第16話『悪魔の時間』☆
【登場人物】
誠:主人公。友達思いの優しい高校生。現在の姿は小学生。家族が大好きで早く元の世界に戻りたいと思っている。冬美のことが好き。
冬美:元気で明るい美少女。現在の姿は小学生。家庭環境が複雑で、この空間に残ることを望んでいる。
孝志:誠の親友。現在の姿は小学生。兄貴肌で面倒見がよくて優しい性格。父子家庭で幼少期は父親から暴力を振るわれていた。誠をいつも支えてくれる存在。
五十嵐:誠の親友。友達のことを大切する優しい高校生。医者の家系で裕福な家育ち。
放課後の悪魔と契約して皆を閉じ込めた張本人。そこには“ある理由”が──。
【登場する悪魔たち】
放課後の悪魔:この空間を創った存在。関西弁で話すが、ときどき標準語に戻るのが逆に怖い。常にテンションは軽く、距離も近い。見た目は人間のようだが、明らかに“異質”。誠たちを翻弄する存在。
宇佐美:誠専属の『コーディネーター』。時間や場所を問わず服を用意できる能力を持ち、寸分の狂いもなく時間を把握できるため、“時計”の役割も果たしている。
名前は『宇佐美』。白くふわふわした毛並みを持つウサギの姿をしている。
シェフ:この空間の専属『料理人』。無口で寡黙、人間があまり好きではなく、長話も嫌い。料理に対するこだわりは現実のプロと遜色なく、「料理に関しては嘘はつかない」という姿勢に、誠は“他の悪魔とは違う”ものを感じている。
(以降、悪魔たちは順次追加予定)
「無理。俺、悪魔に一切話しかけんなって契約させたから」
夜の廊下にバタンっ…と静かに扉の閉まる音が響く
「……」
「あー……アイツ、悪魔に騙されたこと、相当根に持ってるみたいだな」
「み、みたいだね」
――僕たちは今、五十嵐くんの部屋の前にいる。
宇佐美から現実世界の話を聞いた僕たちは……
「行方不明って!どどど、どうしよう孝志!!」
「お、おおお落ち着け誠!」
混乱していた。
「ま、まだここに来て一日しか経ってねぇから!まだ大丈夫だって!」
「一日!?あっ、そうか」
混乱しながらも、僕と孝志は話し合った。
「ショックを受けてる暇なんてない…っもう時間との勝負だよ。動かないと、何もはじまらない」
「そ、そうだな。俺も、流石に卒業式は家に帰ってたから……と、父さんが心配してるかもしれねぇ」
高校卒業したばかりの高校生四人が一斉に行方不明なんて、大ニュースになるに決まっている。
これまでたくさん、両親に迷惑をかけてきた。大人になってまで迷惑なんてかけたくない。孝志も、残されたお父さんが心配に決まっている。
「……っ」
部屋を出るとき、ドアノブを掴む僕の手は震えていた。
嫌な想像ばかりが、過ぎっては、消えていく――。
抜け殻のように空っぽになった布団を見て驚く母さん、いつもはクールな妹が泣いている、警察に駆け込んでいく父さん……街中を走り回って泣きながら、僕を探す母さん――。
(あっちの世界がどうなっているか考えるのが怖い)
僕たちは悪魔という『想像でしか知らないモノ』にこれから話をしに行くんだ。
二人で話し合った結果、まずは悪魔の契約者である五十嵐くんに協力してもらおうって話になったんだけど……門前払いを食らってしまった。
「ありゃ、そうとうキレてんな」
「だね」
意外とプライドの高い彼は、悪魔に騙されたことを相当根に持っているらしい。
「けど、誠。本当のこと言わなくてよかったのか?その……話し合いじゃなくて、悪魔と契約しに行くって」
「うん。たぶん正直に言ったら、五十嵐くんはどんな手を使っても止めてた思う」
『まさか、契約の話をしに行くんじゃないよな?』
この言葉は、ついさっき僕たちが五十嵐くんに言われたものだ。
