第2話『3人目の友達』
【前回のあらすじ】
小学生の姿で目覚めた誠・冬美・孝志の3人。
そこは、“何もない真っ白な空間”だった。
やがて現れたのは、左腕を失い「悪魔と契約した」と語る五十嵐。
衝撃的な光景に誠の脳裏にあの日、五十嵐と出会った“夜の公園”の記憶が蘇る…
「子供が出歩く時間じゃない。早く家に帰れよ」
「子供って……俺ら同い年じゃん」
孝志が呆れたように言い返すと五十嵐くんはマスクの中でふっと鼻で笑う。
――五十嵐優介くん。
無口で、不愛想だけど、頭も良くて顔も整っている。おまけに医者の家系で、実家はかなりのお金持ちらしい。僕も何度か廊下で女子に彼が告白されている場面を見た。
五十嵐くんは誰ともつるまない、一匹狼みたいな存在だ。
正直、話しかけられて僕は内心驚いている。
「あぁ、なるほど」
彼の視線が、僕たちとベンチに広げられた薬や冷えピタ――
そして、冬美の足の傷をざっと観察していく。
「噂って本当だったんだな」
納得したように五十嵐くんはスッと切れ長の目を細めた。
マスクで表情はよくわからない。
でも、口元には皮肉気な笑みを浮かべているのだろう。
(馬鹿にしてる……?)
『噂』というのは、冬美と孝志のことだろう。
僕も転校してすぐ、聞きたくもないのに二人の噂が耳に入ってきた。
五十嵐くんが知っているのは当然だろう。
だけど、彼のその無遠慮な態度と視線がまるで二人を見下しているように見えて気分が悪い。
同じように感じたのか「お前に関係ないだろ。放っておけよ」と、孝志にしては珍しく、眉間にしわを寄せて五十嵐くんを鋭い目つきで睨みつけていた。
——と、そのとき
ぐうううううううう~~…
「…」
「……」
「………」
三人の間に、場違いで『間抜けな音』が響いた。
音のした方に目を向けると冬美が顔を真っ赤にして俯いている。
「ごめん誠くん。おにぎり、足りなかったみたい」
お腹空きました。小さな声で、冬美が言った――。
「足りないって……」
困った。お小遣いは薬を買うのに使ってしまってほとんど残っていない。
残ってても十円くらいだ、十円ではパンも買えない。
「あー、あのさ……」
沈黙を破るように五十嵐くんが遠慮がちに声をかける。
「俺の家に、特上寿司余ってんだよね……食う?」
「へ?と、とくじょう」
「寿司」
「あ、あの!お、大トロはありますか!」
お腹を押さえながら興奮した様子で冬美が右手を大きく上げる。
僕と孝志が驚いたように冬美の方へと一斉に振り返った。
冬美は、横断歩道を渡る小学生のように真っすぐ手を上げていた。
「冬美!?何言ってんの?」
「だ、だって、私大トロ食べたことないから。食べたい!!」
「そ、そんなの、僕だってないよ!」
なんなら、食べてみたい。
「……大トロ。俺も、食ったことねぇや」
僕の隣でポツリと、孝志も呟くように言った。
「っははは!!」
五十嵐くんが耐え切れないとばかりに声を上げて笑った。
笑った姿は、普段の大人びた印象と打って変わって『年相応』に見える。
「ははっ、ごめんごめん。大トロも中トロもあるよ」
「本当!?」
「ほんと、ほんと。んじゃ、3人とも俺んち来いよ。こっからそんな遠くねぇし……親もいないから」
ひとしきり笑うと五十嵐くんが僕たちに背を向けて歩き出す。
僕たち三人は互いに顔を見合わせると、五十嵐くんの背中を追いかけた。
「あ!」
公園の外、街灯を過ぎたあたりで僕は母さんとの約束を思い出した。
三人が前に進む中、僕の足だけがピタリと止まる。
「ごめん、僕……夕飯には帰ってこいって母さんに言われてて」
「あ、そっか。もうこんなに時間経ってたんだね」
「……うん」
