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鬼と天狗  作者: 篠川翠
終章
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終章

 慶応二年、正月――。

 佛ヶ原(ほとけがはら)に狼煙が打ち上げられ、黒縅の鎧と緋の陣羽織を身につけた鳴海は、蒼天を見上げた。まだ寒気は残るものの、気持ちの良い初春の日和である。今日は、久しぶりに大規模な軍事演習が行われる日だった。此度の軍事演習を行うに当たって、安政年間に青田ヶ原で行われた先例を持ち出し、有事に備え訓練をするべきだと主張したのは、源太左衛門である。

「また、農民らに迷惑を掛けるおつもりか」

 御前会議において源太左衛門の申し出を耳にした和左衛門の小言は相変わらずだったが、それは多くの者に笑って聞き流された。やはり元治元年の天狗党騒乱において、二本松藩が実際に兵を出した影響もあったのだろう。

 もっとも和左衛門も、あれから多少なりとも変わった。口喧しいのは変わらないが、国防に関わることについては、従来のように一律に否定するのではなく、きちんと武官らの意見にも耳を傾けるようになったのである。彼もまた、あの常州での戦に二本松が派兵を命じられたことについて、思うところがあったに違いない。

「――管打鉄砲などと申しても、所詮、下々の者が扱うものであろう。全く、我々がなぜそのような真似をしなくてはならぬのか。刀槍の方が余程慣れておるし、様になるというのに」

 初老の男のぼやきが耳に入り、鳴海は苦笑した。今回の演習では、火器も積極的に用いられている。あれから、二本松藩でも「武具についても見直すべきだ」という意見が出され、先日、ゲベール銃を手に入れたばかりである。だが、そもそも藩の軍制である山鹿流において、「鉄砲は下士が用いるもの」という教えがあるため、未だその固陋にとらわれている者も、決して少なくないのだった。

 鳴海は馬を歩ませ、馬上からぼやいていた男に声を掛けた。

「左様なことを申すな。常州では、我々も随分と砲術戦に見舞われたものぞ。戦は水物、山鹿流の教書には書かれておらぬことも、度々生じる」

「鳴海様……」

 男が、鳴海の叱咤に頭を下げた。実際に戦を経験してきた者の言葉は、多少なりとも重みを伴っているはずだ。

 これはご無礼仕りました、と男が素直に詫びた。

「分かれば、良い」

 鳴海もそれ以上咎めることなく、ちらりと笑ってみせた。そのまま馬を自陣へ引き返すと、十右衛門が来ているという。それを告げたのは、長柄奉行の権太左衛門だった。

「お主、この辺りをうろついていて良いのか?」

 先程の狼煙打ち上げの指揮を取っていたのは、十右衛門である。今日は、双方の検分役の一人として、丹波や源太左衛門らに付き従っているはずだった。十右衛門や平助は検分役として参加することで、今回の擬戦の結果を分析し、軍制見直しに役立てる予定なのである。 

「擬戦の始まる刻限になれば、御家老方の元へ参る。案ずるな」

 十右衛門は、肩を竦めて笑った。

「銃太郎殿を江戸へ出したのだからな。かの者が帰ってくるまでは、我々も安穏とはしてはおられまい」

「そうだな」

 鳴海も、あの若者について、ふと思いを馳せた――。

 

 ――平穏な日常が戻ってきたある日。学館において、鳴海は平助や十右衛門と火器の用い方について話し合っていた。常州での戦の経験を踏まえ、従来の戦法に固執していては、これからの戦に対応できないと判断したためである。そこへ、一人の青年が思い詰めたような顔をしてやってきた。

「鳴海様。常州で朝河安十郎先生が御討死されたというのは、まことでございますか?」

「銃太郎殿か」

 鳴海の言葉に、銃太郎と呼ばれた青年が、やや目を見開いた。鳴海が自分を見知っていたのが、思いがけなかったらしい。だが、鳴海の「まことだ」という言葉でよほど落胆したものか、がっくりと肩を落とした銃太郎の姿に、鳴海は一抹の憐憫を感じた。

 砲術師範やその縁の者は、互いに往来が活発らしいというのは、かつて常州遠征の折に、十右衛門が朝河父子と会話を交わしていたことからも、察せられた。銃太郎の父である木村貫治も砲術師範の一人であるから、恐らく、銃太郎も朝河父子に可愛がられたことがあるのだろう。

 しばし銃太郎は俯いていたが、やがて、思い切ったように顔を上げて、真剣そのものの顔を向けた。

「御三方に御願い奉ります。どうか私めを、江戸に遊学させて頂けませんでしょうか」

 鳴海は側にいた十右衛門や平助と、顔を見合わせた。藩内の財政は相変わらず苦しい。公費を使って銃太郎を遊学させられる余裕があるかどうかは、微妙なところだった。だが、銃太郎は余程思い詰めていたものか、一息に言葉を続けた。

「安十郎先生がお亡くなりになられた今、私も藩の皆様のために、御役に立ちたいと存じまする。常州での戦いを伺う限り、やはりこれからの戦に砲術は必須。それも砲術は日進月歩の世界故、一刻でも早く新しい知識を皆に伝えなければ……。身分の差に関わりなく、多くの藩士が砲術を身に着けて敵を打ち倒せるようにならねば、いざ戦となった時に、藩の存亡にも関わりましょう。どうか……!」