彼がいい、勘も鋭いから僕の言葉や表情から何か読み取ったのかもしれない。
「まさか!ここに来たばかりで、正直今だって戸惑ってるんだ。でも、もしアイツらが僕たちと一緒に住むなら、どんな悪魔なのか知っておいた方がいいと思って」
「……確かにな。正直、俺も放課後の悪魔以外は全員初見だ」
「じゃあ」
「でも悪い。……俺は、俺の考えが甘かったせいで誠に迷惑かけたから、ちゃんと契約の内容見直したい。これ以上、俺の大切なものが危険に侵されることは防ぎたいんだ」
「五十嵐くん……」
五十嵐くんの僕たちを想う言葉に僕の胸に小さな痛みが走る。
「だからごめん。一緒には行けない」
「なら、明日にでも、僕たちと一緒に悪魔の人たちと話しを」
「無理。俺、悪魔に一切話しかけんなって契約させたから」
――と、冒頭の言葉を言って彼はバタン!と扉を閉めたのである。
「契約の話は、相手と話して見てから決めようって思ってたけど。五十嵐くんの協力が得られないのなら、まだ僕たちの【指令兼】が有効のうちに悪魔に話を聞きに行こう」
「そうだな」
だけど、僕には少し五十嵐くんの発言の中で気になることがあった。
「ねぇ、孝志。「契約させた」ってことは契約を『追加』したってことだよね?――契約って追加できるのかな?」
「えっ?そうなのか?」
「だって、もし最初から契約のうちに入ってるとしたら、悪魔に一切話しかけんなって「契約してる」って、五十嵐くんならそう言うと思う」
「!確かに、あれだよな、悪いことした子供がよく母ちゃんに言われるやつ「あの子に厳しく言っておいたから」ってやつだ」
「そう!それに近いと思う。たぶん、契約を大きく変えてはいけないけど、契約に支障のないものであれば、追加できるんだと思う」
「五十嵐に話をかけないぐらいなら『対価』もいらなそうだもんな」
「うん」
もし、それが可能なら……悪魔の時間に五十嵐くんの協力が無くても、僕たちは悪魔と話せるかもしれない。……五十嵐くんにまだ子供らしいところが残ってて、よかった。
「うーん、でも、問題はどの悪魔に話を聞くかだよなぁ」
孝志が頭の後ろで両手を組み、視線を逸らしながらぽつりと言った。現実世界の現状を知った今、僕たちにのんびりしている時間なんてない。廊下で二人突っ立って、進展の無い会話を続けても意味はない。
僕たちは五十嵐くんみたいに頭が良くない。だから、とにかく話を聞いて、少しでも沢山の情報を得るしか方法はないんだ。
「僕は……」
少し迷って、言葉を続けた。
「一番最初に話を聞くなら……シェフが、いいと思うんだ」
これは僕の『勘』でしかない。
シェフだけは、他の悪魔とどこか違う印象を受けた。実直に職に向き合う姿勢や食への異様なこだわり。そして、焼きたてのパンを僕と孝志に分けてくれた――『優しさ』
「シェフも悪魔だ。あの行動すべてが僕たちを信用させるためのもので、騙す可能性だってあるかもしれない」
「そうだな」
「でも……他の悪魔とシェフ、どっちを選ぶってなったら――僕は迷わずシェフを選ぶ」
「誠……」
『俺は人間が嫌いだが…人間が作る料理は好きだ。だから、料理に関しては絶対に『嘘』はつかん。言葉で騙し、味を偽ることなど…もってのほかだ』
『貴様らがこの空間にいる間は俺が『最高の料理』を作ってやる。だから、時間だけは守れ。料理の味が落ちる』
シェフが僕たちに言った言葉に嘘も、騙す意思も感じなかった。
「実は、俺も……あの人なら、俺らのこと無視しないで、喋ってくれるんじゃねーかなって」
「えっ、孝志も?」
意外だった。孝志は悪魔を一番警戒していたから。……これも、焼きたてパンの効果か?