本当は僕だってみんなと一緒にお寿司が食べたい。
でも、母さんと夕飯までには帰ってくるって約束したから、これ以上、母さんに迷惑かけることをしたくなかった。
「小林、お前。母親の番号分かる?」
「え?」
「連絡すりゃいいだろ。友達の家でご飯食べて帰るって」
五十嵐くんは切れ長の目を細めるとパーカーのポケットからスマホを取り出した。
そして、ゆっくりとした足取りで僕に近づいてきた。
「番号わかんの?わかんねーの、どっち?」
「あ、母さんのなら知ってる」
「んじゃ、教えて。俺が電話かけっから」
「!あ、ありがと」
「ん」
母親の番号を伝えると、五十嵐くんは軽快なタップを鳴らしながら番号を打っていく。
「非通知だけど……出たな。俺から説明しとく」
「僕が話そうか?」
「いや、先に行ってて大丈夫。あ、でも、俺の家知らないか。とりあえず、あの2人がいるとこで待ってろよ、許可もらったらすぐ行くから」
五十嵐くんは電話の向こうの母さんと会話しながら、僕の背中を二人が待つ電柱のところに片手で押し出した。
◇◇◇
「ここ……僕たちなんかが入ってもいいのかな?」
五十嵐くんが言ったように彼の自宅は公園から近い位置にあった。
公園をまっすぐ進んだ曲がり角の先、見上げてもてっぺんが見えない高層マンションを僕たちは、ポカーンと口を開けて首が痛くなるほど見上げていた。
マンションの入り口には警備員が立っていた。……凄い。
「警察、よばれたりしないよね?」
「五十嵐に招待されてんだから、そ、それはないだろ」
「でも、あの警備員さんの顔コワイよ?」
「わ!冬美!?指差しちゃダメだよ!?怒ってこっちに来たらどうするんだ!」
「その時は孝志くんを盾にするから大丈夫だよ!」
「俺が大丈夫じゃねーわ!!」
三人でいつものやりとりをしていると、背後から呆れたような声が聞こえた。
「お前らなに漫才やってんだよ。早く来い」
五十嵐くんだ。ここに来たってことは僕の母親との話し合いは終わったのか?
「許可取ったから」
左手をポケットに入れながら、何でもないように五十嵐くんは言った。
「えっ、ありがとう!」
「明日土曜日で良かったな。泊ってもいいかって聞いたら、お願いねって言われたわ」
「と、泊まり!?」
「いいの?私たち、五十嵐くんの友達じゃないのに」
「時間も遅いし、別に俺は気にしないよ。お前らが嫌なら、飯食い終わったら帰ればいい」
――その時は俺がまた電話してやるよ。
五十嵐くんは少し声を落としてそう言った。
本人は気づいてないのかもしれないけど
正面から見た彼は少し寂しそうな眼をしていた。
「寒い!!お前ら、早く中はいるぞ。このまま外いたら風邪ひくわ!」
答えに迷う僕の背中を押すように、孝志が僕の背を叩いてそのまま前に進んだ。
二人で孝志を驚いたように見上げると、孝志は僕に向かって笑顔を返した。
――そうか、孝志も後ろから彼の表情を見ていたのか。
「お、お邪魔します!」
「小林。まだ玄関にすら入ってねぇよ」
入り口の手前で綺麗にお辞儀をする僕を五十嵐くんが呆れたように見下ろしていた。
緊張しながら五十嵐くんの後ろについて玄関に入る。広いホールのような場所を抜けると、銀色に輝く大きなエレベーターが見えた。よく行くデパートのエレベーターよりも広い空間。
あまりにも自分たちが場違い過ぎて、端っこで孝志を真ん中に冬美と身を寄せ合っていると五十嵐くんが振り返る。
「お前らってほんと仲良しな」
そう言って彼はなにか、眩しいものを見るような眼差しで僕たちを見つめると小さく笑った。
彼の浮かべる子供らしくない表情を見て、少しだけ胸が締め付けられた。
それに、気づかないフリをして、僕は冬美とは反対側の孝志の腕を強く掴んだ。