 切羽詰まったようなその物言いは、旧習に拘る者が聞けば、目を剥いて叱咤しただろう。だが、実際に戦を経験してきた鳴海らには、銃太郎の言い分がよく分かった。

「どう思われます?鳴海殿」

 平助が、鳴海に顔を向けた。鳴海はしばし熟考していたが――。

「十右衛門。お主は、江戸で高島流の門下だったろう。今でも高島流への伝手はあるか?」

「無論だ。同門の伝手を頼って銃太郎殿の紹介状を書くくらい、訳ない」

 鳴海の言葉に、十右衛門が少し笑った。同じ砲術でも、二本松藩で主流の武衛流とは異なり、高島流は西洋砲術の流れを汲む。先日購入が決まったゲベール銃の射法にも、対応できるだろう。

 そして、ちらっと銃太郎の方にも笑顔を向けてみせた。

「拙者が最初に砲術を習ったのは貴殿の御父上だった。その御子息の願いとあらば、無下にもできまい」

「左様であったな」

 傍らで、平助も穏やかに微笑んだ。平助も、先程まで「出来るならば、若い者らに西洋砲術を学ばせた方が良い」との意見を、鳴海に具申していたばかりである。

「御家老方は、拙者が説得する。そなたは、出府までに支度を整えておくがよい」 

 鳴海は、鷹揚に銃太郎に肯いてみせた。

「有難き幸せに存じまする。我が身命を賭し、きっと藩の御役に立ってみせます」

 銃太郎の顔に、ぱっと笑みが浮かんだ。その笑顔があまりにも眩しく、鳴海はそっと視線を外した。

 脳裏に、かつて「藩のために水戸へ遊学させてほしい」と主張し、そして、彼岸へ渡っていった男の姿が、微かに浮かんだ。

 実際の戦は、綺麗事だけではない。それは鳴海自身が経験してきたことでもあった。だが、その醜さをありのままに銃太郎に伝えるには、銃太郎の笑顔はあまりにも眩しすぎたのだった――。


 ――あれから鳴海は家老らの同意を取り付け、銃太郎の江戸遊学の許可書を出した。常州の天狗党討伐とほぼ時を同じくして、諸藩に出動命令が出されていた長州征伐も、年明けに長州藩が幕府に詫びを入れる形で終結した。

 だが、政情は未だ混沌としている。幕命にせよ他の要因にせよ、またいつ二本松藩が戦に巻き込まれるかは、予測がつきかねたる状況だった。そのような情勢も踏まえ、いつか来るであろう有事に備え、兵らの訓練を怠らずに実行させるのが、今の鳴海に課せられた役割である。

 感傷を振り払うかのごとく、息を吸い込む。

「鳴海様」

 女人の呼ぶ声がして、鳴海は微かに眉を顰めた。その女人の腕には、幼子が抱かれている。

「間もなく擬戦が始まるぞ。わざわざ城下から参ったのか」

「ふさに、父上の晴れ姿を間近で見せてやりたくて」

 鳴海の妻のりんが、笑みを浮かべて鳴海を見上げていた。あれから鳴海夫婦に生まれたのは、娘だった。嫡男でなかったことをりんは鳴海に詫びたが、ようやく授かった我が子は、やはり愛おしい。その娘はというと、この物々しい雰囲気に怯えることもなく、何か喃語を喋りながら鳴海を見上げている。

「肝の座った娘御ですな。御父上に似たのでしょうか」

 成渡がふさの目線の高さに屈み込み、笑った。

 擬戦開始の時刻までは、まだ幾ばくかの間がある。が、そろそろ皆を集めて、激励する頃合いだった。

「りん」

「はい」

 りんが、再び微笑を浮かべた。今の二人であれば、これで大方の意思疎通ができる。ふと思いついて、鳴海は決拾(ゆがけ)を嵌めたままの人差し指を、娘にそっと差し出した。ふさが、その指を握り締める。思いの外、力強い。この気の強そうな仕草はやはり自分譲りだと、鳴海はそっと微笑を浮かべた。番頭たる己は、この娘や妻を始め、領内の者ら全てを守り抜いてみせよう。鳴海は、誰にも告げずにいるその誓いを、改めて噛み締めた。

 法螺貝の音が、相手の陣から聞こえてきた。そろそろ始めるぞ、という合図である。今日の相手は、与兵衛の率いる六番組だった。

 ようやく父親の指を離した娘を抱き、皆に小さく一礼すると、りんは見物人らの席へ戻っていった。鳴海も愛馬にひらりと跨る。鳴海の背後には、常州で生死を共にした部下らがいた。今日の彼らは、どの顔にも怯えの色がない。その事に満足を覚え、鳴海は輪乗りの腕前を披露しつつ、幾分か声を張り上げた。

「今日は、いつぞやの借りを返す好機であるぞ。六番組に後れを取るな」

 おおーっと、野太い歓声が上がる。その声に押され、鳴海は馬を陣の前方に出した。

「貝を鳴らせ」

 鳴海の命に従い、原兵太夫が貝に息を吹き込んだ。こちらからも、六番組の合図に応えるかの如く、太い貝の音が響き渡る。向こう側から、数多の蹄音が伝わってきた。

「行くぞ!」

 総大将である鳴海は、伝来の采幣を前方へ振り下ろし、そのまま安達野(あだちの)を駆け始めた――。

 

【完】




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