第1話『おにぎりと絆創膏』
【毎日更新予定!】
はじめまして、ゆきまると申します。
この作品『悪魔のシェアハウス』は、普通の学生たちが悪魔との共同生活をする物語です。
個性豊かな悪魔たちと、悩みを抱えた高校生4人の友情・選択・裏切りの物語。
少しずつ読み進めてもらえたら嬉しいです!
※現在10話以上ストックがあるので、しばらくは毎日投稿していきます!
——目が覚めると、そこは真っ白な空間だった。
眠っていた僕の肩を誰かが強く揺さぶる。
目を開けると、そこにいたのは冬美だ。
「誠くん!起きて!」
「…冬美?」
でも、おかしい。
目の前にいる冬美は“小学生の姿”をしていた。
「誠、俺たちのことわかるか?」
その隣には孝志もいる。
孝志も小学生の姿をしていた。
そして――僕自身も。
手が小さくて、目線も低い。
なんだか頼りなく感じてしまう。
だけど、記憶があるんだ。
僕も、冬美も、孝志も…
頭の中には“18歳だった頃”の記憶が
はっきりと残っていた。
「…冬美、孝志…僕たち昨日“卒業式”だったよね?」
「あ、あぁ…」
「…高校の、最後の卒業式だったはずだよ」
「でも、なんで小学生に…?」
顔を見合わせ、戸惑う僕たちの耳に
「ガチャリ」と金属が揺れる音が響く。
真っ白な空間で、その音は妙に大きく感じられた。
3人が驚いて振り向くと――
そこには“一つの扉”があった。
静かに開かれたその扉からは“二人の人影“が現れる。
一人は、見覚えがある。
むしろ、目が覚めてから「どうしていないのだろう?」と思っていた人物だった。
「い、五十嵐くん…?」
友達の五十嵐くんだ。
「あれれ?自分ら、もう起きたん?」
もう一人は…知らない人だ。
たぶん、会ったこともない。
五十嵐くんの隣に立つのは妙に整った顔立ちをして、どこかうさんくさい笑みを浮かべた男だった。
置かれた状況もわからないまま、頭は酷く混乱している。
隣にいる冬美から「ヒッ」と小さな悲鳴が漏れる。
…実は僕も。
五十嵐くんの姿を見た時から――
彼の“体の一部”から目が離せなかった。
僕たちを気にした様子もなく、五十嵐くんが静かに口を開いた…
「みんなとずっと一緒にいるために
“放課後の悪魔”と契約したんだ…」
そう言って微笑む五十嵐くんには――
『左腕』がなかった。
ずっと一緒なんて今なら無理だってわかってる。
でも、子供の頃はそんなこと考えもしなかった。
『俺たち、卒業してもずっと一緒だよな?』
“放課後の悪魔”の儀式をやった帰り道、五十嵐くんはそう言った。
電柱の街灯から離れた位置に立つ彼の表情は暗闇でよく見えないはずなのに酷く、苦しい表情をしていたのを覚えている。
「あの時と、俺の答えは変わらねぇよ。
俺は、お前らと離れない努力はするつもりだ」
五十嵐くんの言葉に迷わず答えたのは孝志だ。
…この時の僕は、
自分の中に正しい答えが見つからなくて
五十嵐くんの言葉に答えることができなかったんだ…。
でも、今ならわかる。
「それじゃあっ…ダメなんだよ…っ!!」
この時点で、彼はもう――
“悪魔と契約”していたんだ…。
◇◇◇
「母さんごめん、今日もご飯多めに炊いてもらってもいい?」
その言葉で、さっきまでトントンと軽快に鳴っていた母さんの包丁の音が止まる。
「…誠、またなの?」
「…うん、ごめん」
母さん深い溜息と同時に呆れの混じった視線が突き刺さる。
僕は目線を合わせられなくて、自然と視界は足元に落ちた。
膝のところが土で汚れたズボン。
親指のところに穴が開いた靴下…。
僕が無理を言って母親や家族に迷惑をかけているのはわかってる。
( だから、それ以上のわがままなんて言わない)
靴下に穴が開いても「買って欲しい」なんて言わなくなった。
靴下なんて靴を履いてしまえば見えない。
靴を脱ぐのなんて上履きに履き替えるときくらいだ。
別に困らない…少なくとも自分だけなら。
だって僕には、靴下なんかより
家族の次に”守りたいもの”があるから。
「か、母さんが忙しいなら僕が炊くよ!」
沈黙に耐え切れなくて、僕は視線を下に向けたままそう言った。
…母さんがどんな目で僕を見ているのか
知るのが怖かったんだ。
「……好きにしなさい」
「!う、うん、ありがと!任せてよ!」
許しの言葉にようやく顔を上げる。
僕の目に夕飯の準備を再開した母さんの背中が見えた。
「……」
ひとつ呼吸を整えて、僕は米櫃に向かう。
五合分の米を炊飯器に移してパーカーの袖をまくった。
「つめたっ…」
日が落ちたせいか、いつもより水道の水が冷たく感じる。
今日のおにぎりの具材は何にしようか?