「寿司は入ってまっすぐ進んだとこ。リビングに置いてあるから」
家に到着するなりそう言って五十嵐くんは長い廊下の向こうに消えて行く。
彼の背中を見送った僕たちは言われた通り広い廊下をダンゴムシのように一列に固まって進んで行った。
数歩進んだところで明るいリビングへとたどり着いた。
「わ~」
冬美が小さく声を上げる。
僕と孝志も目の前の光景に言葉を失っていた。
広い室内、高い天井、はじめて見るオープンキッチン。
理科の実験室にある机くらい大きなテーブルの上には、見たことのないサイズの桶に入ったお寿司が置かれている。
高級なお寿司がリビングの照明に照らされキラキラと輝いていた。
「お、お皿ってどこかな?」
興奮を隠しきれない様子で冬美が僕たちの顔を見る。
僕は孝志と顔を見合わせると、入り口の扉の近くに背負っていたランドセルを置いた。
――探索開始だ。
オープンキッチンは使われた形跡がほとんどなかった。
高そうな木で作られた戸棚には皿が積みあがっている。
……絶対高い、割ってしまうのが怖くて取り出せない。
「高いお寿司って手で、食べたらダメだよね?」
「えっ、たぶん。やっぱり箸とか使って食べるんじゃない?」
「この家、箸すら見当たらねぇぞ」
「割り箸なら、桶の隣にあったよ!」
「えっ、高いお寿司だよ?割り箸なんかで食べたらダメだって!」
「それだと、手づかみしかないよ?」
「高級なお寿司を食べれる素手ってなんだ?」
「あっ、それ以前に僕たち、手、洗ってないよ?」
僕の一言で会話がピタリと止まる。
「あ、確かに」
「わ、私たち、食べる資格すらなかったの?」
「あはは!お前らの会話って ほんと聞いてて飽きねぇわ」
「い、五十嵐くん!」
室内着に着替えた五十嵐くんがソファーに座りながら僕たちの方を見て、クスクスと笑っている。
「好きに食えばいいんだよ。手づかみでも、なんでも。お前らが食べやすい方法で食べろ、俺は気にしねぇよ」
お腹がペコペコだったこともあって、僕たちは五十嵐くんの言葉に甘えることにした。
三人急いで手を洗って席に着くと、冬美は手づかみ、僕と孝志は割り箸を使って桶の中の寿司を平らげていった。
「うまっ!」
「おいひぃ~!!」
「美味しい!!」
はじめて食べる特上寿司は文句なく美味しかった。
大トロなんて、魚とは思えないくらい脂がのっててトロトロで最高においしい。
「ふ~、もう僕はお腹いっぱい」
小食の僕は寿司八貫食べてギブアップだ、二人は黙々と残りの寿司を食べている。
二人のおにぎりは、いつも僕が握っていた。
綺麗とは程遠い、中身の具が飛び出した『野球ボールみたいに丸いおにぎり』
だけど、明日から僕はもう二人におにぎりを渡せなくなってしまった……。
「小林。そこに突っ立ってないで、隣座れば?」
ソファーに座る五十嵐くんから声をかけられる。
「えっ、いいの?」
「うん。目の前で立ってられるほうが、なんか気になるし」
「あ、ありがと」
五十嵐くんに言われて僕は少し間をあけて、スマホをいじる彼の隣に座った。
「あのさ、五十嵐くんは…あの時間どうして外にいたの?」
「……買い物」
僕の質問に彼は目線をスマホに向けたままそっけなく答えた。
「そうなんだ…」
(こんな夜遅くに……?買い物?)
腹が満たされると公園では感じなかった『違和感』に気づく。
リビングで見たお寿司は中身がほとんど残っていたし、探索で開いた冷蔵庫には食べ物は無くても水にジュースも揃っていた。冬美がお菓子の詰まった引き出しも発見している。
(この家には必要なモノが揃ってる。それなのに、どうしてこんな夜遅くに五十嵐くんはご飯も食べずに出かけていたんだ?)
