第三話 森の中の家
黄金の扉を抜けるとむせかえるような濃い緑の匂いが迎え、周りの景色は深い森へと姿を変える。
見上げた空は青く澄み渡り、年中温暖の常春に関わらずオーロラが空を彩っている。
この『幻獣の庭』では常識なんて通用しない。
常春とかオーロラとか深く考えるのはとっくに止めてる。
「こっちはまだ昼間か。来るのは久しぶりだけど、異世界からでも問題なくこれて良かった。さて……ここ、どこら辺だったっけ?」
久し振りなんで、ちょっと道が判らない。
そもそもが人の手の入ってないので道なんてないし、代わり映えしない森の中なのもある。
え~と、前回は確かここで昼寝して直接帰って、その前に来た方向は……
「聞いた方が早いな。おーい、ラヴィア姉さんの家ってどっちだっけ?」
周囲に誰もいないに関わらず声を上げる。
端から見ればちょっと可哀相な子だ。
だが効果は覿面、周囲の木々の一部が動き出し、その幹を曲げて一本の道を作ってくれた。
「ありがとうな、みんな」
礼を言いつつ、その道を歩き出す。
この森の木々は只の木々じゃない。
木々の一つ一つが薄いながらも自我を持ち、好む者には手を貸し森を傷つける者は排除する。
小さい頃から遊び場にしていた俺はどうも可愛がられていたようで、大きくなった今もこうして頼みを聞いてくれている。
「……あ、扉閉め忘れてた」
少し進んで足を止める。あの扉は閉めない限り世界を繋ぎ続けるので、屋敷の人間に見つかると厄介だ。
一度閉めてしまえば扉は消え、俺がこちらから鍵を使わない限り最出現はしないけど。
「……あれ? 扉が無い。俺、閉めたっけな?」
扉があった場所に戻ると、あるはずの扉は消えていた。
あっれ~? 閉めた覚えは無いんだけど……
「ま、いっか」
習慣になってるから、自分で閉めたのに気が付かなかっただけかも知れない。
昨日今日と事態の推移が慌ただしかったし、見慣れた場所に来て気が緩んでも無理ないか。
そう思って俺は気にも止めず、再び歩き出した……木の陰から俺を見つめる双眸に気付かずに。
□
一〇分ほど歩くと開けた場所があり、その真ん中には他の木々よりも遙かに大きい一本の巨木がある。
植物に詳しい訳じゃないが、樹齢は軽く二千年は突破しているらしい。
ちょっとしたマンションほどのその巨木を一度見上げ、そのまま巨木に向かって歩き出す。その先には幹に取り付けられた、木製の扉。
扉には鈴の呼び鈴と表札、その前には木製の小さな郵便受けと明らかに誰か住んでる佇まいだ。
樹の中の家、実にファンタジーな光景だと今更ながら思う。
「久し振り~、ラヴィア姉さん」
ノックも呼び鈴も鳴らさずに扉を開ける。
端から見れば失礼だけど別に必要ないと言われているし、この家の主は俺が森に入った瞬間から俺が向かっている事を既に知っている。
その事を証明するように、開けた先でこの家の主人が待ちかまえていた。
「久し振りですね、達也。よく来ました」
涼やかな声で出迎えてくれたのは、金糸の様な流れる髪に陶器の様な白い肌の妙齢の女性。
希代の芸術家が造り上げたかのような美を持つ風貌に、ほっそりとした体躯を包む深緑のワンピース。
そして、人間よりも長く尖った耳。
森の妖精とも言われるエルフの女性、それがラヴィア・エルドナードだ。
「しばらく来れないって言ったのに、急に来てごめん」
「気にすることはありません。いつ弟が訪ねて来ようとも、心から歓迎するのが姉というものです」
ちなみにこの女性こそ”自称・俺の姉”であったりする。
小さい頃にこの世界に来た俺は、そこで出会った友達と遊んでいる最中にこの森へ迷い込んだ。
そんな俺を見つけ、保護し、鍵の使い方を教えてくれたのも彼女だ。