「焼きたてパンは関係ねぇから」
「えっ!」
「いや、お前、絶対いま、パンのこと考えてたろ?」
「そっ、そんなことないよ!」
もう一回食べたいとは思ってるけど。明日の朝ごはんを楽しみにしてるのは秘密だ。
「う、宇佐美、残り時間ってどれくらい?」
【残り時間、30分でございます!】
「30分か、迷ってる時間はねーな」
腕組みをしながら孝志は廊下の奥に顔を向けた。宇佐美から悪魔たちの部屋番号は教えてもらっている。シェフの部屋は『108』だ。
「時間がないね、とにかく行こう。シェフの部屋へ」
「だな」
僕たちは顔を見合わせ、無言で頷くとシェフのいる『108』に向かった――。
◇◇◇
―コンコン、とノックを三回。
「で、出てこないね。留守とか?」
「いや、さっき宇佐美に聞いただろ?」
そうだ。無駄骨を防ぐために宇佐美にシェフがいるかどうかを聞いていたんだ。
【シェフは朝の仕込みがあるので、厨房の掃除が終わり次第。お部屋に戻っておられます!】
「そうなんだ。あのさ、ずっと気になってたんだけど宇佐美は悪魔の時間になったら、その……ウサギじゃなくなっちゃうの?」
可愛いし、僕に敬語の宇佐美が口調も荒く名前を呼び捨てにされたら泣く自信がある。
【安心ください!宇佐美はウサギのままですし、誠サマが望めばすぐにでもお洋服を出してあげられます!】
「えっ、宇佐美には悪魔の時間は関係ないの?」
【うーん、そうですねぇ…悪魔が全員冷酷で残虐性があって、性格が悪いとは限りません。それぞれ時間の使い方は、悪魔次第なのです!』
「悪魔の性格が関係してくるのか……」
――『どっち』にも受け取れる曖昧なルール。
(疑心暗鬼を誘っているのか…?)
「もう一回、ノックしてみよう」
「大丈夫か?怖いなら俺が変わるぞ?」
「っだ、大丈夫。僕たちはこれから嫌でも、悪魔と関わって生活していくんだ」
学校と同じだ。共同生活に必要なのは『会話』することだから
「……僕は、それを疎かにしたせいでイジめられたけど。――でも、今なら、イジメられてよかったかもしれないって思ってる」
「は?イジメられてよかったって、何言ってんだよ誠」
孝志が少し呆れたように僕を見る。自分でも、馬鹿な事言ってるって自覚はある。僕よりも酷いイジメにあってるかもしれない人から、怒られてしまうような言葉だ。
でも……これは僕だけの人生だから。
良いか悪いかは、僕が決めていいんだ。
「僕は虐められたから『人の痛みがわかる人間』になれたんだ。一番は、その……孝志と冬美と、友達になれたことだけど」
「誠……」
きっとこの世界には大人になっても『人を傷つける人間』は沢山いる。
人生で一度も理不尽に殴られたり、悪口なんて言われたことのない。『人の痛みをわからない人』たちが、精神は子供のまま大人のフリをして生きているんだ。
「僕は早い段階で、それを知れたから。仕事場でもし困ってる人がいたら気づくことができる。少しでも、助けることができるんだ」
それに――
「辛くなったら、僕を『小林誠』に戻してくれる、友達がいるから」
僕の最後の言葉を聞いて孝志の強張った表情が和らいだ。
「お前はさ、自己評価低すぎんだよ。俺からしてみれば、お前は俺より強いよ」
「えっ!?それはあり得ないよ!僕、孝志より筋肉ないし、ビビりだし」
「だから、そういう強さじゃねぇんだって」
「……お前らは本当に時間を無駄に使うのが好きだな」
「わっ!?」
孝志と向かい合って話していたからか、背後の扉が開いてることに気づかなかった。呆れたような声を出すのは、たぶんシェフだ。
(まずい!ノックしておいて無視するとか、何やってんだよ、僕!)