「あの、お寿司ありがとう、でも…五十嵐くんのご飯は?あのお寿司じゃなかったの?」
心にひっかかりが生まれて、僕は彼に素直に聞くことにした。
さっきから胸がザワザワして落ち着かない。
「……一貫、食ったら、吐いた」
「吐いた!?」
五十嵐くんの予想外の答えに、僕の声が思わず大きくなってしまう。
寿司を食べていた二人の手が止まり、冬美と孝志が二人同時に顔を上げる。
外にいた時は気づかなかったけど、今になってようやく気付いた。
スマホをいじる五十嵐くんの顔色は青白く、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
寿司を食べては吐いたってことは……相当具合が悪いってことだ――。
「五十嵐、ちょっとおでこ触るぞ」
さっきまで反対側にいたはずの孝志が気づけばすぐ隣にいた。
孝志はそのまま五十嵐くんの額にためらいもなく手を当てると、すぐにもう片方の手を自分の額にあてて、ゆっくり瞼を閉じた。
突然のことに五十嵐くんは目を見開き硬直している。
「はぁ……」
数秒、孝志は手のひらに感じる熱に集中したかと思うと、大きくため息を吐いた。
「誠、冬美。やっぱコイツ、風邪引いてるわ」
「風邪!?」
孝志の言葉に冬美も五十嵐くんの元へ駆け寄る。
そして、彼の顔をジッと見た冬美が「わ!顔真っ赤だよ!」と言って服の袖で汗を優しく拭き取っていた。
「冷えピタ貼った方がいいんじゃない?」
「あ、ごめん。僕が買った分、もう二人に使っちゃったんだ」
「冷えピタもだけど……まずは薬だな」
「おかゆは?私、買ってくる?」
「た、立花は、ダメだろ。外、暗いし、危ない」
硬直から復活した五十嵐くんが困惑した表情のまま、なんとか声を絞り出した。
風邪のせいなのか、五十嵐くんの視線は宙を泳いで、呼吸もひどく乱れていた。
「五十嵐の言う通りだな。俺が買ってくるわ。誠、ちょっとそこの袋の中身、確認してくんね?」
言いながら孝志はテーブルの上に放置されていた袋を指差した。
「わかった」
ソファーから離れて袋の中身を確認すると、中にはアクエリが三本。
中身の報告をすると「はぁ!?五十嵐、お前、医者の息子がアクエリって」と孝志は驚いたような声を出していた。
そして、五十嵐くんをソファーに横たわらせると呆れたようにため息を吐いた。
――孝志は『看病のスペシャリスト』だ。
たまに僕や冬美が風邪に気づかないまま学校に登校しちゃう時があるんだけど、孝志は呆れながらも下校ギリギリまでずっとそばで看病してくれる。
その優しさに僕と冬美は、何度救われたかわからない。
「んじゃ、薬とおかゆ、あと体温計も買ってくる」
「あ、待って孝志。アイス枕……は時間かかるね。氷とソレを入れるやつも、かな」
「確かに、冷やしてる時間ないもんな」
「まっ、待ってくれ!」
五十嵐くんは青白い顔のまま起き上がるとリビングを走って出て行く。
数秒もしないうちにドタバタという足音が聞こえてくる。
戻ってきた五十嵐くんの手には黒い財布が握られていた。
「っこれ、使ってくれ。流石に、金まで世話になるのは……悪いから」
「ありがとな、金ねぇからもともとお前から借りるつもりだった。ありがたく使わせてもらうわ!」
笑って孝志が五十嵐くんから財布を受け取った。
「五十嵐くん、小さいタオルとかってある?」
「えっ、たぶん、風呂場にあると思う」
「私、取ってくるね!誠くんは五十嵐くんのこと寝かせといて!」
そう言って冬美が部屋を出て行く。
「あの、五十嵐くん立てる?……部屋入っても、大丈夫かな?」
「……うん、いいよ」
「ありがと、僕が支えなくて大丈夫?」
「1人で歩けるよ、心配ない……」
放心状態だった五十嵐くんは立ち上がると、ゆっくりとした足取りで自室に向かって歩き出した。