後に頻繁にこの世界にやってくる俺へ、数々の助言や手助けをしてくれる彼女の事を「お姉ちゃん」と呼び慕っていたら、いつの間にやら俺の姉を名乗っていた。
この世界の事だけでなく、普段の生活の事や悩みなど嫌な顔一つせずに聞いてくれて、時には親身になって助言をくれる彼女の事は本当の姉のように思っている。
……初対面で助けてもらった時、「ありがとう、綺麗なおばちゃん!」と言って、笑顔のまま魔法で吹っ飛ばされたのは良い思い出だ、たぶん。
例え綺麗なという形容詞がなければ、死んでたような気がするとしても、だ。
「立ち話も何ですから、中へお入りなさい」
ちょっと昔を思い出していた俺はラヴィア姉さんに促され、家の中と言うか巨木の中へとお邪魔する。
中はログハウスを思わせる天然の木目の内装で、森林浴と同じ効果でもあるのか妙に気分が落ち着くような気がする。
ラヴィア姉さんについて客間に移動し、やはり木製のテーブルに促されて席に座る。
この家は樹の中にあるのに、部屋数も多いし三階まであったりして実に広く羨ましい。
老後はこんなところに住みたいね。
「来てくれたのは嬉しいですが、どうかしたのですか? 確か『受験』と言うものが一段落着くまでは、顔を出さないと仰っていたのに」
「ああ、ちょっと受験どころじゃなくなっちゃって。ラヴィア姉さんに知恵を借りようと……ん?」
既に用意されていたお茶入りカップを手に取ろうとして、手が止まる。
一、二、三……三? 一つ多いな。
「あれ、今日は他にお客さんでも来てるの?」
珍しいね、と言葉を続ける。小さい頃から来ているが、この世界の住人は基本的に自分のテリトリーからは動かない。
ラヴィア姉さんを訪ねえ来るような者もほとんど居ない筈だ。まぁ一人ばかし心当たりはあるが。
「ええ、とても可愛らしいお客様がいらっしゃっているようなので」
「可愛らしい~?」
ラヴィア姉さんの台詞に思わず変な声で唸る。俺の知る心当たりは、間違っても可愛らしい等と言う形容詞が似合ったりはしないからだ。
「ねえ、お客ってだ…」
「ひゃあああぁぁぁぁーーーっ!」
誰って、言わせてもらえないうちに響く悲鳴……玄関の方からかな?
「いらっしゃったようですね、お迎えしましょう」
席を立ち玄関へと舞い戻るラヴィア姉さんの背を慌てて追う。さっきの声、女の子の悲鳴っぽかったけど、聞き覚えがあるような……?
「って思いっきり知った顔じゃないか!」
玄関の前で巨木から伸びた小さな枝に絡め取られていたのは、エルナ・リングラード子爵令嬢……いや、義妹となったエルナだった。
お兄様なのだから呼び捨てにしてくださいと、上目遣いでやられて降参したんだった。
子爵夫妻にも同じように上目遣いでお父様お母様呼んでと言われたが、こちらは速攻で断っておじさんおばさんで妥協してもらった。
大人の上目遣いは逆効果だと心得よ……って、そんな事は置いといて。
「若様若様、家を覗いていたところを捕まえた」
「……ドリュー、離してやってくれ。俺の知り合い、というか義妹なんだよ」
玄関横の幹から上半身を生やした緑色の髪の少女に、溜息交じりでお願いする。
「え~……養分にしちゃ、ダメ?」
「お、お兄様ーーっ!?」
「駄目、すぐに離せ。じゃないと『ラブ・ボウリング!』の最新刊見せないぞ」
「むぅ、それならしょうがない」
スルスルと枝は引っ込み、余ほど緊張したのかエルナはその場に座り込んでしまった。
ドリューは葉っぱで編まれたドレスを着て、完全に幹から抜け出て最新刊見せて~っと俺の服の袖を引っ張る。
ドリューはドライアド、木に宿る精霊だ。この巨木が彼女の住処であり、また彼女自身でもある。
名前は無かったので、俺がラヴィア姉さんの了解をもらってドリューと名付けたのだ。