「あっ、ご、ごめんなさい!あの、僕たち話があって」
慌てて後ろを振り返って――
「えぇ!?」
目の前のシェフの姿を見て思考が停止する。腕組みをした状態で扉に寄りかかるシェフは……
「なんで裸!?」
筋肉はキレイに六つに割れて、トレードマークの帽子もかぶっていない。帽子の影から覗いていた赤い瞳は、銀色の前髪が覆い隠していた。下はちゃんと履いてるからひとまずは安心だ。
(す、すごい。漫画みたいに前髪で目を隠す人っているんだ!……ちゃんと見えてるのかな?)
食堂で見た姿とは真逆の『男の色気』が漂うシェフの姿に僕と孝志は、まるで親とラブシーンを見てしまった子供のように、さっと目線を地面に向けた。
「あのさ、あ、あれ、ちゃんと見えてんのか?」
「ぼ、僕も思った」
孝志と顔を寄せてヒソヒソ話をしていると、また呆れたようにシェフがため息を吐いた。
「契約の話だろ?ちょうど紅茶を作ってるところだったんだ。中に入れ」
「は、はい!あ、あの。僕からノックしたのに、無駄話しちゃってごめんなさい!!」
僕はシェフの体を見ないように深く頭を下げた。続くように隣で孝志も「ごめんなさい!」と言って頭を下げている。二人とも声が大きかったのか、シェフが「騒がしい」と言いながら人差し指で耳を塞いでいる。
前髪で表情は見えない。だけど、迷惑そうな表情をしていることは声の感じでわかった。
しかし「入れ」と言ったくせに、シェフは扉に寄りかかった状態のままだ。……本当に僕たちを迎え入れる気があるのか?
昼間のコック姿のシェフなら素直に横を通り抜けて部屋に入れただろう。でも、今のシェフの姿だと、どうにも入りずらい、筋肉に目が行ってしまう。
もう時間が少ないことはわかっているのに、シェフの異質な雰囲気に、足が一歩踏み出せない。
「……ひとつ」
長く続く静寂の中で、シェフの低い声が空気のようにすっと耳に入ってくる。
「へ?」
聞こえてきたシェフの声に下へと向けていた視線を前に向ける。
「忠告しておくぞ」
「ちゅ、忠告?」
「あぁ、俺が今から淹れるのは『イギリス式の紅茶』だ。カップとティーポットを湯通しして温める」
「えっ、入れ物を温めるの?」
「そうだ。そうしてティーポットに茶葉を入れ蒸らす。そうだな……大体、3分から5分だ」
「い、意外となげぇな」
「他にも工程はあるが、お前たちが俺の紅茶を飲めるのは――大体10分だ」
「えっ?」
僕は、シェフのその一言で言いたいことがわかってしまった。
「今の時刻は、0時49分。つまり、お前らの元に紅茶が置かれたとき――『悪魔の時間』になるわけだが、どうする?」
シェフは扉に寄りかかった状態のまま首を傾げてニヤリと、いやらしい笑みを浮かべる。釣りあがった唇の隙間からは白く鋭い牙が見えた。
「……っ!」
――やっぱり、この人も、ちゃんと悪魔だった。
予想していなかったわけじゃない。ここにいる生物は……僕たち以外、全員悪魔だ。
当たり前のことなのに、僕は……どうしてかシェフの言葉にショックを受けていた。
「くそっ、やっぱりアンタも悪魔なんだな」
孝志が吐き捨てるように言って、僕の手を掴む。……その手が少し震えていた。
きっと、孝志も少なからずショックを受けたのだろう。
「誠、部屋帰るぞ。……作戦練り直して、今日はもう寝よう」
「……うん」
「いい判断だ。早く帰って歯を磨いて寝ろよ」
「っアンタなら、もしかしてって思ってたのに……残念だ」
「期待に応えられなくてすまなかったな」
「っ行くぞ、誠」
僕は、歩き出そうとする孝志の手を――逆に引っ張った。
「は!?」
「!?」