その歩幅に合わせるように、僕と孝志も後ろからついて行った。
「なぁ、五十嵐。あんまひでぇようならお前の両親に連絡しといたほうがいいんじゃねーの?」
孝志が後ろから声をかける。五十嵐くんはピタリと歩みを止めた。
そして、青白い顔のまま、肩をすくめると瞼を少し伏せたままつぶやくように言った。
「連絡しても、たぶん来ねぇよ……あの人たちは、俺のこと風邪ひかない子供だと思ってっから……」
「は?」
五十嵐くんの言葉に僕と孝志の足が止まる。
「っな、なに言ってるんだよ。風邪をひかない人間なんて、いるわけない」
大人だって風邪を引く。まだ体が出来てない子供なら尚更だ。
少しの沈黙のあと、五十嵐くんはこちらを振り返らずに言った。
「おれのために怒ってくれてんの?小林も犬飼も、優しいやつなんだなぁ」
風邪を引いてるせいなのか、五十嵐くんの声には幼さが滲み出ていた。
(優しいって、なんだよ。風邪は病気なんだよ。キミの家族は、医者なのに……そんなことも知らないかよっ)
「五十嵐くん……」
再び歩き出した少し猫背になった彼の背中は
公園の時とは違って、酷く頼りなそうに見えた。
僕と孝志は、その背中を追いかけるように歩き出した。
「お、お邪魔します……」
リビングほどではないけど、五十嵐くんの部屋は広い。
大型テレビの前には白いソファーが置かれていて、勉強机には難しそうな本と薄型ノートパソコン。
その側には高そうなヘッドホンが雑に置かれている。
「わかんねぇ……なんで、そんな、俺が、風邪引いたって…お前らが困るわけでも、ねぇのに」
「え?」
ベッドの中に入った五十嵐くんは唇を歪ませると片腕で両目を覆った。
「それ、五十嵐くんにそっくりそのまま返してあげる!」
部屋に入って来た冬美が、元気よく言葉を返す。
その手には小さいタオルが入った風呂桶があった。
「そのままって」
「うん。そうだね。だって冬美や孝志がお腹へっても五十嵐くんは何も困らないだろう?」
「……そう、だな」
「それなのにお寿司を食べさせてくれた。……冬美の心配もしてくれた」
五十嵐くんが優しいからできることだ。
「だから、僕たちだって五十嵐くんが困ってたら……助けたいって、思うんだ」
「……っ」
彼は片腕で両目を覆ったまま、静かに言葉を続けた。
「俺、両親が、仕事忙しくて……家にも、滅多に帰ってこないから、看病とか、されたことないんだ」
「えっ」
「両親は、俺のこと完璧な子供だと思っててさ。自分たちが面倒見なくても、『餌代』置いて死なないようにしてれば、いいって思ってんだよ……」
「え、餌代って」
僕は言葉を飲み込んだ。
何か、言わなきゃって思うのに言葉が出てこない。
「餌代だろ?普通の飯って俺はよくわかんねーから、両親がテキトーに置いた金とテキトーに置いた宅配のチラシ見て。いつも、誰が作ったかわかんねー飯食ってたんだ……」
「……五十嵐くん」
「栄養とか、わかんねーし。でも両親に「学校は休むな」って言われてっから。風邪ひいても……治し方も知らねーから、無理して登校してたんだ」
「………」
(あっ……)
よく見ると、五十嵐くんの指先が小さく震えていた。
それでも、彼は腕を避けようとしない。
でも……僕たちには、もうわかってた。
彼が今、泣きそうなのを――
初めて貰った『優しさ』にどうしていいか、わからないんだ。
「五十嵐くん」
僕は五十嵐くんのベッドにそっと近づいた。
「誰が作ったか、わかんないって言ってたけど」
片腕で両目を隠しながら、五十嵐くんが小さく頷く。
「僕は、今日のお寿司、すっごく美味しかったよ!」
「おれが、作ったものじゃない」
「同情だっていいよ。五十嵐くんが僕たちを少しでも助けたいって思ってくれた。その優しい気持ちが嬉しいんだ」
「きもち……?」