元々この木はラヴィア姉さんが苗から育てたもので、ドリューはラヴィア姉さんを主として仰いでいる。なのかは知らないが、弟扱いの俺の事をいつしか若様と呼ぶようになっていた。
ちなみに少女漫画が大のお気に入りである。
「私の眷属が失礼をしました。お怪我はありませんか?」
「え、あ、はい、大丈夫です……」
俺が『妖精の小箱』に入れてた少女漫画を渡しているうちに、ラヴィア姉さんがエルナに手を差し伸べ助け起こす。
「では一緒にお茶でも如何でしょうか? 達也の義妹と言葉も気になりますしね」
「はい……」
万人を虜にする造形から繰り出される完璧な笑顔に、エルナは顔を赤くしてなすがままに頷き後に続く。
俺は小さい頃から見慣れてるからそうでもないけど、やっぱり初見の相手だと性別関係なく有効なんだな。
……エルナが我に返ったのは、同じテーブルに着いて完全にお茶会の体勢に移った時だった。
「あ、あの……」
「達也、お茶請けをお願いしても?」
「了解、小箱に沢山入ってるよ。エルナはどうする? 食後だから無理して食べなくともいいけど」
「い、いただきます!」
ガッチガチに緊張しているエルナの前に、『妖精の小箱』から出したお茶請けをそっと置く。
小皿に乗った羊羹を。
「お茶は緑茶で宜しいですか? 羊羹にはこれが良く合うのですよ」
「は、はい。お任せします」
羊羹を見たことが無いのだろう。
エルナは小豆色の四角い羊羹に珍しそうな視線を向けたまま、カップに入った緑茶を一口飲む。
「あ……渋味の中に僅かに甘味が。初めての味ですが、さっぱりとして美味しいです。ひょっとして、エルフの里で作られる茶葉でしょうか?」
「残念、雪谷園の十缶まとめてお買い得パックだ」
「えっ?」
俺の世界の庶民のお茶だと説明してから、俺も一口飲む。うん、緑茶を飲むとなんだか落ち着くね。
「お茶請けも食べてごらん」
「はい……あ、美味しいです。爽やかな香りと独特の甘味、これも食べた事がありません。先程のお茶に良く合いそうです。これもお兄様の世界の物ですか?」
「ああ、羊羹って名前なんだ。ラヴィア姉さん、そちらのエルフさんの大好物だよ」
そう言って目線で誘導すると、エルナは目を見開いて驚いた。
そりゃしょうがない。なんたってさっきまで完璧な微笑を……言い換えれば作り物めいた笑顔だったラヴィア姉さんが、蕩けきっただらしない笑顔を浮かべて羊羹を口に運んでいるのだから。
一度土産に持って行ったら嵌ってしまったんだよね。
「さて。エルナ、俺の後に扉を潜って閉めたのは君だね?」
「は、はい。申し訳ありません、お兄様……」
話足りなくて部屋にやってきてノックしたところ返事が無く、鍵も開いていたので覗いてみたら何故か部屋の中にも扉が。
扉の向こうは森の中で呆然としていると、つい扉を閉めてしまい戻れなくなってしまった。
そこに人の気配(俺の気配)がして咄嗟に隠れてしまい、そのまま着いてきてしまったという流れか。
「いや、謝るのは俺の方だ。部屋の鍵も扉も閉め忘れた俺の不注意が原因なんだからな。それにこれも早々とバレたのは、良い機会だと思えばいいさ」
「良い機会、ですか?」
「ああ。折角可愛い義妹が出来たんだ、隠し事はするもの気が引けるしな」
「お、お兄様……」
初めて義妹と呼んだから、嬉しそうに頬を染めるエルナ。
「けど此処の事は、出来ればあまり広めて欲しくはないな。家族や国王は仕方ないとしても」
「は、はい、わかりました! 絶対に喋りません!」
「ああ、ありがとう……さて、ラヴィア姉さん? そろそろ本題に入ってもいいかな?」
「ええ、構いませんよ」