そして、その勢いのまま、孝志の手を引っ張りシェフの脇を潜り抜けて部屋に入った。「おい!」とシェフの慌てたような声が後ろから聞こえてくる。
心臓が激しく鼓動して、胸が苦しい――。
「まもる…??」
孝志も突然のことに脳が処理しきれていないのか、ポカンっと口を開けて僕を見ている。
「馬鹿なのかお前。俺の話を聞いてなかったのか?」
シェフが呆れたようにため息をついて、首の後ろをガリガリとかいている。
「お前、いきなりどうしたんだよ?なんで、自分からシェフの部屋に…」
「悪魔の時間は『時間』は指定しているけど……『空間』は指定されてませんよね?」
僕は荒くなった呼吸を整えると体勢を立て直し、真っすぐ目の前のシェフを見据えた。
「なにが言いたい」
「夜は悪魔の時間って言われてるけど、行動を制限されてるのは僕たちだけなんです。でも、悪魔は、昼間も夜も自由に動ける……おかしいと思いませんか?」
「……」
僕の問いかけにシェフは無言だった。今のシェフは前髪で顔が隠れて、何を考えているのか分からない。僕は緊張しながらも、言葉を続けた。
「だから、その事実に気づいた五十嵐くんが条件を『追加』したんです」
「僕たちの『セーフティーゾーン』は2階の部屋すべてだ」
「……接触禁止命令は聞いているが、その話は聞いていない」
シェフは入口の扉を静かに閉めると、室内にいる僕たちに体を向けた。逃げ場のない状況を作られて、体に緊張が走る。
僕は今、悪魔の前で堂々と『嘘』をついている。しかも、僕たちとって都合のいい嘘――そして、友達を想う五十嵐くんに対して、裏切り行為でしかない。
少し前の僕だったら怖くて、こんなことできなかったと思う。でも、僕には、帰りたい場所があるから。ここで頑張らないと、先には進めない――!
「せ、セーフティーゾーンって、五十嵐は」
「っ孝志」
僕の『嘘』に何か言いたげな孝志を目で制した。孝志もすぐに察したようで、なるべくシェフの方を見ないようにして言葉を続けた。
「げ、ゲームのやつだよな?」
『セーフティーゾーン』それはゲームの主人公のセーブポイントである。敵が入ってこれない『安全地帯』のことだ。某ゾンビゲーをやったことがある人なら誰でも知ってる。
「では、聞くが。その追加条件を言ったのが本当に五十嵐様である証拠はどこにある?伝言を頼まれただけでは、信用に値しないぞ」
「っなら、本人に確認すればいいじゃないですか。僕たちは、五十嵐くんに頼まれて、ソレを伝えに来たんだ」
「……」
シェフの肩が動揺に少し揺れる。
友達だからわかる。五十嵐くんは同じミスを繰り返さない。
『無理。俺、悪魔に一切話しかけんなって契約させたから』
言葉をそのまま受け取れば、ただ単純に「悪魔が五十嵐くんに話しかけない契約」と聞こえるだろう……だけど、彼なら今度こそ、きっと『悪魔に隙を与えない厳重なルール』を定めているはずだ。
「……」
「………っ」
室内に緊迫した空気が漂う。隣にいる孝志が僕を不安そうな表情で見つめている。掴んだ手に緊張の汗が滲み出ているのがわかった。
シェフは何も言わない。僕たちの方をジッと見ているだけだ。
「……甘いな。その追加契約は『室内の悪魔』にしか通用しない」
「!」
「お前らが俺との交渉が終わりこの部屋を出た時――悪魔に遭遇したら、どうする?」
「!?」
「セーフティーゾーンは室内のみなら、廊下で偶然会った悪魔には通用しないよな?」
「……っそれは」
シェフの言う通りだ。僕の考えた契約は、室内の悪魔にしか通用しない。
(くそっ、交渉のことばかり考えたせいで、空間を『限定的な場所』に定め過ぎた…!)