そのときはじめて、五十嵐くんは腕を避けて僕をまっすぐ見た。
彼の目には、涙がにじんでいた。
「だから今度は、僕たちが返す番だよ。早く風邪を治して、明日元気になって一緒に学校行こうよ」
「っおれは、なにをすればいい?どうすれば、風邪って治るんだ?」
答えを求めるように五十嵐くんの目線が孝志に向けられる。
孝志は五十嵐くんを安心させるように、優しい笑顔を浮かべた。
「五十嵐の仕事は、寝ることだ!」
寝てろ!そう言い残して孝志は薬を買うために玄関を出て行った。
扉はオートロック式らしいから、鍵の心配はしなくていいだろう。
残された僕と冬美と冬美は顔を見合わせると、二人同時に五十嵐くんの側に寄った。
「じゃー、五十嵐くんは孝志くんが帰ってくるまで水分補給しっかりしなきゃね!風邪引いた時はたっぷりお水飲むといいんだって孝志くんが言ってたよ」
「お水じゃなくて、アクエリだけどね。でも、風邪引いた時って水よりこっちの方がいいんだってさ」
冬美がアクエリを差し出すと五十嵐くんは一瞬ポカンとしたあと、ふっと柔らかく微笑んだ。
「ありがとう」
「……驚いた」
「い、イケメンの笑顔の破壊力ってすごいんだね」
「は?お前ら、なに言ってんだ??」
教室では常に無表情でクールな五十嵐くんの自然な笑顔は、僕と美人の冬美でさえ硬直させた。
「小林の母親に泊まるって連絡しとく」
目元が赤いまま、いつもの調子を取り戻した五十嵐くんはポケットからスマホを取り出すと、再び僕の母親に電話をかけた――。
◇◇◇
——深夜0時
「お、37度だ。下がってよかったね」
「あぁ、小林も遅くまでありがとうな。……それにしても」
ベッドの上、頭に冷えピタを貼った五十嵐くんは自室に置かれたソファーの上に眠る二人に目を向けた。
「犬飼のやつ、寝るのが俺の仕事じゃなかったのかよ」
呆れたように笑う五十嵐くんの瞳には、公園の時とは違う柔らかな優しさが見える。
さっきまで五十嵐くんの看病をしていた孝志は早々に寝落ちしてしまった。
それに続くように冬美も、大きく欠伸をしながら孝志の膝の上にコロンっと横たわると小さな寝息を立てて夢の世界に旅立った。
「俺が勝手に泊まるって決めちゃったけどさ。……立花は、帰らなくて大丈夫なのか?」
冬美の方に目を向けながら五十嵐くんがポツリと言った。
「たぶん大丈夫、冬美のお母さんほとんど朝帰りらしいから………お母さんの彼氏さんも、冬美を心配するような優しい心なんて持ってないよ」
「犬飼は?」
「さっき買い物ついでに公衆電話でお父さんに連絡したって言ってたから大丈夫だと思う。孝志のお父さんは……」
僕は、少し言うのを躊躇った。
「お酒飲まなければ普通の人だから……」
でも、なんとなく五十嵐くんになら言ってもいいって思って、言葉を続けた。
「そっか。小林は眠くねーの?」
「この時間は、いつも自分の部屋でゲームやってるよ」
「ははっ、小林も俺と同じ夜型か」
「五十嵐くんも?」
「うん、この時間はゲーム配信動画見てることが多いかな」
「ゲームやらないの?」
「俺は見る派」
「そうなんだ」
薬を飲んでさっきまで眠っていたからか、五十嵐くんの会話はどこかポワッとしてる。
熱を吸ってカラカラに乾いた冷えピタを新しいものに取り換えた。
「つめたっ……風邪の看病って、こんな感じなんだな」
「ほとんどの家がこうだと思うよ。あんまりひどかったから病院だけど……軽い方でよかったね」
「なんか、いいな。こういうの」
「看病されるのってさ、な、なんかいいよね」
風邪の時は体が辛い。それでも部屋に母さんが来て、冷えピタを貼り変えておかゆを食べさせてくれる。あの時間が僕は好きだった――。
「小林はすごいよな」
「えっ?」
「お前がトイレ行ってる時に二人から聞いたんだよ」
――おにぎりのこと。
