1.無茶苦茶な命令
新しい連載です。短いお話です、どうぞよろしくお願いします!
「レーネ、聖女を殺してこい」
「あら嫌だ、お兄様ったらご冗談を。私、そんな泥臭い仕事はしませんの」
レーネが笑い飛ばすと、イヴァンはため息をついた。
王都のヴェルヌ侯爵本邸。その応接室。
東洋趣味の壁紙に、あちこちに配された観葉植物。美しいカーブを描く猫足の長椅子。大きな陶器の壺が、刺繍の施された絨毯の上に鎮座している。
「……珍しく苛立っておいでですのね。聖女様との婚約を打診された、というのは本当ですの?」
「相変わらず耳が早いな」
「それがお仕事ですもの」
にっこりとレーネが微笑むと、その場がパッと華やいだ。
社交界の花と言われた絶世の美女と、当代きっての伊達男と言われた男との間に生まれた一人娘、レーネ・クレメンタインは両親のいいところばかりを集めて生まれた、誰もが振り向かずにはいられないほどの美人だ。
氷を思わせる銀の髪に、深い緑の瞳、薔薇色の唇はいつも優美な笑みを湛えている。
「残念ながら事実だ。先日国王から直々に命じられた。あの中身空っぽの女と結婚しろだなんて、死刑宣告の方がまだマシだ」
「随分聖女様のことを嫌っておいでですのね……確かに政治的な後ろ盾はありませんけれど、聖女様ですもの、結婚して損になるお相手ではないのでは?」
物事を損得で考える従兄にしては珍しく感情的な物言いに、レーネは首を傾げた。
「勅命であることも、聖女が頭空っぽなのも気にいらん」
「さすがに失礼ではなくて?」
「直接会って話した俺の所感だ。言論の自由は保証されている筈だが?」
「私は聖女様にお会いしたことがありませんので、賛同しかねます」
レーネの母方の従兄、イヴァン・ヴェルヌはヴェルヌ侯爵家の跡取りで、将来は爵位と共に現侯爵が任されている職務、宰相職も引き継ぐことが決まっている。
そんな彼に対して国王が直接結婚を命じると言うことは、ヴェルヌ侯爵家は完全に王の支配下にある、というアピールでもあった。
「まぁ確かに、王権と宰相家は切り離して考えるのが政治的にも健全ですわよねぇ……」
最高権力者である王が間違った際に諌めるのが、宰相の役割でもある。王の言いなりだ、と内外に思われることは避けたかった。
とはいえ、現状では断る理由に弱いことも事実だ。
「でも今のままだと、お兄様のただの我儘みたいに見えますものね」
「俺に恋愛の自由はないのか」
「思ってもいない可愛らしいことを仰って……」
レーネはついクスクスと笑う。
合理主義のイヴァンが言うにことかいて「恋愛の自由」だなんて。
一番かけ離れた言葉だったので、ジョークだと言われた方がレーネにはよほど納得できる。
「侯爵家に迎え入れるなら、せめてもっとマシな女でないと困る」
「どんな女性が好みなのです?」
ちょっと興味があって尋ねてみるとレーネとは全く色が違う金の髪の隙間から、イヴァンの紅い瞳がこちらを忌々しげに睨みつけていた。
「……そうだな、頭が良くて口が達者で、魔術も体術も得意で、容姿の美しい者、そして俺を裏切らない女がいいな」
「まぁ、贅沢なお方ですこと!」
あまりの都合のいい条件に、レーネは扇をパチリと閉じて呆れる。しかしイヴァンは当然とばかりにふんぞり返った。
「それぐらいじゃないと俺に釣り合わないだろう」
「贅沢な上に、なんて高飛車な方!」
「間違っているか?」
とはいえ、イヴァンは侯爵家の跡取りで次期宰相。容姿だってこぞって令嬢達が熱い視線を向ける美男子だ。決して無茶な条件とは言えなかった。
レーネは常々この従兄の欠点は性格の悪さだと考えているが、そういえば先ほど告げられた条件の中に人柄は入っていなかった。
本当に能力がある女性ならば、どんな性格でも構わないのかもしれない。そんなところもいかにもイヴァン・ヴェルヌらしくてレーネは辟易する。
「……間違っていないからこそ、本当に可愛げのない方ですのね。現代の男子には、可愛げも必要でしてよお兄様。愛嬌ですわ、愛嬌」
「俺には不要だ」
レーネが頬に手を当ててニッコリと微笑んで愛嬌を促したが、イヴァンは心底呆れた視線を返してくる。それにムッと唇を尖らせた。
「ううん、柱の角で小指をぶつけなさればよろしいのよ」
「地味な呪いはやめろ」
洒落にならないレーネの言葉に、イヴァンが嫌そうに眉を寄せたので溜飲を下げる。
「まあまあ。お兄様ならば奥様の力がなくても、お一人で十分に侯爵家を盛り立てていけますわ! ファイト! でございます」
「他人事だと思って……レーネ、お前にも無能を押し付けてやろうか?」
「あら嫌だ、身の毛もよだつようなことを仰る」
扇で口元を隠して、レーネは眉を顰めた。従兄妹同士、似た者同士なのだ。
無能を結婚相手に充てがわれるぐらいならば、生涯独身の方がマシだ。
「今お前が考えたことが、そっくりそのまま俺の心情だ」
「……お気持ちは、よぅっく分かりましたわ」
この従兄ならばやりかねない、とレーネはすぐさま居住まいを正した。
何せレーネの両親が事故で亡くなっている現在、レーネの保護者はヴェルヌ侯爵であり、その侯爵からレーネの世話を任されているのが他ならぬイヴァンなのだ。
レーネに無能の婚約者を充てがうことが、実際に可能な立場なのだ。
「では再度命じる、聖女を始末しろ」
「私、殺し屋じゃありませんのよ……?」
「……頼む。こんなことを頼めるのは、俺にはお前しかいないんだ」
「その言い方は、卑怯でしてよ……!」
ひじ掛けに置いていたレーネの白い手が、イヴァンの大きな手の平に覆われる。
ゆっくりと宥めるように懇願するように撫でられて、レーネは大きな溜息と共に抗弁を飲み込んだ。
本当に、こんな時だけ卑怯なお方!