「廊下であった悪魔には、その……っ」
考えろ、もっと、僕たちに有利な場所――。
「やはり、お前が勝手に考えたモノだったか」
「っ違います!あの、五十嵐くんはっ」
ダメだ。上手い言葉が見つからない。今から「二階全体」なんて言ったら、もっと疑われるだけだ……嘘だってバレてしまう。もうすぐの『悪魔の時間』が来てしまう……!
考えろ、このままだと交渉すら、出来なくなってしまう、考えろ……かんがえろ――
「なら、2階全体を俺たちのセーフティーゾーンにする」
「!………ったか、し?」
思考の海に溺れそうになった時、孝志の声が聞こえた。隣にいたはずの孝志が、友達の背中が今は………目の前に見える。
「ずいぶんと契約内容がコロコロ変わるな」
「なら、それも五十嵐に確認しろよ」
「また確認か」
「だってそれしかねぇじゃん。俺たちを信用できねぇなら、違う人間に聞いて、話の信頼性を高めていく」
「ほぉ、面白いな。嘘がバレるのは怖くないのか?」
「怖くねぇよ。お前らはあいつの表面しか知らねぇだろうから、教えてやる。」
孝志は悪魔に向けて、ニッとまるで何かを自慢するような、満面の笑顔を浮かべてこう言った。
「例え、俺たちが勝手に契約を追加して事後報告したとしても……アイツはソレを許すよ」
「なに?」
「孝志……」
「俺はあいつの友達だからわかんだよ。たぶん「いいこと思いつくじゃん、採用」って笑って許してくれんだよ。――アイツはそういう奴なんだ」
「……」
「な、嘘にならねぇだろ?」
孝志の言葉にシェフの追及が止まる。
(すごい、言い切った……)
でも、孝志が言うように五十嵐くんなら言いそうな言葉だなって思った。確信があったとしても、今の言葉を、僕は迷いなく言えない。孝志だから言える言葉なんだ。
「……はぁ」
沈黙を破ったのは、シェフの長く深い溜息だった。
「………契約者である五十嵐様から追加契約は」
シェフは少し疲れたような声色で、五十嵐くんが追加した契約内容を淡々と語る。
以下が五十嵐くんの追加契約の内容である。
生身の接触禁止。
魔力を使っての接触禁止。
脳内に直接語り掛けてくるなどの接触禁止。
友人の姿に変化しての接触禁止。
友人を操り、または憑依しての接触禁止。
物、動物、同胞に化けての接触禁止。
睡眠中に夢を通しての接触、干渉、暗示、視覚・聴覚の操作も禁止。
いかなる例外規定・抜け道を設けての接触も禁止――
「だから、俺から話を聞くことは無理だ」
「い、五十嵐くん」
「うわぁ、すげぇな。後半ほとんど何言ってんのか、わかんなかったけど。アイツがマジ切れしてるってことだけは、わかったわ」
僕も、予想をはるかに超える条件の数々に絶句した。どうやら五十嵐くんは悪魔に騙されたことに、相当腹が立っているらしい。
「……珍しく放課後の悪魔が疲弊していたな。契約書、10ページくらいあったし。夢に出るのも禁止。感情操作禁止…あぁ、あと発言する際は悪魔たちは全員『挙手制』だ」
「まるで『悪魔を殺すつもりの契約』じゃねぇか……はぁ」
シェフはため息を吐き、組んでいた腕を解くと、指をパチンっと鳴らした。
「!?」
ボワっと黒い炎が一瞬にしてシェフの体を覆い隠す。そして、炎が消えた時—
「あ!」
黒い帽子に黒いワイシャツの姿……そこには、僕たちが見慣れた姿のシェフが立っていた。流石に夜だからエプロンはつけていない。
男の色気溢れるシェフの姿は、僕たちにはちょっと刺激が強すぎる。シェフの姿になってくれたのは、僕としてもありがたい。