そんなことを考えながら、母さんの隣で米を研いで、
炊飯器のボタンをそっと押した。
米が炊けるまでゲームでもしてようと
台所を離れかけたとき――
「…誠」
僕の背中に向かって母さんが静かに口を開いた。
包丁で野菜を刻む手は止めないまま。
目線もまっすぐまな板の上だ。
「終わりの見えない慈悲行為はやめなさい」
「えっ…?」
「アンタがあの2人を大事にする理由も…母さんわかってる。
あの子たちが、優しい子だってのも…ちゃんと知ってる…」
「…」
「でも、こんなこと、いつまでも続けられると思ってるの?」
「っ」
母さんの言葉に僕の心臓がドクンと嫌な音を立てる。
わかってる、母さんに言われなくても
——僕が一番、わかってるんだ。
母さんの言葉に返す言葉が出てこない。
「母さんも本当はこんなこと言いたくないの。でもね…うちだって、そこまで余裕があるわけじゃない」
「うん…」
「お米の値段だってあがってるし、
5合もお米炊いてたら…
誠や姫香がお腹いっぱいご飯が食べられなくなっちゃう」
母さんはまな板に包丁を置くと、冷蔵庫の中から何かを取り出した。
ラップに包まれたおにぎり…全部で10個だ。
二人のために握られたそれを母さんは
無言でビニール袋の中に詰めて、僕に手渡した。
母さんは僕が言う前から準備してたんだ。
もう“区切り”をつけるつもりだったんだ…。
「このおにぎりで”最後“にしてちょうだい」
「最後って…」
母さんから差し出されたソレを僕は震える手で受け取った。
「…今日の多めに炊いたご飯はね明日…
母さんがチャーハンでも作って食べるから」
「…」
母さんはこれ以上会話を続ける気がないのだろう。
おにぎりを渡し終えると僕に背中を向けた。
そして「夕飯までには帰ってきなさいよ」と言って再び軽快な音をまな板の上に響かせた。
「…いままでありがと、母さん」
僕は母さんの背中越しにそう小さく呟いた。
小さな声は包丁の音にかき消されて、母さんの耳には聞こえなかったかも知れない。
でも、それでも言いたかった。
◇◇◇
「あ、姫香おかえり」
おにぎりが入った袋を持って玄関に向かうと、ちょうど部活から帰ってきた妹の姫香とすれ違った。
姫香は僕の2つ下で、小学生4年生だ。
妹は僕と違って頭もよくて優秀だ。
塾の学力テストで1位を取ったご褒美にスマホを買ってもらっていた。
僕は6年生になっても「まだ早い」と言われてスマホを持たせてもらっていない。
すれ違いざま、妹は僕を興味なさげに横目でチラッと見るだけで、何も言わない。
最近、彼氏ができたと言っていた。
今打ってるメールの相手も彼氏か、友達だろう。
(…家族なんだから「ただいま」の一言くらい言えよ。)
「いってきます」
「…」
当然のように返事なんて返ってこなかった。
自宅から出るとあたりはもう薄暗かった。
遠くの空が薄っすらなオレンジ色をしてる。
「確か…”黄昏時”って言うんだっけ?」
