7.誰にも聞こえないように、愛してると言って
騒動から数日後。
またもやヴェルヌ侯爵邸に、レーネは呼び出されていた。
応接室の一人掛けのソファ。二脚並んだそれに、イヴァンとレーネはそれぞれ脚を組んで座っている。
「今回はご苦労だった」
「いいえ。お兄様の為ですもの、お安い御用ですわ」
レーネはにっこりと微笑んだ。その瞬間、パッと周囲が明るくなるような気がする。
今日のレーネは、魔術師団長の制服であるローブを着ていた。
三年前、レーネが十六歳の時に師団長に就任した際にはごく飾りの少ない黒のローブが制服だったのだが、衣装部の面々が「クレメンタイン様に相応しいものを!」とデザインしなおしてくれた、お気に入りの制服である。
「それで……ジェニー様の拉致を指示した者は、見つかったんですね?」
気になっていたことを切り出すと、イヴァンは頷く。
「ああ。父の政敵だった。これ以上王と宰相家が強く結びつくのを止めたかったそうだ」
「まぁ……目的は一緒でしたけれど、私とは手段が違いましたわ」
イヴァンとジェニーの結婚の阻止。
レーネはジェニーを探って結婚しなくて済む方法を探そうとして、向こうはジェニーを嫁ぐことの出来ない身にしようとしていた。
ジェニーの誘拐の現場に居合わせたことはまったくの偶然だったが、結果的に本当によかった。
「俺はお前に聖女の始末を依頼したから、同じだが?」
「嫌だ、ここにも人でなしがいらしたわ」
レーネは盛大に溜息をつく。
「聖女を殺せ」なんて方便で、その実は結婚を阻止しろという依頼だと解釈していたが、イヴァン自身はそうでもなかったらしい。
「まぁ、レーネに命じた時点で殺すなんてあり得ないだろう、とは思っていたが」
従妹の性格と能力をよく知っているイヴァンは、レーネがジェニーを殺すことなく依頼を果たしてくれると信じていたのだ。
「……ひょっとして、ジェニー様が狙われていることもご存知でしたの?」
含みのある言い方にレーネが眉を顰めると、こちらを向いたイヴァンはニコリと胡散臭い笑顔を浮かべる。
「ま……なんて方でしょう。柱の角に両の足の小指をぶつけるとよろしいのだわ!」
「魔術師の言葉には力がある。地味な呪いをかけるのはやめろ」
イヴァンが眉を顰めたが、レーネの怒りは当然収まらない。
最初からジェニーを狙う者がいることを知っていたら、レーネだって囮なんてまだるっこしい方法を取らなかったかもしれないのに。
いや、自分の実力に絶対的な自信があるレーネだから、結局囮は行っていたかもしれない、けれど。
「……もう! それならば始めから仰ってくださいまし!」
「不確定情報だったんだ。父も俺も相手方に見張られていたし、信頼出来る者に託すしか出来なかった」
「信頼出来る、なんて言われて喜ぶと思ったら大間違いでしてよ? 私に依頼する時は情報を包み隠さず詳らかにしていただかなくては困りますわ」
魔術師団でも、情報の共有と信頼は絶対条件だ。人を欺き口八丁で切り抜ける政治家達とは、相反する。
「悪かった。次はそうする」
「次なんてありませんわ。お兄様の依頼は今後お受けしません」
ツンとレーネはそっぽを向いて拒否する。
肘置きに頬杖をついたイヴァンは、ハァ、とこれ見よがしに溜息をついた。
イヴァンが咎めるようにジロリとこちらを睨んでくるが、レーネは今日という今日はきちんと謝罪を受けないと許す気はなかった。
レーネだけならばいいが、ジェニーの身が危険だったのだ。
一度この合理主義の権化で、他人も自分の駒だと思い込んでいる男にガツンと思いしらしてやらなければ、気が済まない。
「無能の婚約者を付けるぞ?」
「ご自由になさったら? 無能が来ても、私が直々にイチから鍛えなおして使える男に育てます」
「……」
ちなみにジェニーとイヴァンの結婚の件は、今回の騒動で立ち消えとなった。
王は宰相家との更なる強い結びつきを望んでいたが、その所為で聖女の身を危険に曝したのだ。さすがに教会側も黙っていなかった。
事後処理にイヴァンの父であるヴェルヌ侯爵も忙しくしていて、主不在の侯爵家は昼日中だというのにひっそりとしている。
二人が並んで座る、その視界の先には大きな窓があり侯爵家のよく手入れされた庭が見えた。
明るく静かな空間は本来ならば居心地のいい場所なのだろうけれど、事と次第によってはここで一戦交える覚悟もある。
レーネは勿論当代最強と呼ばれる魔術師だが、その従兄であるイヴァンもまたなかなかの使い手なのだ。
彼が侯爵家の跡取りに生まれた所為で政治の世界に奪われてしまうことを、今だに嘆く魔術師も多い。
「……そういえばその後、聖女はどうしている」
珍しくイヴァンが弱腰で視線を巡らせる。
意地っ張りでプライドの高い男には、謝ることが出来ないのだろうか?