「話をするなら、この姿の方がいいんだろ?」
「信じてくれるの?」
「悪魔にとって契約は絶対だ。俺から五十嵐様に話が聞けない以上信じるしかないだろ」
「う、嘘だって思わないのかよ」
孝志が少し困惑した表情でシェフに問いかける。
「悪魔は『友情』とか『絆』といったものを確認することができない。目に見えないものが苦手なんだ。お前がさっき言った言葉は確認することが困難なものだ」
「そうなのか?」
「そうだと思うよ」
計算じゃなくて、自分の感覚だけで言えるのが孝志らしい。
僕がここに来るまでに考えた作戦なんかより、孝志が直感で出した作戦の方が悪魔を一番困らせていた。
「憶測だけで判断した場合のペナルティーを考えれば、お前たちと話した方が俺に被害はない」
「なるほど?」
「悪魔にあるのは損得感情だ。自分が楽しいか、自分に害はないか。利益を考えて行動するのが悪魔だ。覚えてけ」
「う、うん」
僕たちの返事が合図かのようにキッチンの方から「ピーッ」とヤカンが沸騰する音が聞こえる。湯沸かしポットじゃないのが、なんだかシェフらしい。
「やっぱり、シェフは優しいな」
キッチンに向かうシェフの背中に僕は言葉を投げかける。
「悪魔に優しいやつなどいない」
いや、シェフは優しいよ……だって本当に悪い人なら、そう、これが例えば放課後の悪魔ならきっと、僕たちを部屋に優しく迎え入れて紅茶を振舞ったときに『ネタバラシ』をしていただろう。
でも、シェフは「警告」だと言って、悪魔の時間が来る前に僕たちに教えてくれた。
(やっぱりシェフは、ほかの悪魔と少し違う)
「もうすぐ紅茶ができる、そこのソファーに座れ」
緊迫した空気が漂っていた部屋にはふんわりと甘い茶葉の匂いが漂いはじめる。片手に抱く宇佐美を隣に降ろして、二人で指定されたソファーに座った。
シェフの部屋は小さなキッチンがあるだけで、それ以外の部屋の間取りも構造も僕の部屋と一緒だった。寝るだけで苦労していたあの高いベッドはシェフの身長なら余裕だろう。
「あ、そういえば孝志もベッドのサイズ直してもらった?」
「ん?あぁ、シェフが来てくれたよ」
「僕はアイツ……放課後の悪魔が来たよ」
「は?大丈夫だったのかよ」
「うん。なんというか、むしろ危ないところを、助けてもらった…?」
「…なんでベッド直すだけで危ない目にあってんだよ」
「僕のせいじゃないし。悪いのは絶対あっちのほう!」
「待たせたな」
銀色のトレーに3つのお洒落なカップと大きめのティ―ポットを乗せてシェフが戻ってきた。テーブルの上、トレーに乗せていた紅茶セットを置くと赤色の砂が入った砂時計を逆さまに置いた。
目の前でさらさらと赤い砂が下に落ちていく。
それを孝志と二人、口を開けてぼんやり眺めていた。
「なんか、こういうのって無限に見てられるよね」
「わかる…砂時計って、なんか不思議だよな」
「おい」
シェフに声をかけられ、二人同時に顔を上げる。
前髪が無くなって目が見えるようになったことで、今ならシェフの呆れている表情がよくわかる。
「俺は時間を無駄に使うのが嫌いだ。この砂時計が、落ち切るまでに――『契約の話』をするぞ」
「……!」
シェフの言葉に僕たちは目的を思い出す。僕は姿勢を正し、膝の上に両手を置いてシェフの顔を真っすぐ見た。
「シェフの……あなたの能力と対価を教えてください」
最後まで読んで頂きありがとうございました!