僕はオレンジがかった静かな暗闇に向かって走り出した…
――待ち合わせの時間は19時。
僕の家と学校の中間に小さな公園があって、そこが僕らの待ち合わせ場所だった。
息を切らしながら公園に着くと、公園のブランコにはいつもの2人が座っていた。
僕は呼吸を整え、その満員ブランコに駆け足で向かって行く。
「ごめん!遅れた!」
僕の声に二人の会話がピタリと止まる。
肩で呼吸をする僕に2人は慌てて駆け寄ってきてくれた。
「誠、大丈夫か?そんなに慌ててどうしたんだよ?」
ゆっくり呼吸しろ~と言って僕の背中を
優しくさするのは、同じクラスで友達の孝志だ。
地毛が少し茶色くて背も高い。
怪我が多いせいで、喧嘩してるだとか
不良だとか、そんなふうに思われているけど—
僕は孝志より優しい人を知らない。
「誠くん、お水のむ?」
ボロボロの赤いランドセルから半分残った水のペッボトルを差し出すのは、同じクラスで友達の冬美だ。
長くてきれいな黒髪、綺麗な二重。誰が見ても美人な女の子。
だけど、この3人の中で一番芯が強い。
周りの目なんて気にしないで人を助けられる強い女の子だ。
僕は、この2人が大好きなんだ。
「ごめん、二人とも…もう、やめろって母さんが」
「えっ」
「…」
ベンチで幸せそうにおにぎり頬張る二人の前に立って、深く頭を下げる。
僕の少ない言葉で伝わったのか、おにぎりを食べ終えた冬美が少しべたついた手で僕の手をぎゅっと握ってくれた。
彼女の可愛いピンク色のパーカーの袖には小さなほつれがいくつもあって、そこだけ彼女の家庭の事情が滲んでいる気がした。
「誠くん、謝らないで!誠くんには感謝しかないんだから!」
「そうだよ誠。むしろ今まで何も言わずに俺らに飯食わせてくれた誠と、誠の母さんには感謝しかねぇよ」
「孝志…冬美…」
悲しいくらい、僕が予想していた言葉を言う二人に、僕の胸はぎゅっと苦しくなる。
「ごめん…っ」
泣きそうになってうつむくと、冬美の足が目に入った。
そこには、昨日までなかった新しい傷ができている。
(…また、アレを押し付けられたのか)
冬美の母親は夜のキャバクラで働いてる。
冬美自身も店に来た客との間にデキた子供らしい。
子供なのに、なんでそんなこと知ってるんだろうって思った。
そしたら冬美が、まるで当たり前のように「お母さんが言ってた」と言うものだから、僕は驚いて声を出せなかった。
(そんなこと、自分の子共に、普通は話さないよ…)
「お母さんはね、昔から飽きっぽい性格なの。だから、家に来る男の人も一週間もすれば、知らない人に変わってるんだ」
ベンチに座って足をプラプラ揺らす彼女の足はいつも傷だらけだった。
冬美の母親は男の趣味が最悪なんだ。
彼女の体の傷を見れば、わかる。
母親の恋人になるのは、決まって素行の悪い若い男ばかりで、母親がいないとき美人な冬美に――
そいつ等は日常的に暴力を繰り返している。
(小さくて、力のない女の子に手を上げる奴なんて最低だ…!)