時間を掛けて至福の時間を堪能したらしいラヴィア姉さんに声を掛けると、羊羹を食べ終えて元の微笑みを浮かべながら言った。
俺はこれまでの経緯を説明し、元の世界に戻れるような魔法はあるか、あるいはこの『幻獣の庭』の方から戻る方法はあるのかを訪ねた。
この『幻獣の庭』は元々、地球の昔話や神話、伝説に出てくるような精霊や幻獣、妖怪の類が住む場所だと聞いていた。
この『幻獣の庭』と地球の各地を俺の持つ鍵の様な力で繋げ、行き来しながら人とも関わり合って生活していたらしい。
しかし時代は進み科学の光が彼らの住む闇を照らし、自然を減らし、万物への信仰心が薄れてくるに従って住みづらくなってきた。
結果、地球との繋がりを断ち『幻獣の庭』へと引きこもってしまったのだと言う。
俺の持つ鍵は神代の魔女が作った世界を繋ぐ力を持つ物で、破棄されずに残ってしまった物。
遠い祖先にその魔女が居て、俺は先祖返り的に血が濃くなっていたので鍵が反応したのだろうとラヴィア姉さんが言っていた。
一度、繋がりを断ったとはいえ、この鍵が機能しているならこちら側から戻るのも難しくはないと思ったのだが、返答は芳しくなかった。
「難しいですね。こちらから、達也の居る世界から……どちらから達也の元の世界に繋げるにしても、おそらく数十年の時が必要でしょう。私にとっては然程長い年月でもありませんが、達也にとっては……」
「もう御爺ちゃんなってるよ。そんな歳で戻っても仕方ないよな」
すぐに帰れる、そんな上手い話は無いか。
「あの、お兄様……?」
「ん? どうしたエルナ?」
「お兄様はこのエルフのお姉さまと、姉弟の契りを結んでいるのですか?」
「そう言うと大袈裟だけど、まぁそんなものなのかな? ああ、正確にはラヴィア姉さんはエルフじゃなくてハイエルフらしいけど」
普通のエルフより希少で、ほぼ無限ともいえる寿命と強大な力を持っている……らしい。
そもそも普通のエルフに会ったことないから知らんけど。
「は、ハハハハハハハ、ハイエルフですかーーっ!?」
何故にそんなに驚く?
「だ、だって、ハイエルフは伝説の中でしか登場しない、エルフの祖であり神にも等しい存在だと教わったのですが……」
「……ラヴィア姉さん、そんなに凄かったっけ?」
「ふふっ。さて、どうでしょうか」
穏やかな微笑で俺の問いをはぐらかすラヴィア姉さん。
「お兄様、ハイエルフのお姉さまと姉弟の契りを交わしているなんて、凄いです……」
「あら、達也だけですか?」
「え?」
「達也は私の弟。ならば、その妹である貴女もまた私の妹ではないのですか?」
そう言ってラヴィア姉さんがエルナに向かってほほ笑むと、エルナは驚き目を丸くした。
異世界人、別種族で混成された義兄妹か……カオスだな。
ラヴィア姉さんは基本物静かだしエルナは大人しいし、仲良くできそうだけど。
「向こうは夜だしそろそろ戻るよ、ラヴィア姉さん」
「ええ、わかりました。お二人とも気を付けて。達也、私はいつでも力を貸します、遠慮なく頼ってくださいね」
「ああ、そのつもり。出来るだけ一人で頑張る、なんて強がり言ってられないしね。それに帰れないと、羊羹のストックもそのうち尽きるだろうし」
そう言ってラヴィア姉さんに視線を向けると……その顔は絶望に染まっていた。
「そんな、羊羹が食べられなくなるなんて……そんな事、耐えられません! 達也、どんな事でも力になります!」
「ちょ、さっきより随分と態度が違うんですけど!」
弟より羊羹ですか!?
「猫屋の羊羹こそ至高なのです! 永遠を生きる私のささやかな生き甲斐なのですよ!」
「そこは嘘でも弟の為とか言おうよ!」
「あ、あはははは……」
俺とラヴィア姉さんを見て乾いた笑いを漏らすエルナの声が、妙に耳に届いたのだった。