レーネは、冷たく澄まして答えた。
「無事教会にお戻りになって、普段通りの生活をなさっておいでです。私の判断でしばらくガーフに護衛を任せています。二人は気も合うようで、仲良くしてらしたわ」
「そうか……」
ここに来る前にレーネは魔術師団長として正式に聖女に面会してきたので、制服姿なのだ。
気休めかもしれないが、師団長として目を光らせているぞ、という牽制を内外に示したつもりだった。
今回の一件で、レーネは個人的にジェニーのことが好きになったので、彼女が快く過ごす手助けは出来るだけしてあげたい。
従兄の所為で危険な目に遭わせてしまった罪滅ぼしの側面も、ある。
「……」
話の接ぎ穂が早々に無くなったのか、イヴァンは肘掛けに置かれたままだったレーネの指をいじりだす。子供か。
「お兄様? ゴメンナサイ、の言葉は言える方のほうが素敵ですわよ」
「…………お前は、俺が聖女と結婚してもよかったのか?」
話が繋がらないようなことを言われて、レーネは目を丸くする。
「お兄様こそ、私に無能の婚約者を宛がうおつもりだったのでは?」
「するわけないだろう、そんなこと」
今度はイヴァンの方がぷいっ、と顔を背けてしまう。
「それはようございました。私にだって、好みというものがありますもの」
「……お前の好みの男?」
ちらり、とイヴァンが視線だけを向けてくる。
仕方のない人だとレーネは内心で溜息をつく。
「そうですわね……優秀で、意地っ張りで、自分から折れることが大嫌いな、子供みたいな人、かしら」
「それは……男の趣味が悪いな?」
体ごとこちらに近づいてきたイヴァンは、怪訝な表情を浮かべている。自分のことを指しているとは考えないらしい。
本当に、どこまでも自分勝手な自惚れ屋だ。
でも、そんな男のことがずっと好きな自分も大概だ、とレーネは苦笑した。
「ええ。私、男の趣味が悪いんです。……無茶なお願いも、聞いてあげたくなってしまうぐらい」
そう言ってサッと距離を詰めると、レーネは無防備なイヴァンの唇にキスをした。
彼の紅い瞳が、珍しく丸くなる。
「……いい加減、俺との婚約に了承しろ。最初からお前が俺と婚約していれば今回の騒動もなかったんだぞ? 誰の為に、これまで誰とも婚約せずに来たと思ってるんだ」
せっかく表情は可愛らしかったのに、口を開けば可愛くないことを言う男である。あまりに可愛くないので、イジメることにした。
レーネはイヴァンのことを男性として正しく愛しているけれど、それとこれとは話が別である。
「きちんとゴメンナサイが言えたら、婚約してあげてもよろしくてよ? お兄様」
レーネは大輪の花が咲き誇るかのように、美しく微笑んだ。
「あー………………」
イヴァンは盛大に渋面を作り、上を見て、下を見る。
それから今度は彼の方から、レーネの唇へと恭しくキスをした。
小さな声は、しっかりとレーネの耳には、届いたのだった。
短い間でしたが、お付き合いありがとうございました!
読んでいただけて、とっても嬉しいです!!