母親は朝帰りが多い。
だから、冬美は学校の給食以外、まともにご飯を食べていない。
「…その足の傷…またアイツに?」
「っう、うん…今日、帰ったらお母さんいなくて…アイツが…タバコでー」
「大丈夫。それ以上言わなくていいよ」
「……うん」
「俺たちの前では無理すんな。辛くなったら泣け。ため込んでも、イイことなんてねぇから」
「…うん、ありがと2人とも」
「…じゃ、いつもの治療だね!おにぎりは渡せなくなったけど、二人の怪我だけは、絶対に直すから」
「誠~お前もだよ。俺なんかのために無理すんな。」
「無理なんてしてないよ」
おにぎりも、怪我の治療も、僕が勝手にやってることだ。
「ははっ、ありがとな。確かに毎日、暴力振るわれてっし…飯もまぁ…食わせてもらえねぇけど。
俺らのせいで、誠が大切にしてる家族から嫌われんのは…それだけは、俺が嫌なんだ…」
「孝志…」
孝志の家は父子家庭だ。
彼のお父さんは外では“ちゃんとした人”を演じている。
でも――
酒を飲むと“人格”が変わる。
孝志の父親の最悪なところは、孝志の優しさを利用して、暴力が日常になるようにしているところだ。
「孝志の朝ごはんって、今日も…パンだけ?」
「ん?そうだけど…ってなんつー顔してんだよ。俺の飯のことなんて今更だろ?」
「今更なんかじゃないよ。今更、なんて言うなよっ」
「誠?お前、どうしたんだよ。大丈夫か?」
うつむいて、言葉も出せなくなった僕の頭を孝志が優しく撫でる。
孝志は僕より背が高いのに、腕も足も細かった。
(栄養が足りない証拠だ…こんな腕じゃあ、大人に抵抗なんてできない)
2人の家庭と比べたら、毎日当たり前にご飯が食べれる僕は裕福ではないにしろ、きっと幸せなのだろう。
——いや、違う。
僕が「幸せ」だと思えるようになったのは、二人と出会ったからだ。
2人がいてくれたから…僕は笑えるようになった。
僕はリュックサックの中から袋を取り出すと、袋の中から マキロン、ばんそうこう、冷えピタ、ワセリンを取り出した。
それから、出かけるときにパーカーのポケットにねじ込んできたクシャクシャのメモ用紙を広げる。
「妹がさ、最近スマホを買ってもらったんだ…
でもアイツ、スマホ持ったばっかりだから
家に置き忘れて遊びに行くのがしょっちゅうで…
だから…そのすきに、こっそり調べたんだ。
…打撲とか、切り傷に効く薬を」
「…誠くん」
「僕、なにが二人の傷に効くのとかわかんなくて、いつも二人に絆創膏しか貼ってあげられなくて…
——ごめん、僕」
視界に映るメモ用紙がぐにゃりと歪んでいく。
「絆創膏なんて、意味なかったんだ」
妹のスマホで調べた時に出てきた薬の数に驚いた。
ワセリンなんて初めて聞いた。
冷えピタなんて風邪の時にしか使わないって思っていた。
傷は、消毒してから冷やすと腫れが引くらしい。
いつも絆創膏貼っても、腫れが引かないのは…
当たり前だったんだ。
「…っ絆創膏なんて、なんの意味も、なかったんだ。
もっと早く、調べてたら…
冬美の腕に傷が残ることも
孝志の額に…傷が残ることも…
なかったのかもしれない」
「誠…」
新品の消毒液の箱が上手く開けられない。
視界が歪んで、爪が上手く引っかからないんだ。
「お前って相変わらず優しい泣き虫だな。
ほらほら、泣くなって!ったく、世話の焼けるやつだな~」
孝志は笑ってパーカーの袖を伸ばすと、その袖の部分で僕の涙を拭きとってくれた。
「誠くん貸して、私が開けてあげる!」
「じゃあ俺も誠に甘えて、冷えピタ使わせてもらおうかな。昨日父さんに背中、酒瓶で殴られてさ、すげぇ痛ぇの」
「え!?それ本当!?背中早く見せて!僕が貼るから」
「いや、冬美もいるし、家で貼るよ」
「私のことは気にしなくていいよ」
「いやいや、だからな。女の子の前で脱ぐのはちょっと…」
「腫れは早く冷やさないとダメだって、サイトに書いてたよ!」
「えっ!孝志くん早く脱ぎなよ!腫れちゃうから!」
「だ か ら!お前らっ、話聞いてたぁ!?
冬美も服脱がそうとしてんじゃねーよ!」
「お前ら、こんなとこで何やってんの?」
「!」
突然、背後から声がして僕たちはいっせいに振り返った。
日が沈みかけた公園。薄暗くなった空のもと、街灯の明かりが当たって彼の真っ黒でさらさらした髪が淡く輝いていた。
黒い上下のパーカー、片腕には小さなビニール袋をひっかけ、片手をポケットに突っ込んでいるのは、もはや彼の特徴と言ってもいいだろう。
マスクの隙間から覗く切れ長の目を向けるのは、最近僕たちの学校に転校してきたばかりの——
「五十嵐くん…?」
五十嵐 優介くんだ。
最後まで読んでいただきありがとうございました!