクリル製のケースに戻そうと手を伸ばした。
――その瞬間、指先に微かな振動が伝わる。
ケースの内側から、何かが爪先で叩くようなリズムを刻んでいた。
「……まさか」
耳を澄ますと、その叩音は規則的で、しかも繰り返されるパターンがわずかに変化している。
それは単なる振動ではなく、何らかの符号――信号のように聞こえた。
モールス信号か、それとも別の通信規格か。
だが、誰に向けて送られているのかは分からない。
背筋に冷たいものを感じ、渡辺はケースごと破片をロッカーの奥に押し込み、施錠した。
廊下に出ると、署内は夜勤の静けさに包まれていた。
だが、耳の奥にはまだ「カチ……カチ……」という音がこびりついている。
それが幻聴なのか実際に響いているのか、判断がつかない。
音を辿るように足を進めると、それは地下の資料倉庫から聞こえてくるようだった。
重い鉄扉を押し開けると、冷え切った空気と古紙の匂いが押し寄せた。
奥の棚列の影で、薄く青白い光が瞬いている。
近づくと、それは複数の金属片が寄り集まり、昆虫の群れのように蠢いていた。
一つひとつは小型の歯車や軸受けに見えるが、それらが自律的に結合と分離を繰り返し、形を変えている。
その中心に、黒ずんだ古紙の切れ端があった。
紙面には榊原の蔵で見つかった巻物と同じ筆致の文字が記され、表面を走る細い筋は、まるで回路図のように精密な配置をしている。
渡辺が無線で鑑識班を呼ぼうとした刹那、群れが一斉に動きを止めた。
そして歯車の群れの奥から、低く湿った声が響いた。
――「さがすな」
その声は確かに日本語だったが、抑揚が均一で、まるで金属を擦るような響きが混ざっていた。
渡辺の背筋が凍りつき、無線機を握る指先が震えた。
次の瞬間、青白い光がふっと消え、群れも古紙も跡形もなく消えていた。
ただ床には、金属粉のような微細な粒子が静かに散らばっているだけだった。
渡辺はそれを慎重にサンプル袋に回収しながら、心の奥で確信した。
榊原の死は単なる事件ではない。
これは何らかの“意志”を持った存在の仕業だ。
そして、その存在は、こちらの動きを監視している。
資料倉庫を出た瞬間、署内の蛍光灯が一斉に明滅した。
廊下の白い光が間欠的に途切れ、その間に浮かぶ影が、どれも人の形に見える。
一度、二度、三度……
その瞬きの中、天井の反射板に映ったのは、渡辺ではない“誰か”の眼だった。
濁った金属光を帯びた、無機質で、しかし確かにこちらを見据える眼。
渡辺は息を呑み、足が動かなくなった。
明滅はやがて収まり、署内は元の静寂を取り戻した。
しかし、その夜から、彼はどこにいても、ふとした瞬間に天井を見上げる癖がついた。
そこに、またあの眼が現れるのではないかと――。