「おにぎり……」
そうだ、五十嵐くんの風邪のことですっかり忘れていた。
——僕はもう、二人におにぎりを渡せなくなったんだ。
「僕は……なにも、すごくないよ」
子供の僕にできることなんて限られている。
本当は二人にもっと美味しいものを食べさせてあげたかった。
「いや、小林は凄いよ。友達のためにそこまでできるやつ、いないと思うよ」
「五十嵐くん」
「学校の先生も、生徒も、大人も…口先ばっかのやつが多いなかで、お前は今日までずっと周りが無視し続けた、あの二人の『命を繋いで』たんだ」
ゆっくりと五十嵐くんが僕の方に顔を向ける。
「お前のおにぎりが、俺に繋いでくれたのかもしれないな」
「……っ五十嵐く、ん」
五十嵐くんの言葉に僕の胸は張り裂けそうになる。
顔が熱くなって、瞳からは大粒の涙があふれ出した。
僕はずっとこの自己満でしかない行為が正しいことなのかわからなかった。
協力してくれた母さんはいつも何か言いたげな表情でおにぎりを渡すだけで、僕が「正しい」とも「間違ってる」とも言ってくれなかった。
今日初めて、僕は誰かの言葉で――
自分の行動は間違っていないのだと言われたんだ。
「ごめっ……五十嵐く、ん…いつも、不安だったから」
零れ落ちた涙を袖で拭った。
少しゴワついたパーカーの素材が頬に擦れて痛い。
「……うん」
呼吸をするのが苦しかった。
様々な感情が胸につっかえて、それでも僕は伝えたい言葉を必死に吐き出した。
「でも、ぼくは……っふたりに、死んで欲しくなくてぇ」
「うん、そうだな。いいやつらだもんな」
「っふたりには、しあわせに……なって、欲しんだっ、ぼくが笑えるようになったのは二人のおかげだからっ」
幸せ、きっと他に人が聞いたら笑われるような言葉だろう。
「それも聞いた。お前が虐められてるのを2人が助けてくれたんだろ?」
五十嵐くんは、笑わなかった。むしろ、とても柔らかな表情で僕を見ている。
「そうなんだ……あのとき、二人が助けてくれたから――」
だから僕は、何があっても
「あの二人を守ろうって決めたんだ」
あの日のことは、きっと一生忘れない。
あのときも、僕は泣いていた。
「あのさ、小林。……俺からちょっと提案なんだけど。これから、二人の夕飯…俺が用意してもいいか?」
「えっ!」
「まぁ、用意と言っても、出前なんだけどさ」
「い、いいの!?」
五十嵐くんの言葉に僕は思わず大きな声を出してしまう。
ソファーで眠る二人の姿が視界に入って、慌てて口を両手で塞ぐと、五十嵐くんが僕を見てふっと優しく笑った。
「うん。両親は朝にしか帰ってこねぇし。いつも置かれてる餌代も一人分にしては多いんだよな」
「そっ、それは、僕としては嬉しいけど…… ほ、本当に、いいの?」
「いいよ。………って言いたいけど、ひとつだけ“条件”がある」
「条件?」
「明日からで、いいからさ……――お前らのグループに入れてくんね?」
「えっ!?」
「と、友達になって欲しいんだけど。……ダメか?」
「!!」
五十嵐くんの言葉に僕は驚いた。
風邪のせいもあって、顔を赤くした五十嵐くんの表情には緊張と不安の色が見えた気がした。
僕たちがいつも三人だけなのは、冬美と孝志の家庭事情をちゃんと知ったうえで、一緒にいてくれる人が今までいなかったからだ。
でも、目の前にいる五十嵐くんは噂話に惑わされない。
ちゃんと冬美と孝志のことを見ようとしてくれてる。
それに、僕が渡せなくなった、おにぎりの代わりになりたいって……
(今日がおにぎりを渡せる最後の日だと思ってた――)
「……五十嵐くん」
僕は、不安そうな目を向ける五十嵐くんに
寝てる二人が起きてもいいくらい大きな声でこう言った――
「うん!僕も五十嵐くんと友達になりたい!」
最後まで読んで頂きありがとうございました!




